瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
論衡 三巻 物勢篇 第十四 より
凡萬物相刻賊、含血之蟲則相服、至於相噉食者、自以齒牙頓利、筋力優劣、動作巧便、氣勢勇桀。若人之在世、勢不與適、力不均等、自相勝服。以力相服、則以刃相賊矣。夫人以刃相賊、猶物以齒角爪牙相觸刺也。力強角利、勢烈牙長、則能勝;氣微爪短、膽小距頓、則服畏也。人有勇怯、故戰有勝負、勝者未必受金氣、負者未必得木精也。孔子畏陽虎、卻行流汗、陽虎未必色白、孔子未必面青也。鷹之擊鳩雀、鴞之啄鵠雁、未必鷹鴞、生於南方、而鳩雀鵠雁產於西方也、自是筋力勇怯相勝服也。
〔訳〕
およそ、万物はせめぎ合い、血の通っている動物は、勝ち負けし合って、食い合うに至るのは、おのずと歯牙の鈍利、筋肉の優劣、動作の機敏さ、気勢の剛勇さなどによるものである。人間がこの世に処する場合も、勢いが互いに匹敵しているわけではなく、力の釣り合いがとれているわけでもないから、おのずと勝ち負けしあうことになる。力によって制し合うことになれば、刃物によって損ねあうことになる。人間が刃物で損ねあうのは、動物が歯・角・爪・牙などでやりあうようなものだ。力が強く角が鋭く、勢いが激しく牙が長ければ、勝てるのだし、気力に乏しく爪が短く、胆が小さく距(けづめ)がなまくらだと降参してしまうわけだ。
人間にも勇ましいのと弱虫があるからして、戦いに勝ち負けがあるわけで、勝者かならずしも金の気を受けているのではなく、敗者かならずしも木の精を得ているのではない。孔子が陽虎を恐ろしがり、引き返してきて冷や汗を流したが、陽虎かならずしも色が白かったわけでなく、孔子かならずしも顔が青かったわけではない〔白は西の色で金に当たり、青は東の色で木にあたる〕。鷹は鳩や雀を襲い、梟(ふくろう)は鵠(はくちょう)や雁を突くが、必ずしも鷹や梟が南方(赤で火に当たる)で生まれ、鳩や雀や鵠や雁が西方(白で金にあたる)で産するわけではない。おのずから筋力や強気・弱気によって、互いに勝ち負けするのである。
一堂之上、必有論者;一鄉之中、必有訟者。訟必有曲直、論必有是非、非而曲者為負、是而直者為勝。亦或辯口利舌、辭喻橫出為勝;或詘弱綴跲、連蹇不比者為負。以舌論訟、猶以劍戟鬥也。利劍長戟、手足健疾者勝;頓刀短矛、手足緩留者負。夫物之相勝、或以筋力、或以氣勢、或以巧便。小有氣勢、口足有便、則能以小而製大;大無骨力、角翼不勁、則以大而服小。鵲食蝟皮、博勞食蛇、蝟、蛇不便也。蚊虻之力、不如牛馬、牛馬困於蚊虻、蚊虻乃有勢也。鹿之角、足以觸犬、獼猴之手、足以博鼠、然而鹿制於犬、獼猴服於鼠、角爪不利也。故十年之牛、為牧豎所驅;長仞之象、為越僮所鉤、無便故也。故夫得其便也、則以小能勝大;無其便也、則以強服於羸也。
〔訳〕
一堂に集まった人の中には、きまって議論家がいるものだし、一つの村の中にはまず訴訟沙汰を抱える人があるものだ。訴訟には必ず曲直があり、議論には必ず是非がある。非にして曲なるものは負けとなり、是にして正なるものは勝ちとなる。あるいは口がうまく弁がたち、せりふがやたらに出るものは勝ちとなるし、口がおぼつかなくてたどたどしく、途切れがちですらすらいえないものはまけとなる。舌で議論したり訴訟したりするのは、剣や戈で戦うのと同じことだ。鋭い剣や長い戈を持ち、手足が丈夫で素早いものは勝つし、なまくらな刀や短い戈を持ち、手足がのろいものは負ける。
およそ物が勝ちを制するには、筋肉に拠ることもあるし、気勢に拠ることもあるし、器用さに拠ることもある。小さくても気勢に富み、口や足が器用ならば、小にして大を制することも出来る。大きくても筋力に乏しく、角や翼が強くなければ、大にして小に服することになる。鵲(かささぎ)が蝟(はりねずみ)の腹の皮を食い破り、博労が蛇を食うというのも、蝟や蛇が不器用だからである。蚊や虻の力は牛馬ににはかなわないが、牛馬が蚊や虻に苦しめられるのは、蚊や虻に気勢があるからなのだ。鹿の角は犬を突くこともできるし、猿の手は鼠を打つこともできる。それだのに鹿は犬にやっつけられ、猿は鼠にまいってしまうのは、その角や爪が鋭くないからだ。そんなわけで十抱えもある牛が牧童に追い立てられたり、数仭〔仭は古代の八尺、一尺は約23㎝〕もある象が越〔安南方面を指す〕の子供に引かれたりするのは、器用さがないからだ。したがって、器用でありさえすれば、小さいものも大きいものに勝てるし、器用でなければ、強いもので弱いものにまいってしまうのだ。
凡萬物相刻賊、含血之蟲則相服、至於相噉食者、自以齒牙頓利、筋力優劣、動作巧便、氣勢勇桀。若人之在世、勢不與適、力不均等、自相勝服。以力相服、則以刃相賊矣。夫人以刃相賊、猶物以齒角爪牙相觸刺也。力強角利、勢烈牙長、則能勝;氣微爪短、膽小距頓、則服畏也。人有勇怯、故戰有勝負、勝者未必受金氣、負者未必得木精也。孔子畏陽虎、卻行流汗、陽虎未必色白、孔子未必面青也。鷹之擊鳩雀、鴞之啄鵠雁、未必鷹鴞、生於南方、而鳩雀鵠雁產於西方也、自是筋力勇怯相勝服也。
〔訳〕
およそ、万物はせめぎ合い、血の通っている動物は、勝ち負けし合って、食い合うに至るのは、おのずと歯牙の鈍利、筋肉の優劣、動作の機敏さ、気勢の剛勇さなどによるものである。人間がこの世に処する場合も、勢いが互いに匹敵しているわけではなく、力の釣り合いがとれているわけでもないから、おのずと勝ち負けしあうことになる。力によって制し合うことになれば、刃物によって損ねあうことになる。人間が刃物で損ねあうのは、動物が歯・角・爪・牙などでやりあうようなものだ。力が強く角が鋭く、勢いが激しく牙が長ければ、勝てるのだし、気力に乏しく爪が短く、胆が小さく距(けづめ)がなまくらだと降参してしまうわけだ。
人間にも勇ましいのと弱虫があるからして、戦いに勝ち負けがあるわけで、勝者かならずしも金の気を受けているのではなく、敗者かならずしも木の精を得ているのではない。孔子が陽虎を恐ろしがり、引き返してきて冷や汗を流したが、陽虎かならずしも色が白かったわけでなく、孔子かならずしも顔が青かったわけではない〔白は西の色で金に当たり、青は東の色で木にあたる〕。鷹は鳩や雀を襲い、梟(ふくろう)は鵠(はくちょう)や雁を突くが、必ずしも鷹や梟が南方(赤で火に当たる)で生まれ、鳩や雀や鵠や雁が西方(白で金にあたる)で産するわけではない。おのずから筋力や強気・弱気によって、互いに勝ち負けするのである。
一堂之上、必有論者;一鄉之中、必有訟者。訟必有曲直、論必有是非、非而曲者為負、是而直者為勝。亦或辯口利舌、辭喻橫出為勝;或詘弱綴跲、連蹇不比者為負。以舌論訟、猶以劍戟鬥也。利劍長戟、手足健疾者勝;頓刀短矛、手足緩留者負。夫物之相勝、或以筋力、或以氣勢、或以巧便。小有氣勢、口足有便、則能以小而製大;大無骨力、角翼不勁、則以大而服小。鵲食蝟皮、博勞食蛇、蝟、蛇不便也。蚊虻之力、不如牛馬、牛馬困於蚊虻、蚊虻乃有勢也。鹿之角、足以觸犬、獼猴之手、足以博鼠、然而鹿制於犬、獼猴服於鼠、角爪不利也。故十年之牛、為牧豎所驅;長仞之象、為越僮所鉤、無便故也。故夫得其便也、則以小能勝大;無其便也、則以強服於羸也。
〔訳〕
およそ物が勝ちを制するには、筋肉に拠ることもあるし、気勢に拠ることもあるし、器用さに拠ることもある。小さくても気勢に富み、口や足が器用ならば、小にして大を制することも出来る。大きくても筋力に乏しく、角や翼が強くなければ、大にして小に服することになる。鵲(かささぎ)が蝟(はりねずみ)の腹の皮を食い破り、博労が蛇を食うというのも、蝟や蛇が不器用だからである。蚊や虻の力は牛馬ににはかなわないが、牛馬が蚊や虻に苦しめられるのは、蚊や虻に気勢があるからなのだ。鹿の角は犬を突くこともできるし、猿の手は鼠を打つこともできる。それだのに鹿は犬にやっつけられ、猿は鼠にまいってしまうのは、その角や爪が鋭くないからだ。そんなわけで十抱えもある牛が牧童に追い立てられたり、数仭〔仭は古代の八尺、一尺は約23㎝〕もある象が越〔安南方面を指す〕の子供に引かれたりするのは、器用さがないからだ。したがって、器用でありさえすれば、小さいものも大きいものに勝てるし、器用でなければ、強いもので弱いものにまいってしまうのだ。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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