瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

黄楊(つげ)を詠んだ歌2
194211:古にありけるわざのくすばしき事と言ひ継ぐ.......(長歌)
標題:追同處女墓謌一首并短謌
標訓:追ひて處女(をとめ)の墓(つか)の謌に同(こた)へる一首并せて短謌
原文:古尓 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言継 知努乎登古 宇奈比牡子乃 宇都勢美能 名乎競争等 玉剋 壽毛須底弖 相争尓 嬬問為家留 感嬬等之 聞者悲左 春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有 惜 身之壮尚 大夫之 語勞美 父母尓 啓別而 離家 海邊尓出立 朝暮尓 満来潮之 八隔浪尓 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之尓家礼 奥墓乎 此間定而 後代之 聞継人毛 伊也遠尓 思努比尓勢餘等 黄楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有  (感は女+感の当字)
        万葉集 巻194211
     作者:大伴家持
よみ:古(いにしへ)に ありける業(わざ)の 竒(くす)ばしき 事と言ひ継ぐ 智渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の 現世(うつせみ)の 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 嬬問(つまと)ひしける 処女(をとめ)らし 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて 秋し葉し にほひに照れる 惜しき 身し盛りすら 大夫(ますらを)し 語()いたはしみ 父母に 申し別れて 家(いえ)(さか)り 海辺に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮し 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜し 過ぎましにけれ 奥墓(おくつき)を ここと定めて 後し代し 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか刺しけらし 生()ひて靡けり
 
意訳:昔にあった出来事で、不思議なことと語り継がれて来た、智渟壮士と菟原壮士との世間の評判を競うとして、寿命を刻む、その命をも捨てて争うのに、二人が妻問いした乙女の話を聞けば悲しい事です。春の花が咲き誇り、秋には葉が黄葉して輝く、そのように輝く、惜しい身の盛りすら、立派な大夫たちの言葉を悲しんで、父母にこの世の暇を乞い、家を離れて海辺に出で立ち、朝夕に満ち来る潮の、たくさんの打ち寄せる波に靡く美しい藻の、その短い節のようなわずかのこの世の間も、惜しい命を、はかない露霜のように、乙女はこの世を過ぎ去ってしまったけれど、墓をここと定めて、後年に物語を聞き継ぐ人も、一層遠く、偲ぶよすがにしなさいと、黄楊の小さい櫛をこのように墓に捧げて手向けたらしい。それが育ってこのように葉を風に靡かせている。


194212: 娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも
原文:乎等女等之 後能表跡 黄楊小櫛 生更生而 靡家良思母
           万葉集 巻194212
        作者:大伴家持
よみ:娘女(をとめ)らし後の標(しるし)と黄楊(つげ)小櫛(をぐし)()ひ更(さら)()ひて靡きけらしも
意訳:乙女の、その後のよすがの標と黄楊の小さな櫛が、生まれ変わりと茂って葉を茂らせ靡いているのでしょう。
左注:右、五月六日、依興大伴宿祢家持作之
注訓:右は、五月六日に、興に依りて大伴宿祢家持の之を作れり。
◎菟原処女の伝説(うないおとめ の でんせつ)とは、奈良時代より日本の摂津国菟原郡菟原(現在の兵庫県芦屋市および神戸市東灘区付近)での古の出来事として伝えられてきた、一人のおとめ(年若い女性)を巡る悲しい妻争いの伝説です。妻争い伝説(つまあらそい - )ともいいます。
 2人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男達も後を追って死んでしまったというものです。
あらすじ兵庫県神戸市の東部地域から芦屋市域にかけて、当時の難波の先の湾の湿地帯に茂る葦(あし)を材として屋根を葺いた家々のあったことに由来する「葦屋(あしのや)」の地名で呼ばれていた頃の話です。
 菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者から思いを寄せられていた。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と、和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な男性が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと激しく争うようになりました。娘はこれを嘆き悲しみ、「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか、黄泉で待ちます」と母に語ると自ら命を絶ってしまいました。茅渟壮士はその夜、彼女を夢に見て彼女が愛していたのは自分だと知り、後を追います。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって後を追ったのです。その後、親族たちは集まって、このことを長く語り継ごうと、娘の墓を中央に男の墓を両側に作ったといいます。


 

ウェブニュースより
 大相撲初場所11日目 大栄翔が2敗目 大関 正代と並ぶ ―― 大相撲初場所は11日目、20日から終盤戦に入り大栄翔は阿武咲との平幕どうしの一番に敗れ2敗目を喫しました。一方、大関 正代は隠岐の海との取り直しの一番を制して2敗を守り大栄翔に並びました。
 中入り後の勝敗です。
▽天空海に佐田の海は天空海が寄り切りで勝ちました。
 
▽明瀬山に琴恵光は琴恵光が寄り切り。
 
▽豊山に碧山は豊山が押し出し。
 
▽志摩ノ海に琴ノ若は琴ノ若が上手出し投げ。
 
▽逸ノ城に妙義龍は妙義龍が寄り切り。
 
▽豊昇龍に霧馬山は豊昇龍が突き落とし。
 
▽徳勝龍に翠富士は翠富士が肩透かし。
 
▽竜電に照強は照強が足取り。
 
▽琴勝峰に翔猿は翔猿が押し倒し。
 
▽宝富士に明生は明生が押し出しで勝って再入幕の秋場所から3場所連続の勝ち越しを決めました。
 
▽阿武咲に大栄翔は阿武咲が突き落としで勝ちました。大栄翔は2敗目を喫しました。
 
▽北勝富士に輝は北勝富士が押し出し。
 
▽栃ノ心に小結 御嶽海は御嶽海が押し出し。栃ノ心は負け越しです。
 
▽小結 高安に遠藤は高安がはたき込み。
 
▽関脇 照ノ富士に玉鷲は照ノ富士が押し出し。
 
▽大関 朝乃山に関脇 隆の勝は朝乃山がはたき込みで勝って勝ち越しを決め角番脱出です。
 
▽隠岐の海に大関 正代は、取り直しの一番も物言いがつく際どい相撲でしたが、隠岐の海に勇み足があり、行司軍配差し違えで正代が勝ちました。
 
 初場所は、11日目を終えて正代と大栄翔が2敗でトップに並び、朝乃山と明生が3敗で追う展開です。

11日目 各力士の談話
 明瀬山は6連勝のあと5連敗となり、まず報道陣の「どうしましたか」という質問に対し「こっちが聞きたいです」と答えました。
 そのうえで「疲れてますね。どこか痛めてはないです。あと4日、千秋楽まで相撲を取る。本当、しっかりやりたいですね」と切り替えていました。
 豊昇龍は6連勝に「一番一番大事に相撲取っている。次の相撲も頑張りたい。この調子で最後までいきたい」と話していました。
 明生は勝ち越しを決め「集中してやってたのでよかった。1つでも多く勝って、来場所上位で相撲を取れるように、番付の上にいけるようにしたい」と淡々と話したうえで、12日目の大栄翔との一番に向けては「集中してやれることをやりたい」と見据えていました。
 阿武咲は単独トップの大栄翔を破り「立ち合い起こされたが、落ち着いて次につなげることができた。負けたくないという気持ちでいった。一番一番大事なのでしっかり勝ちにこだわりたい。あすからも集中してやるだけだ」と力強く話していました。
 敗れた大栄翔は「立ち合いはよかったが、しっかり見ていかないとダメだった。緊張はないです。立ち合いはいいのでしっかり土俵際を修正していきたいです。一日一番です」と切り替えていました。
 照ノ富士は7勝目を挙げ「落ち着いていくしかないので下から下からと思っていきました。体の動きは全然ダメだが、あした頑張ります。一日一番、精いっぱいやるだけなので」とことば少なでした。
 朝乃山は勝ち越しを決め「上体が高く足の運びも悪かったが、突き落としも対応できた。踏ん張れたことが次の攻めにつながって前に攻めることができた。角番を脱出しても終わったわけではないので、ここから気を引き締めて自分の相撲を取りたい。最後まで相撲を取るのが大関の責任だ」と冷静に話しました。
 12日目の照ノ富士との対戦に向けては「自分よりひとまわり大きいので先に先に攻めていきたい。自分の相撲を取りきれば結果はついてくる」と話していました。
 正代は取り直しの一番も物言いがつき、さらに行司軍配差し違え、相手の勇み足で辛くも白星をあげ「僕は足のことは全然わからなかったので、どこで物言いがついたのかもわかっていなかった。内容はそんなによくなかったが、この一番を拾えたことは今後大きくなると思う。流れは来てるんじゃないか。あとは土俵際、最後の詰めで落ち着いて対応できるようにしたい」と話していました。    (NHK WEB NEWS 2021120 2337分)


 

太藺草(おおいぐさ)を詠んだ歌
 カヤツリグサ科の太藺(ふとい)のことです。夏に池や沼に群生する水草です。茎が太い藺草(いぐさ)という意味だそうです。茎の先端に小さな穂がつきます。
 万葉集には東歌の1首だけに登場します。
 
14-3417: 上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ
  


ウェブニュースより
 トランプ氏、活動本格再開 感染リスク否定、「気分いい」―米大統領選 ―― 【ワシントン時事】トランプ米大統領は10日、ホワイトハウスに数百人の支持者を集め「法と秩序」について演説した。新型コロナウイルスの治療を受けて退院後、初のイベント。検査で陰性に戻ったかを明らかにしないまま、来月3日の大統領選に向け本格始動した。
 
 トランプ氏の専属医は演説後、声明を出し、10日朝の検査の結果、「大統領が他人への感染リスク要因になることはもうない」と説明した。しかし、陽性か陰性かは言及しなかった。トランプ氏は11日、FOXニュースのインタビューで「(新型コロナの)免疫があるようだ」と述べた。
 トランプ氏は南庭に面したバルコニーに現れると、「とても気分がいい」と20分弱演説。登場した際はマスクを着けていたが、すぐに外した。
 米メディアによると、招かれたのは共和党支持の黒人やヒスパニック系のグループ。演説では、過激な人種差別抗議デモを批判し、「左翼による警察に対する『戦争』で最も傷ついているのはアフリカ系だ」と訴えた。新型コロナが米国を襲う前は「黒人やヒスパニックの若者の失業率が史上最低だった」とも強調した。
 聴衆は互いに密集し、マスクをしない人の姿も見られた。トランプ氏が9月下旬にホワイトハウスで開いた行事は、感染爆発を招いたとの指摘もあり、再度の集会開催に専門家からは不適切という批判が相次いでいる。
     
JIJI.COM 202010120035分)

(あずさ)を詠んだ歌8
巻9-1738: しなが鳥安房に継ぎたる梓弓周淮の珠名は.......(長歌)
題詞:詠上総末珠名娘子一首[并短歌]
題訓:上総(かみつふさ)の珠名(たまな)の娘子(をとめ)を詠める一首幷短歌原文:水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道<>人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 <> 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人<皆乃> 如是迷有者 容艶 縁而曽妹者 多波礼弖有家留
                                                萬葉集 巻9-1738
           作者:高橋虫麻呂
よみ:しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は 胸別けの 広き我妹 腰細の すがる娘子の その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば 玉桙の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく惑へれば たちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける
 
意味:安房の国から地続きの周淮郡(すゑのこほり)の珠名という女は胸が開いた腰細のじがばちのようなすっきりした女。顔立ちは端正で、花のように微笑んで立っている。道ゆく旅人は自分の進むべき道を行かないで、呼ばれもしないのに彼女の門前に至る。まして、隣の邸宅の主人は妻と別れ、女が乞いもしないのに家や蔵の鍵を渡そうとする。こんな風で男は皆彼女に惑い、彼女はしなやかに男にしなだれかかるのである。
左注 :右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出
注訓:右の件の歌は、高橋連蟲麻呂の歌集の中に出でたり。
 


ウェブニュースより
 渡哲也さん死去、78歳=日活アクション、「西部警察」 ―― 「西部警察」など数々のテレビドラマや映画で活躍した俳優の渡哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日午後6時30分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。兵庫県出身。俳優の故渡瀬恒彦さんは弟。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻俊子(としこ)さん。お別れの会なども本人の希望により行わないという。
 
 大学在学中の1964年に浅丘ルリ子さんの相手役に応募したのをきっかけに日活入り。映画「あばれ騎士道」でデビュー、「東京流れ者」「紅の流れ星」に主演するなど、石原裕次郎さんや小林旭さんに続くアクション俳優に。主演した「無頼」シリーズがヒットし、スターの座を築いた。
 71年、裕次郎さんを慕って石原プロモーションに入社。75年に主演した映画「仁義の墓場」は代表作の一つとなった。76年に6年に始まった刑事ドラマ「大都会」や79年からの「西部警察」シリーズに「石原軍団」のメンバーらと出演して人気を集めた。「浮浪雲」などの話題作にも出演した。
 歌手として歌った「くちなしの花」は74年に大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出場した。   (時事通信社 2020814 20:42)


 

山吹を詠んだ歌4
173976: 咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの山吹を見せつつもとな
標題:昨暮来使、幸也以垂晩春遊覧之詩、今朝累信、辱也以貺相招望野之歌。一看玉藻、稍寫欝結、二吟秀句、已蠲愁緒。非此眺翫、孰能暢心乎。但惟下僕、稟性難彫、闇神靡瑩。握翰腐毫、對研忘渇。終日目流、綴之不能。所謂文章天骨、習之不得也。豈堪探字勒韻、叶和雅篇哉。抑聞鄙里少兒、古人言無不酬。聊裁拙詠、敬擬解咲焉
(如今、賦言勒韵、同斯雅作之篇。豈殊将石間瓊、唱聾遊之曲欤。抑小兒譬濫謡。敬寫葉端、式擬乱曰)
七言一首
杪春餘日媚景麗 初巳和風拂自軽
来燕銜泥賀宇入 帰鴻引蘆迥赴瀛
聞君肅侶新流曲 禊飲催爵泛河清
雖欲追尋良此宴 還知染懊脚跉䟓
標訓:昨暮(さくぼ)の来使は、幸(さきは)ひに晩春遊覧の詩を垂れ、今朝の累信(るいしん)は、辱(たかじけな)くも相招(さうせう)望野(ぼうや)の歌を貺(たま)ふ。一たび玉藻を看()て、稍(やくや)く欝結(うつけつ)を寫(のぞ)き、二たび秀句を吟(うた)ひて、已(すで)に愁緒(しうしよ)を蠲(のぞ)く。此の眺翫(てつぐわん)あらづは、孰(たれ)か能く心を暢()べむ。ただ、惟(これ)、下僕(やつかれ)、稟性(ひんせい)()り難く、闇神(あんしん)(みが)くこと靡()し。翰(ふで)を握()りて毫(がう)を腐(くた)し、研(すずり)に對(むか)ひて渇くことを忘る。終日(ひねもす)に目流(もくる)して、綴(つづ)れども能(あた)はず。所謂(いはゆる)文章は天骨にして、習ひて之を得ず。豈(あに)、字を探り韻を勒(ろく)すを堪()へ、雅篇に叶和(けふわ)するや。抑(そもそも)鄙里(ひり)の少兒(せうに)に聞くに、古人は言(こと)に酬(こた)へぬこと無しといへり。聊(いささ)かに拙詠を裁(つく)り、敬みて解咲(かいせう)に擬(なぞ)ふ。
 (如今(いまし)、言を賦し韵を勒(ろく)し、斯()の雅作の篇に同ず。豈、石を将()ちて瓊(たま)に間(まじ)へ、聾に唱(とな)へこの曲に遊ぶに殊ならめや。抑(よそもそも)小兒の濫(みだり)に謡(うた)ふが譬(ごと)し。敬みて葉端に寫し、式()ちて乱に擬(なぞ)へて曰はく)
杪春(びょうしゅん)の餘日媚景(びけい)は麗(うるは)しく
初巳(しょし)の和風は拂ひて自(おのづか)らに軽し
来燕(らいえん)は泥(ひぢ)を銜(ふふ)みてを宇(いへ)を賀()きて入り
帰鴻(きこう)は蘆(あし)を引きて迥(はる)かに瀛(おき)に赴く聞く君が侶(とも)に肅(しゅく)して流曲を新たにし
禊飲(けいいん)に爵(さかづき)を催(うなが)して河清に泛(うか)び追ひて良く此の宴(うたげ)を尋ねむとすれども
還りて知る懊(やまひ)に染みて脚の跉䟓(れいてい)なることを
標訳:昨日夕刻の使者はうれしくも晩春遊覧の詩を届けてくれ、今朝の重ねてのお便りは、有り難くも野遊びへの誘いの歌を下さいました。最初の御文を見て多少憂うつな心の晴れるのを感じ、再び秀れた歌を吟じてすでに愁いの気分が除かれました。この風光を眺め楽しむ以外に、なにがよく心をのびやかにするものがありましょう。ただ、私は生まれつき文章を起こす素質がなく、愚鈍な心は磨くところがありません。筆を取っても筆先を腐らせるだけですし、硯に向かっても水が乾くのもわからないほどに考えるばかりです。一日中眺めていても文を綴ることができません。いわゆる文章というものは天性のもので、習って得られるものではありません。どうして、言葉を探し韻を踏んで詩を起こし、あなたの風雅な詩にうまく応じられましょうか。しかし、そもそも村里の子供に聞いても、昔の人は贈られた文章には答えないことはないと云います。そこで拙い詩を作り、謹んでお笑い草といたします。
(今、詩を起こし韻を踏み、貴方の風雅な御作に答えます。どうして、それが石をもって玉の中に雑じえ、声を上げて詠って自分の歌を喜ぶことと他なりましょうか。そもそも子供がやたらに歌うようなものです。謹んで紙の端に書き、それを乱れの真似ごととし、云うには)
暮春の残影の明媚な景色はうららかに、
上巳のなごやかな風は吹き来て自ずから軽やかである
飛来した燕は泥を口に含んで家に入り祝福し、
北へ帰る雁は蘆を持って遠く沖へ赴く
聞くに貴方は友と共に詩歌を吟じ曲水の歌を新たにし、
上巳の禊飲に盃を勧め清き流れに浮かべ
出かけて行ってこの佳き宴を尋ねようと思うが、
還って知る。病に染まり足がよろめくのを
 
左注:三月五日大伴宿祢家持臥病作之
注訓:三月五日、大伴宿祢家持、病に臥して之を作れり


 

巻6-0949:梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びしことを宮もとどろに
 万葉集巻6-0948の長歌の反歌です。
 
反謌一首
巻6-949 梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓
よみ:梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ佐保(さほ)の内(うち)に遊びしことを宮もとどろに
意味:梅や柳の美しい季節が過ぎるのが惜しい、佐保の野で風景を楽しむことだったのに、宮中もとどろくように雷鳴がなるような事件になった
 
 右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。
注訓:右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸(もろもろ)の臣子等の春日野(かすがの)に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作(な)す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳(つばび)らかならず。
意味:この歌は、神亀四年正月、多くの皇族や臣下の子弟たちが春日野に集まって打毬(まりうち)の遊びを行なった。その日にわかに空が曇って雨が降り、雷が鳴った。このとき宮中に侍従や侍衛がいなかった。そこで勅命して処罰を行ない、みな授刀寮に閉じ込め、みだりに外出することを許さなかった。そこで心が晴れずこの歌を作った。作者未詳。



ウェブニュースより
 相撲協会 角界コロナ禍でも5月場所開催「諦めない」 新番付は27日発表 ――日本相撲協会は27日、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、2週間延期にした夏場所(5月24日初日、両国国技館)の新番付を発表する。これまで高田川親方(元関脇・安芸乃島)と弟子の十両・白鷹山のほか幕下以下の力士5人が陽性反応を示して入院中であることが公表されているが、26日に報道陣の電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱・大乃国)は「今日は何の連絡もないので、全く分からない」と状況を説明した。
 
 夏場所の開催可否については5月上旬に検討する方針。状況は悪化しているが、同部長は「何回も言っている通り、諦めずに5月場所開催は視野に入れていきたい。専門家と話しながら決めていきたい」と意欲をのぞかせた。   [Sponichi Annex 2020427 05:30 ]





ウェブニュースより
 
岡江さん発熱3日で急変「医療スピード感必要」識者 ―― 女優岡江久美子さん(63)が新型コロナウイルスによる肺炎のため、都内の病院で亡くなったことが23日、分かった。
 
 
所属事務所によるとこの日午前520分、都内の病院で死去したという。
 
関係者によると、今月3日発熱し、医者からは4~5日様子をみるように言われていたが、6日に容体が急変したという。そのため、都内の病院に救急搬送されて入院した、すぐにICUで治療を受け、人工呼吸器を装着。PCR検査を受け、新型コロナウイルスの感染が確認された。
 
昨年末に初期の乳がんの手術を受け、1月末から2月半ばまで放射線治療を受けたという。関係者は、免疫力が低下していたのが重症化した原因ではないかと推測した。
  ◇  ◇  ◇
 
医師・医療ジャーナリストの森田豊氏 岡江さんは、乳がんの手術後、放射線治療を受けていたようですが、早期の乳がんであったことから、がんの再発リスクを少なくするための治療だったと考えられます。
 
早期の乳がんを克服したといえる状況だったのに、発熱からわずか3日で容体を急変させてしまうところが、新型コロナウイルスの「怖さ」なのです。先月、国立国際医療研究センターの大曲貴夫先生が記者会見でこう話されました。「この病気は悪くなるときのスピードがものすごく早い。1日以内で、数時間でそれまで話せていたのにどんどん酸素が足りなくなって、(中略)ものすごく怖い」。医師が「怖い」と語ったのはとても印象的でした。
 
重症化を早期に発見し命を救うには、武漢に急造した「大勢の感染者のための医療施設」などを迅速に作り、常駐させる医師の判断で、高度医療機関に患者を搬送させる「スピード感」こそが必要だと思います。
                [日刊スポーツ202042450]

 
岡江久美子さん、夫・大和田獏との連絡は入院した6日のLINEが最後 事務所関係者が明かす ―― 女優でタレントの岡江久美子さん(享年63)が、新型コロナウイルスによる肺炎のため、23日午前5時20分頃に亡くなったことを受けてこの日午後、都内で岡江さんが所属する事務所の関係者が取材に応じた。
 事務所関係者が岡江さんと会ったのは、先月下旬が最後。岡江さんは新型コロナに対し「気を付けないとね」と話し、手洗いうがいを徹底していたという。4月3日に発熱し、6日朝に容体が急変。都内の大学病院に緊急入院した。同日中に夫で俳優の大和田獏(69)とLINEでやり取りをしたのが最後で、それ以降獏は担当医から岡江さんの病状などを聞くことしかできず、最後まで愛妻の顔を見ることはかなわなかった。この日病院から大和田に岡江さんが亡くなったと連絡が入り、大和田が岡江さんの所属事務所に報告したという。
 
 岡江さんが最後に仕事をしたのは先月。感染経路は分かっていないという。同居していた獏と、娘で女優の大和田美帆(36)は濃厚接触者ではないという。家族と岡江さんとの別れについて「荼毘(だび)に付され、自宅に戻ってくるのを待つと聞いております」と事務所関係者。通夜、葬儀・告別式は未定で、新型コロナが落ち着いてから後日お別れの会を実施するという。   (スポーツ報知 2020423 21:07


 

()の花を詠んだ歌2
 
ウツギの学名は、アジサイ科ウツギ属であり、落葉低木の植物です。樹の高さは大体2~4m。よく分枝する為、横にも広く育っていきます。名前の由来は、幹が中空であることから「空木(ウツギ)」と名付けられました。その為、科や属が違う別の種類でも幹が中空なら「空木」と呼ばれることがあるそうです。 昔から、畑の生け垣や観賞用、木釘などに利用され、庶民に愛され続けられてきた植物です。空木は別名「卯の花」とも呼ばれています。その由来は、ウツギの一文字目「ウ」の字を取り、干支の「卯(う)」を当てはめられた「卯(つぎ)の花」と名付けられたそうです。この名称から、卯の花の開花する時期を「卯月」と呼ばれるようになり、開花する旧暦4月の事を卯月と呼ぶようになったそうです。
 
10-1942: 霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女
 
10-1945: 朝霧の八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越え来ぬ
 
10-1953: 五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも
 
10-1957: 卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出で山に入り来鳴き響もす
 
10-1963: かくばかり雨の降らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ
 
10-1975: 時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しくあるべみ
 
10-1976: 卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや
 
10-1988: 鴬の通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ
 


ウェブニュースより
 
<新型コロナ>みんなで打ち勝とう ツリー特別ライトアップ ―― 世界が一丸となって新型コロナウイルス感染症に打ち勝とう-。東京スカイツリー(墨田区)は、そんな思いを込めた特別ライティングを実施している。
 
特別ライティングでは、地球をイメージした濃い青色が先端や中腹を彩る。地上350メートルの天望デッキには「TOGETHER WE CAN ALL WIN!(みんなで打ち勝とう)」のメッセージを投影している。
 
 
4月5日まで午後7時~午前0時に点灯する。悪天候の場合はメッセージの投影を中止する。    (東京新聞 2020329日)


 

ウェブニュースより
 
関根潤三さん 93歳大往生 ノムさんに続き… ―― 大洋(現DeNA)、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が9日午前945分、老衰のため都内の病院で死去した。93歳だった。法大から1950年(昭25)に近鉄に入団。投手として通算65勝、打者としても通算1137安打、59本塁打を放った。引退後は広島、巨人、大洋、ヤクルトと指導者を歴任。数々の選手を育てた。解説者としても穏やかな語り口で広く愛され、03年に野球殿堂入りしていた。葬儀・告別式は家族葬で行われ、日程は未定。喪主は長男優一(ゆういち)さん。
 
 
昭和の野球史に名を刻んだ関根氏が、静かに天寿をまっとうした。93歳の大往生。投手、打者として、そして指導者、解説者として野球ファンに愛され続けた。
 
投手としてプロ野球の道を歩んだ。日大三中(現日大三高)から法大に進み、左腕エースとして東京6大学リーグ通算41勝を挙げ、50年に近鉄入団。53年から3年連続2桁勝利を挙げた。しかし57年、突然打者転向を宣言。日大三中時代からの捕手、故根本陸夫氏(元ダイエー球団社長)には「右打者ひざ元の速球を打たれたら終わり」と話したという。打者としても活躍し、オールスターに5度出場した。投手と野手の両部門でファン投票により初選出された「元祖・二刀流」。15年に日本ハム大谷が選出されるまで、ただ1人の先人だった。
 
65年に巨人で現役引退。選手の長所を伸ばす能力にたけ、広島のコーチ時代には、山本、衣笠らを指導した。大洋の監督を経て、87年からはヤクルト監督に就任。広沢、池山ら若手を見いだし、中心選手へと育て上げた。野村監督が率いる黄金時代の礎を築いた3年間だった。
 
ラジオ、テレビの解説者としては「よろしく、どうぞ」のあいさつとともに、柔和な語り口と、鋭い指摘でお茶の間に親しまれた。03年に野球殿堂入りした際には「選手、監督・コーチ、解説の3つが重なって殿堂に入れていただいた。周りの人に恵まれました」と話していた。ヤクルト元監督では、2月の野村氏に続く訃報。2人とも、優勝の報告を待ち望んでいるに違いない。
 
◆関根潤三(せきね・じゅんぞう)1927年(昭2315日、東京都生まれ。日大三中(現日大三高)から法大に進み、投手として東京6大学リーグ通算41勝。4910月には、来日した米3Aサンフランシスコ・シールズ相手に延長13回を投げ抜いた。50年近鉄入団。投手として通算65勝を挙げ、57年に志願して打者に転向。打者としては通算1137安打、59本塁打を放った。防御率10傑入り1度、打撃10傑入り5度を記録。オールスターには5度出場し、53年は投手、63年は外野手としてファン投票選出。65年に巨人で1年間プレーし引退。引退後は70年の広島打撃コーチ時代に山本浩、衣笠らを育て、巨人では75年ヘッドコーチ、762軍監督。大洋(現DeNA)、ヤクルトでは監督を務めた。03年野球殿堂入り。現役時代は173センチ、65キロ。左投げ左打ち。   [日刊スポーツ 2020410744 ]


 

ナズナ
 
 
ナズナは薺であって植物学上では十字科に属しダイコン、カブなどと同科である。その語原は撫菜(なでな)の義で愛ずる意ではないかと大槻文彦先生は書いていられるが、私はこれはなずむ菜の意でその苗葉がクシャクシャと短縮し迫って叢を成している状態に基いたものではないかと想像する。
 
 
ナズナは春の七種の中で最も著名かつ代表的の者で、秋に早く種子から生じ野外や路傍や圃地などに沢山見られる。冬の間敢て霜にも雪にもメゲズ平たく地面にへばりついてその深く羽裂せる根生葉を四方に拡げ、日当りのよい処に生えている者は暗褐色を呈しているが日蔭げの場処に在る者は緑色である。そして葉の下には白い直根があって地に入っている。葉の切れ方には二たイロあってそれぞれ株が違っている。すなわち一はその裂片が単に長橢円形であるが一は狭長でその上縁の本に方に著しい一耳片が着いている。
 
 
右は何方(どちら)もナズナであって、前者をオオナズナといい後者を単にナズナと称えて区別する。けれども決して別種ではなく共に花穂も花も果実も同じである。茎は緑色で枝を分ち花は小さくて多数総状花穂に着き白色の十字花で花中に四長二短の大雄蕊を有する。花がすむと三角形の短角果実を結ぶ事は衆のよく知る所である。
 
右の果実はその恰好が宛(あた)かも三味線の撥(ばち)に似ている所から、この草をバチグサともペンペングサとも称する。「覚えていやがれ、そんな事をすりゃあ手前(てめえ)んとこの屋根にペンペングサを生やしてやるゾ」と勇み肌の江戸ッ子はよく文身体(いれずみからだ)の尻を捲って啖呵を切ったもんだけれど、実は屋根の上には余りペンペングサは生えないものである。これに反してノミノツヅリ、ノゲシ、オニタビラコなどが最もよく生えるものダ。
 
ナズナを食するにはゆで)て浸しものにしてもよく、あるいは胡麻和にしても佳(よ)い。また油でイタメても結構ダ。

ウェブニュースより
 
藤井聡太七段が偉業、史上初の3年連続勝率8割超え ―― 将棋の最年少プロ、藤井聡太七段(17)が24日、大阪市の関西将棋会館で指された第61期王位戦挑戦者決定リーグ戦白組3回戦で稲葉陽八段(31)を破り、初のタイトル挑戦権獲得に向け、リーグ3連勝を飾った。30敗で白組の暫定首位に立った。またこの日の勝利で19年度の勝率8割以上を確定させ、3年連続年度勝率8割以上が決まった。3年連続は史上初の快挙となった。
 
 
名人戦順位戦の最上位A級に在籍する稲葉を相手に逆転勝ちした。「中盤で長考した場面があった。読み筋が当たらず、時間と形勢で苦しくなってしまった」と振り返った。
 
それでも初のタイトル挑戦に近づくとともに、将棋界の「新記録」を達成した藤井は「意識はしていませんでした。一局一局に全力を尽くした結果だと思います」と謙虚に話した。
https://www.youtube.com/watch?v=xsOWFuxR8p8
 
レジェンドたちを超えた。19年度は、24日までに64局対局し、5212敗(未放映のテレビ対局を含む)で勝率8割1分2厘。年度内の対局は31日、棋聖戦決勝トーナメントの菅井八段戦の1局のみ。仮に31日に負けたとしても、19年度の勝率は8割を下回らない。
 
藤井は実質的なデビュー年度となった17年度は6112敗、勝率8割3分5厘、続く18年度は45勝8敗、勝率8割4分9厘。いずれも記録部門の年間勝率1位賞を獲得。19年度も勝率では2位以下を大きく引き離しており、年間勝率1位賞をほぼ手中にしている。
 
過去、藤井以外で「2年連続で年度勝率8割以上」を達成したのは、87年、88年度の羽生善治九段(49)、66年、67年度の中原誠16世名人(72=引退)の2人だけ。レジェンドたちを超え、「3年連続年度勝率8割以上」の偉業を成し遂げた。
 
プロ棋士は通算勝率が6割で一流。6割5分で超一流と言われる。トップ棋士でも10回対局すれば、4回近く負ける計算だが、藤井の場合、10回対局しても、負けるのはわずか2回ほど。数字でも最強に近づきつつある17歳の進化が止まらない。   [日刊スポーツ 20203241948]


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5 6
7 8 10 11 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 26 27
28 29 30
最新コメント
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/