荀子 成相篇 第二十五 第二章 より
凡成相、辨法方、至治之極復後王。慎墨季惠、百家之說欺不詳。
きねうたにてぞ 語り申さん/政治の要は/平治の極は 後王の法に 反えること/慎・墨・季・恵〔慎倒・墨翟・季子?・恵施〕 百家の説は 多けれど/いずれ劣らぬ 不善なり
治復一、脩之吉、君子執之心如結、眾人貳之、讒夫棄之、形是詰。
平治の道は 唯一無にぞ/これを修めば/吉慶生ず 君子は固く 守れども/衆人たがい 悪人捨てて 省みず/刑罰のみを たよるなり
水至平、端不傾、心術如此象聖人。人而有埶、直而用抴必參天。
平らな水は 端正にして/傾くるなし/人の心も かくの如くば 聖人ぞ/彼勢いを得て すなおに 抴〔えい、=曵〕を 用うれば/功業天と ならびなん
世無王、窮賢良、暴人芻豢、仁人糟糠;禮樂息滅、聖人隱伏、墨術行。
王者の居らぬ 世の中なれば/賢士苦しむ/賊人驕(おご)り 仁人困り 糠を食う/礼楽亡び 聖人までも 逃げ隠れ/墨術のみが 盛んなり
治之經、禮與刑、君子以脩百姓寧。明德慎罰、國家既治四海平。
政治の要は 何ぞといえば/礼と刑なり/君子は以て 修め整え 民安し/徳をおさめて 罰をはばかり 行えば/国は治まり 波静か
治之志、後埶富、君子誠之好以待。處之敦固、有深藏之、能遠思。
政の中心 何ぞといえば/富貴をあとにす/君子実(まこと)に 道をば好み 事を待つ/事にのぞめば 誠実むねと 心がけ/遠き治道を 思うなり
思乃精、志之榮、好而壹之神以成。精神相反、一而不貳、為聖人。
思慮せば汝 精妙となり/心もはえる/ひたすら好み 進めば神の 如くなる/精と神とが 唯一無二に なるなれば/これぞまことの 聖人ぞ
治之道、美不老、君子由之佼以好。下以教誨子弟、上以事祖考。
平和の道は 何ぞといえば/美にして老いず/君子の善美 すべて実に これによる/ひたすら保持し 下は子弟を 教育し/上は祖考に 事(つか)うなり
成相竭、辭不蹙、君子道之順以達。宗其賢良、辨其殃孽。
きねうたにては これにて尽くも/言葉は尽きじ/くんし以上に 頼れば万事 利軽んじ/賢を貴び 賊人弁(わか)つ 《以下欠》
きねうたにてぞ 語り申さん/政治の要は/平治の極は 後王の法に 反えること/慎・墨・季・恵〔慎倒・墨翟・季子?・恵施〕 百家の説は 多けれど/いずれ劣らぬ 不善なり
治復一、脩之吉、君子執之心如結、眾人貳之、讒夫棄之、形是詰。
平治の道は 唯一無にぞ/これを修めば/吉慶生ず 君子は固く 守れども/衆人たがい 悪人捨てて 省みず/刑罰のみを たよるなり
水至平、端不傾、心術如此象聖人。人而有埶、直而用抴必參天。
平らな水は 端正にして/傾くるなし/人の心も かくの如くば 聖人ぞ/彼勢いを得て すなおに 抴〔えい、=曵〕を 用うれば/功業天と ならびなん
世無王、窮賢良、暴人芻豢、仁人糟糠;禮樂息滅、聖人隱伏、墨術行。
王者の居らぬ 世の中なれば/賢士苦しむ/賊人驕(おご)り 仁人困り 糠を食う/礼楽亡び 聖人までも 逃げ隠れ/墨術のみが 盛んなり
治之經、禮與刑、君子以脩百姓寧。明德慎罰、國家既治四海平。
政治の要は 何ぞといえば/礼と刑なり/君子は以て 修め整え 民安し/徳をおさめて 罰をはばかり 行えば/国は治まり 波静か
治之志、後埶富、君子誠之好以待。處之敦固、有深藏之、能遠思。
政の中心 何ぞといえば/富貴をあとにす/君子実(まこと)に 道をば好み 事を待つ/事にのぞめば 誠実むねと 心がけ/遠き治道を 思うなり
思乃精、志之榮、好而壹之神以成。精神相反、一而不貳、為聖人。
思慮せば汝 精妙となり/心もはえる/ひたすら好み 進めば神の 如くなる/精と神とが 唯一無二に なるなれば/これぞまことの 聖人ぞ
治之道、美不老、君子由之佼以好。下以教誨子弟、上以事祖考。
平和の道は 何ぞといえば/美にして老いず/君子の善美 すべて実に これによる/ひたすら保持し 下は子弟を 教育し/上は祖考に 事(つか)うなり
成相竭、辭不蹙、君子道之順以達。宗其賢良、辨其殃孽。
きねうたにては これにて尽くも/言葉は尽きじ/くんし以上に 頼れば万事 利軽んじ/賢を貴び 賊人弁(わか)つ 《以下欠》
孟子 公孫丑章句上 より (四端)
孟子曰:「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以內交於孺子之父母也、非所以要譽於鄉黨朋友也、非惡其聲而然也。由是觀之、無惻隱之心、非人也;無羞惡之心、非人也;無辭讓之心、非人也;無是非之心、非人也。惻隱之心、仁之端也;羞惡之心、義之端也;辭讓之心、禮之端也;是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也;謂其君不能者、賊其君者也。凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海;苟不充之、不足以事父母。」
〔訳〕
孟子は言う。
「人には誰でも他人の不幸を見るとじっとしていられない心があるものだ。昔のすぐれた王にはこの心があったからこそ、民の不幸を見過ごせぬという情味溢れる政治が出来たのである。他人の不幸を見るとじっとしていられない心で情味溢れる政治を行うならば、天下を治めるのは、手のひらの上で物を転がすように容易いことである。では何を証拠に、人には誰でも他人の不幸を見過ごすことに耐え難い心があるというのか。今仮に、井戸に落ちそうになっている幼児をふと見たとしよう。すると誰でも、これは大変、可哀想でたまらぬという気持ちになって、思わず助けようと駆け寄るものだ。べつだんそうする事によって幼児の両親と懇意になろうという魂胆があるためではない。村の人たちや友人に誉められたいというためでもない。見殺しにして悪評が立つのが厭だからというのでもない。全く無意識に、反射的にそうするのである。このことから見ても、可哀想でたまらぬという憐れみの心のないものは人間ではないのだ。同様に、不善を恥じにくむ心のないものは人間ではない。自分をさしおいて人に譲る心のない者は人間ではない。是非を判別する心のない者は人間ではない。
可哀想でたまらぬという憐れみ〔惻隠〕の心は仁の芽生えであり、不善をにくむ〔羞悪〕心は義の芽生え、自分をさしおいて人に譲る〔辭譲〕心は礼の芽生え、可・不可を判別する〔是非〕心は智の芽生えである。人間にこの四つの芽生え〔四端〕が備わっているのは、ちょうど身体に四肢が備わっているようなものだ。それにも拘らず、自分は駄目だ、とても立派な行いは出来ぬと諦めてしまう人は、自分で自分を傷つけるものだ。また、わが君は駄目だといって見捨ててしまう人は、自分の主君を傷つけるものだ。人間にはみなこの四つの芽生えが備わっている以上、すべてこれを広げて中身を満たしてゆけばよいということは、誰でも直感的に判るはずだ。燃え始めの火や、河の源はごく小さくとも、やがては猛火・大河となってゆくように、この四つの芽生えを拡張してゆくならば、ついには全世界をも安らかに治めてゆけるほどの立派な徳になるだろう。しかし、もしその中身を充実させなければ、やがては枯れ果てて、それでは両親に仕えることすらも満足にできなくなってしまうだろう」
孟子曰:「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以內交於孺子之父母也、非所以要譽於鄉黨朋友也、非惡其聲而然也。由是觀之、無惻隱之心、非人也;無羞惡之心、非人也;無辭讓之心、非人也;無是非之心、非人也。惻隱之心、仁之端也;羞惡之心、義之端也;辭讓之心、禮之端也;是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也;謂其君不能者、賊其君者也。凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海;苟不充之、不足以事父母。」
〔訳〕
孟子は言う。
「人には誰でも他人の不幸を見るとじっとしていられない心があるものだ。昔のすぐれた王にはこの心があったからこそ、民の不幸を見過ごせぬという情味溢れる政治が出来たのである。他人の不幸を見るとじっとしていられない心で情味溢れる政治を行うならば、天下を治めるのは、手のひらの上で物を転がすように容易いことである。では何を証拠に、人には誰でも他人の不幸を見過ごすことに耐え難い心があるというのか。今仮に、井戸に落ちそうになっている幼児をふと見たとしよう。すると誰でも、これは大変、可哀想でたまらぬという気持ちになって、思わず助けようと駆け寄るものだ。べつだんそうする事によって幼児の両親と懇意になろうという魂胆があるためではない。村の人たちや友人に誉められたいというためでもない。見殺しにして悪評が立つのが厭だからというのでもない。全く無意識に、反射的にそうするのである。このことから見ても、可哀想でたまらぬという憐れみの心のないものは人間ではないのだ。同様に、不善を恥じにくむ心のないものは人間ではない。自分をさしおいて人に譲る心のない者は人間ではない。是非を判別する心のない者は人間ではない。
荀子 勧学篇 第一 より(青藍氷水)
君子曰:學不可以已。青、取之於藍、而青於藍;冰、水為之、而寒於水。木直中繩、輮以為輪、其曲中規、雖有槁暴、不復挺者、輮使之然也。故木受繩則直、金就礪則利、君子博學而日參省乎己、則知明而行無過矣。
故不登高山、不知天之高也;不臨深谿、不知地之厚也;不聞先王之遺言、不知學問之大也。干、越、夷、貉之子、生而同聲、長而異俗、教使之然也。
《詩》曰:“嗟爾君子、無恆安息。靖共爾位、好是正直。神之聽之、介爾景福。”神莫大於化道、福莫長於無禍。
〔訳〕
君子は、「学問は途中でやめてはならない。青色は藍の草から取るが藍よりも青く、氷は水からできるが水よりも冷たい」と言っている。墨縄にぴたりの真っ直ぐな木も、撓め曲げて輪にすれば、コンパスにぴたりするほど丸くなり、乾き枯れても二度と真っ直ぐにはならない。それは撓め曲げたためにそうなったのである。このように木は墨縄をあてれば真っ直ぐになり、刃物は砥石にかければ鋭くなり、君子は広く学んで日に何度も自分の言行を反省すれば、知恵は明らかになり行動に過ちがなくなる。
だから高い山に登らなければ天の高いことは分らないし、深い谷間にいってみなければ地の厚いことは分らないし、昔の聖王の残した言葉を聞かなければ、学問の偉大さも分らない。南方の呉越や北方の夷狄の子どもも生まれたときはみな同じ声を出してなくのに、成長するにつれて風俗が違ってくるのは、その後の教育がそうさせるのである。
『詩経』(小雅・小明篇)に、「ああ、なんじ君子たちよ、いたずらに安息をむさぼるなかれ。なんじの現在の立場をつつしみ、正直の道を修め、心を神にして聴き学んで、なんじの大きな福を更に大きくせよ」とある。神とは道に同化するその極地であり、福とは禍のないのが最上である。
藍は奈良時代に中国から渡来。根や葉っぱを発酵させて青(藍)色の染料(インディゴ)を取る。ここから、濃い青色のことを「インディゴブルー(indigo blue)」と呼でいる。古くから、布を藍色に染める材料として栽培されている。「浅黄色(浅葱色)(あさぎいろ)」という水色っぽい色も、この藍を染めた色の呼び名である。
荀子 勧学篇 第一 より (麻中之蓬)
南方有鳥焉、名曰蒙鳩、以羽為巢、而編之以髮、繫之葦苕、風至苕折、卵破子死。巢非不完也、所繫者然也。西方有木焉、名曰射干、莖長四寸、生於高山之上、而臨百仞之淵、木莖非能長也、所立者然也。蓬生麻中、不扶而直;白沙在涅、與之俱黑。蘭槐之根是為芷、其漸之滫、君子不近、庶人不服。其質非不美也、所漸者然也。
故君子居必擇鄉、遊必就士、所以防邪辟而近中正也。

〔訳〕
南の国に蒙鳩と呼ばれる鳥がいる。この鳥は羽を拾い集め毛髪で編んで巣を作り、それを葦の先にくくりつける。が、強い風が吹いて穂先が折れると、卵はこわれて雛は死んでしまう。これは巣が不完全なのではない。巣をくくり付けた所が悪いからである。西の国に射干(やかん)と呼ばれる木がある。茎の長さはわずか四寸ほどだが、高い山の上に生えていて何百尺もの深い淵を見下ろしている。これは木の茎がそんなに長いのではない、生えている所がこうざんだからである。
蓬は麻の中に生えると、支えをしなくても真っ直ぐになり、白い砂は泥土の中に入れると、もろともに黒くなってしまう。蘭や槐の根は香料となるものであるが、尿に浸せば臭くなるので、君子はそばに近づけないし、庶民も身につけようとしない。これは、その本来の質が美(うるわ)しくないのではない、浸した尿のせいである。
だから君子は必ず環境のよい土地を選んで住み、必ず立派な人物と交際する。それによって邪悪に流れるのを防ぎ、中正の道に近づこうとするのである。
君子曰:學不可以已。青、取之於藍、而青於藍;冰、水為之、而寒於水。木直中繩、輮以為輪、其曲中規、雖有槁暴、不復挺者、輮使之然也。故木受繩則直、金就礪則利、君子博學而日參省乎己、則知明而行無過矣。
故不登高山、不知天之高也;不臨深谿、不知地之厚也;不聞先王之遺言、不知學問之大也。干、越、夷、貉之子、生而同聲、長而異俗、教使之然也。
《詩》曰:“嗟爾君子、無恆安息。靖共爾位、好是正直。神之聽之、介爾景福。”神莫大於化道、福莫長於無禍。
〔訳〕
君子は、「学問は途中でやめてはならない。青色は藍の草から取るが藍よりも青く、氷は水からできるが水よりも冷たい」と言っている。墨縄にぴたりの真っ直ぐな木も、撓め曲げて輪にすれば、コンパスにぴたりするほど丸くなり、乾き枯れても二度と真っ直ぐにはならない。それは撓め曲げたためにそうなったのである。このように木は墨縄をあてれば真っ直ぐになり、刃物は砥石にかければ鋭くなり、君子は広く学んで日に何度も自分の言行を反省すれば、知恵は明らかになり行動に過ちがなくなる。
だから高い山に登らなければ天の高いことは分らないし、深い谷間にいってみなければ地の厚いことは分らないし、昔の聖王の残した言葉を聞かなければ、学問の偉大さも分らない。南方の呉越や北方の夷狄の子どもも生まれたときはみな同じ声を出してなくのに、成長するにつれて風俗が違ってくるのは、その後の教育がそうさせるのである。
『詩経』(小雅・小明篇)に、「ああ、なんじ君子たちよ、いたずらに安息をむさぼるなかれ。なんじの現在の立場をつつしみ、正直の道を修め、心を神にして聴き学んで、なんじの大きな福を更に大きくせよ」とある。神とは道に同化するその極地であり、福とは禍のないのが最上である。
荀子 勧学篇 第一 より (麻中之蓬)
南方有鳥焉、名曰蒙鳩、以羽為巢、而編之以髮、繫之葦苕、風至苕折、卵破子死。巢非不完也、所繫者然也。西方有木焉、名曰射干、莖長四寸、生於高山之上、而臨百仞之淵、木莖非能長也、所立者然也。蓬生麻中、不扶而直;白沙在涅、與之俱黑。蘭槐之根是為芷、其漸之滫、君子不近、庶人不服。其質非不美也、所漸者然也。
故君子居必擇鄉、遊必就士、所以防邪辟而近中正也。
南の国に蒙鳩と呼ばれる鳥がいる。この鳥は羽を拾い集め毛髪で編んで巣を作り、それを葦の先にくくりつける。が、強い風が吹いて穂先が折れると、卵はこわれて雛は死んでしまう。これは巣が不完全なのではない。巣をくくり付けた所が悪いからである。西の国に射干(やかん)と呼ばれる木がある。茎の長さはわずか四寸ほどだが、高い山の上に生えていて何百尺もの深い淵を見下ろしている。これは木の茎がそんなに長いのではない、生えている所がこうざんだからである。
蓬は麻の中に生えると、支えをしなくても真っ直ぐになり、白い砂は泥土の中に入れると、もろともに黒くなってしまう。蘭や槐の根は香料となるものであるが、尿に浸せば臭くなるので、君子はそばに近づけないし、庶民も身につけようとしない。これは、その本来の質が美(うるわ)しくないのではない、浸した尿のせいである。
だから君子は必ず環境のよい土地を選んで住み、必ず立派な人物と交際する。それによって邪悪に流れるのを防ぎ、中正の道に近づこうとするのである。
論衡 三巻 物勢篇 第十四 より
何以驗之? 如天故生萬物、當令其相親愛、不當令之相賊害也。或曰:五行之氣、天生萬物。以萬物含五行之氣、五行之氣更相賊害。曰:天自當以一行之氣生萬物、令之相親愛、不當令五行之氣反使相賊害也。或曰:欲為之用、故令相賊害;賊害相成也。故天用五行之氣生萬物、人用萬物作萬事。不能相制、不能相使、不相賊害、不成為用。金不賊木、木不成用。火不爍金、金不成器。故諸物相賊相利、含血之蟲相勝服、相囓噬、相噉食者、皆五行氣使之然也。”曰、“天生萬物慾令相為用、不得不相賊害也。則生虎狼蝮蛇及蜂蠆之蟲、皆賊害人、天又欲使人為之用邪? 且一人之身、含五行之氣、故一人之行、有五常之操。五常、五行之道也。五藏在內、五行氣俱。如論者之言、含血之蟲、懷五行之氣、輒相賊害。一人之身、胸懷五藏、自相賊也;一人之操、行義之心、自相害也。且五行之氣相賊害、含血之蟲相勝服、其驗何在? 曰:寅、木也、其禽虎也;戍、土也、其禽犬也。醜、未、亦土也、醜禽牛、未禽羊也。木勝土、故犬與牛羊為虎所服也。亥水也、其禽豕也;巳、火也、其禽蛇也;子亦水也、其禽鼠也。午亦火也、其禽馬也。水勝火、故豕食蛇;火為水所害、故馬食鼠屎而腹脹。曰:審如論者之言、含血之蟲、亦有不相勝之效。午、馬也、子、鼠也、酉、雞也、卯兔也。水勝火、鼠何不逐馬? 金勝木、雞何不啄兔? 亥、豕也、(未、羊也。)醜、牛也。土勝水、牛羊何不殺豕? 巳、蛇也。申、猴也。火勝金、蛇何不食獼猴? 獼猴者、畏鼠也。囓獼猴者、犬也。鼠、水。獼猴、金也。水不勝金、獼猴何故畏鼠也? 戍、土也、申、猴也。土不勝金、猴何故畏犬?東方、木也、其星倉龍也。西方、金也、其星白虎也;南方、火也、其星硃鳥也。北方、水也、其星玄武也。天有四星之精、降生四獸之體。含血之蟲、以四獸為長、四獸含五行之氣最較鄭鼇案龍虎交不相賊、鳥龜會不相害。以四獸驗之、以十二辰之禽效之、五行之蟲以氣性相刻、則尤不相應。
〔訳〕
どうしてそれを確かめるか。もしも天がそのつもりで万物を生み出すのだとすれば、それらに仲よくさせるはずであり、損ねあいをさせるはずはないからだ。
ある人はいう――五行の気でもって、天は万物を生み出す。万物は五行の気を含むが故に、その五行の気がたがいに損ねあうのだ――。
その答えはこうだ。天はひとりでに五行の気でもって万物を生み出し、互いに仲よくさせるはずだ。五行の気でもって、あべこべに、損ねあいをそせるはずはない。
ある人はいう――役にたたせたいがゆえに、損ねあいをさせるのであり、損ねれば、できあがる。それで天は五行の気でもって万物を生み出し、人は万物でもって万事をべんずるのだ。制しあうことが出来なければ、使役しあうことは出来ず、損ねあわなければ、役には立たぬ。金が木を損ねなければ、木は役に立たないし、火が金を熔かさなければ、金は器にならぬ。というわけで、物はみな互いに損ね、互いに制するのだ。血の通っている動物が、互いに勝ち敗けし、咬みあい、食いあうのは、みな五行の気がそうさせるのだ――。
その答えはこうだ。天は万物を生み出して、互いに役に立ち、互いに損ねなければならぬようにしてやりたいと思っているのだとすれば、虎・狼・まむし・蜂・さそりなどの動物が作り出され、みな人に害を加えるが、天はまた人にそれらの役に立たせたいとでもいうのだろうか。それにひとりの人間の身体は五行の気を含んでいるが故に、ひとりの行いに五常〔仁・義・礼・智・信の五道〕の操がある。五常とは五行の道なのである。また、五臓〔肝・心・肺・腎・脾〕が体内にあって、そこに五行の気が宿っている。論者の言の通りだとすれば、血の通っている動物は、五行の気を抱いて、いちいち損ねあうというわけだ。しかし、ひとりの人間の身体は、胸に五臓を抱いて、自分で損ねあうだろうか。ひとりの人間の品行やら仁義の心やらが、自分で損ねあうだろうか。それに、五行の気が互いに損ねあい、血の通っている動物が互いに勝ち負けしあうという、その験(しょうこ)はどこにあるのだろうか。
ある人はいう――寅は木であって、それに当たる獣は虎である。戌は土であって、それに当たる獣は犬である。丑も未もまた土であって、丑に当たる獣は牛、未に当たる獣は羊である。木は土に勝つが故に、犬・牛・羊は虎に征服されるのだ。亥は水であって、それに当たる獣は豕(いのしし)である。巳は火であって、それに当たる獣は蛇である。子もまた水であってそれに当たる獣は鼠である。午もまた火であって、それに当たる獣は馬である。水は火に勝つがゆえに、豕は蛇を食う。火は水に損なわれるがゆえに、馬が鼠の糞を食らうと、腹が張ってしまうのだ――。
その答えはこうだ。もしも論者の言うとおりだとすれば、血の通っている動物は、互いに勝てないという証拠もたつ。午は馬、子は鼠、酉は鶏、卯は兎である。水が火に勝つならば、鼠はなんで馬を追い払わないのか。金が木に勝つならば、兎はなんで鶏をつつかないのか。亥は豕、未は羊、丑は牛である。土が水に勝つならば、牛や羊はなんで豕を殺さないのか。巳は蛇で、申は猿だ。火が金に勝つならば、蛇はなんで猿を食わないのか。猿は鼠を恐れ、その猿を咬(か)むのは犬である。鼠は水で、猿は金だ。水は金に勝たないのに、猿はなんで鼠を恐れるのか。戌は土で、申は金だ。土は金に勝たないのに、猿はなんで犬をおそれるのか。
東方は木でそこにある星座は蒼龍である。西方は金で、そこにある星座は白虎である。南方は火で、そこにある星座は朱雀〔鳳凰のこと〕である。北方は水でそこにある星座は玄武〔亀のこと〕である。天に四星の精があり、それがくだって四獣の体を生じたのだが、血の通っている動物では、この四獣が長なのである。四獣はもっとも顕著に五行の気を含んでいるのだが、思うに龍と虎は互いにせめぎあいはしないし、鳥と亀もけっして損ねあいはせぬ。このように,四獣でもって験(しょうこ)を調べてみたり、十二支の動物で効(あかし)をたててみるに、五行の動物がその気と性によってやりあうというのは、まったくそぐわないことだ。
何以驗之? 如天故生萬物、當令其相親愛、不當令之相賊害也。或曰:五行之氣、天生萬物。以萬物含五行之氣、五行之氣更相賊害。曰:天自當以一行之氣生萬物、令之相親愛、不當令五行之氣反使相賊害也。或曰:欲為之用、故令相賊害;賊害相成也。故天用五行之氣生萬物、人用萬物作萬事。不能相制、不能相使、不相賊害、不成為用。金不賊木、木不成用。火不爍金、金不成器。故諸物相賊相利、含血之蟲相勝服、相囓噬、相噉食者、皆五行氣使之然也。”曰、“天生萬物慾令相為用、不得不相賊害也。則生虎狼蝮蛇及蜂蠆之蟲、皆賊害人、天又欲使人為之用邪? 且一人之身、含五行之氣、故一人之行、有五常之操。五常、五行之道也。五藏在內、五行氣俱。如論者之言、含血之蟲、懷五行之氣、輒相賊害。一人之身、胸懷五藏、自相賊也;一人之操、行義之心、自相害也。且五行之氣相賊害、含血之蟲相勝服、其驗何在? 曰:寅、木也、其禽虎也;戍、土也、其禽犬也。醜、未、亦土也、醜禽牛、未禽羊也。木勝土、故犬與牛羊為虎所服也。亥水也、其禽豕也;巳、火也、其禽蛇也;子亦水也、其禽鼠也。午亦火也、其禽馬也。水勝火、故豕食蛇;火為水所害、故馬食鼠屎而腹脹。曰:審如論者之言、含血之蟲、亦有不相勝之效。午、馬也、子、鼠也、酉、雞也、卯兔也。水勝火、鼠何不逐馬? 金勝木、雞何不啄兔? 亥、豕也、(未、羊也。)醜、牛也。土勝水、牛羊何不殺豕? 巳、蛇也。申、猴也。火勝金、蛇何不食獼猴? 獼猴者、畏鼠也。囓獼猴者、犬也。鼠、水。獼猴、金也。水不勝金、獼猴何故畏鼠也? 戍、土也、申、猴也。土不勝金、猴何故畏犬?東方、木也、其星倉龍也。西方、金也、其星白虎也;南方、火也、其星硃鳥也。北方、水也、其星玄武也。天有四星之精、降生四獸之體。含血之蟲、以四獸為長、四獸含五行之氣最較鄭鼇案龍虎交不相賊、鳥龜會不相害。以四獸驗之、以十二辰之禽效之、五行之蟲以氣性相刻、則尤不相應。
〔訳〕
どうしてそれを確かめるか。もしも天がそのつもりで万物を生み出すのだとすれば、それらに仲よくさせるはずであり、損ねあいをさせるはずはないからだ。
ある人はいう――五行の気でもって、天は万物を生み出す。万物は五行の気を含むが故に、その五行の気がたがいに損ねあうのだ――。
その答えはこうだ。天はひとりでに五行の気でもって万物を生み出し、互いに仲よくさせるはずだ。五行の気でもって、あべこべに、損ねあいをそせるはずはない。
ある人はいう――役にたたせたいがゆえに、損ねあいをさせるのであり、損ねれば、できあがる。それで天は五行の気でもって万物を生み出し、人は万物でもって万事をべんずるのだ。制しあうことが出来なければ、使役しあうことは出来ず、損ねあわなければ、役には立たぬ。金が木を損ねなければ、木は役に立たないし、火が金を熔かさなければ、金は器にならぬ。というわけで、物はみな互いに損ね、互いに制するのだ。血の通っている動物が、互いに勝ち敗けし、咬みあい、食いあうのは、みな五行の気がそうさせるのだ――。
その答えはこうだ。天は万物を生み出して、互いに役に立ち、互いに損ねなければならぬようにしてやりたいと思っているのだとすれば、虎・狼・まむし・蜂・さそりなどの動物が作り出され、みな人に害を加えるが、天はまた人にそれらの役に立たせたいとでもいうのだろうか。それにひとりの人間の身体は五行の気を含んでいるが故に、ひとりの行いに五常〔仁・義・礼・智・信の五道〕の操がある。五常とは五行の道なのである。また、五臓〔肝・心・肺・腎・脾〕が体内にあって、そこに五行の気が宿っている。論者の言の通りだとすれば、血の通っている動物は、五行の気を抱いて、いちいち損ねあうというわけだ。しかし、ひとりの人間の身体は、胸に五臓を抱いて、自分で損ねあうだろうか。ひとりの人間の品行やら仁義の心やらが、自分で損ねあうだろうか。それに、五行の気が互いに損ねあい、血の通っている動物が互いに勝ち負けしあうという、その験(しょうこ)はどこにあるのだろうか。
その答えはこうだ。もしも論者の言うとおりだとすれば、血の通っている動物は、互いに勝てないという証拠もたつ。午は馬、子は鼠、酉は鶏、卯は兎である。水が火に勝つならば、鼠はなんで馬を追い払わないのか。金が木に勝つならば、兎はなんで鶏をつつかないのか。亥は豕、未は羊、丑は牛である。土が水に勝つならば、牛や羊はなんで豕を殺さないのか。巳は蛇で、申は猿だ。火が金に勝つならば、蛇はなんで猿を食わないのか。猿は鼠を恐れ、その猿を咬(か)むのは犬である。鼠は水で、猿は金だ。水は金に勝たないのに、猿はなんで鼠を恐れるのか。戌は土で、申は金だ。土は金に勝たないのに、猿はなんで犬をおそれるのか。
今朝のウェブニュースより、
日本兵の遺骨に違う遺骨混入 ―― 太平洋戦争で戦死した日本兵として、フィリピンで収集され、現地に保管されている遺骨の中に、フィリピン人とみられる遺骨が混入していたことが分かりました。厚生労働省は遺骨の収集方法を見直すとともに、すでに日本の戦没者墓苑に納められた遺骨にもフィリピン人の遺骨が混入している可能性があるとして、詳しく調べる方針です。/厚生労働省は、フィリピンで収集された日本兵とされる遺骨の中にフィリピン人のものが含まれているのではないかという、報道機関からの指摘を受けて、ことし3月から遺骨のDNA鑑定を進めていました。その結果、現地に保管されている110の遺骨のうち、半分近くの54の遺骨はフィリピン人に多く見られるDNAの型だったことが分かりました。さらに、女性や子どもとみられる骨も混入しているということで、厚生労働省は、収集された遺骨の中に日本兵ではないものが混入している可能性が高いとしています。フィリピンで見つかった日本兵の遺骨は、平成18年度は45人分でしたが、厚生労働省が平成21年度に日本のNPO法人に委託してからは急増し、昨年度は6289人分が収集されていました。一方、平成20年度以降は、遺骨収集の現場に厚生労働省の職員が立ち会うことがなくなったということです。厚生労働省は今後、遺骨収集には厚生労働省の担当者を立ち会わせ、日本に持ち帰る前に遺骨のDNA鑑定を徹底するよう、見直すことにしています。また、すでに日本に持ち帰って、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められた、およそ4500人分の遺骨についても、フィリピン人のものが混入している可能性があるとして、厚生労働省に移して詳しく調べることにしています。厚生労働省は「これまでの対応に問題があり、反省している。今後、疑惑を持たれることがないよう、事業の見直しを進めたい」と話しています。/太平洋戦争の際、フィリピンで戦死したおよそ52万人の日本兵のうち、今も日本に戻っていない遺骨は37万人分に上ります。フィリピンでの遺骨の収集事業は昭和32年から始まりました。当初の収集方法は、厚生労働省の職員が収集の現場に立ち会ったうえで、フィリピンの人類学者など専門家が判別していました。しかし、戦後60年以上たち、収集が難しくなってきたことから、厚生労働省は平成21年度から、現地に詳しい日本のNPO法人に遺骨収集を委託しました。さらに、その前の年からは、遺骨を判別する際に、発見した地元住民などの証言だけで、日本兵の遺骨と認めていました。数年前からは現地で墓地から遺骨が盗まれる事件が相次いでいますが、厚生労働省は、遺骨の収集事業と関連づける具体的な証言は確認されなかったとしています。また、収集された遺骨は現地で焼かれたうえで日本に戻しているということで、厚生労働省は、日本に戻った遺骨について、外見上不審な点を見つけるのは難しかったと説明しています。/厚生労働省から委託を受け、フィリピンでの遺骨収集を行っていたNPO法人は、ホームページ上で「大枠において我々の取り組みの妥当性が示されたと考えています。事業全般において改善すべき点も指摘されておりその点はしんしに受け止めた上で、前進してまいりたい」というコメントを掲載しました。/フィリピン大統領府のラシエルダ報道官はNHKに対し、「日本政府から調査結果が届きしだい内容を確認したい」と述べました。日本の遺骨収集事業の問題を巡っては、フィリピン政府も独自の調査を行って、結果をまとめる予定で、日本政府の調査の結果も踏まえながら、今後の対応について慎重に判断するものとみられます。一方、先祖の遺骨が墓地から盗まれたと訴えている地元住民からは、今回の調査結果に反発する声が出ています。このうちフィリピン中部、ミンドロ島の住民グループの代表、アニウ・ルバクさんはNHKの取材に対し、厚生労働省が、事業と遺骨の盗難事件を関連付ける具体的な証言は確認されなかったとした点について、「関連性は明らかであり、調査結果は受け入れられない」と話し、強く反発しています。さらにルバクさんは、「正義がもたらされるまで遺骨の収集を再び許すわけにはいかない」と話し、日本側の調査が不十分だとして、フィリピン政府に対し、遺骨収集事業の再開を認めないよう求めていく考えを示しました。(NHK NewsWeb 10月5日 18時36分)
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より (またまた、昨日の続き)
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。廉頗曰:“我為趙將、有攻城野戰之大功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。”宣言曰:“我見相如、必辱之。”相如聞、不肯與會。相如每朝時、常稱病、不欲與廉頗爭列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。於是舍人相與諫曰:“臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉頗同列、廉君宣惡言而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、況於將相乎!臣等不肖、請辭去。”藺相如固止之、曰:“公之視廉將軍孰與秦王?”曰:“不若也。”相如曰:“夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其群臣、相如雖駑、獨畏廉將軍哉?顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也。”廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客至藺相如門謝罪。曰:“鄙賤之人、不知將軍寬之至此也。”卒相與驩、為刎頸之交。
〈訳〉
すでに会合を終えて帰国すると、趙王は相如の功績の偉大なことを認めて上卿に任じた。相如の位は廉頗の上になったのである。廉頗は言った。
「わしは趙の将軍として、攻城野戦の大功がある。藺相如はただ口先ばかりの働きで、位はわしの上だ。それに、相如はもともと卑賤の出身だ。わしは恥ずかしくて、とても彼の下となるのに忍びない」そして、
「相如に会ったら、きっと侮辱してやる」
と、宣言した。相如はこれを聞いて、できるだけ廉頗と会わないように心掛けた。朝廷に出仕すべき度ごとに、いつも病気と称して欠席し、廉頗と序列をあらそうことを望まなかった。その後、相如が外出して、はるかに廉頗を見かけると、車を引いて避け匿(かく)れた。すると、舎人(けらい)たちが、みな諌めた。
「私たちが、親戚の下を去ってあなたにお仕えしているのは、ただあなたのご高義をお慕いしているからです。いま、あなたは廉君(廉頗)と序列を同じくしておられます。ところが、廉君があなたに対して悪言いたしますと、あなたはおそれて避け匿れ、異常なまでに恐懼しておられます。これは、凡庸の者でも羞じることです。まして、将軍・大臣であればなおさらでしょう。私たちは不肖者で、これ以上お仕え出来ません。どうかおひまをください」

藺相如は固くとめて言った。
「きみらは、廉将軍と秦王とどちらが恐ろしいと思うか」
「秦王にはかないません」
「そもそも、秦王の威をもってしても、私は朝廷でこれを叱り付け、その群臣を辱めたのだ。私が駑鈍だからいって、どうして廉将軍だけをおそれようか。ふりかえって考えてみるに、強秦があえて兵を趙に加えないのは、ただ、わが両人(藺相如と廉頗)がいるからだ。いま、両虎が闘えば、勢いとしてともにはいきられない。私が廉将軍を避けるのは、国家の急を咲きにして私讎(ししゅう)をあとにするからなのだ」
廉頗はこのことを聞いて、肌脱ぎになって荊の鞭を背負い、賓客にとりなしてもらって藺相如の門にいたり、謝罪していった。
「鄙賎の人間たる私は、将軍がこれほどまでに寛大にしてくださったのをしらなかったのです」
こうして、二人はついに仲直りし、刎頚の交わりを結んだ。
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より (またまた、昨日の続き)
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。廉頗曰:“我為趙將、有攻城野戰之大功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。”宣言曰:“我見相如、必辱之。”相如聞、不肯與會。相如每朝時、常稱病、不欲與廉頗爭列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。於是舍人相與諫曰:“臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉頗同列、廉君宣惡言而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、況於將相乎!臣等不肖、請辭去。”藺相如固止之、曰:“公之視廉將軍孰與秦王?”曰:“不若也。”相如曰:“夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其群臣、相如雖駑、獨畏廉將軍哉?顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也。”廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客至藺相如門謝罪。曰:“鄙賤之人、不知將軍寬之至此也。”卒相與驩、為刎頸之交。
〈訳〉
すでに会合を終えて帰国すると、趙王は相如の功績の偉大なことを認めて上卿に任じた。相如の位は廉頗の上になったのである。廉頗は言った。
「わしは趙の将軍として、攻城野戦の大功がある。藺相如はただ口先ばかりの働きで、位はわしの上だ。それに、相如はもともと卑賤の出身だ。わしは恥ずかしくて、とても彼の下となるのに忍びない」そして、
「相如に会ったら、きっと侮辱してやる」
と、宣言した。相如はこれを聞いて、できるだけ廉頗と会わないように心掛けた。朝廷に出仕すべき度ごとに、いつも病気と称して欠席し、廉頗と序列をあらそうことを望まなかった。その後、相如が外出して、はるかに廉頗を見かけると、車を引いて避け匿(かく)れた。すると、舎人(けらい)たちが、みな諌めた。
「私たちが、親戚の下を去ってあなたにお仕えしているのは、ただあなたのご高義をお慕いしているからです。いま、あなたは廉君(廉頗)と序列を同じくしておられます。ところが、廉君があなたに対して悪言いたしますと、あなたはおそれて避け匿れ、異常なまでに恐懼しておられます。これは、凡庸の者でも羞じることです。まして、将軍・大臣であればなおさらでしょう。私たちは不肖者で、これ以上お仕え出来ません。どうかおひまをください」
「きみらは、廉将軍と秦王とどちらが恐ろしいと思うか」
「秦王にはかないません」
「そもそも、秦王の威をもってしても、私は朝廷でこれを叱り付け、その群臣を辱めたのだ。私が駑鈍だからいって、どうして廉将軍だけをおそれようか。ふりかえって考えてみるに、強秦があえて兵を趙に加えないのは、ただ、わが両人(藺相如と廉頗)がいるからだ。いま、両虎が闘えば、勢いとしてともにはいきられない。私が廉将軍を避けるのは、国家の急を咲きにして私讎(ししゅう)をあとにするからなのだ」
廉頗はこのことを聞いて、肌脱ぎになって荊の鞭を背負い、賓客にとりなしてもらって藺相如の門にいたり、謝罪していった。
「鄙賎の人間たる私は、将軍がこれほどまでに寛大にしてくださったのをしらなかったのです」
こうして、二人はついに仲直りし、刎頚の交わりを結んだ。
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より (さらに、昨日の続き)
秦王使使者告趙王、欲與王為好會於西河外澠池。趙王畏秦、欲毋行。廉頗、藺相如計曰:“王不行、示趙弱且怯也。”趙王遂行、相如從。廉頗送至境、與王訣曰:“王行、度道里會遇之禮畢、還、不過三十日。三十日不還、則請立太子為王。以絕秦望。”王許之、遂與秦王會澠池。秦王飲酒酣、曰:“寡人竊聞趙王好音、請奏瑟。”趙王鼓瑟。秦御史前書曰“某年月日、秦王與趙王會飲、令趙王鼓瑟”。藺相如前曰:“趙王竊聞秦王善為秦聲、請奏盆缻秦王、以相娛樂。”秦王怒、不許。於是相如前進缻、因跪請秦王。秦王不肯擊缻。相如曰:“五步之內、相如請得以頸血濺大王矣!”左右欲刃相如、相如張目叱之、左右皆靡。於是秦王不懌、為一擊缻。相如顧召趙御史書曰“某年月日、秦王為趙王擊缻”。秦之群臣曰:“請以趙十五城為秦王壽”。藺相如亦曰:“請以秦之咸陽為趙王壽。”秦王竟酒、終不能加勝於趙。趙亦盛設兵以待秦、秦不敢動。
〈訳〉
秦王は使者をおくって趙王に告げた。
「王と親睦するために西河の南の澠池(河南省)で会合したい。」
趙王は秦を恐れて行きたくないと思ったが、廉頗と藺相如が相談して、
「王がお出掛けになりませんと、趙が弱く、かつ、卑怯であることを示すことになります」
と言ったので、趙王はとうとう出かけた。相如がお供をした。廉頗は送って国境にいたり、王と訣別して言った。
「お出掛け下さい。道程を計算してみますと、会遇の礼を終ってご帰還になるまでは、三十日に過ぎません。三十日たってご帰還なさいません時は、太子を王位におつけして、秦の野望を絶たせてください」
王はこれを許しついに秦王と澠池で会合した。秦王は、酒宴がたけなわになるといった。
「寡人はひそかに、趙王が音楽好きだときいている。ひとつ、瑟を弾いてもらいたい」
趙王は瑟を弾いた。秦の記録官が進み出て、
「某年・月・日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と、書いた。すると秦相如が進み出ていった。
「趙王はひそかに、秦王が秦の音楽に堪能だと聞いております。盆缻(ぼんぶ、瓦の楽器・ほとぎ)を秦王に捧げて歌っていただき、お互いにたのしみたいものです」
秦王は怒って許(き)かなかった。相如はすすみでて缻をすすめ、跪いて秦王に請うた。秦王は缻をうって歌うことを承諾しなかった。相如は言った。
「大王と私の距離は、僅か五歩です。私の頸血を大王に濺(そそ)ぎましょうか(一身を犠牲にして大王を殺すこと)」
秦王の左右の者が相如を刃にかけようとしたが、相如が目を張って叱り付けると、みな退きなびいた。かくて、秦王はしぶしぶ趙王のために一ぺんだけ缻をうって歌った。相如はふりかえって趙の記録官を召し、
「某月・月・日、秦王、趙王のために缻を撃つ」
と、書かせた。秦の群臣が言った。
「趙の十五城邑を献じて、秦王の壽を祝福してもらいたいものです」
藺相如が言った。
「秦の咸陽(秦の国都、陝西省)を献じて、趙王の壽を祝福してもらいたいものです」
こうして、秦王は酒宴を終るまで、ついに趙を屈服させることはできなかった。趙もまた兵備を盛んにして秦に備えたので、秦は行動を差し控えた。
秦王使使者告趙王、欲與王為好會於西河外澠池。趙王畏秦、欲毋行。廉頗、藺相如計曰:“王不行、示趙弱且怯也。”趙王遂行、相如從。廉頗送至境、與王訣曰:“王行、度道里會遇之禮畢、還、不過三十日。三十日不還、則請立太子為王。以絕秦望。”王許之、遂與秦王會澠池。秦王飲酒酣、曰:“寡人竊聞趙王好音、請奏瑟。”趙王鼓瑟。秦御史前書曰“某年月日、秦王與趙王會飲、令趙王鼓瑟”。藺相如前曰:“趙王竊聞秦王善為秦聲、請奏盆缻秦王、以相娛樂。”秦王怒、不許。於是相如前進缻、因跪請秦王。秦王不肯擊缻。相如曰:“五步之內、相如請得以頸血濺大王矣!”左右欲刃相如、相如張目叱之、左右皆靡。於是秦王不懌、為一擊缻。相如顧召趙御史書曰“某年月日、秦王為趙王擊缻”。秦之群臣曰:“請以趙十五城為秦王壽”。藺相如亦曰:“請以秦之咸陽為趙王壽。”秦王竟酒、終不能加勝於趙。趙亦盛設兵以待秦、秦不敢動。
〈訳〉
「王と親睦するために西河の南の澠池(河南省)で会合したい。」
趙王は秦を恐れて行きたくないと思ったが、廉頗と藺相如が相談して、
「王がお出掛けになりませんと、趙が弱く、かつ、卑怯であることを示すことになります」
と言ったので、趙王はとうとう出かけた。相如がお供をした。廉頗は送って国境にいたり、王と訣別して言った。
「お出掛け下さい。道程を計算してみますと、会遇の礼を終ってご帰還になるまでは、三十日に過ぎません。三十日たってご帰還なさいません時は、太子を王位におつけして、秦の野望を絶たせてください」
王はこれを許しついに秦王と澠池で会合した。秦王は、酒宴がたけなわになるといった。
「寡人はひそかに、趙王が音楽好きだときいている。ひとつ、瑟を弾いてもらいたい」
趙王は瑟を弾いた。秦の記録官が進み出て、
「某年・月・日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と、書いた。すると秦相如が進み出ていった。
「趙王はひそかに、秦王が秦の音楽に堪能だと聞いております。盆缻(ぼんぶ、瓦の楽器・ほとぎ)を秦王に捧げて歌っていただき、お互いにたのしみたいものです」
秦王は怒って許(き)かなかった。相如はすすみでて缻をすすめ、跪いて秦王に請うた。秦王は缻をうって歌うことを承諾しなかった。相如は言った。
「大王と私の距離は、僅か五歩です。私の頸血を大王に濺(そそ)ぎましょうか(一身を犠牲にして大王を殺すこと)」
秦王の左右の者が相如を刃にかけようとしたが、相如が目を張って叱り付けると、みな退きなびいた。かくて、秦王はしぶしぶ趙王のために一ぺんだけ缻をうって歌った。相如はふりかえって趙の記録官を召し、
「某月・月・日、秦王、趙王のために缻を撃つ」
と、書かせた。秦の群臣が言った。
「趙の十五城邑を献じて、秦王の壽を祝福してもらいたいものです」
藺相如が言った。
「秦の咸陽(秦の国都、陝西省)を献じて、趙王の壽を祝福してもらいたいものです」
こうして、秦王は酒宴を終るまで、ついに趙を屈服させることはできなかった。趙もまた兵備を盛んにして秦に備えたので、秦は行動を差し控えた。
"THE WORLD IS TOO MUCH WITH US; LATE AND SOON"
William Wordsworth
The world is too much with us; late and soon,
Getting and spending, we lay waste our powers:
Little we see in Nature that is ours;
We have given our hearts away, a sordid boon!
The Sea that bares her bosom to the moon;
The winds that will be howling at all hours,
And are up-gathered now like sleeping flowers;
For this, for everything, we are out of tune;
It moves us not.--Great God! I'd rather be
A Pagan suckled in a creed outworn;
So might I, standing on this pleasant lea,
Have glimpses that would make me less forlorn;
Have sight of Proteus rising from the sea;
Or hear old Triton blow his wreathed horn.
1806.
〈訳〉 浮世のこと
ウィリアム・ワーズワース
我らの頭は浮世のことでいっぱいだ
朝から晩まで 金儲けのことばかり
目の前の自然を見ようともしない
そんな余裕は持てないとばかりに
海は月を抱いて輝き
始終うなり声をあげる風も
いまは眠れる花のように静かなのに
そんな眺めも眼中にない
こんなことならいっそ自分は
異教徒にでもなったがましだ
そうすれば草原にひとりたたずみ
自然をすなおに見れるだろう
海から立ち上がるプロテウスを見たり
トリトンのほら貝も聞こえてこよう
William Wordsworth(ウイィリアム・ワーズワース、1770~1850年) はイギリス・ロマンティシズムを代表する詩人であり、Samuel Coleridge(サミュエル・コールリッジ、 1772~1834年)と共作で1798年に発表した詩集Lyrical Ballads(リリカル・バラッズ)はロマン主義運動の先鞭を果たしたという。また、 Wordsworthはイギリスが生んだ偉大な自然詩人であり、自然を唯一の友として歌い続けた者は、彼のほかにはいないといえるほどで。彼にとっては人間もまた自然の一部であり、自然のざわめきや人間の感情が一体となって、独特の詩的世界を作り上げている。
山中問答 李白
問余何意棲碧山 余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑ひて答へず 心 自づから閑(しづ)かなり
桃花流水窅然去 桃花流水 窅然(えうぜん)として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)にあらざる有り
(訳)君に私に問う「なにゆえ青い山の中に住んでいるのか」と
私は笑って答えず心も自然とのどかだ
桃の花と流れる水とは遠くへ去っていく
俗世とはまた別の天地があるようだ
李白成仙: 韓愈(かんゆ)によれば、李白は仙人となって俗世から姿を消したのだという。元和年間(806~820)初め、北海(現山東省)から来た人が、李白の姿を見た。李白は一人の道士とともに高山の上で談笑していた。しばらくして道士は碧霧の中から現れた赤いみずちに乗って飛び去ると、李白は空に身を躍らせ、大股でその後を追いかけた。そして、共にみずちに乗って東へ向かって飛び去った。(唐『龍城録』)
横浜のN氏より、メールが入った。曰く、
日高 節夫 様
「草原の風」の連載では、大兄には大変お世話になりました。厚く御礼申しあげます。/連載が終わって、すっかり新聞を読まなくなりました。だから今日も朝刊を夕食後、この時間に読んでいる始末です。/今日の朝刊に、宮城谷さんの「連載を終わって」というエッセイが載っているのに気がつきました。/スキャンしたものを添付ファイルでお目にかけます。/なお単行本は上中下の3巻セット、それぞれ10月、11月、12月の各10日に中央公論新社(読売新聞の資本系列)より刊行されると下欄に記してあります。/お知らせまで…。
William Wordsworth
The world is too much with us; late and soon,
Getting and spending, we lay waste our powers:
Little we see in Nature that is ours;
We have given our hearts away, a sordid boon!
The Sea that bares her bosom to the moon;
The winds that will be howling at all hours,
And are up-gathered now like sleeping flowers;
For this, for everything, we are out of tune;
It moves us not.--Great God! I'd rather be
A Pagan suckled in a creed outworn;
So might I, standing on this pleasant lea,
Have glimpses that would make me less forlorn;
Have sight of Proteus rising from the sea;
Or hear old Triton blow his wreathed horn.
1806.
〈訳〉 浮世のこと
ウィリアム・ワーズワース
我らの頭は浮世のことでいっぱいだ
朝から晩まで 金儲けのことばかり
目の前の自然を見ようともしない
そんな余裕は持てないとばかりに
海は月を抱いて輝き
始終うなり声をあげる風も
いまは眠れる花のように静かなのに
そんな眺めも眼中にない
こんなことならいっそ自分は
異教徒にでもなったがましだ
そうすれば草原にひとりたたずみ
自然をすなおに見れるだろう
海から立ち上がるプロテウスを見たり
トリトンのほら貝も聞こえてこよう
山中問答 李白
問余何意棲碧山 余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑ひて答へず 心 自づから閑(しづ)かなり
桃花流水窅然去 桃花流水 窅然(えうぜん)として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)にあらざる有り
(訳)君に私に問う「なにゆえ青い山の中に住んでいるのか」と
私は笑って答えず心も自然とのどかだ
桃の花と流れる水とは遠くへ去っていく
俗世とはまた別の天地があるようだ
日高 節夫 様
「草原の風」の連載では、大兄には大変お世話になりました。厚く御礼申しあげます。/連載が終わって、すっかり新聞を読まなくなりました。だから今日も朝刊を夕食後、この時間に読んでいる始末です。/今日の朝刊に、宮城谷さんの「連載を終わって」というエッセイが載っているのに気がつきました。/スキャンしたものを添付ファイルでお目にかけます。/なお単行本は上中下の3巻セット、それぞれ10月、11月、12月の各10日に中央公論新社(読売新聞の資本系列)より刊行されると下欄に記してあります。/お知らせまで…。
仁や徳を説き、性善説に立つ孔子などに対して、韓非子は人を信用しない性悪説の立場を取り、法による厳格な統治を説いた。このような「法家」の主張は、当時の中国全土を制圧しつつあった秦の始皇帝に採用され、帝国の実現に貢献したようであるが、始皇帝は、自らは法家の教えを取り入れたものの、その思想が他の国々に広まって、秦の全国制覇の障害となることを恐れ、密かに韓非子を殺させてしまうのである。
韓非子 説林篇(上)第二十二より
樂羊為魏將而攻中山。其子在中山,中山之君烹其子而遺之羹。樂羊坐於幕下而啜之,盡一杯。文侯謂堵師贊曰、“樂羊以我故而食其子之肉。”答曰、“其子而食之,且誰不食?” 樂羊罷中山,文侯賞其功而疑其心。
孟孫獵得麑。使秦西巴持之歸。其母隨之而啼。秦西巴弗忍而與之。孟孫歸,至而求麑。答曰、“余弗忍而與其母。” 孟孫大怒,逐之。居三月,復召以為其子傅。其御曰、“曩將罪之,今召以為子傅何也?” 孟孫曰、“夫不忍麑,又且忍吾子乎?” 故曰、“巧詐不如拙誠。” 樂羊以有功見疑,秦西巴以有罪益信。
楽羊魏の将と為りて中山を攻む。/其の子中山に在り、中山の君、其の子を烹て之に羹を遺る。/楽羊幕下に坐して之を啜り、一杯を尽くせり。/文侯堵師賛に謂ひて曰はく、「楽羊我の故を以て、其の子の肉を食ふ。」と。/答へて曰はく、「其の子にして之を食ふ、且つ誰か食はざらん。」と。/楽羊中山より罷る。/文侯其の功を賞したるも其の心を疑ふ。
孟孫猟して麑を得。/秦西巴をして之を載せて持ち帰らしむ。/其の母之に随ひて啼く。/秦西巴忍びずして之に与ふ。/孟孫帰り至りて麑を求む。/答へて曰はく、「余忍びずして其の母に与ふ。」と。/孟孫大いに怒りて之を逐ふ。/居ること三月、復た召して以て其の子の傅と為す。/其の御曰はく、「曩には将に之を罪せんとし、今は召して以て子の傅と為すは、何ぞや。」と。/孟孫曰はく、「夫れ麑に忍びず、又且つ吾が子に忍びんや。」と。/故に曰はく、「巧詐は拙誠に如かず。」と。/楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益ゝ信ぜらる。
〈訳〉樂羊が魏の将となって中山〈河北省〉を攻めたが、樂羊の子が偶々中山にいたので、中山の君は、その子を殺して煮て肉汁を作り、樂羊に贈った。/樂羊はその肉汁をすすり、一椀をすっかり平らげた。魏の文侯は堵師賛(としさん)に言った。「樂羊は、私のために、わが子の肉をたべた」/ところが堵師賛はこう答えた。「自分の子でも食べたのです。それでは誰の肉でも食べかねますまい」/樂羊は中山より帰国したが、文侯はその功を賞したけれど、その心情を疑い信用しなかった。
孟孫氏が猟をした時,子鹿を捕え、秦西巴(しんせいは)に命じて車に乗せて持ち帰らせようとしたが、秦西巴はその母親が啼きながら後を追って来るのをみて哀れに思い母親にやってしまった。孟孫は帰ってから、先の子鹿を求めると、秦西巴は答えた。「私は哀れでたまりませんでしたから、母親にやってしまいました」/孟孫は、大いに怒って秦西巴を追放したが、三月たつと、再び召しだして、その子の守り役とした。そこで、孟孫の御者ははこう言った。「さきには罰しようとなさいましたのに、いまは、うってかわって召しだされお子様の守り役となさいましたのは、どういうわけでございますか」/孟孫はこたえた。「子鹿さえ憐れでたまらぬようなら、私の子につれなくすることがあろうか。まことに子守り役としてふさわしい人物である」/だから古語に「上手ないつわりは、下手なまごころにおよばない」とある。かの樂羊は功を立てながらうたがわれ、秦西巴は、罪があったけれどますます信用された。
韓非子 説林篇(上)第二十二より
樂羊為魏將而攻中山。其子在中山,中山之君烹其子而遺之羹。樂羊坐於幕下而啜之,盡一杯。文侯謂堵師贊曰、“樂羊以我故而食其子之肉。”答曰、“其子而食之,且誰不食?” 樂羊罷中山,文侯賞其功而疑其心。
孟孫獵得麑。使秦西巴持之歸。其母隨之而啼。秦西巴弗忍而與之。孟孫歸,至而求麑。答曰、“余弗忍而與其母。” 孟孫大怒,逐之。居三月,復召以為其子傅。其御曰、“曩將罪之,今召以為子傅何也?” 孟孫曰、“夫不忍麑,又且忍吾子乎?” 故曰、“巧詐不如拙誠。” 樂羊以有功見疑,秦西巴以有罪益信。
楽羊魏の将と為りて中山を攻む。/其の子中山に在り、中山の君、其の子を烹て之に羹を遺る。/楽羊幕下に坐して之を啜り、一杯を尽くせり。/文侯堵師賛に謂ひて曰はく、「楽羊我の故を以て、其の子の肉を食ふ。」と。/答へて曰はく、「其の子にして之を食ふ、且つ誰か食はざらん。」と。/楽羊中山より罷る。/文侯其の功を賞したるも其の心を疑ふ。
孟孫猟して麑を得。/秦西巴をして之を載せて持ち帰らしむ。/其の母之に随ひて啼く。/秦西巴忍びずして之に与ふ。/孟孫帰り至りて麑を求む。/答へて曰はく、「余忍びずして其の母に与ふ。」と。/孟孫大いに怒りて之を逐ふ。/居ること三月、復た召して以て其の子の傅と為す。/其の御曰はく、「曩には将に之を罪せんとし、今は召して以て子の傅と為すは、何ぞや。」と。/孟孫曰はく、「夫れ麑に忍びず、又且つ吾が子に忍びんや。」と。/故に曰はく、「巧詐は拙誠に如かず。」と。/楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益ゝ信ぜらる。
〈訳〉樂羊が魏の将となって中山〈河北省〉を攻めたが、樂羊の子が偶々中山にいたので、中山の君は、その子を殺して煮て肉汁を作り、樂羊に贈った。/樂羊はその肉汁をすすり、一椀をすっかり平らげた。魏の文侯は堵師賛(としさん)に言った。「樂羊は、私のために、わが子の肉をたべた」/ところが堵師賛はこう答えた。「自分の子でも食べたのです。それでは誰の肉でも食べかねますまい」/樂羊は中山より帰国したが、文侯はその功を賞したけれど、その心情を疑い信用しなかった。
台風2号は昨日の午後に熱帯低気圧に変わったというが、昨夜は一晩中雨。今朝も降り止まぬ。
青々とした梅の実は時雨を迎えて成熟し,
蒼く広い空は晩春を思わせるものがある。
だが,愁いは楚猿が悲しく鳴く夜に深められ,
夢は越鶏が鳴く夜明けに断たれてしまった。
海霧は南の果てまで連なり,
江雲は対岸の津を暗くしている。
素衣が今尽く黒く染まってしまったのは,
梅雨と共に降った帝京の塵の為だけではない。
非違が帝京の塵となって降ったからである。
(非為と非違を音通させている。非違とは、違法・違反ということ)
◎柳宗元は政治的には挫折ばかりしている。そのせいか政治への不満・批判が強い人物でもあった。しかし,あからさまに「非違」と表現すると咎めを受ける可能性もあり、ここは「非為」と表現したのだろう。
蒼く広い空は晩春を思わせるものがある。
だが,愁いは楚猿が悲しく鳴く夜に深められ,
夢は越鶏が鳴く夜明けに断たれてしまった。
海霧は南の果てまで連なり,
江雲は対岸の津を暗くしている。
素衣が今尽く黒く染まってしまったのは,
梅雨と共に降った帝京の塵の為だけではない。
非違が帝京の塵となって降ったからである。
(非為と非違を音通させている。非違とは、違法・違反ということ)
◎柳宗元は政治的には挫折ばかりしている。そのせいか政治への不満・批判が強い人物でもあった。しかし,あからさまに「非違」と表現すると咎めを受ける可能性もあり、ここは「非為」と表現したのだろう。
春の夜の桃李園の宴 李白
一体、天地は万物の宿舎とも言うべきものであり、時間は永遠の旅人にも譬えられるであろう。そして、はかない人間の一生は、夢のように取り留めがなく、歓楽に浸れる時間はどれほどあるというのだろう。古人が昼間だけでは飽きたらず、灯火(ともし火)を手に持って夜が明けるまで遊んだのはまことに理由のあるところである。
まして、陽春の候は霞たなびく風景によって、われわれを誘(いざな)い、造物主は文章をわれわれに授けられたのである。かくて一同の者は、桃花(とうか)薫(かお)る園苑(その)に集(つど)い、兄弟の間で開く宴会の楽しさを述べようとしている。弟達は俊秀の誉れ高く、何れも謝恵連に較べられるであろうが、それに引き換え、私の詩歌の才能が、謝霊運に及ばぬのは、慙愧(ざんき)に堪えぬところである。
※ 謝恵連(397~433年) 陽夏(安徽省)の人。南朝宋の詩人で書画にも巧みであった。族兄謝霊運に非常に愛された。
※ 謝霊運(385~433年) 康楽公に封ぜられたので、謝康楽とも呼ばれる。六朝の代表的詩人で、山水詩の開祖として、後代の詩人に大きな影響を及ぼした。
自然の奥深さをたずねる心が弥増すころ、互いに交わす高尚な談議は、いよいよ佳境にはいってきた。世にも類稀な心嬉しい宴会が進むうちに、花辺りに散り敷き、羽觴(うしょう)は飛び交って、月までが酔い心地であるように思える。もし佳い作品が生まれなければ、一同の杯の進みも遅くなるであろうし、万一、詩が作れないようなことがあれば金谷薗の定めに従って、罰酒三杯を課すであろう。
※ 謝霊運(385~433年) 康楽公に封ぜられたので、謝康楽とも呼ばれる。六朝の代表的詩人で、山水詩の開祖として、後代の詩人に大きな影響を及ぼした。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
最新コメント
[enken 02/23]
[中村東樹 02/04]
[m、m 02/04]
[爺の姪 01/13]
[レンマ学(メタ数学) 01/02]
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター