瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
論衡 三巻 物勢篇 第十四 より
何以驗之? 如天故生萬物、當令其相親愛、不當令之相賊害也。或曰:五行之氣、天生萬物。以萬物含五行之氣、五行之氣更相賊害。曰:天自當以一行之氣生萬物、令之相親愛、不當令五行之氣反使相賊害也。或曰:欲為之用、故令相賊害;賊害相成也。故天用五行之氣生萬物、人用萬物作萬事。不能相制、不能相使、不相賊害、不成為用。金不賊木、木不成用。火不爍金、金不成器。故諸物相賊相利、含血之蟲相勝服、相囓噬、相噉食者、皆五行氣使之然也。”曰、“天生萬物慾令相為用、不得不相賊害也。則生虎狼蝮蛇及蜂蠆之蟲、皆賊害人、天又欲使人為之用邪? 且一人之身、含五行之氣、故一人之行、有五常之操。五常、五行之道也。五藏在內、五行氣俱。如論者之言、含血之蟲、懷五行之氣、輒相賊害。一人之身、胸懷五藏、自相賊也;一人之操、行義之心、自相害也。且五行之氣相賊害、含血之蟲相勝服、其驗何在? 曰:寅、木也、其禽虎也;戍、土也、其禽犬也。醜、未、亦土也、醜禽牛、未禽羊也。木勝土、故犬與牛羊為虎所服也。亥水也、其禽豕也;巳、火也、其禽蛇也;子亦水也、其禽鼠也。午亦火也、其禽馬也。水勝火、故豕食蛇;火為水所害、故馬食鼠屎而腹脹。曰:審如論者之言、含血之蟲、亦有不相勝之效。午、馬也、子、鼠也、酉、雞也、卯兔也。水勝火、鼠何不逐馬? 金勝木、雞何不啄兔? 亥、豕也、(未、羊也。)醜、牛也。土勝水、牛羊何不殺豕? 巳、蛇也。申、猴也。火勝金、蛇何不食獼猴? 獼猴者、畏鼠也。囓獼猴者、犬也。鼠、水。獼猴、金也。水不勝金、獼猴何故畏鼠也? 戍、土也、申、猴也。土不勝金、猴何故畏犬?東方、木也、其星倉龍也。西方、金也、其星白虎也;南方、火也、其星硃鳥也。北方、水也、其星玄武也。天有四星之精、降生四獸之體。含血之蟲、以四獸為長、四獸含五行之氣最較鄭鼇案龍虎交不相賊、鳥龜會不相害。以四獸驗之、以十二辰之禽效之、五行之蟲以氣性相刻、則尤不相應。
〔訳〕
どうしてそれを確かめるか。もしも天がそのつもりで万物を生み出すのだとすれば、それらに仲よくさせるはずであり、損ねあいをさせるはずはないからだ。
ある人はいう――五行の気でもって、天は万物を生み出す。万物は五行の気を含むが故に、その五行の気がたがいに損ねあうのだ――。
その答えはこうだ。天はひとりでに五行の気でもって万物を生み出し、互いに仲よくさせるはずだ。五行の気でもって、あべこべに、損ねあいをそせるはずはない。
ある人はいう――役にたたせたいがゆえに、損ねあいをさせるのであり、損ねれば、できあがる。それで天は五行の気でもって万物を生み出し、人は万物でもって万事をべんずるのだ。制しあうことが出来なければ、使役しあうことは出来ず、損ねあわなければ、役には立たぬ。金が木を損ねなければ、木は役に立たないし、火が金を熔かさなければ、金は器にならぬ。というわけで、物はみな互いに損ね、互いに制するのだ。血の通っている動物が、互いに勝ち敗けし、咬みあい、食いあうのは、みな五行の気がそうさせるのだ――。
その答えはこうだ。天は万物を生み出して、互いに役に立ち、互いに損ねなければならぬようにしてやりたいと思っているのだとすれば、虎・狼・まむし・蜂・さそりなどの動物が作り出され、みな人に害を加えるが、天はまた人にそれらの役に立たせたいとでもいうのだろうか。それにひとりの人間の身体は五行の気を含んでいるが故に、ひとりの行いに五常〔仁・義・礼・智・信の五道〕の操がある。五常とは五行の道なのである。また、五臓〔肝・心・肺・腎・脾〕が体内にあって、そこに五行の気が宿っている。論者の言の通りだとすれば、血の通っている動物は、五行の気を抱いて、いちいち損ねあうというわけだ。しかし、ひとりの人間の身体は、胸に五臓を抱いて、自分で損ねあうだろうか。ひとりの人間の品行やら仁義の心やらが、自分で損ねあうだろうか。それに、五行の気が互いに損ねあい、血の通っている動物が互いに勝ち負けしあうという、その験(しょうこ)はどこにあるのだろうか。
ある人はいう――寅は木であって、それに当たる獣は虎である。戌は土であって、それに当たる獣は犬である。丑も未もまた土であって、丑に当たる獣は牛、未に当たる獣は羊である。木は土に勝つが故に、犬・牛・羊は虎に征服されるのだ。亥は水であって、それに当たる獣は豕(いのしし)である。巳は火であって、それに当たる獣は蛇である。子もまた水であってそれに当たる獣は鼠である。午もまた火であって、それに当たる獣は馬である。水は火に勝つがゆえに、豕は蛇を食う。火は水に損なわれるがゆえに、馬が鼠の糞を食らうと、腹が張ってしまうのだ――。
その答えはこうだ。もしも論者の言うとおりだとすれば、血の通っている動物は、互いに勝てないという証拠もたつ。午は馬、子は鼠、酉は鶏、卯は兎である。水が火に勝つならば、鼠はなんで馬を追い払わないのか。金が木に勝つならば、兎はなんで鶏をつつかないのか。亥は豕、未は羊、丑は牛である。土が水に勝つならば、牛や羊はなんで豕を殺さないのか。巳は蛇で、申は猿だ。火が金に勝つならば、蛇はなんで猿を食わないのか。猿は鼠を恐れ、その猿を咬(か)むのは犬である。鼠は水で、猿は金だ。水は金に勝たないのに、猿はなんで鼠を恐れるのか。戌は土で、申は金だ。土は金に勝たないのに、猿はなんで犬をおそれるのか。
東方は木でそこにある星座は蒼龍である。西方は金で、そこにある星座は白虎である。南方は火で、そこにある星座は朱雀〔鳳凰のこと〕である。北方は水でそこにある星座は玄武〔亀のこと〕である。天に四星の精があり、それがくだって四獣の体を生じたのだが、血の通っている動物では、この四獣が長なのである。四獣はもっとも顕著に五行の気を含んでいるのだが、思うに龍と虎は互いにせめぎあいはしないし、鳥と亀もけっして損ねあいはせぬ。このように,四獣でもって験(しょうこ)を調べてみたり、十二支の動物で効(あかし)をたててみるに、五行の動物がその気と性によってやりあうというのは、まったくそぐわないことだ。
何以驗之? 如天故生萬物、當令其相親愛、不當令之相賊害也。或曰:五行之氣、天生萬物。以萬物含五行之氣、五行之氣更相賊害。曰:天自當以一行之氣生萬物、令之相親愛、不當令五行之氣反使相賊害也。或曰:欲為之用、故令相賊害;賊害相成也。故天用五行之氣生萬物、人用萬物作萬事。不能相制、不能相使、不相賊害、不成為用。金不賊木、木不成用。火不爍金、金不成器。故諸物相賊相利、含血之蟲相勝服、相囓噬、相噉食者、皆五行氣使之然也。”曰、“天生萬物慾令相為用、不得不相賊害也。則生虎狼蝮蛇及蜂蠆之蟲、皆賊害人、天又欲使人為之用邪? 且一人之身、含五行之氣、故一人之行、有五常之操。五常、五行之道也。五藏在內、五行氣俱。如論者之言、含血之蟲、懷五行之氣、輒相賊害。一人之身、胸懷五藏、自相賊也;一人之操、行義之心、自相害也。且五行之氣相賊害、含血之蟲相勝服、其驗何在? 曰:寅、木也、其禽虎也;戍、土也、其禽犬也。醜、未、亦土也、醜禽牛、未禽羊也。木勝土、故犬與牛羊為虎所服也。亥水也、其禽豕也;巳、火也、其禽蛇也;子亦水也、其禽鼠也。午亦火也、其禽馬也。水勝火、故豕食蛇;火為水所害、故馬食鼠屎而腹脹。曰:審如論者之言、含血之蟲、亦有不相勝之效。午、馬也、子、鼠也、酉、雞也、卯兔也。水勝火、鼠何不逐馬? 金勝木、雞何不啄兔? 亥、豕也、(未、羊也。)醜、牛也。土勝水、牛羊何不殺豕? 巳、蛇也。申、猴也。火勝金、蛇何不食獼猴? 獼猴者、畏鼠也。囓獼猴者、犬也。鼠、水。獼猴、金也。水不勝金、獼猴何故畏鼠也? 戍、土也、申、猴也。土不勝金、猴何故畏犬?東方、木也、其星倉龍也。西方、金也、其星白虎也;南方、火也、其星硃鳥也。北方、水也、其星玄武也。天有四星之精、降生四獸之體。含血之蟲、以四獸為長、四獸含五行之氣最較鄭鼇案龍虎交不相賊、鳥龜會不相害。以四獸驗之、以十二辰之禽效之、五行之蟲以氣性相刻、則尤不相應。
〔訳〕
どうしてそれを確かめるか。もしも天がそのつもりで万物を生み出すのだとすれば、それらに仲よくさせるはずであり、損ねあいをさせるはずはないからだ。
ある人はいう――五行の気でもって、天は万物を生み出す。万物は五行の気を含むが故に、その五行の気がたがいに損ねあうのだ――。
その答えはこうだ。天はひとりでに五行の気でもって万物を生み出し、互いに仲よくさせるはずだ。五行の気でもって、あべこべに、損ねあいをそせるはずはない。
ある人はいう――役にたたせたいがゆえに、損ねあいをさせるのであり、損ねれば、できあがる。それで天は五行の気でもって万物を生み出し、人は万物でもって万事をべんずるのだ。制しあうことが出来なければ、使役しあうことは出来ず、損ねあわなければ、役には立たぬ。金が木を損ねなければ、木は役に立たないし、火が金を熔かさなければ、金は器にならぬ。というわけで、物はみな互いに損ね、互いに制するのだ。血の通っている動物が、互いに勝ち敗けし、咬みあい、食いあうのは、みな五行の気がそうさせるのだ――。
その答えはこうだ。天は万物を生み出して、互いに役に立ち、互いに損ねなければならぬようにしてやりたいと思っているのだとすれば、虎・狼・まむし・蜂・さそりなどの動物が作り出され、みな人に害を加えるが、天はまた人にそれらの役に立たせたいとでもいうのだろうか。それにひとりの人間の身体は五行の気を含んでいるが故に、ひとりの行いに五常〔仁・義・礼・智・信の五道〕の操がある。五常とは五行の道なのである。また、五臓〔肝・心・肺・腎・脾〕が体内にあって、そこに五行の気が宿っている。論者の言の通りだとすれば、血の通っている動物は、五行の気を抱いて、いちいち損ねあうというわけだ。しかし、ひとりの人間の身体は、胸に五臓を抱いて、自分で損ねあうだろうか。ひとりの人間の品行やら仁義の心やらが、自分で損ねあうだろうか。それに、五行の気が互いに損ねあい、血の通っている動物が互いに勝ち負けしあうという、その験(しょうこ)はどこにあるのだろうか。
ある人はいう――寅は木であって、それに当たる獣は虎である。戌は土であって、それに当たる獣は犬である。丑も未もまた土であって、丑に当たる獣は牛、未に当たる獣は羊である。木は土に勝つが故に、犬・牛・羊は虎に征服されるのだ。亥は水であって、それに当たる獣は豕(いのしし)である。巳は火であって、それに当たる獣は蛇である。子もまた水であってそれに当たる獣は鼠である。午もまた火であって、それに当たる獣は馬である。水は火に勝つがゆえに、豕は蛇を食う。火は水に損なわれるがゆえに、馬が鼠の糞を食らうと、腹が張ってしまうのだ――。
その答えはこうだ。もしも論者の言うとおりだとすれば、血の通っている動物は、互いに勝てないという証拠もたつ。午は馬、子は鼠、酉は鶏、卯は兎である。水が火に勝つならば、鼠はなんで馬を追い払わないのか。金が木に勝つならば、兎はなんで鶏をつつかないのか。亥は豕、未は羊、丑は牛である。土が水に勝つならば、牛や羊はなんで豕を殺さないのか。巳は蛇で、申は猿だ。火が金に勝つならば、蛇はなんで猿を食わないのか。猿は鼠を恐れ、その猿を咬(か)むのは犬である。鼠は水で、猿は金だ。水は金に勝たないのに、猿はなんで鼠を恐れるのか。戌は土で、申は金だ。土は金に勝たないのに、猿はなんで犬をおそれるのか。
東方は木でそこにある星座は蒼龍である。西方は金で、そこにある星座は白虎である。南方は火で、そこにある星座は朱雀〔鳳凰のこと〕である。北方は水でそこにある星座は玄武〔亀のこと〕である。天に四星の精があり、それがくだって四獣の体を生じたのだが、血の通っている動物では、この四獣が長なのである。四獣はもっとも顕著に五行の気を含んでいるのだが、思うに龍と虎は互いにせめぎあいはしないし、鳥と亀もけっして損ねあいはせぬ。このように,四獣でもって験(しょうこ)を調べてみたり、十二支の動物で効(あかし)をたててみるに、五行の動物がその気と性によってやりあうというのは、まったくそぐわないことだ。
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目高 拙痴无
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