瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ウェブニュースより
 稀勢 第72代横綱へ 25日に正式決定、19年ぶりの日本出身横綱誕生 ―― 「大相撲初場所・千秋楽」(22日、両国国技館)
 14日目に初優勝を決めた大関稀勢の里(30)=田子ノ浦=が横綱白鵬(31)=宮城野=をすくい投げで破って14勝1敗とし、初の天皇賜杯を手にした。取組後には、審判部が八角理事長(元横綱北勝海)に横綱昇進を審議する臨時理事会の招集を要請。23日の横綱審議委員会(横審)の推挙を経て、25日の春場所番付編成会議と理事会で正式に1998年の三代目若乃花以来、19年ぶりに日本出身横綱が誕生する。

 千秋楽、取組がすべて終わっても館内は熱気に包まれていた。待ちに待った優勝インタビュー。稀勢の里が登場すると、万雷の拍手と歓声がこだました。
 「ずいぶん長くなったけれど、いろんな人の支えがあって、ここまで来られた」と万感の思いを口にした。そして、両親が見ている前で勝った、と問われると、もう涙腺は耐えられなかった。「最後は必死になって残して…はい…」と、おえつ交じり。「一日一番という気持ちでやった結果」と男泣きしながら言葉を絞り出した。
 前日に悲願の初優勝を果たしても、気持ちを切らさなかった。「壁になる」と宣言した気合十分の白鵬が立ち合いからど迫力で突進してきた。左を差され、ぐいぐい押され俵に足がかかった。絶体絶命のピンチから代名詞の左のおっつけで相手を起こした。そのまま左を差して、大逆転の投げを豪快に決めた。
 常に優勝を阻まれてきた宿敵を直接対決で撃破。「気持ちだけ引き締めていきました。これから自信になります。自分一人の力じゃない。我慢して腐らずできて本当に良かった」とかみ締めた。


 自己最多となる大きな14勝目。「誰かに支えられている気がした」。踏ん張り切れた土俵際に、先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)を思う。相撲も礼儀も、すべてを教わった角界の父に捧げる有終星には言葉にはできない感慨がある。
 11年11月。師の急逝に25歳関脇だった愛弟子は人目をはばからずに泣いた。中学2年の夏、中学校の担任にも告げずに鳴戸部屋の稽古を見学。「一番、稽古が厳しい部屋に」と荒波に飛び込んだ。
 指導は想像以上だった。部屋の力士一人が部屋のルールを破れば連帯責任で夜中でも正座を命じられた。テレビ出演の依頼を受けたが、白鵬と控室が同じだったため「仲良しこよしじゃ駄目だ」と出演は許されなかった。
 勝負の世界の厳しさを徹底的にたたき込んでくれた師匠。遅咲きで「おしん横綱」と呼ばれた。師匠が30歳9カ月、自身は師匠に次ぐ史上4位、30歳6カ月の年長で横綱昇進となることは確実だ。部屋に戻ると遺影の前で正座をし、手を合わせて思いを伝えた。
 審判部の二所ノ関部長(元大関若嶋津)は13勝でも「昇進相当」としていたが異論なしの14勝目。取組後、八角理事長に臨時理事会の招集を要請した。25日に、19年ぶりに日本出身横綱が誕生する。来場所からは17年ぶりの4横綱時代となる。
 「賜杯?言葉にならない」と喜びに浸りながら、自らの力に満足はない。「まだまだ物足りない部分があるし、強くなれる。これで終わりじゃない」。新入幕から73場所での昇進は史上最も遅い。「平成のおしん横綱」ははや先の戦いを見据えた。

「栄花物語」月の宴
 ただ今の摂政太政大臣にては、基経の大臣(おとど)の御子、四郎忠平の大臣、帝の叔父にて、世を政(まつりごち)ておはす。その大臣の御子五人ぞおはしける。太郎は今の左大臣にて、実頼と聞こえて、小野宮と言ふ所に住み給ふ。次郎は右大臣にて、師輔の大臣、九条と言ふ所に住み給ふ。三郎の御有様おぼつかなし。四郎師氏(もろうぢ)と聞こえける、大納言までなり給ひける。五郎師尹(もろただ)の左大臣と聞こえて、小一条と言ふ所に住み給ふ。
 さればただ今は、この太政大臣の御子ども、やがていとやむごとなき殿ばらにておはす。この殿ばら皆各々御子ども様々にておはする中に、九条の師輔の大臣、いとたたはしくおはして、数多の北の方の御腹に、男十一人、女六人ぞおはしける。小野宮の左大臣殿は、男三人ばかりぞおはしける。女君もおはしけり、一所は宮腹の具にておはす。差し次は女御にておはしけり。次々様々にておはす。小一条の師尹の大臣、男子二人、女一所ぞおはしける。男子一人は、はかなうなり給ひにけり。
現代語訳
 この時の摂政太政大臣は、基経大臣(藤原基経)の子、四男忠平大臣(藤原忠平)でした、帝(第六十二代村上天皇)の叔父でしたので、世を治めました。忠平大臣には男子が五人いました。長男は今の左大臣で、実頼(藤原実頼。摂政関白太政大臣)と申して、小野宮(現京都市中京区。地下東西線丸田町近く)という所に住みました。次男は右大臣で、師輔大臣(藤原師輔)、九条という所に住みました。三男(藤原師保もろやす)のことはよく知りません(出家したらしい)。四男は師氏(藤原師氏)と申して、大納言までなりました。五男は師尹左大臣(藤原師尹)と申して、小一条という所に住みました。
 こうして今では、この太政大臣(藤原忠平ただひら)の子たちは、次第に身分高くなりました。この殿たちには皆それぞれ子が多くいましたが、九条師輔大臣(藤原師輔)には、たいそう多く子がありました、多くの北の方の腹に、男十一人(十二人、一人は僧)、女は六人いました。小野宮左大臣殿(藤原実頼さねより)には、男が三人ほどいました。女君もいました、一人は宮腹(源高明たかあきら。第六十代醍醐天皇の第十皇子)の妻でした。差し次([すぐ次])は女御(三女、藤原述子。第六十二代村上天皇女御)でした。次々それぞれでした。小一条師尹大臣(藤原師尹)には、男の子二人、娘が一人いました。男子一人(藤原定時さだとき)は、若くして亡くなりました。

大鏡 藤原忠平 貞信公
 この大臣(おとど)、これ、基経(もとつね)のおとどの四郎君。御母、本院(ほんゐん)の大臣・枇杷(びは)の大臣に同じ。このおとど、延長(えんちやう)八年九月二十一日摂政、天慶(てんぎやう)四年十一月関白(くわんばく)の宣旨(せんじ)かぶり給(たま)ふ。公卿(くぎやう)にて四十二年、大臣にて三十二年、世をしらせ給(たま)ふこと二十年。後(のち)の御諡号(いみな)貞信公と名づけ奉(たてまつ)る。子一条(こいちでう)の太政大臣(だいじやうだいじん)と申(まう)す。朱雀院(すざくゐん)并(なら)びに村上の御舅(をぢ)に御座(おは)します。この御子五人。その折は、御位(くらゐ)太政大臣(だいじやうだいじん)にて、御太郎、左大臣(さだいじん)にて実頼(さねより)のおとど、これ、小野宮(をののみや)と申(まう)しき。二郎、右大臣師輔(もろすけ)のおとど、これを九条殿(くでうどの)と申(まう)しき。四郎、師氏(もろうじ)の大納言(だいなごん)と聞(き)こえき。五郎、また左大臣(さだいじん)師尹(もろまさ)のおとど、子一条殿と申(まう)しきかし。これ、四人君達、左右(さう)の大臣、納言(なごん)などにて、さしつづき御座(おは)しましし、いみじかりし御栄花(えいぐわ)ぞかし。女君(をんなぎみ)一所(ひとところ)は、先坊(せんばう)の御息所(みやすどころ)にて御座(おは)しましき。
 つねにこの三人の大臣たちの参(まゐ)らせ給(たま)ふ料(れう)に、小一条(こいちでう)の南、勘解由小路(かげゆのこうぢ)には、石畳(いしだたみ)をぞせられたりしが、まだ侍(はべ)るぞかし。宗像(むなかた)の明神(みやうじん)の御座(おは)しませば、洞院(とうゐん)・小代(こしろ)の辻子(つじ)よりおりさせ給(たま)ひしに、雨などの降る日の料とぞ承(うけたまは)りし。凡(おほよそ)その一町(ひとまち)は、人まかり歩(あり)かざりき。今は、あやしの者も馬・車に乗りつつ、みしみしと歩(ある)き侍(はべ)れば、昔のなごりに、いとかたじけなくこそ見給(たま)ふれ。この翁(おきな)どもは、今もおぼろけにては通り侍(はべ)らず。今日も参(まゐ)り侍(はべ)るが、腰のいたく侍(はべ)りつれば、術(ずち)なくてぞまかり通りつれど、なほ石畳をばよきてぞまかりつる。南のつらのいとあしき泥(でい)をふみこみて候(さぶら)ひつれば、きたなき物(もの)も、かくなりて侍(はべ)るなり』とて、引き出(い)でて見す。
,世継*}『「先祖の御物(もの)は何もほしけれど、小一条のみなむ要(えう)に侍(はべ)らぬ。人は子うみ死なむが料にこそ家もほしきに、さやうの折、ほかへわたらむ所は、なににかはせむ。また、凡(おほよそ)、つねにもたゆみなくおそろし」とこそ、この入道(にふだう)殿(どの)は仰(おほ)せらるなれ。ことわりなりや。この貞信公には、宗像の明神(みやうじん)、うつつに、物(もの)など申(まう)し給(たま)ひけり。「我よりは御位(くらゐ)高くて居(ゐ)させ給(たま)へるなむ、くるしき」と申(まう)し給(たま)ひければ、いと不便(ふびん)なる御こととて、神の御位申(まう)しあげさせ給(たま)へるなり。
 この殿(との)、何(いづれ)の御時とは覚(おぼ)え侍(はべ)らず、思(おも)ふに、延喜(えんぎ)・朱雀院(すざくゐん)の御ほどにこそは侍(はべ)りけめ、宣旨(せんじ)承(うけたまは)らせ給(たま)ひて、おこなひに陣座(ぢんのざ)ざまに御座(おは)します道に、南殿(なでん)の御帳(みちやう)のうしろのほど通らせ給(たま)ふに、物(もの)のけはひして、御太刀(たち)の石突(いしづき)をとらへたりければ、いとあやしくてさぐらせ給(たま)ふに、毛はむくむくと生ひたる手の、爪(つめ)ながくて刀(かたな)の刃(は)の様(やう)なるに、鬼なりけりと、いとおそろしくおぼえけれど、臆(おく)したるさま見えじと念(ねん)ぜさせ給(たま)ひて、「おほやけの勅宣(ちよくせん)承(うけたまは)りて、定(さだめ)に参(まゐ)る人とらふるは何者ぞ。ゆるさずは、あしかりなむ」とて、御太刀をひき抜きて、かれが手をとらへさせ給(たま)へりければ、まどひてうち放(はな)ちてこそ、丑寅(うしとら)の隅(すみ)ざまにまかりにけれ。思(おも)ふに夜(よる)のことなりけむかし。こと殿(との)ばらの御ことよりも、この殿の御こと申(まう)すは、かたじけなくもあはれにも侍(はべ)るかな』とて、音(こゑ)うちかはりて、鼻度々(たびたび)うちかむめり。
{*《世継》『いかなりけることにか、七月にて生まれさせ給(たま)へるとこそ、人申(まう)し伝へたれ。天暦(てんりやく)三年八月十一日にぞ失(う)せさせ給(たま)ひける。正一位(じやういちゐ)に贈(ぞう)せられ給(たま)ふ。御年七十一。

現代語訳
 このおとどは、基経のおとどの四男でございます。御母は、本院大臣時平殿、枇杷大臣仲平殿と同じです。この忠平殿は、延長八年(930)九月一日摂政、天慶四年(941)十一月関白宣旨をお受けなさいました。公卿にて四十二年、大臣の位にて三十二年、世をお治めになること二十年でございます。後の御いみなは貞信公と申しあげました。小一条大臣と申し上げます。また、朱雀院、村上天皇の御伯父であられます。この殿のご子息は五人。殿が太政大臣の位にあられた時、ご長男の実頼殿は左大臣にて、小野宮と申し上げます。次男の右大臣師輔殿は、九条殿と申し上げました。四男の師氏殿は大納言でいらっしゃいました。五男は、後に左大臣になられたのですが、師尹のおとどで、小一条殿と申し上げました。この四人の君達が、左右大臣、納言などに続いていらっしゃったことは、大変に素晴らしいご栄華でございますね。ご長女は、先坊の御息所でいらっしゃいました。
 実頼、師輔、師尹の三人の大臣が小一条に参上なさるために、小一条の南、勘解由小路には石畳が造られたのです。それは、未だに残ってございます。宗像の明神がお邸においでになったために、大臣方は東洞院と小代の辻より車を降りられたので、石畳は雨などが降る日のためだとお聞きしました。おおよそ、その一町に人々は参りませんでした。今は身分の低い者も車や馬に乗ってみしみしと通りますので、昔の名残を畏れ多く拝見いたします。私などは、今も、並々のことではそこを通りません。今日ここに参りましたが、腰が痛みましたので、仕方なくそこを通って参りました。それでも、石畳をよけて歩きました。南の端のたいそうひどいぬかるみを踏んでしまいましたので、汚い着物が更にこのようになってしまいました。皆さんにもお見せしましょう。さて、「先祖の御物は何でも欲しいものだが、小一条だけはそうでもない。人は子を産み、また死んでいくために家という物が必要だが、神が居られるためにそのような時に他へ移らなければならない邸は、どうにもならない。また、おおよそ、普段から気が緩むことがなくて、畏れ多い」とただいまの入道道長殿は仰られたのですな。全く、その通りでございます。この忠平殿には宗像の明神が現実に物など申し上げなさったそうです。「私より忠平殿の御位が高くいらっしゃるのは、差し支えがある」と申し上げられたので、それはとても不都合なことだと、神の御位をお上げになられました。
 何時というのは憶えておりませんが、思うに醍醐か朱雀院の御時でありましょう、忠平殿が宣旨をお受けになって、それを執り行うために陣座の方へいらっしゃる途中、南殿の御帳台の後ろ辺りを通られました。なにやら気配がして、忠平殿の御太刀のいしづきが捉えられました。とても変に思ってお探りになると、むくむくと毛むくじゃらで、爪は長い刀の刃のような手でありました。「鬼であるぞ」と大変恐ろしく思われましたが、臆した様子を見せまいとお念じになり、「帝の宣旨を承って定に参上する人を捉えるのは何者か。放さないなら、怒るぞ」と言って、御太刀を引き抜いて、その手を捉えましたところ、鬼は慌てて手を放して、丑寅の隅の方へ行ってしまいました。思うに、夜のことでありましょう。
 他の殿のことよりも、この忠平殿のことを申し上げるのは、畏れ多くもあり、またしみじみと思い出深いものでございますな。
 世継はそういうと、鳴き声になり、鼻を度々かんだ。
 どうしたことでございましょうか、忠平殿は七ヶ月でお生まれになられたと人々は申し伝えております。天暦三年(949)八月十一日にお亡くなりになりました。正一位が贈られました。御歳、七十一でございます。


 


ウェブニュースより
【全文】トランプ大統領就任演説「今日、この日から、アメリカ第一のみ」――第45代のアメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプ氏は120日(現地時間)、ワシントンで就任式に臨み、就任演説をした。全文は以下の通り。


 
 ジョン・ロバーツ連邦最高裁判所長官、カーター大統領、クリントン大統領、ブッシュ大統領、オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、そして、世界中の皆さん、ありがとうございます。
 私たちアメリカ国民は今、素晴らしい国家的な努力に参加し、国を再建して、すべての人のために約束を果たします。私たちは共に、アメリカの、そして、世界の歩む道を決めるのです。これから歩む長い道です。私たちは課題に直面するでしょう。さまざなま困難にも直面するでしょう。しかし、その仕事をやり遂げます。
 4年ごとに、私たちはこうした道のりのために集まり、秩序だって速やかに政権を移行します。この政権移行を快く支えてくれたオバマ大統領とミシェル・オバマ大統領夫人に感謝します。素晴らしい人たちです。ありがとうございます。
 本日の式典には、とても特別な意味があります。なぜなら、ひとつの政権から別の政権へ、または、ひとつの政党から別の政党へ、単なる政権交代をしているわけではなく、ワシントンD.C.から国民である皆さんへ、政権を取り戻しているからです。
 あまりにも長い間、ワシントンにいる一部の人たちだけが、政府から利益や恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは国民です。ワシントンは繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家は潤いましたが、職は失われ、工場は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、アメリカ市民を守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らは首都ワシントンで祝福しましたが、アメリカ全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどありませんでした。
 すべての変革は、この場所から始まります。今、ここで始まっているのです。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものです。今日、ここに集まっている皆さん、アメリカ中でこれを見ている皆さんのものです。今日という日は、皆さんの1日なのです。これは皆さんの式典です。そして、このアメリカ合衆国は、皆さんの国なのです。
 本当に大切なことは、どの党が政権を握るかということではなく、政府が国民により統治されることです。2017年1月20日は、国民がこの国の治める日として、これからずっと記憶に刻まれるでしょう。この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはありません。誰もが皆さんに耳を傾けています。何千万の人々が、歴史的な運動に参加しています。
 今まで世界が見たことのない動きが起きています。この動向の中心にあるのは、とても強い信念です。それは、国は国民に奉仕するために存在しているということです。アメリカ国民は、子供たちのために素晴らしい学校を望んでいます。また、家族のために安全を、自分自身のために良い仕事を望んでいます。正しい人々、そして、正しい国民がそう望むのは正当で、当然のことです。
 しかし、多くの市民には、異なる現実が存在しています。母親と子供は都市部で貧困に苦しみ、工場は錆びき、アメリカ中に墓石のごとく散らばっています。教育は高額で、若く輝かしい生徒たちは、知識を習得できていません。犯罪、ギャング、麻薬があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っています。
 こうしたアメリカの殺戮は、今ここで終わります。今、ここでです。
 私たちはひとつの国家であり、彼らの痛みは、私たちの痛みです。彼らの夢は、私たちの夢です。そして、彼らの成功は、私たちの成功です。私たちは、ひとつの心、ひとつの故郷、ひとつの輝きに満ちた運命を共有しています。今日、私がした就任の誓いは、すべてのアメリカ国民の忠誠の誓いです。
 何十年もの間、私たちはアメリカの産業を犠牲にし、外国の産業を豊かにしてきました。他の国々の軍隊を援助してきました。一方で、アメリカの軍隊は、悲しくも枯渇しています。私たちは他の国の国境を守っていますが、自分たちの国境を守るのを拒んでいます。海外に数兆ドルを投資しましたが、アメリカのインフラは絶望に陥り、腐っています。他の国々を豊かにしましたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えて行きました。ひとつずつ、工場が閉鎖され、この国を去りました。数百万人のアメリカ人労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうしたのです。中間層の富が、その家庭から奪われ、世界中に再分配されました。
 しかし、それは過去です。今、私たちは未来だけを見据えています。私たちは今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての外国の首都、すべての政権にそれを響かせます。今日、この日から始まります。新しいビジョンがアメリカを治めるでしょう。今日、この日から、アメリカ第一のみになります。アメリカ第一です。
 貿易、税金、移民、外交についてのすべての決定は、アメリカの労働者と家族の利益のために下されます。他国の暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たちの商品を生産し、私たちの会社を盗み、私たちの仕事を破壊しています。保護こそが偉大な繁栄と力に繋がるのです。
 私は全力で皆さんのために戦います。決して失望させません。アメリカは再び勝利します。これまでにない勝利です。雇用を取り戻し、国境を回復し、富を取り戻し、そして、夢を取り戻します。このすばらしい国の隅々に新しい道路、橋、空港、トンネル、鉄道を建設します。生活保護を受けている人たちに仕事を与え、アメリカの労働者の手と力で国を再建します。
 私たちは2つの単純なルールに従います。アメリカ製の商品を買い、アメリカ人を雇うことです。世界の国々と友好的な善意の関係を築きますが、すべての国には自国の利益を優先させる権利があることを理解した上で、そうします。私たちは自分たちの生き方をすべての人に押し付けることはしませんが、模範として輝やかせたいと思っています。私たちはすべての人が追随するような輝きを放つでしょう。私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくります。イスラム過激派のテロに対し世界を結束させ、地球上から完全に根絶させます。
 私たちの政治の基盤は、アメリカ合衆国への完全な忠誠心です。国への忠誠を通し、私たちはお互いへの忠誠を再発見するでしょう。愛国心に心を開けば、偏見など持たないはずです。聖書はこう教えています。神の民が一体となって暮らすのは、何と素晴らしく喜ばしいことでしょう、と。私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論しますが、いつも団結を求めなければなりません。アメリカが団結すれば、誰もアメリカを止めることはできません。
 恐れることはありません。私たちは守られています。そして、私たちはこの先も守られるでしょう。私たちは軍や法執行機関の素晴らしい人たちに守られるています。そして、最も大切なのは、神により守られていることです。
 最後に、私たちは大きく考え、さらに大きな夢をみなければなりません。アメリカで、私たちは分かっていると思うのですが、国家は、努力してこそ存続するのです。口ばかりで行動が伴わない政治家をこれ以上受け入れることはできません。彼らは文句ばかり言って、何もしていません。意味のないお喋りは終わりを迎える時です。今、行動の時が来ています。それはできない、と言うのはやめましょう。どんな課題も、心を開き、戦い、アメリカの精神を持てば、乗り越えられます。失敗することはありません。私たちの国は再び繁栄し、栄えるでしょう。
 私たちは、新しい時代の誕生に立ち会っています。宇宙の神秘を解き明かし、地球上から病気の苦しみを失くし、未来の産業とテクノロジーを利用する準備をしています。新しいアメリカの誇りは、私たちの魂を揺さぶり、視野を高め、分断を埋めるでしょう。今こそ、思い出す時です。兵士が永遠に心に刻む知恵です。黒い肌、褐色の肌、白い肌、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れています。私たちは同じ輝かしい自由を享受しています。みんな同じ偉大な星条旗に忠誠を誓っているのです。子供がデトロイトの都市部で生まれようと、ネブラスカの風の吹く平原で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれます。
 ですから、アメリカ国民の皆さん、すべての街に住んでいる市民の皆さん、それが近くても、遠くても、小さくても、大きくても、山から山まで、海から海まで、この言葉を聞いてください。皆さんは再び無視されることは決してありません。皆さんの声、希望、夢が、アメリカの歩む道を決めるのです。そして、皆さんの勇気、善意、愛が、その道を永遠に照らすのです。
 一致団結して、私たちはアメリカを再び強い国にします。アメリカを再び富める国にします。アメリカを再び誇り高い国にします。アメリカを再び安全な国にします。そうです。ともに力を合わせ、アメリカを再び偉大な国にします。ありがとうございます。皆さんに神の祝福がありますように。そして、アメリカに神の祝福がありますように。ありがとうございます。アメリカに神の祝福あれ。 The Huffington Post  |  執筆者:吉野太一郎 メール投稿日: 2017年01月21日 11時34分 JST 更新: 2017年01月21日 11時34分 JST

大和物語 九十一
 三条の右のおとど、中将にいますかりける時、祭の使にさされていでたまうけり。
 かよひたまひける女の、絶えてひさしくなりにけるに、「かかることなむいでたつ。扇もたるべかりける、ひとつたまへ」といひやりたまへりけり。
 よしある女なりければ、よくておこせてむとおもふたまひけるに、色などもいときよらなる扇の、香などもいとかうばしうておこせたり。ひきかへしたる裏の端の方にかきたりける。
  ゆゆしとていむとも今はかひもあらじうきをばこれにおもひよせてむ
とあるをみていとあはれとおぼして、返し、
  ゆゆしとて忌みけるものをわが為になしといはぬは誰がつらきなり
※三条の右のおとど=藤原定方。内大臣藤原高藤の子。平安中期の歌人。官は従二位、右大臣に至り、三条の右大臣と呼ばれる。
現代語訳
 三条の大臣こと藤原定方様が、中将でいらっしゃった時に、賀茂の祭りの奉幣の勅使に指名されて出かけなさいました。
 夫として通っておられた女が、定方様の訪問が途絶えてひさしくなってしまった時に、定方様が「このたびこのような事態が起きて出発します。扇を持っておられたはずだから、一つください」と言っておやりになりました。
 由緒ある家柄のしっかりした女だったので、きっとうまく用意して寄越すだろうと思っておられたところ、色彩なども非常に綺麗な扇で、香などをたきしめて香りなども非常によい状態にして寄越しました。その扇の裏返した端のほうに書きつけてあった歌、
  祭りが終わればすぐ用済みになるのが不吉だからといって、贈るのを避けたとしても、結婚してすぐ用済みになったようにあなたに捨てられた私には、いまさらなんの甲斐もないでしょう。せめてこの扇に恨みつらみの思いをこめた歌を書いてあなたに贈りましょう。
と書いてあるのを見て、ひじょうに済まなかったとお感じになって、そこで作った返歌
  不吉だといって避けていた扇を、わたしのために「そんなもの無いわ」と言わないで、わたしのところにその不吉なものを贈って寄越すのは、いったい誰が冷淡なのだろう。(あなたのほうこそ、私に対して冷たいのじゃありませんか?)


 漢字は機械的に教えられるものではありません。覚えるものであり、悟るものです。言葉は文章の中に作品の中にあるものです。その息吹のままその語を捉えることです。文字だけを切り離して教えようとするのは、暗号を覚えさせるのと同じで、初めから無理な話なのです。
 漢字記憶法とか漢字教育法などというもので問題を解決しうると考えるのは基本的には誤りなのであります。記憶法とか教育法とかいうものには便宜的なものが多いのです。
 親=立木のそばで見まもる親 放=木の枝で向こう方へ追っ払う 原=がけ下の泉が原っぱに流れる 配=酒つぼが割れないか心配 字=家で子どもが字を書く 安=家の中の女は安全 切=刀で七つに切る 和=禾(米)を食べられる平和な時代 知=知ったことを矢つぎばやにいう
 これらは学業不振児のために作られたものといいますが、どれも便宜的な説法にすぎません。便宜的な説法ならばなるべくなるべく字形解釈に触れない形式のほうがまだしもと思われます。
 業=タテタテチョンチョン、ヨコチョンチョン、ヨコヨコヨコのタテチョンチョン 寒=ウサンタテタテハッチョンチョン
 また、分解的方法では 朝=十月十日 壽=士のフエは一吋(インチ) のように覚えます。いわゆる離合です。
 江戸期には先日のブログで述べたように「歌字尽(うたじづくし)」のようなものが行われましたが、この方法は新しく試みられることもあります。
 尸部の 尾、尻、尿、屍、屁 「毛は尾にて 九は尻(しり)なれば 水尿(いばり) 死ねば屍(かばね)ぞ 比ぶるは屁ぞ」
 攵部の 政、故、救、改   「正しきは 政(まつりごと)なり 古き故 救(すくひ)求めて 己(おのれ)改たむる」

 正しい字説を児童に理解させるのは困難なことです。しかし字を覚えさせるために、誤りを教えてもよいという道理はありません。
 白川静先生は「正しい字形教育を阻害しているのは、ほかならぬあの新字表である」と仰っています。
 
 たとえば、「器」「臭」「戻」「突」「類」の「大」の部分は元「犬」でした。「大」よりも「犬」の方が、成り立ちがよく分かります。
 器:口が4つ + 犬
   口はさまざまな容器を表す。犬は種類の多いものの代表として加えた。
   儀式に使ういろいろな器を並べたさま。犬は器を清めるための犠牲の犬。 (白川説)
 臭:自 + 犬
   自は鼻の形。犬の鼻は臭いをよく嗅ぎ分ける。
 戻:戸 + 犬
   暴犬が戸内に閉じ込められ暴れるさま→逆らう、もどる。
   玄関の下に悪霊よけのために埋められた犬。悪霊を追い返す→もどす。 (白川説)


 突:穴 + 犬
   穴の中から急に犬がとび出すさま→つく。
   かまどの穴に犠牲の犬を供えるさま。かまどから煙を出すための煙突→つきでる、つく。 (白川説)
 類:米 + 犬 + 頁
   米は、たくさんの植物の代表。犬は、種類の多い動物の代表。頁は、あたま。多くのものの頭かずをそろえて、区わけすることをあらわす。
   頁は、儀礼のときの衣冠を整えた姿。米と犬の犠牲を供え、礼装して拝む形。常例の祭りににせた臨時の祭礼→にせる、るいする。 (白川説)
 白川説の大きな特徴は、犬を儀式の犠牲としている所であります。事実、古代中国の遺跡からは、犠牲に捧げられた犬の骨が多く見つかっています。

 白川氏は著書「常用字解」の中で、「犬」が「大」になったことについて、次のように仰っています。
 「今の常用漢字の字形は、犬を大に変えて臭としているが、臭は大きな鼻の意味となり、においという意味にはならない。ほかにも、常用漢字では器、突、類、戻としているが、伏、就は大に変えていない。常用漢字の字形には、このように字の構造や意味を理解できないように変えてしまっている場合がある。」
 

 シェークスピアといえば、爺が小学6年生の時に使用した国定教科書「小学国語読本 尋常科用巻十二」に『リヤ王』という題で、小学生向けにハッピーエンドに変更されて掲載されていました。少し長くなりますが、国定教科書復刻版から転写しておきましょう。爺がこの教科書を用いたのは1943(昭和18)年の事でありますから、表記は旧(歴史的)仮名遣い、漢字も旧字体です。
 


リヤ王
       (一)
    リヤ王は、三人の娘、娘のむこ、重臣などを面前に呼んで言渡す。
リヤ王「予も大分高齢になったによって、以来めんだうな政治の事は若い者たちに任せ、身輕になって老後を送りたいと思ふ。そこで、今日は、我が王国を三分して、三人の娘たちに與へることとする。(臣下に)地図を持て。
 さて、娘ども。そなたたちの中で、誰が一番此のわしを大事に思つてくれるか、それを、そなたたちの口から聞きたい。其の上で、一番孝行の心ある者に、最大の恩恵を與へるであらう。先づ、姉のゴナリルから申せ。
ゴナリル「父上、私は口で申すことの出来ます以上に、父上を尊敬も致し、おいとしくも思ひます。此の世にある何よりも、どんな尊い寶よりも、いや、私自身の命よりも、父上を大切と存じます。この世に生まれたどんな孝行の子にもまして、眞心を父上に捧げます。
リヤ王「うむ。(地圖を指して)では、此の線から此の線までを、そなたに與へる。茂った森林、豊かな平野、魚に富む川、廣い牧場のある此の領域の領主と、そなたをするのだ。さて、二番娘のリガンは。
リガン「私の心持は、姉上と全く同じでございます。姉上は、私の思ってゐる通りをおつしゃいました。たゞほんの少しおつしやり足らぬところが違ひますだけで、私は、あらゆる幸福、一切の楽しみを犠牲にしましても、父上お一人にお仕へ申すのを仕合はせと存じます。
リヤ王「では、これがそなたの領地ぢや。廣さにおいても、値うちにおいても、決して姉のに劣りはせぬぞ。さあ、いとしい末のコーデリヤは何とだ。
コーデリヤ「あゝ、何と申し上げたものか、口先だけでは実行の伴なはない事は、私には申し上げられない。父上、私にはなんにも申し上げることがございませぬ。
リヤ王「なんにも。
コーデリヤ「はい。
リヤ王「なんにもない所からは、なんにも生まれぬぞ。改めて申せ。
コーデリヤ「私は、此の心にあることを口に出して言へないのでございます。私は、あなたを父上として大切に致すつもりでございます。
リヤ王「コーデリヤ、言方をつくろはぬと、身のためにならぬぞ。
コーデリヤ「父上のお言附けをまもります。子としての勤もいたします。
リヤ王「あいきやうのない言葉ぢゃ。たつたそれだけか。
コーデリヤ「………
リヤ王「それは本心で言ふのか。
コーデリヤ「はい。眞實でございます。眞實よりほかに、私は何もございませぬ。
リヤ王「勝手にしろ。其の眞實だけを持参金にして、どこへでも嫁入るがよい。残りの三分の一は、改めて長女と次女とにわけ與へる。
重臣「あ、もうし、それはあんまりではございませぬか。
リヤ王「弓は引きしぼつてある。矢先を避けろ。
重臣「私は謹んで申し上げます。末姫様は、決して御不孝なお方ではございませぬ。若し私の此の判断があやまつてをりますなら、どうぞ私の首をお召くださいませ。
リヤ王「いや、くどい、くどい、もう言ふな。さて、かう領地を二分して二人の娘に與へるからには、予は今後百人だけの家来をつれ、月代りに姉娘・妹娘の許へ参って、餘生を送ることにする。
(フランス王に)大王、末娘とのかねての婚約、あなたはそれをお果しになるおつもりか。御覧の通り、一切持参金なしの乞食同然、如何やうになされようと、あなた次第でござるが――。
フランス王「私は持参金と婚約は致しませぬ。コーデリヤどのの尊い眞實を寶に、どこまでも妃と致します。
リヤ王「よいやうになされ。娘は勘当でござるぞ。
フランス王「承知いたしました。
       (二)
     リヤ王、家来たちと狩から帰る。ゴナリルの召使に、
リヤ王「少しも待てぬ。早速食事の支度をしろと言へ。いや、もうすつかり疲れた。食事だ、食事だ。
     ゴナリル、むづかしさうな顔をして出て来る。
 どうしたのだ、娘。なぜ額に八の字を作つてゐる。近頃は、むづかしい顔ばかり見せるなう。
ゴナリル「どうも、無作法千萬なお附きの家来たちが、しよつちゅうのゝしり合つて、私の宅はまるではたご屋同然でございます。それも、きっと父上に取りしまつて頂かうと存じますのに、どうやら父上がしり押しをなすっていらつしやるやうに思はれてなりませぬ。私がとりしまりをすることになりまして、自然父上のごきげんを損ねるやうなことになるかと存じます。
リヤ王「それで、お前さんはわしの娘か。
ゴナリル「もし、そんな皮肉はごめんかうむります。父上は御高齢でいらつしやるから、御賢明でなくてはなりませぬ。父上、さつきも申しました通り、毎朝毎晩、お附きの百人の大騒ぎ、これには私もほとほと閉口致します。今日限り五十人にへらすことに、御同意を願ひます。
リヤ王「おのれ、よくも申したな。予の馬に鞍を置け。家来ども、集まれ。道知らずの恩知らずめ。もう厄介にならぬわい。わしには、まだもう一人の娘がある。あゝ、あゝ、後悔先に立たず、飼い犬に手をかまれた方がまだましぢや。
ゴナリル「どうなりともお好きなやうになさいませ。
       (三)
     リガンの家の門前で、召使に、
リヤ王「なに、御病気でお目にかゝれぬと。病気なら、父が病床へお見舞い申すと言へ。
     リガン出て来る。
 おゝ、来た。さうあるべきぢや。娘よ、姉めはひどい女ぢやぞ。不孝者の爪で、わしの心をかきむしりをつた。
リガン「父上、あなたには、姉上の眞心がよくおわかりにならないのだと存じます。
リヤ王「なんと。
リガン「私には、姉上が少しでもお勤をお怠りにならうとは思はれませぬ。あなたのお附きの者の亂暴に對して、或はお小言が出たかもしれませぬが。
リヤ王「わしの家来を五十人にへらしをつた。
リガン「五十人で結構ぢやございませぬか。おとなしく、姉上の所へお歸りあそばせ。
リヤ王「いや歸らぬ。決して歸らぬ。今日から、そなたの所で世話にならう。
リガン「私の所では、五十人の半分の二十五人にして頂きたうございます。それに、姉上の所へいらつしやつてからやつと二週間、私の方には、まだお迎え申す準備がしてございませぬ。
リヤ王「これや、不孝者のうは手ぢや。おゝ、神々もご照覧あれ、年も積もり、悲しみも積つて、見るかげもなくなった此の老いの果を、おのれ、不孝者め、今に世界中がひつくり返らないでゐるものか。
     外は次第に暴風、雷雨。
 出て行かう。あらしだ。あらしよ、吹け。雨よ、瀧つ瀬と降れ。雷よ、天地をつんざけ。
       (四)
     リヤ王が姉たちにぎゃく待されてゐることを探知したコーデリヤは、フランス王に従い、老父王のために軍勢を率ゐて英国に渡つた。ひどいあらしの翌朝、発狂した老人が荒野にさまよつてゐるのをフランス兵が発見して陣所に伴なひ、侍醫が手を盡して介抱する。それがリヤ王であった。
侍醫「いかが致しませうか。もう大分長くお休みになってをります。
コーデリヤ「萬事おためによいやうに取りはからつておくれ。
     王に近寄って、寝顔を眺め、
 おゝ、おとう様。私の力、侍醫の力、ありとあらゆる薬物の力で、姉上たちからお受けになったお心の痛みが、すつかり取れますやうに。たとへ、あなたがおとう様でないにもせよ、此の白い髪やおひげを見ては、御気の毒だと思はねばならないはずだのに、まあ、此のお顔を荒狂ふあのあらしにおさらしになつたとは。あのはためく雷に、すさまじい雨に。
     リヤ王、目を開く。
リヤ王「墓場から、わしを連出すとはあんまりぢや。はて、あなたは、天人ぢやな。
コーデリヤ「私を御存じございませぬか。
リヤ王「かうつと、わしは、いままでどこにゐたのかな。こゝはどこぢや。や、日がさす。手をつねると痛い。
コーデリヤ「私を、ようく御覧下さいませ。
リヤ王「どうか、なぶつてくださるな。わしは、ばかな、たはけた老人でござる。はて、お前さんは、どうやら見覺えのある方のやうだが、はつきりせぬ。笑つて下さるな、どうもわしの末娘コーデリヤのやうに思へてならぬ。
コーデリヤ「其のコーデリヤでございます。コーデリヤでございます。
リヤ王「涙を流して泣いて下さるのか。おゝ涙ぢや。お前さんは、わしをうらんでゐるはずだが。
コーデリヤ「なんでうらむわけがございませう。なんでうらむわけがございませう。
リヤ王「わしはフランスへ来てゐるのか。
侍醫「いや、御本國にいらせられます。
リヤ王「えい、だますな。
コーデリヤ「まだお心の亂れがお直りになってゐない。
     と歎息する。
侍醫「其の點はお心強く思し召しあそばしませ。激しい御亂心は、もうをさまりました。御后様には、奥へいらつしやつて、しばらくお會ひならぬ方がよろしうございます。こゝ二三日で、きつと御本復になりますから。


 


 今朝も朝から蒸し暑く感じます。手元の温度計は気温29℃、湿度74%を示しています。
 のろのろ台風12号が福岡を直撃しそうです。福岡の甥の家族が心配です。
 ウェブニュースより
 台風12号、長崎市付近に上陸 ―― 九州の西の海上を北上していた台風12号は5日午前1時過ぎ、長崎市付近に上陸した。
 気象庁は、九州北部などで、高波や土砂災害、河川の増水などへの警戒が必要としている。
 台風12号は5日午前0時現在、中心気圧は996ヘクト・パスカル、中心付近の最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートルで、5日午前9時に佐賀県唐津市付近に達する見込み。

 4日は九州南部で大雨が降り、鹿児島県志布志市で1時間に66.5ミリ、宮崎県西米良村で63ミリの雨量を観測。6日午前0時までの24時間に予想される雨量は、近畿で180ミリ、九州北部、四国、東海で150ミリなど。  (2016年09月05日 01時41分 Copyright © The Yomiuri Shimbun)

 シドニー在住の姪Mihoちゃんより返信メールが届きました。曰く、
2016年9月5日21時23分着信 Re: 伯母さんからのメール
 浅草サンバカーニバルはどうでしたか?
 私が小さい時に暑い夏におばさんが連れて行ってくれたのをとても思い出します。
 綺麗なお姉さんたちがきらびやかな格好をして踊っているのがとても印象的でした。
 こちらは、少しずつですが暖かくなってきました。
 オーストラリアは、一応、春という暦はあるのですが、とても時期が短くてすぐ夏になってしまいます。日本の四季がとても綺麗だということをこちらに来ると改めて感じます。
 9月ははるなの誕生日で、こちらの親戚と一緒にバーべーキューパーティーをやります。
 色々と料理の用意が大変なのですが、少しずつ準備をしています。
 なかなか体が治るのは時間がかかりますね。マットもまだくしゃみをするだけで痛みを感じています。
 おばさんも早く完治してくれてるといいですね。リハビリを頑張ってください。
 おじさんも無理せず毎日をお過ごしください。 Miho


 


また、藤沢市在住のMY氏からも、返信メールが届きました。曰く、
2016年9月4日22時35分着信 RE: 日本におけるシェークスピア
 日高 様
 N君と違いシェイクスピアに始まり現在の新劇に至る日本の演劇の歴史など全く無知な私にとって大変わかりやすい解説を読ませていただき有難うございます。
 シェイクスピアの作品をあの時代にこれほどまで生涯をかけて翻訳し研究した坪内逍遥という人は凄い人だなと正直驚きます。また川上音二郎一座が「ハムレット」を欧米にて上演したとのことにも驚きます。
 戦後間もない時期に門中の講堂で前進座の「ベニスの商人」を観たときのことは今でも覚えています。
 西洋の劇を日本語にして日本人の役者が演じたことに先ず驚きました。何しろそれまでは生の芝居など一度も観たことがなかったのですから。今風に言えばカルチャーショックを受けたわけです。
 それにしても何故、突然お役人はこのような芝居を中学生に見せたのか真意がわかりません。GHQの占領政策の一環だったのかもしれないなと思ったりもしますが。
 何の考えもなく纏まりもない駄文となり失礼しました。
 今日は又一段と蒸し暑い一日でした。お身体にはくれぐれもお気を付けください。 Y


 


 昨日は、藤沢市在住のMY氏に、メールしてみました。曰く、
2016年8月24日14時38分発信 題:ご無沙汰しています。
 お変わりありませんか。
 私は相変わらず、おさんどんで明け暮れています。女房の方は少しずつですが、よくなっているようなのですが、当分はいまの生活が続くものと思われます。
 でも、おさんどんも少しは慣れてきたので、これからはブログの方も毎日でなくても、書けるようになるかもしれません。まあ、よろしくお願いします。
  K君もS君もいなくなり、こうしてメールの交換ができるのも、N君と貴君ぐらいになってしまいました。
 パソコンのメールも修復できたことだし、これからはせいぜい頑張ってときどきメールするつもりです。
 まずは、取り敢えず、パソコンメール修復のテストを兼ねて、ご機嫌伺まで。 日高 節夫
 


MY氏からの返信が届いていました。曰く、
8月24日23時24分受信 RE: ご無沙汰しています
 メール有難うございます。
 奥様のケアと併せて家事全般にわたって奮闘中とのこと、私などは想像するだけでも中々真似のできないことと感服しています。
 メールを頂いた後で久しぶりに貴ブログを拝見しました。野崎君にもこの半年くらいご無沙汰していますがブログに紹介されている彼のメールによればまずまず元気そうでなによりです。貴君はこの2~3年病気との戦いで大変だったと推察します。
 私はお蔭さまで身体の方は特別悪いところもなく(自分でそう思っているだけ)過ごしています。ここ数年休んでいたウオーキングを今春から再開しました。理由は肥満傾向が増してきたことです。食べ過ぎないように注意していますが体重はなかなか減りません。早朝5時半頃から約1時間散歩しています。隅田川があるわけでなし実に殺風景な我が家の近くを歩いています。足の方は特に痛みもないので助かっています。
 最近はご飯や麺類など炭水化物の摂り過ぎに注意しています。中途半端なことを書いてしまいました。
 今日はもう遅くなりましたので取り敢えずメールのお礼で失礼します。後日改めて近況報告をします。 MY

 西伊豆旅行に行っていて、返信できなかったという塾友のMitsuhiro氏からのメールが届いていました。曰く、
2016年8月25日2時24分 Re:テスト送信
 日高先生
 こんばんわ。先日はありがとうございました。MAILは間違いなく、受け取れております。Hitomeもたいしたものですね。
 では、また伺わせていただきます。 Mitsuhiro
 


 昨日は、買い物にLifeまで出掛けました。帰りに言問橋東詰めの交叉点で信号を待っていると、「先生!」と呼ばれて、振り向くとそこに塾生のChikaちゃんの顔がありました。昨年の暮れに姉のKanamiちゃんと我が家にお節料理を届けてもらった時に逢って以来の久しぶりの対面でした。取り敢えず、携帯にChikaちゃんの姿を納めました。

 ブログを見て、爺がおさんどんをしている事をおおよそ知っているらしく、「先生、ナスやキュウリなどの野菜召し上がりますか?」と訊ねます。
 「う~?」しばらく答えに詰まっていると、「知り合いの農家からもらった野菜があまっているので、これから先生と一緒に先生の家に伺いますので、食べて下さい。」
 「じゃ、家まで来て、女房とも会って行ってもらうか。」


 


 家に着くと、やはり塾友であるYS女史が婆様の見舞いに訪ねてくれていました。Chikaちゃんの塾の先輩でもあり、富士小学校の同窓でもあることから、2人を紹介すると、しばらく話がはずんでいるようでした。

 YS女史はすぐに帰宅しましたが、Chikaちゃんはそれから30分ほど婆さまも交えて話し込んでしまいました。
 Chikaちゃんが帰宅後、置いて行った袋の中には、キュウリ・ナス・トマト・いんげんと沢山の野菜が詰まっていました。

ウェブニュースより 

東京都心など関東の平野部でも積雪 ―― 急速に発達している低気圧の影響で、東日本や北日本を中心に湿った雪が降っていて、東京都心など関東の平野部でも雪が積もっているところがあります。気象庁は、積雪による交通への影響や路面の凍結などに十分注意するよう呼びかけています。


気象庁によりますと、本州の南岸にある低気圧が急速に発達しながら北東へ進んでいて、東日本や北日本では湿った雪が降っていて、東京23区など関東の平野部でも未明から雨が雪に変わり各地で積もっています。
 18日午前4時の積雪は、長野県松本市や埼玉県秩父市で12センチ、前橋市や埼玉県熊谷市で5センチ、東京の都心と横浜市で4センチとなっています。また、国土交通省が東京・八王子市に設置した積雪計では6センチとなっています。
 このあとも東日本や北日本を中心に雪が降り続き、太平洋側の平野部でも積雪が増える見込みで、18日夕方までに降る雪の量は、いずれも山沿いの多いところで、▽東北で60センチ、▽関東甲信で50センチ、▽北陸と東海で30センチ、▽北海道で25センチ、▽中国地方で20センチで、▽東京23区でも10センチと予想されています。

 また、18日は全国的に風が強まり、最大風速は、北日本から西日本の▽陸上で15メートルから20メートル、▽海上で20メートルから25メートル、▽最大瞬間風速は30メートルから35メートルに達する見込みです。
 全国的に波も高くなり、東北で8メートル、北海道と伊豆諸島で6メートルと、大しけが予想されています。
 低気圧は18日夜には三陸沖に達し、その後、日本付近は強い冬型の気圧配置が続くため、18日夜以降も広い範囲で風の強い状態が続くほか、北海道のほか、東北や北陸、西日本の日本海側を中心にさらに雪が強まり、広い範囲で大雪となるおそれがあります。18日の夕方から19日の夕方までに降る雪の量は、いずれも多いところで、▽北海道で120センチ、▽北陸で100センチ、▽東海で70センチ、▽東北で60センチ、▽近畿で50センチ▽中国地方で40センチなどと予想されています。
 気象庁は、積雪による交通への影響や路面の凍結、電線や樹木への着雪、それに強風や高波にも十分注意するよう呼びかけています。   (NHK Web News 118 424分)


 

 昨日、日曜日から大相撲秋場所が始まりました。初日の結びで白鵬が隠岐の海に敗れるという番狂わせがありました。


 ウェブニュースより


白鵬 まさかの黒星スタート ――「大相撲秋場所・初日」(13日、両国国技館)


 史上最多36度目の優勝を狙う白鵬が、小結隠岐の島に寄り切りで敗れ、波乱のスタートとなった。隠岐の島は13度目の対戦で初めて“大横綱”に勝った。/横綱鶴竜は小結栃ノ心を寄り切って、白星発進。大関陣は照ノ富士、稀勢の里、琴奨菊、豪栄道の4人がすべて勝った。/今場所は特に人気が高く、初日から「札止め」を記録。現在、前売り券は5、6日目に少し残っているだけで「満員御礼」が続きそうだ。  (ディリー スポーツ 2015913日)


 


 昨日のブログでPerseus(ペルセウス)のお話は終わりましたので、今日からは天馬ペーガソスに乗って怪獣キマイラを退治したことで知られる英雄Bellerophōn(ベレロポーン)のお話に移ります。


 


Bellerophōn(ベレロポーン)は本名ではなく、もとはHipponoosu(ヒッポノオス)といいました。ヒッポノオスはKorinthos(コリントス)王Glaukos(グラウコス)の子で、Sīsyphos(シーシュポス)の孫にあたるといいます。しかし本当の父親はPoseidō(ポセイドーン)だったとされます。
※ Sīsyphos(シーシュポス):ギリシア神話に登場する人物で徒労を意味する「シーシュポスの岩」で知られます。
 彼の家系は代代馬好きな家系で、特に彼の父親グラウコスは馬使いの名人として名を馳せていました。グラウコスは馬を強く育てようとするあまり、馬に人間の肉を食わせて育てたといいます。おかげで馬はたくましく成長しましたが、同時に信じられないほど気が荒くなってしまったのです。そしてついにはグラウコスを背から振り落とし、彼を引き裂いて食ってしまったということです。
 このような不幸な前例があるにもかかわらず、息子のヒッポノオスもまた馬に対して異常な熱情を抱くようになります。ポセイドーンは彼にPēgasos(ペーガソス)を与えますが、彼はその馬を乗りこなすことができませんでした。そこで、女神Athēnā(アテーナー)が彼に黄金の手綱を与えたので、ようやく彼は天馬ペーガソスを乗りこなせるようになったといいます。
 一説には、女神アテーナーがベレロポーンに黄金の轡を与え、これを使って、ペーガソスを捕まえたといいます。

 ヒッポノオスはあるとき誤って兄弟のBelleros(ベレロス)を殺してしまったことから、ベレロポーン(ベレロスを殺した者)と呼ばれるようになったといいます。ベレロポーンはその罪で彼はコリントスを追放されてしまい、Árgo(アルゴス)のTiryns(ティーリュンス)王Proitos(プロイトス)のもとに身を寄せ、王によって罪の清めを受けるのでした。
※ Tiryns(ティーリュンス)王Proitos(プロイトス):Akrisos(アクリシオス)と双子の兄弟。2人は生まれる前から母の胎内で争い、成長すると王位をめぐって戦ったといいます。
 このとき、プロイトスの妃Stheneboia(ステネボイア、Anteia〈アンテイア〉ともいいます)がベレロポーンを恋してしまったのです。ステネボイアはあれこれ手を使って彼を誘惑するのですが、ベレロポーンはこれを厳しくはねつけ、相手にしなかったことから妃の恨みを買うことになったのです。ステネボイアは可愛さ余って憎さ百倍、ベレロポーンを憎悪するようになり、夫のプロイトスに向かって、ベレロポンが自分を犯しそうになったと濡れ衣を着せ、讒言したのです。プロイトス王はベレロポーンを殺そうかとも思いましたが、当時の習慣として、一度客人として宴会を共にした友人を殺すことは大罪とされていましたので、直接ベレロポーンを殺すことは憚られたのです。そこで彼は、ベレロポーンを小アジアのLycia(リュキア)王のもとに送り、そこで彼を殺してもらおうと考えたのでした。
 プロイトスはベレロポーンに手紙を持たせてリュキア王Iobatēs(イオバテース)のもとに送ったのです(ちなみに、この逸話から「自分の窮地をもたらす状況を自分で作る事」を「ベレロポーンの手紙」と言う事があります)。

 早く結婚したほうがいいんじゃないか」などとセクハラ的な内容の野次を浴びた塩村議員は6月24日、名乗り出ない議員を刑事告訴する可能性を表明しましたが、都議会は鈴木議員以外の発言者を特定する決議を否決しました。事態をうやむやにしたままで幕引きを狙う都議会に批判が集まるなど、波紋を呼んでいますが、一連の騒動をきっかけとして、なぜか被害者である塩村議員に対する批判が強まっているといいます。

 塩村議員はかつてバラエティ番組『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)に一般人として1年間レギュラー出演し、その高飛車なキャラで番組を盛り上げていた過去を持つといわれますが、同番組内で行った「元交際相手に1500万円の慰謝料を支払わせた」などの発言が、今になってクローズアップされ批判を浴びているのだそうです。さらに、「茶のしずく石けん」でアレルギーによる健康被害問題が起こった際に「被害者に問題がある気がするわ」とツイートしたり、タレントの加藤茶や仲本工事が年下女性と結婚したことについて「どちらもキモい。(中略)世のオヤジとうかうか飲みにも行けないよ」とセクハラ的な内容のツイートをしていたことも発覚し、6月28日には塩村議員が謝罪に追い込まれる事態となったといいます。
 このほかにも、最近発売された「週刊新潮」(新潮社/710日号」や「週刊文春」(文言春秋社/7月10日号)にも塩村文夏議員の選挙違反の買収罪を犯していたなど数々の疑惑が報道されているといいます。
  まあ、こんなことがあったからといって、セクハラ野次を擁護することはありませんが、まあなんと、国会にしろ地方議会にしろ議員さんの品格が疑われますなあ。情けなや日本の民主主義も衆愚政治に陥った観がございます。

 今朝のウェブニュースより、  

国会でも4月にセクハラやじ ――  4月の衆院総務委員会で、総務相らに質問していた日本維新の会の上西小百合衆院議員(31)=比例近畿=に「早く結婚して子どもを産まないと駄目だぞ」と男性議員がセクハラやじを飛ばしていたことが3日、上西議員らへの取材で分かった。/国内外の批判を浴びた東京都議会のセクハラに次いで国会でも発覚し、飛び火した形だ。上西氏側は発言者として自民議員の名を挙げたが、この議員は共同通信の取材に「記憶にない」と否定した。/上西氏や議事録によると、4月17日に衆院の分館で開かれた総務委員会で人口減少への対策などを質問中だった。 (ロイター 2014 07 4 00:19 JST

 

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140704/k10015734561000.html

 今朝の徘徊は、桜橋を渡り、何時もどおり向島のテラスを南下し、藤棚の所まで来たとき急に気が変わり、遊歩道に上ると、墨堤通りを渡ると、牛島神社から水戸下屋敷の庭園を横切って、源森橋に出ました。ここを渡ると東進して小梅橋を渡り、東武橋に出ました。横十間川に新設されたテラス状の道を京成橋まで行きます。橋を渡ると北上して、桜橋通りを西進して帰宅しました。

 2・3日前、kanami女史から電話で、藤棚の場所の問い合わせがあった時、桜橋通りに黄色の藤があることを話したことを思い出しその黄色の藤を見るべく、コースを変えた訳です。

 久しぶりに通るコースなので東武橋の真下からスカイツリーを撮ってみました。桜橋通りにある本所高校前にある森鴎外住居跡の説明板が新設されていました。水戸街道を過ぎて、見番通り手前にある「酒肴・三太郎」とあるお店の前に黄色の藤が植えてあります。以前は見事な花をつけていたのですが、今年は殆ど花を付けていない状態でした。

 

 携帯で、kanami女史に報告しておきました。曰く、「黄色の藤 今日はスカイツリー周辺を徘徊してきました。先日話しました黄色の富士の前を通りましたが、今年はほとんど花を付けていませんでした。/場所は桜橋から見番通りを過ぎたところです。「酒肴・三太郎」とあるお店のまえです。以上お知らせまで 日高」

 

 朝の徘徊から帰宅してパソコンを立てると、昨日来訪して下さったTS氏からメールが入っていました。

4月2722:27着信 RE  日高様、こちらこそ、半世紀ぶりにお目にかかり、ご夫婦のお心遣いで大変に楽しい一時を過ごさせて頂き有難うございました。/お礼のメールをと思いPCを立ち上げたところ、早々に写真をお送り頂き恐縮です。/それにしましても50年ぶりにお会いできたとは感激そのものです。/美しくなった隅田川と浅草の街をご案内頂き又、昼食をご馳走になり感謝致します。/又、お目にかかれる事を楽しみにしております。有難うございました。S /追)ブログを読ませて頂きました。

 

 金曜日に送った「八十路の水門」4 が届いたらしく、お礼のメールが入りました。曰く、

 4月2717:31 着信 日高さま 楽しく目をとおしました。大きなOPにも耐えられているnewsは、他人事ではないです。/明日は我が身かと。かりかりしないで、静かに過ごしましょうかね。/この5月の硯友会は野暮用で不参加です。恒例の兄上殿との再会が出来ないのが残念です。/カメラの被写体がめっかったので、おくります。最高齢者を掌に載せてくれるお嬢様達に囲まれております。14日の初打ち日のものです。

諸兄に宜しく。 MN

 

4月2723:03着信 日高様 本日夕刻、八十路の「水門」4を拝受しました。ありがとうございました。/毎度のことですが編集ご苦労様です。感謝しています。/小生は今回寄稿できませんでしたが諸兄らの文を楽しく読ませてもらいました。/何はともあれこれで今年の花見会にかかわる諸事に区切りがついたということで万々歳です。本当に有難うございました。/このところ快晴で初夏のような気持ちの良い天気が続いていますが朝晩はまだ少しひんやりします。小生、朝方はいつも鼻水が出てぐずぐずしています。/そちらもお体には気を付けてください。/先ずは冊子のお礼まで。 MY

 4月287:18 着信 八十路の水門4拝受 日高節夫様 今朝6時にゴミ出しに行った帰りに、一階の集合ポストに掲題誌を発見。/立派に仕上がった「八十路の水門」第4号をいただきました。/なにかとお手数をおかけした4号は日曜日に届くだろうと連絡をいただいていたので、昨日、夜、7時台に確認した時にはポストは空でした。その後に配達された模様。/なにはともあれ、早々と刊行のご尽力ありがとうございました。過分のお褒めの決算報告までお添えくださって恐縮しました。あれは、君がひとりで成し遂げたことで、わたしはほんのちょっとお手伝いをしたにすぎません。/当家は、家内が原因不明の腰痛になやまされていて、毎日、湿布のお手伝いをさせられています。/博多の98歳の義母(家内の母)は、依然生かされている植物人間です。/関東にいる長男、長女はおっとり刀の心境で毎日を過ごしています。/ゴールデンウイークだけには、葬式が重ならないようにというのが正直な願いです。/きのうは、遠来の兼愛塾の先生がいらしたのですね。楽しい語らいができましたか? IN

 4月28日 1016 着信 会報有難うございました 日高さん 「八十路の水門」頂きました。/手早い「仕事振り」に驚嘆します。/大変お手数でした。/編集のINさんのご尽力にも大感謝です。/今からゆっくり読ませて頂きます。/取り敢えずお礼まで。 BY

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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