瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日は、オランダ語からの外来語の内、天文・物理・化学などの分野について調べてみよう。
アルカリ(alkali):《もとアラビア語で、海の草の灰の意》水に溶けて塩基性〔水溶液では水素イオン指数(pH)が7より大きいときをいい、酸を中和し、赤色リトマスを青変させる〕を示す物質の総称。ふつう、アルカリ金属・アルカリ土類金属の水酸化物をいう。
アルコール(alcohol):アルコール (alcohol) の語源については正確な起源が判明しているわけではないものの、"al-" がアラビア語の定冠詞であることから、アラビア語に由来すると考えられている。そもそも、12世紀にイスラム社会の錬金術の発見を大衆向けに翻訳した数々のヨーロッパの翻訳者によって、アルコールは蒸留技法とともにその蒸留物のこととしてヨーロッパに紹介された。
ウエールガラス(weerglass):晴雨計。気圧計のこと、気圧が天気の指標となるところからいう。
バロメイテル(barometer):17世紀に気圧計の原理が確立されてほどなく、低気圧の接近といった天候の悪化に先んじて気圧の変化が起こることが発見された。これを応用した製品は晴雨計として船舶等に普及し、短時間の予測ではあるが、それまで科学的手法の存在しなかった気象の予想が行えるようになった。このことが社会にもたらしたインパクトは大きく、現在でも、他の事象の象徴あるいは先行指標となるもの、及びその変化を指して「バロメーター」と呼ぶことにその名残を残している。
エレキ〈テリシテイト〉(electriciteit):電気を表す electricity はギリシア語の(elektron, 琥珀)に由来する。古代ギリシア人が琥珀をこする事により静電気が発生する事を発見した故事によるもので、そこから古典ラテン語で electrum、新ラテン語で ēlectricus(琥珀のような)という言葉が生まれ、さらに、 electricity が派生したという。漢語の「電気」の「電」は雷の別名であり、いわば「電気」というのは「雷の素」といった意味になる。
オクタント(octant):octant (八分儀)はラテン語の 8 を意味する octans に由来する。天体や物標の高度、水平方向の角度を測るための道具。測量や航海に用いられ、弧が45°(360°の八分の一)であるところからこの名がついた。測定には平面鏡の反射を利用しており、45°の弧に90°までの目盛りが書き込まれている。
カリ(kali):原子番号19の元素で、元素記号は K である。アルカリ金属に属す典型元素である。医学・薬学や栄養学などの分野では英語のポタシウム (Potassium) が使われることもある。和名では、かつて加里(カリ)または剥荅叟母(ぽたしうむ)という当て字が用いられた。
コンパス(kompas):製図用具の一。主に円を描くためのもので、適当な角度に開閉できる2本の脚からなる。ぶんまわし。円規。また、船などで、方位を測定する計器。磁気コンパスとジャイロコンパスがある。羅針盤。羅針儀。磁気コンパスは羅針盤の一つで、水平面で自由に回転する目盛り盤に永久磁石を取り付け、航行中に機首方向の磁気方位を知る装置。船舶・航空機に使われる。磁気羅針儀。マグネティックコンパスともいう。ジャイロコンパスとはgyroscope(ジャイロスコープ)の原理を利用し、常に真北を指すように組み立てられた方位測定器。船舶などに用いられる。回転羅針儀。転輪羅針儀。
セイミ(Chemie ):幕末から明治初期にかけての日本では、化学は舎密(セイミ)と呼ばれた。舎密は化学を意味するラテン語系オランダ語(この単語自体の意味は「科学」)の音訳である。/日本で初めての近代化学を紹介する書となったのは、江戸時代の宇田川榕菴(うだがわ ようあん、1798~1846年、津山藩医で日本の蘭学者)の『舎密開宗』(せいみかいそう)である。原著はイギリスの化学者William Henry(ウィリアム・ヘンリー、1775~1836年)が1801年に出版した An Epitome of Chemistry(化学概論) である。宇田川榕菴はこれらの出版に際し、日本語のまだ存在しなかった学術用語に新しい造語を作って翻訳した。酸素、水素、窒素、炭素といった元素名や酸化、還元、溶解、分析といった化学用語は、宇田川榕菴によって考案された造語である。/「化学」という単語は川本幸民が著書『化学新書』で初めて用い、後に明治政府が正式に採用した。これは、他の学問用語と同様に日本から中国などへ伝わった
ソーダ(soda):ナトリウム化合物のこと(例:苛性ソーダなど)。また、炭酸水、あるいは炭酸飲料全般のこと。炭酸水(たんさんすい)とは、炭酸ガスを含む水のことをいう。ソーダ水・ソーダとも言われる。気泡を立たせ、飲み物に清涼感を与える目的で、ソフトドリンクの多くが原料の1つとしている。
ゾンガラス(zonglass):太陽の明るさを暗くするフィルターで、子午線儀で太陽の南中時刻を測定するとき等に使われた。日本では、天明年間に麻田剛立((あさだごうりゅう、1734~1799年、天文学者)の弟子であった山本彦九郎(詳細不明)が、ガラスに油を燃やしてすすを付着させて作ったのが始まりといわれている。
テルモメートル(thermometer):温度計、寒暖計のこと。Jean Leuréchon(J.ルレション、1591?~1670年)が、1626年に "thermomètre" という言葉を使っていて、これが英語に翻訳されたのが語源といわれている。杉田玄白の「解体新書」ではテルモメートルと見えるが、他にタルモメーテル、タルモメートルというのを使う人もいた。
テレスコープ(telscoop):望遠鏡のこと。日本においては近藤正斉の『外藩通書』によれば1613年(慶長18年8月4日)に「慶長十八年八月四日、インカラティラ国王ノ使者於駿城御礼申上ル…長一間程之遠眼鏡六里見之ト見ユ」とあり、イギリスのジェームズ1世 (イングランド王)の使いジョン・セーリスが徳川家康に献上のもの(現徳川美術館所蔵)が最古とされる。
レトルト(retort):化学実験において、物質の蒸留や乾留をする際に用いられるガラス製の器具を指す。形状としては、球状の容器の上に長くくびれた管が下に向かって伸びているもの。蒸留させたい液体を入れて球状の部分を熱すると、蒸気が管の部分に結露し、管をつたって容器に取り出したい物質が集められる。レトルトは錬金術で広く用いられたため、錬金術師を描いた数多くのデッサンやスケッチにレトルトも描かれている。近代的な蒸留装置が開発される以前には著名な化学者たちもレトルトを用いていた。
レンズ(lens):光を屈折させて発散または集束させるための光学素子である。通常は、両側面を球面と球面または球面と平面とした透明体である。日本に眼鏡を伝えたのは、宣教師Francisco de Xavier(フランシスコ・デ・ザビエル、1506?~1552年)で、周防国の守護大名・大内義隆(おおうちよしたか、1507~1551年)に謁見した際に献上したのが最初といわれている。ただし、これは現存しておらず、現物で残っている日本最古の眼鏡は、室町幕府12代将軍足利義晴(1511~1550年)が所持していたと伝わるものがあるという。一説には、義隆の物より、義晴が所持していたものの方が古いとも言われる。また徳川家康(1543~1616年)が使用したと伝わる眼鏡も久能山東照宮に現存しているという。日本でも、眼鏡はやがて国内で作られるようになり、江戸時代の半ばほどにもなると、江戸や大阪の大都市では、眼鏡を販売する店が出るようになった。
アルカリ(alkali):《もとアラビア語で、海の草の灰の意》水に溶けて塩基性〔水溶液では水素イオン指数(pH)が7より大きいときをいい、酸を中和し、赤色リトマスを青変させる〕を示す物質の総称。ふつう、アルカリ金属・アルカリ土類金属の水酸化物をいう。
アルコール(alcohol):アルコール (alcohol) の語源については正確な起源が判明しているわけではないものの、"al-" がアラビア語の定冠詞であることから、アラビア語に由来すると考えられている。そもそも、12世紀にイスラム社会の錬金術の発見を大衆向けに翻訳した数々のヨーロッパの翻訳者によって、アルコールは蒸留技法とともにその蒸留物のこととしてヨーロッパに紹介された。
バロメイテル(barometer):17世紀に気圧計の原理が確立されてほどなく、低気圧の接近といった天候の悪化に先んじて気圧の変化が起こることが発見された。これを応用した製品は晴雨計として船舶等に普及し、短時間の予測ではあるが、それまで科学的手法の存在しなかった気象の予想が行えるようになった。このことが社会にもたらしたインパクトは大きく、現在でも、他の事象の象徴あるいは先行指標となるもの、及びその変化を指して「バロメーター」と呼ぶことにその名残を残している。
エレキ〈テリシテイト〉(electriciteit):電気を表す electricity はギリシア語の(elektron, 琥珀)に由来する。古代ギリシア人が琥珀をこする事により静電気が発生する事を発見した故事によるもので、そこから古典ラテン語で electrum、新ラテン語で ēlectricus(琥珀のような)という言葉が生まれ、さらに、 electricity が派生したという。漢語の「電気」の「電」は雷の別名であり、いわば「電気」というのは「雷の素」といった意味になる。
カリ(kali):原子番号19の元素で、元素記号は K である。アルカリ金属に属す典型元素である。医学・薬学や栄養学などの分野では英語のポタシウム (Potassium) が使われることもある。和名では、かつて加里(カリ)または剥荅叟母(ぽたしうむ)という当て字が用いられた。
コンパス(kompas):製図用具の一。主に円を描くためのもので、適当な角度に開閉できる2本の脚からなる。ぶんまわし。円規。また、船などで、方位を測定する計器。磁気コンパスとジャイロコンパスがある。羅針盤。羅針儀。磁気コンパスは羅針盤の一つで、水平面で自由に回転する目盛り盤に永久磁石を取り付け、航行中に機首方向の磁気方位を知る装置。船舶・航空機に使われる。磁気羅針儀。マグネティックコンパスともいう。ジャイロコンパスとはgyroscope(ジャイロスコープ)の原理を利用し、常に真北を指すように組み立てられた方位測定器。船舶などに用いられる。回転羅針儀。転輪羅針儀。
ソーダ(soda):ナトリウム化合物のこと(例:苛性ソーダなど)。また、炭酸水、あるいは炭酸飲料全般のこと。炭酸水(たんさんすい)とは、炭酸ガスを含む水のことをいう。ソーダ水・ソーダとも言われる。気泡を立たせ、飲み物に清涼感を与える目的で、ソフトドリンクの多くが原料の1つとしている。
テルモメートル(thermometer):温度計、寒暖計のこと。Jean Leuréchon(J.ルレション、1591?~1670年)が、1626年に "thermomètre" という言葉を使っていて、これが英語に翻訳されたのが語源といわれている。杉田玄白の「解体新書」ではテルモメートルと見えるが、他にタルモメーテル、タルモメートルというのを使う人もいた。
テレスコープ(telscoop):望遠鏡のこと。日本においては近藤正斉の『外藩通書』によれば1613年(慶長18年8月4日)に「慶長十八年八月四日、インカラティラ国王ノ使者於駿城御礼申上ル…長一間程之遠眼鏡六里見之ト見ユ」とあり、イギリスのジェームズ1世 (イングランド王)の使いジョン・セーリスが徳川家康に献上のもの(現徳川美術館所蔵)が最古とされる。
レトルト(retort):化学実験において、物質の蒸留や乾留をする際に用いられるガラス製の器具を指す。形状としては、球状の容器の上に長くくびれた管が下に向かって伸びているもの。蒸留させたい液体を入れて球状の部分を熱すると、蒸気が管の部分に結露し、管をつたって容器に取り出したい物質が集められる。レトルトは錬金術で広く用いられたため、錬金術師を描いた数多くのデッサンやスケッチにレトルトも描かれている。近代的な蒸留装置が開発される以前には著名な化学者たちもレトルトを用いていた。
レンズ(lens):光を屈折させて発散または集束させるための光学素子である。通常は、両側面を球面と球面または球面と平面とした透明体である。日本に眼鏡を伝えたのは、宣教師Francisco de Xavier(フランシスコ・デ・ザビエル、1506?~1552年)で、周防国の守護大名・大内義隆(おおうちよしたか、1507~1551年)に謁見した際に献上したのが最初といわれている。ただし、これは現存しておらず、現物で残っている日本最古の眼鏡は、室町幕府12代将軍足利義晴(1511~1550年)が所持していたと伝わるものがあるという。一説には、義隆の物より、義晴が所持していたものの方が古いとも言われる。また徳川家康(1543~1616年)が使用したと伝わる眼鏡も久能山東照宮に現存しているという。日本でも、眼鏡はやがて国内で作られるようになり、江戸時代の半ばほどにもなると、江戸や大阪の大都市では、眼鏡を販売する店が出るようになった。
昨夜来から、久し振りの雨。徘徊にも出かけられず、オランダ語からの外来語について調べてみた。
オランダ人が日本に初めてやった来たのは、1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後(大分県)に漂着した時である。この船にはイギリス人の航海士William Adams(ウィリアム・アダムス、1564~1620年、イギリス人航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針《みうら あんじん》としても知られる)とオランダ人の船員Jan Joosten(ヤン・ヨーステン、1556?~1623年、日本名は耶楊子《やようす》、Jan Joostenは名で、姓はvan Loodensteijn《ファン・ローデンスタイン》である)が乗っており、彼ら2人はポルトガル人の妨害があったにもかかわらず、家康から厚遇され、江戸に屋敷も与えられた。東京の表玄関八重洲通りのヤエスは、このJan Joostenの「ヤヨス」をなまったものだといわれる。
リーフデ号の漂着がきっかけとなって、1609(慶長14)年には、平戸に商館を開いて、日本との貿易を開始した。そして、1639年幕府が完全な鎖国体制をしくとともに、日本との貿易はオランダ人の独占する所となったのである。2年後の1641(寛永18)年には、オランダ商館は長崎の出島に移され、長崎こそ長い鎖国の間、日本人にとっては世界の情勢を垣間見、西欧の文化、学術の息吹をわずかながら吸い込むことのできる、唯一の小さな窓となった。
1720(享保5)年、将軍吉宗は禁書の令をゆるめた。いわゆる実学奨励のひとつとしてすぐれた西欧科学に着目し、キリスト教に関係のない洋書の輸入を許すことにしたのである。儒者の青木昆陽(1698~1769年)や医師の野呂元丈(のろげんじょう、1693~1761年)に命じてオランダ語を学ばせた。この昆陽についてオランダ語を学んだのが豊前中津藩藩医の前野良沢(まえのりょうたく、1723~1803年)であり、若狭藩潘医の杉田玄白(1733~1817年)とともに西欧医学の知識をはじめて体系的に把握し実証的科学研究の先鞭をつけたのである。
蘭学といえばすぐに医学を思い浮かべるほど医学が中心であったことは否定できない。しかし、医学だけでなく、科学知識の幼稚であった当時の日本人が、オランダ語を通して学び取った近代科学のほとんど全分野が含まれる。医学・薬学・天文暦学・地理学・本草学・物理化学・数学等から、のちには哲学、経済学、法律学にいたる広い分野が含まれて板のである。お上(かみ)から生産を増やし、産業を興し、実生活に役立つ学問が奨励されたため、おのずとそれに連なる自然科学の研究が盛んになって、蘭学といえばいかにも実用主義的な響きを伴っていた。
こうした蘭学の展開は、外来語面にも大きく反映している。ポルトガル語からの外来語の勢力がなかなか衰えなかったとはいえ、オランダ語からの外来語は専門語も加えると、二・三千語にも達するという。蘭学といえばただちに連想されるのは医学であるのに、この面でのオランダ語からの外来語は想像するほど多くない。特に病名などに就いては、伝染病を除くとオランダからの外来語はあまり見かけない。これは漢方医学がかなり進んでいて、従来からの名称をそのまま用いたためといわれる。現代の我々にも比較的なじみの多い言葉を、医療器具・薬品・薬草名などもあわせて挙げてみよう。
アキリス(Achilles):かの「解体新書」にも見える。ふくらはぎにある腓腹(ひふく)筋・平目(ひらめ)筋を、踵(かかと)の骨に付着させる、人体中最大の腱のこと。踵骨腱(しょうこつけん)。ギリシャ神話アキレウスの故事から人にとっての一番の弱点をいうようになった。
アポテキ(apotheek):薬剤師が販売又は授与の目的で調剤の業務を行う場所のことであり、医薬品の販売も行うことができる薬局のこと。
エキス(extract):エキストラクトの下半分を略したもの。動物や植物などの成分を水、エタノールあるいは水とエタノールの混合液に浸出させた液体を濃縮したもの
チンキ( tinctuur):チンクチュールの下半分を略したもの。生薬やハーブの成分をエタノール、またはエタノールと精製水の混合液に浸すことで作られる液状の製剤である。ヨードチンキ(Joodtinctuur、通称「ヨーチン」)やマーキュロクロム液(Mercurochrome、通称「赤チン」)は生薬から抽出されたものではないのでチンキではないが、慣例的にチンキと呼ばれている。
オブラート(oblaat):デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のことを指す。薬品や菓子などを包み、そのまま体内に摂取することができる。名称の由来はラテン語のオブラトゥス(oblatus、楕円形)からきている。
カテーテル(katheter):医療用に用いられる中空の柔らかい管のことである。
カンフル、カンポラ(kamfer,kampher):樟脳(樟脳)。血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用などがあるために主に外用医薬品の成分として使用されている。かつては強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的に“カンフル剤”と例えて呼ぶことがある。
キナ(kina):アカネ科キナ属の常緑高木の総称。葉は卵形・長楕円形や披針形で、対生。花は淡紅紫色や淡黄色。樹皮からキニーネが得られる。南米コロンビアからボリビアにかけてのアンデス山地原産。
キニーネ(kinine):キナの樹皮に含まれる主要なアルカロイド。マラリア治療の特効薬として知られ、塩酸塩・硫酸塩が用いられる。白色の結晶で、味はきわめて苦い。キニン。漢字で「規尼涅」と表記。
ケレオソート(creosoot):止瀉薬(ししゃやく、下痢止め)、殺菌薬。ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。
コレラ(cholera):日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822 〔文政5〕 年のことである。感染ルートは朝鮮半島あるいは琉球からと考えられているが、その経路は明らかでない。九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかった。2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858 〔安政5〕 年から3年にわたり大流行となった。日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であった。しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、「虎列刺」などと字を当てたが、それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コレラ」などとも呼ばれた。また「コロリと死んでしまう」の連想から「虎狼痢」「虎狼狸」などの呼び名も広く用いられたが、これはコレラからの純粋な転訛ではない。
サフラン(saffran):地中海沿岸を原産とするアヤメ科の多年草。およびそのめしべを乾燥させた香辛料。鎮静、鎮痛、通経作用がある。中国では西紅花、藏紅花の名で生薬として流通している。江戸時代末期にオランダ船によりもたらされた。赤い花柱(めしべ)を集めて乾燥させたものを、古代ローマやギリシャでは高価な薬として利用した。日本ではお湯で煎じたものをせき止めや強壮作用などの薬とするほか、食品などの着色料や 香辛料としても使用されている。そのいろんな価値ゆえ、「薬用(やくよう)サフラン」とも呼ばれる。サフランの名前は、”黄色”を意味する、アラビア語の「zafran」からの変化だという。
スポイト(spuit):オランダ語で針を意味する単語を誤って転用したという。ガラス管の一端にゴム袋がついているもの。インク・薬液などを吸い上げて他のものに移し入れたり、点滴したりするのに用いる。「スポイド」という表記を見かけるが、語源に見る限り最後の「ト」は濁らない。
ヂキタリス(digitalis):ギリシャ語で「ゆび」を表すdigitalに由来する。これは花の形が指サックに似ているためである。コンピューター用語のデジタル(ディジタル、digital)と起源は全く同じである。
ドクトル(doctor):日本では幕末の開国まで、唯一西洋と取引していた国がオランダ(蘭)ということでドクトルは西洋語=蘭語であった。長崎出島の当時の日本側資料を紐解くと「ドクトル・○○」とカタカナ表記されているものもある。開国(19世紀末)時ドイツ(独)から最新科学の知識を得た影響で、蘭語に近い音の独語「ドクトル」が使われ続けたが、政治的にはイギリス(英)優位であったので英語も普及し、英語音の「ドクター」が使われ始めた。
ペスト(pest):かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。抗生物質の発見により、死亡率が極端にさがった。
ヘンルーダー(wijnruit):江戸時代に渡来し、葉に含まれるシネオールという精油成分が通経剤・鎮痙剤・駆虫剤などに利用され、料理の香りづけにも使われていたが、毒性があるとされ、今はほとんどその目的には使われていない。オランダ語が訛ったもので、言語の発音wijnruit(ウェインライト)からはすっかり遠ざかってしまった。
メス(mes):メスは、外科手術や解剖に用いられる極めて鋭利な刃物である。オランダ語の mes(ナイフの意)が語源である。メスという名称は日本独自の物であり外国ではスカルペル(scalpel)またはランセット(lancet)と呼ばれる。古代エジプト人はembalming〔エンバーミング、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法〕の際、ガラス状の火成岩である黒曜石を鋭利に加工してメスとして用いた。アーユルヴェーダ《サンスクリット語で、インド大陸の伝統的医学で、その名はサンスクリット語の「アーユス(生気、生命)」と「ヴェーダ(知識、学)」の複合語である)には竹を鋭く裂いて用いたことが書いてある。
ヨヂウム(jodium):原子番号53の元素「沃素(元素記号I)」である。1811年、Bernard Courtois〔ベルナール・クールトア、1777~1828年、フランスの化学者〕によって発見された。ヨウ素は消毒薬としてもよく用いられる。ヨウ素のアルコール溶液がヨードチンキである。ヨウ素とヨウ化カリウムのグリセリン溶液がルゴール液である。また、ヨウ素デンプン反応はよく知られている。
オランダ人が日本に初めてやった来たのは、1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後(大分県)に漂着した時である。この船にはイギリス人の航海士William Adams(ウィリアム・アダムス、1564~1620年、イギリス人航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針《みうら あんじん》としても知られる)とオランダ人の船員Jan Joosten(ヤン・ヨーステン、1556?~1623年、日本名は耶楊子《やようす》、Jan Joostenは名で、姓はvan Loodensteijn《ファン・ローデンスタイン》である)が乗っており、彼ら2人はポルトガル人の妨害があったにもかかわらず、家康から厚遇され、江戸に屋敷も与えられた。東京の表玄関八重洲通りのヤエスは、このJan Joostenの「ヤヨス」をなまったものだといわれる。
リーフデ号の漂着がきっかけとなって、1609(慶長14)年には、平戸に商館を開いて、日本との貿易を開始した。そして、1639年幕府が完全な鎖国体制をしくとともに、日本との貿易はオランダ人の独占する所となったのである。2年後の1641(寛永18)年には、オランダ商館は長崎の出島に移され、長崎こそ長い鎖国の間、日本人にとっては世界の情勢を垣間見、西欧の文化、学術の息吹をわずかながら吸い込むことのできる、唯一の小さな窓となった。
1720(享保5)年、将軍吉宗は禁書の令をゆるめた。いわゆる実学奨励のひとつとしてすぐれた西欧科学に着目し、キリスト教に関係のない洋書の輸入を許すことにしたのである。儒者の青木昆陽(1698~1769年)や医師の野呂元丈(のろげんじょう、1693~1761年)に命じてオランダ語を学ばせた。この昆陽についてオランダ語を学んだのが豊前中津藩藩医の前野良沢(まえのりょうたく、1723~1803年)であり、若狭藩潘医の杉田玄白(1733~1817年)とともに西欧医学の知識をはじめて体系的に把握し実証的科学研究の先鞭をつけたのである。
蘭学といえばすぐに医学を思い浮かべるほど医学が中心であったことは否定できない。しかし、医学だけでなく、科学知識の幼稚であった当時の日本人が、オランダ語を通して学び取った近代科学のほとんど全分野が含まれる。医学・薬学・天文暦学・地理学・本草学・物理化学・数学等から、のちには哲学、経済学、法律学にいたる広い分野が含まれて板のである。お上(かみ)から生産を増やし、産業を興し、実生活に役立つ学問が奨励されたため、おのずとそれに連なる自然科学の研究が盛んになって、蘭学といえばいかにも実用主義的な響きを伴っていた。
こうした蘭学の展開は、外来語面にも大きく反映している。ポルトガル語からの外来語の勢力がなかなか衰えなかったとはいえ、オランダ語からの外来語は専門語も加えると、二・三千語にも達するという。蘭学といえばただちに連想されるのは医学であるのに、この面でのオランダ語からの外来語は想像するほど多くない。特に病名などに就いては、伝染病を除くとオランダからの外来語はあまり見かけない。これは漢方医学がかなり進んでいて、従来からの名称をそのまま用いたためといわれる。現代の我々にも比較的なじみの多い言葉を、医療器具・薬品・薬草名などもあわせて挙げてみよう。
アキリス(Achilles):かの「解体新書」にも見える。ふくらはぎにある腓腹(ひふく)筋・平目(ひらめ)筋を、踵(かかと)の骨に付着させる、人体中最大の腱のこと。踵骨腱(しょうこつけん)。ギリシャ神話アキレウスの故事から人にとっての一番の弱点をいうようになった。
アポテキ(apotheek):薬剤師が販売又は授与の目的で調剤の業務を行う場所のことであり、医薬品の販売も行うことができる薬局のこと。
エキス(extract):エキストラクトの下半分を略したもの。動物や植物などの成分を水、エタノールあるいは水とエタノールの混合液に浸出させた液体を濃縮したもの
チンキ( tinctuur):チンクチュールの下半分を略したもの。生薬やハーブの成分をエタノール、またはエタノールと精製水の混合液に浸すことで作られる液状の製剤である。ヨードチンキ(Joodtinctuur、通称「ヨーチン」)やマーキュロクロム液(Mercurochrome、通称「赤チン」)は生薬から抽出されたものではないのでチンキではないが、慣例的にチンキと呼ばれている。
オブラート(oblaat):デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のことを指す。薬品や菓子などを包み、そのまま体内に摂取することができる。名称の由来はラテン語のオブラトゥス(oblatus、楕円形)からきている。
カテーテル(katheter):医療用に用いられる中空の柔らかい管のことである。
カンフル、カンポラ(kamfer,kampher):樟脳(樟脳)。血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用などがあるために主に外用医薬品の成分として使用されている。かつては強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的に“カンフル剤”と例えて呼ぶことがある。
キニーネ(kinine):キナの樹皮に含まれる主要なアルカロイド。マラリア治療の特効薬として知られ、塩酸塩・硫酸塩が用いられる。白色の結晶で、味はきわめて苦い。キニン。漢字で「規尼涅」と表記。
ケレオソート(creosoot):止瀉薬(ししゃやく、下痢止め)、殺菌薬。ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。
コレラ(cholera):日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822 〔文政5〕 年のことである。感染ルートは朝鮮半島あるいは琉球からと考えられているが、その経路は明らかでない。九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかった。2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858 〔安政5〕 年から3年にわたり大流行となった。日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であった。しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、「虎列刺」などと字を当てたが、それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コレラ」などとも呼ばれた。また「コロリと死んでしまう」の連想から「虎狼痢」「虎狼狸」などの呼び名も広く用いられたが、これはコレラからの純粋な転訛ではない。
スポイト(spuit):オランダ語で針を意味する単語を誤って転用したという。ガラス管の一端にゴム袋がついているもの。インク・薬液などを吸い上げて他のものに移し入れたり、点滴したりするのに用いる。「スポイド」という表記を見かけるが、語源に見る限り最後の「ト」は濁らない。
ドクトル(doctor):日本では幕末の開国まで、唯一西洋と取引していた国がオランダ(蘭)ということでドクトルは西洋語=蘭語であった。長崎出島の当時の日本側資料を紐解くと「ドクトル・○○」とカタカナ表記されているものもある。開国(19世紀末)時ドイツ(独)から最新科学の知識を得た影響で、蘭語に近い音の独語「ドクトル」が使われ続けたが、政治的にはイギリス(英)優位であったので英語も普及し、英語音の「ドクター」が使われ始めた。
ペスト(pest):かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。抗生物質の発見により、死亡率が極端にさがった。
メス(mes):メスは、外科手術や解剖に用いられる極めて鋭利な刃物である。オランダ語の mes(ナイフの意)が語源である。メスという名称は日本独自の物であり外国ではスカルペル(scalpel)またはランセット(lancet)と呼ばれる。古代エジプト人はembalming〔エンバーミング、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法〕の際、ガラス状の火成岩である黒曜石を鋭利に加工してメスとして用いた。アーユルヴェーダ《サンスクリット語で、インド大陸の伝統的医学で、その名はサンスクリット語の「アーユス(生気、生命)」と「ヴェーダ(知識、学)」の複合語である)には竹を鋭く裂いて用いたことが書いてある。
ヨヂウム(jodium):原子番号53の元素「沃素(元素記号I)」である。1811年、Bernard Courtois〔ベルナール・クールトア、1777~1828年、フランスの化学者〕によって発見された。ヨウ素は消毒薬としてもよく用いられる。ヨウ素のアルコール溶液がヨードチンキである。ヨウ素とヨウ化カリウムのグリセリン溶液がルゴール液である。また、ヨウ素デンプン反応はよく知られている。
本日は旧暦の7月15日。まだ明けやらぬ隅田川を挟んで東に「かぎろひ」を西に満月を眺めながら、桜橋~吾妻橋間をひと回りする。満月が、ことのほか綺麗だ。今朝のウェブニュースより、
奇跡の一本松:満月と最後の「共演」 陸前高田 ―― 東日本大震災の津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が31日、満月に照らされ、最後の「共演」を果たした。保存作業のため、松は中秋の名月を迎える前の9月12日に切り倒されることが決まっている。/震災後、初めて家族で訪れたという同市の男性公務員(41)は「震災前から他の松より大きかったのでよく覚えている」と1歳の赤ちゃんを腕に松を見上げた。/日が暮れ潮風が雲を流すと、被災地の上に真ん丸い月が現れ、一本松のシルエットが浮かび上がった。/震災発生から2年となる来年3月11日までに保存加工は終わり、再び復興のシンボルとして戻ってくる予定。(共同) 〔毎日新聞 2012年08月31日 20時50分(最終更新 08月31日 21時01分)〕
いっぽんの松 歌手:千昌夫/作詞:喜多條忠/作曲:船村徹
波がさらつた 七万本の
陸前高田の 松原に
いっぽん残った 松がある
もいちど故郷 作ろうと
戻る人達 迎えるために
残った祈りの 松がある
夢も暮らしも いつかは戻る
その日は必ず 来るからと
いっぽん残った 松が言う
大地に根っこを 踏みしめて
涙乗り越え 生き抜くちから
教えるいのちの 松がある
雪がどんなに 降りかかろうと
しぶきがその身を 削ろうと
いっぽん残った 松がある
生まれで育った 北国の
強い心の 真ん中に
残った奇跡の 松が立っ
http://www.uta-net.com/movie/120527/
いっぽんの松 歌手:千昌夫/作詞:喜多條忠/作曲:船村徹
波がさらつた 七万本の
陸前高田の 松原に
いっぽん残った 松がある
もいちど故郷 作ろうと
戻る人達 迎えるために
残った祈りの 松がある
夢も暮らしも いつかは戻る
その日は必ず 来るからと
いっぽん残った 松が言う
大地に根っこを 踏みしめて
涙乗り越え 生き抜くちから
教えるいのちの 松がある
雪がどんなに 降りかかろうと
しぶきがその身を 削ろうと
いっぽん残った 松がある
生まれで育った 北国の
強い心の 真ん中に
残った奇跡の 松が立っ
http://www.uta-net.com/movie/120527/
日本と北朝鮮の政府間協議は、2008年8月に中国の瀋陽で、拉致問題の再調査などを巡る交渉が行われて以来、4年ぶりに日本と北朝鮮の政府間協議が、29日、中国・北京の日本大使館で再開されるという。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の就任後、初めてとなる。今朝のウェブニュースより、
日朝関係、4年ぶりの政府間協議で改善に向かう可能性も ―― 【東京】日本と北朝鮮の政府間協議が29日、中国の北京で4年ぶりに始まった。アナリストらは協議開催について、外交や経済改革を通じて新体制の安定化を図りたい北朝鮮政府の意向が背景にあると分析している。/日朝間では国交が正式に樹立されたことはない。さらに、1970年代から80年代に起こった北朝鮮による日本人拉致事件や、日本上空を通過した弾道ミサイルの発射実験、核兵器開発のために、両国関係は長年にわたり、非常に緊張した状態が続いている。/この日の協議の公式議題は第2次世界大戦末期や終戦直後に現在の北朝鮮で死亡した日本人の遺骨返還だが、協議の焦点は日本人拉致問題の進展だ。/また、今回の協議は両国にとって、昨年12月に金正日総書記が死去した後に三男の金正恩氏が北朝鮮の指導者の座に就いて以来初の話し合いの場となるため、金正恩氏の外交方針を推し量る上で注目される。/朝鮮半島問題の専門家の小此木政夫・慶応義塾大学名誉教授は「多分、拉致問題に関しても、北朝鮮側は人道問題の一部として対応する用意があるという姿勢で出てくるのではないか」とみている。/小此木氏によると、北朝鮮政府が目指しているのは、日本との国交を正常化することや日本政府からの経済支援を引き出すことであり、それには拉致問題の解決が不可欠だという。北朝鮮は食糧不足や社会資本の貧弱さに苦しんでいる。同国で洪水などの自然災害がよく発生するのはインフラが整っていないからだ。/北朝鮮政府は2002年、スパイ養成のための要員として過去に日本人を拉致したことを認めた。その後、拉致した日本人5人とその家族が日本に帰国することを許したが、残り8人に就いては既に死亡したと主張した。現在、北朝鮮は拉致問題について、すでに解決済みとの姿勢を示しているが、多くの日本人は今も生存者がいると考えている。/過去の日朝協議は拉致問題で決裂することが多く、また2008年8月以来開催されていなかった。ただ、静岡県立大学国際関係学部の伊豆見元教授は、北朝鮮が今回これまでより突っ込んだ協議に前向きな姿勢を示す可能性はあるとみている。/報道によると、日本は当初、局長級の協議を求めたが、北朝鮮側の要望で課長級に変更されたという。伊豆見教授はこれについて、「北側は協議を続けようという意思がある可能性が相当高い。課長級から始めようというのは北側の発案だというので、繋げていく、数回やろうとしている。ある段階で、局長級、大使級のレベルに上げられればという思いがある可能性がある」と指摘した。/一方、日本は現在、韓国政府が実効支配する竹島(韓国名:独島)の領有権をめぐり韓国と激しく対立している。/今月10日には、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸。日本の国会はこれに反発する形で、李大統領の竹島訪問に対する抗議決議を採択した。さらに、野田佳彦首相も竹島を「不法」占拠しているとして、韓国政府を批判した。/北朝鮮は竹島問題で日韓関係が緊張しているこの時期を、日韓の対立を煽り、日本との関係改善を進める好機と考えているのはないかと小此木氏は指摘する。/「北朝鮮としては、日本と韓国の関係が悪いから、今がチャンスだと思っている。日本は今なら北との関係を受け入れると思っている。彼らは、つまり日本は韓国とうまくいっていないでしょう。だから、我々とやりましょう、というメッセージを送っているのではないか」と同氏は分析した。〔ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 8月 30日 7:15 JST 〕
昨日、西宮のKY氏から絵葉書が届いた。曰く、
TV「アド街ック天国」で「浅草観音裏」を観ました。浅草3~4丁目の様ですが、かっては貴兄も夜な夜な出没したのでないですか? 甲子園の高校野球も大阪桐蔭の優勝で幕を閉じました。立秋、処暑も過ぎたのに連日の猛暑が続いております。クーラの部屋で外にも出ず、ボーとしています。ブログ集XXⅡで、黒田清輝の「木かげ」を紹介いただきましたが、この絵葉書も彼の「湖畔」です。何でも熱海に避暑に行ったときの作品とか。まだまだ暑いようです。ごじあいください 草々
■ 湖畔 (The Lakeside) 1897年 69×84.7cm | 油彩・画布 | 東京国立博物館
近代日本洋画の父、黒田清輝が手がけた最高傑作『湖畔』。国の重要文化財に指定されている本作は1897(明治30)年、画家と後に黒田夫人(妻)となる金田種子(当時23歳。のちに照子と改名)が避暑として箱根の芦ノ湖を訪れた際、照子をモデルに芦ノ湖の湿潤な情景を描いた作品で、黒田清輝の最も世に知られる作品としても著名である。現在残される照子の証言によれば、芦の湖畔の岩に腰掛ける夫人の姿を目撃した清輝が「よし、明日からそれを勉強するぞ」と興趣を覚えて下絵も描かずに取り組んだとされている。画面前景に団扇を右手に持ち浴衣を着た照子夫人の岩に腰掛ける姿が描かれており、やや異国的な雰囲気を醸し出す夫人は遠くを見るかのような眼差し画面右側へ向けている。そして中景には悠々とした静かな芦ノ湖がしっとりと描写されており、遠景には小高い山々が広がっている。本作の最も注目すべき点は日本の高地の夏を感じさせる大気的な表現にある。平滑な筆触によって淡彩的で薄白的な色彩を画面に敷いたかのような水彩的な描写からは、日本の夏独特の湿度の高い空気を明確に感じることができ、画面全体を包み込む飽和的な空気の水分が本作の瑞々しく清潔な色彩や照子夫人の嫋やかな雰囲気と見事に呼応している。これこそ黒田清輝が本作で取り組んだ日本独自の洋画表現そのものであり、だからこそ今も我々日本人の心に深く染み入るのである。また本作の画面構成に注目しても、しばしばスナップ・ショット的と形容される対象の自然的な瞬間を捉えた写真的な構図も秀逸の出来栄えを示しており、観る者を本作の世界観へと無理なく惹き込むのである。なお本作は制作された1897年に開催された第2回白馬会展に『避暑』という名称で出品されたほか、1900年のパリ万博へも出品されている。
the U.S. Presidential Election(アメリカ合衆国大統領選挙)は4毎、11月に行なわれることになっているが、共和党の大統領撰候補者が決まったようである。今朝のウェブニュースより
米大統領選 共和党大会 ロムニー氏を指名 ―― 【タンパ(米南部フロリダ州)】米共和党は二十八日、タンパで開いた党大会で、十一月の大統領選候補者にロムニー前マサチューセッツ州知事(65)、副大統領候補にライアン下院予算委員長(42)をそれぞれ指名した。大統領選の公約となる党綱領も採択し、経済、軍事両面での「強い米国」を掲げた。/ロムニー氏は、大会最終日の三十日に指名受諾演説に臨み、再選を目指す民主党のオバマ大統領(51)、バイデン副大統領(69)とのコンビニ挑む本選に突入する。ライアン氏は二十九日に演説する。/大統領候補の選出では、各州代表がそれぞれ代議員の割り振り結果を発表。ロムニー氏は二千二百八十六票のうち、二千六十一票を獲得した。/この後、演説に登壇したロムニー氏のアン夫人は「妻として約束する。夫は失敗しない。私たちを失望させない」と訴えた。東部ニュージャージー州のクリスティー知事は基調演説で「ロムニー氏は米国の成長と雇用を復活させる」と述べた。/党綱領は「アメリカンドリームの回復」を図ると表明。規制緩和や減税継続で民間主導の景気回復と雇用創出を目指すと同時に、徹底した行財政改革に取り組む姿勢を示した。オバマ政権が成立させた医療保険改革法の撤廃を明記。環太平洋連携協定(TPP)の推進も盛り込んだ。/中国による知的財産権侵害や人民元問題に対しては報復関税の導入を打ち出した。中国やロシアといった核大国に対抗し、核戦力を維持していく考えも強調。オバマ政権の北朝鮮やイランの核開発に関する対応を「弱腰だ」と非難した。
<ミット・ロムニー氏> 1947年、ミシガン州生まれ。父親は元同州知事。ハーバード大法科、経営両大学院修了。投資会社の経営に成功した資産家。2002年のソルトレークシティー冬季五輪の組織委員会会長。03~07年マサチューセッツ州知事。08年大統領選で共和党候補に名乗りを上げたが、マケイン上院議員に敗北。二度目の挑戦で党候補者になった。末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)信者。アン夫人(63)との間に息子5人。 〔東京新聞 2012年8月29日 夕刊〕
TV「アド街ック天国」で「浅草観音裏」を観ました。浅草3~4丁目の様ですが、かっては貴兄も夜な夜な出没したのでないですか? 甲子園の高校野球も大阪桐蔭の優勝で幕を閉じました。立秋、処暑も過ぎたのに連日の猛暑が続いております。クーラの部屋で外にも出ず、ボーとしています。ブログ集XXⅡで、黒田清輝の「木かげ」を紹介いただきましたが、この絵葉書も彼の「湖畔」です。何でも熱海に避暑に行ったときの作品とか。まだまだ暑いようです。ごじあいください 草々
近代日本洋画の父、黒田清輝が手がけた最高傑作『湖畔』。国の重要文化財に指定されている本作は1897(明治30)年、画家と後に黒田夫人(妻)となる金田種子(当時23歳。のちに照子と改名)が避暑として箱根の芦ノ湖を訪れた際、照子をモデルに芦ノ湖の湿潤な情景を描いた作品で、黒田清輝の最も世に知られる作品としても著名である。現在残される照子の証言によれば、芦の湖畔の岩に腰掛ける夫人の姿を目撃した清輝が「よし、明日からそれを勉強するぞ」と興趣を覚えて下絵も描かずに取り組んだとされている。画面前景に団扇を右手に持ち浴衣を着た照子夫人の岩に腰掛ける姿が描かれており、やや異国的な雰囲気を醸し出す夫人は遠くを見るかのような眼差し画面右側へ向けている。そして中景には悠々とした静かな芦ノ湖がしっとりと描写されており、遠景には小高い山々が広がっている。本作の最も注目すべき点は日本の高地の夏を感じさせる大気的な表現にある。平滑な筆触によって淡彩的で薄白的な色彩を画面に敷いたかのような水彩的な描写からは、日本の夏独特の湿度の高い空気を明確に感じることができ、画面全体を包み込む飽和的な空気の水分が本作の瑞々しく清潔な色彩や照子夫人の嫋やかな雰囲気と見事に呼応している。これこそ黒田清輝が本作で取り組んだ日本独自の洋画表現そのものであり、だからこそ今も我々日本人の心に深く染み入るのである。また本作の画面構成に注目しても、しばしばスナップ・ショット的と形容される対象の自然的な瞬間を捉えた写真的な構図も秀逸の出来栄えを示しており、観る者を本作の世界観へと無理なく惹き込むのである。なお本作は制作された1897年に開催された第2回白馬会展に『避暑』という名称で出品されたほか、1900年のパリ万博へも出品されている。
the U.S. Presidential Election(アメリカ合衆国大統領選挙)は4毎、11月に行なわれることになっているが、共和党の大統領撰候補者が決まったようである。今朝のウェブニュースより
<ミット・ロムニー氏> 1947年、ミシガン州生まれ。父親は元同州知事。ハーバード大法科、経営両大学院修了。投資会社の経営に成功した資産家。2002年のソルトレークシティー冬季五輪の組織委員会会長。03~07年マサチューセッツ州知事。08年大統領選で共和党候補に名乗りを上げたが、マケイン上院議員に敗北。二度目の挑戦で党候補者になった。末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)信者。アン夫人(63)との間に息子5人。 〔東京新聞 2012年8月29日 夕刊〕
ここのところの国会をみていると、政権与党としての民主党に何かを進めようという意志が感じられない。その言動たるや何も決めたくないようにさえ見える。このまま、空転のまま国会は閉じてしまいそうだ。今朝のウェブニュースより
終盤国会:衆院強行採決、非難の応酬 ―― 9月8日に会期末が迫る終盤国会は28日、民主党が衆院選挙制度改革関連法案などの強行採決に踏み切り、自民、公明両党が野田佳彦首相の問責決議案提出で対抗する緊迫した展開となった。成立するめどのない強行採決は衆院解散・総選挙の環境整備を阻む露骨な解散先送り策。反発する野党側にも消費増税をめぐる不協和音が残り、与野党が国会混乱の責任を押し付け合う非難の応酬となった。/「野田政権は(法案)成立を度外視し、責任を野党に押し付けようとしている」。自民党の谷垣禎一総裁は28日の党総務会で政権批判のボルテージを上げた。同党は問責決議案を「首相への参院の最後通告」(脇雅史参院国対委員長)と位置付け、首相が9月の民主党代表選で再選されても秋の臨時国会の審議に応じない構えを見せて解散圧力を強める。/問責可決にはほかの野党の賛成が必要になるが、調整は難航。28日の強行採決前は野党11党で横路孝弘衆院議長に「民主主義の根幹の選挙制度について、与党の多数をもって強行採決することは憲政史上類を見ない暴挙」と抗議したが、その後、亀裂が表面化した。/国民の生活が第一など中小野党7会派は8月7日、消費増税反対を理由に問責決議案を提出したが、自公両党は同調せず、採決されないまま、たなざらしになっている。中小野党側は自公の問責提出に「増税法案が成立したら、今度は野党の盟主みたいな顔で賛成しろというご都合主義は許さない」(みんなの党の水野賢一幹事長代理)と強く反発した。/自公両党は当初、問責決議案を29日に提出する方針だったが、採決できるのは自公案と中小野党案のどちらか一つ。調整が長引けば同日中の可決が危うくなると判断し、提出を28日に前倒しした。/自民党には「意地を張り合って採決しないことがあってはならない」(脇氏)と譲歩を容認する意見もあるが、消費増税反対を理由とする中小野党案に賛成すれば、民主党との3党合意を否定することになる。公明党幹部は「中小野党案に乗ることはあり得ない。自公案がだめなら野党の統一案を目指すべきだ」と苦悩をにじませた。 〔毎日新聞 2012年08月29日 01時28分(最終更新 08月29日 01時43分)〕
日刊ゲンダイの記事2つ。
大丈夫!? 石原伸晃 激ヤセと頭髪 悪い病気なのか ―― 一体、どうしたのか――。自民党の石原伸晃幹事長(55)の風貌の変わりぶりが話題になっている。/ここ数カ月で激ヤセし、一時は茶髪にしていた自慢の頭髪も、ご覧の通りめっきり寂しくなってしまったのだ。/21日、党本部で東京都連の支部長会議が開かれ、都連会長の伸晃も出席したが、あまりの変化に、参加者からは「覇気がない」「悪い病気にでもなったのか」と案ずる声が聞かれた。/伸晃の事務所は「体重も、頭髪の量も変わったとは思いません。昔のままのはずです」と言うが……。/「党内では、『いつもの断食だろう』とのウワサが流れています。身長178センチの石原さんですが、15年前に体重が80キロを超え、父・慎太郎さんから静岡の『断食道場』を勧められた。半信半疑で道場に行き、運動しながらニンジンジュースで1週間過ごすと、一気に痩せたようです。以降、お気に入りで、ほぼ毎年道場に通っている。今年6月以降、『朝も夜も外食ばかり』とボヤいていたので、コッソリ静岡に行ったのかもしれません」(自民党関係者)/断食まで父親に面倒見てもらうなんて、相変わらずのお坊ちゃんだが、本当に断食したのなら頭髪の方は薄くはならない。やはりクスリの副作用など、なにか違う原因があるのではないか。/「心労がたまったのでしょう。自民党幹事長として民主党を追い込めず、野田首相から『近いうち解散』を引き出したものの、ノラリクラリかわされている。また、来月の総裁選への対応でも悩んでいる。立場上、『谷垣さんが出れば、出馬しない』と明言していますが、本心は出たくてしようがない。自身のグループからも出馬を求める声が上がっているし、森元首相や古賀元幹事長ら長老もウラでせっついている。出馬が確実の石破茂前政調会長へのライバル心もある。しばらく悩みは続くでしょう」(政治ジャーナリスト・小谷洋之氏)/ボンボン議員の「激ヤセ」と「寂しい頭髪」が、もうしばらく見られそうだ。 〔日刊ゲンダイ 2012年8月24日 掲載〕
小沢控訴審急ピッチで無罪へ 来月26日に第1回 <被告人質問はナシ> ――陸山会の土地購入をめぐり強制起訴され、1審で無罪判決が出た「国民の生活が第一」の小沢一郎代表〔70〕の控訴審第1回公判が来月26日に開かれる。24日に弁護側と検察官役の指定弁護士、東京高裁の3者協議後に弁護側が明らかにした。/指定弁護士側は、東京地検特捜部が小沢を事情聴取した際に作成した供述調書や小沢事務所の会計帳簿など、10点近くを新たに証拠請求する方針。第1回公判では、高裁がこれらの採否を決める見通しだが、無罪が覆るような証拠が示される可能性は低い。また、小沢への被告人質問や元秘書3人の証人尋問は実施されない。そのため、新たな証拠採用がなければ、短期間で結審する可能性が高く、あらためて小沢裁判のデタラメぶりが浮き彫りになりそうだ。/指定弁護士は控訴趣意書で「土地取得の公表先送りなどについて、小沢氏の故意や石川知裕衆院議員〔39〕ら元秘書3人との共謀を認めないのは事実誤認だ」と主張。これに対し、弁護側は答弁書で「証拠に基づかない想像を膨らませ、故意や共謀を決め付けている」と反論している。/いい加減、アホな裁判は終わりにしてもらいたい。 〔日刊ゲンダイ 2012年8月25日 掲載〕
日刊ゲンダイとは
日刊(にっかん)ゲンダイは、講談社系の出版社である株式会社日刊現代が発行する、タブロイド判夕刊紙である。『日刊ゲンダイ』は、創刊時、発行元の株式会社日刊現代が週刊誌を発刊している講談社系の会社であることを理由に、日本新聞協会への加盟を拒否されたため、雑誌扱い(日刊誌)となっている。
男性読者を対象に既存の新聞とは一味違う観点から雑誌感覚でニュースを分析する「デイリー・マガジン」の形態を採り入れ、シニカルな報道姿勢から「シニカルな新聞」の代名詞となっている。社としての論調は創刊当時から一貫して反米を是としており、太平洋戦争以後の日本政府の対米隷属を厳しく批判している。また自民党、読売ジャイアンツ(以後「巨人」)、日本サッカー協会及びサッカー日本代表、スポーツイベントに登場するタレントに対する激しい嘲笑と諷刺は名物となっている。その一方で、過去に嘲笑・諷刺していた人物・団体を一転して賞賛したり、或いはその逆で賛美していた人物・団体を非難したり、論調姿勢が統一されていない部分が多く、極端なところでは論調が180度逆転する場合も多々ある。
小沢控訴審急ピッチで無罪へ 来月26日に第1回 <被告人質問はナシ> ――陸山会の土地購入をめぐり強制起訴され、1審で無罪判決が出た「国民の生活が第一」の小沢一郎代表〔70〕の控訴審第1回公判が来月26日に開かれる。24日に弁護側と検察官役の指定弁護士、東京高裁の3者協議後に弁護側が明らかにした。/指定弁護士側は、東京地検特捜部が小沢を事情聴取した際に作成した供述調書や小沢事務所の会計帳簿など、10点近くを新たに証拠請求する方針。第1回公判では、高裁がこれらの採否を決める見通しだが、無罪が覆るような証拠が示される可能性は低い。また、小沢への被告人質問や元秘書3人の証人尋問は実施されない。そのため、新たな証拠採用がなければ、短期間で結審する可能性が高く、あらためて小沢裁判のデタラメぶりが浮き彫りになりそうだ。/指定弁護士は控訴趣意書で「土地取得の公表先送りなどについて、小沢氏の故意や石川知裕衆院議員〔39〕ら元秘書3人との共謀を認めないのは事実誤認だ」と主張。これに対し、弁護側は答弁書で「証拠に基づかない想像を膨らませ、故意や共謀を決め付けている」と反論している。/いい加減、アホな裁判は終わりにしてもらいたい。 〔日刊ゲンダイ 2012年8月25日 掲載〕
日刊ゲンダイとは
日刊(にっかん)ゲンダイは、講談社系の出版社である株式会社日刊現代が発行する、タブロイド判夕刊紙である。『日刊ゲンダイ』は、創刊時、発行元の株式会社日刊現代が週刊誌を発刊している講談社系の会社であることを理由に、日本新聞協会への加盟を拒否されたため、雑誌扱い(日刊誌)となっている。
男性読者を対象に既存の新聞とは一味違う観点から雑誌感覚でニュースを分析する「デイリー・マガジン」の形態を採り入れ、シニカルな報道姿勢から「シニカルな新聞」の代名詞となっている。社としての論調は創刊当時から一貫して反米を是としており、太平洋戦争以後の日本政府の対米隷属を厳しく批判している。また自民党、読売ジャイアンツ(以後「巨人」)、日本サッカー協会及びサッカー日本代表、スポーツイベントに登場するタレントに対する激しい嘲笑と諷刺は名物となっている。その一方で、過去に嘲笑・諷刺していた人物・団体を一転して賞賛したり、或いはその逆で賛美していた人物・団体を非難したり、論調姿勢が統一されていない部分が多く、極端なところでは論調が180度逆転する場合も多々ある。
今朝のウェブニュースより、
浅草サンバカーニバル:2年ぶり踊る喜び 50万人訪れる/東京 ―― 台東区浅草で25日に開かれた第31回浅草サンバカーニバル「実行委員会主催、毎日新聞社など後援)は、猛暑にもかかわらず家族連れら約50万人《主催者発表》野観客が訪れ、街中が興奮に包まれた。東日本大震災の影響で2年ぶりの開催だったこともあり、参加者からは「多くの人の前で踊れるカーニバルはやはり楽しい」との声が聞かれた。/午後1時から行われた開会式で丸山眞司実行委員長が開会を宣言すると、実行委らによるパレードが始まった。地元の小学生らも打楽器やポンポンを手にリズムを取りながら行進。今年はマルコス・ガウボン駐日ブラジル大使も観覧に訪れた。/続いて色とりどりの衣装に身を包んだ各チームが次々と登場した。メーンイベントのパレードコンテストには計18チームが参加。「FLOR DE MATSUDO CEREJA」の藤原来留さん(9)と清水真梨さん(10》は「沿道のお客さんもこちらに手を振ってくれ、とても楽しく踊ることができた」と笑顔で話した。/馬道通りから雷門通りに至る約800メートルのコースは多くの観客でにぎわった。/雷門前の最前列でパレードに見入っていた杉並区の愛川裕美さん(9)は「衣装がキラキラしていてきれい。踊りや山車も迫力があってすごい」と喜んでいた。 〔毎日新聞 2012年08月26日 地方版〕
「世界最悪」の修復キリスト画に集まる賛否両論の声 ―― 【8月24日 AFP】スペインの教会にあるキリスト絵画を善意で修復し、オリジナルとは似ても似つかぬものとなってしまったことで、「世界最悪の絵画修復」とやゆされている80歳女性、セシリア・ギメネス(Cecilia Gimenez)さんが、世界的に話題の人となっている。/ギメネスさんが「修復」した絵は、北東部ボルハ(Borja)の教会にある、スペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)が1910年に描いた「Ecce Homo(この人を見よ)」。いばらの冠をかぶせられ悲しげに天を見上げるイエス・キリストを描いたこの絵も、年月とともに傷みが目立ち始めていた。そこでギメネスさんが自主的に修復を試みたところ、顔は血色の悪いサルのようで、目鼻立ちはバランスが悪く、さらには頭を毛皮が覆っているような姿となってしまい、多くの苦情が寄せられたという。/その一方で、ヒメネスさんが「修復」したキリスト画は、世界各地のネットユーザーたちに笑いのネタを提供し、スペインでは、修復された絵の顔の部分に、スペイン国王フアン・カルロス1世(Juan Carlos I)やマリアノ・ラホイ(Mariano Rajoy)首相を埋め込んだ独自のバージョンを投稿するネットユーザーも現れた。/さらに、ヒメネスさんの修復画をゴヤやムンク、モディリアニらの名画に例え、ボルハ市に原画を復元する計画を思いとどまるよう求めるオンライン嘆願書には5000人もの署名が集まった。/嘆願書サイトを立ち上げたユーザーは、修復された絵は「教会の天地創造説を巧みに批判し、新たな偶像の復活に疑問を投げかけるものだ」と同サイトでコメントしている。/だが、元のキリスト画を描いたマルティネスの孫に当たるテレサ・ガルシア(Teresa Garcia)さんは、ヒメネスさんによる修復には全く感銘していない。国営テレビRTVEのインタビューでガルシアさんは、「これまで(ヒメネスさんは)衣服以外には手をつけなかった。今回、彼女は頭部にまで手をだし、明らかに絵を台無しにしてしまった」と不満を語った。/その一方で、ヒメネスさんの妹、エスペランサ・ヒメネス・スエコ(Esperanza Gimenez Zueco)さんは、「姉は世界で最善の信仰心をもって修復に取り組んだ」とヒメネスさんを擁護しながら、「ちょっと絵心を加えたかったのでしょう」と付け加えた。 〔AFP BB News 2012年08月24日 18:09 発信地:マドリード/スペイン〕
「世界最悪」の修復キリスト画が大人気、訪問者が急増 ―― 【8月26日 AFP】「世界最悪の修復」でサルさながらに変貌してしまった102年前のキリストの肖像画を見ようと、スペイン北東部ボルハ(Borja)を訪れる人々が数百人規模に急増している。/この肖像画はスペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)が1910年に描いた「Ecce Homo(この人を見よ)」で、ボルハ市内の教会の柱に直接描かれている。傷みが目立ち始めたため、年齢が80代とされるセシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さんが善意で修復を試みたところ、オリジナルと似ても似つかないとして地元住民から苦情が殺到。静かな町だったボルハに、世界中のメディアの注目が一気に集まった。/肖像画は本来、いばらの冠をかぶせられたイエス・キリストの姿を描いたものだったが、「修復」後は顔色の悪いサルのようで、目鼻立ちはバランスが悪く、頭を毛皮が覆っているように見えるありさま。一部メディアはこれを史上最悪の修復と伝えた。/25日には教会の外に、興味津々の訪問者の行列ができた。公共テレビ放送のインタビューに応じたある女性は、「以前の絵も大変素晴らしかったけれど、わたしは本当にこれ(修復後の肖像画)が気に入っています」と語った。/ボルハ市に原画を復元する計画を思いとどまるよう求めるオンライン嘆願書には、既に1万8000人もの署名が集まっている。 〔AFP BB News 2012年08月26日 13:46 発信地:マドリード/スペイン〕
今朝のウェブニュースより
独島問題、韓国外交の基準は58年前の「卞栄泰文書) ―― 独島(ドクト、日本名・竹島)に対する韓国外交通商部の立場は昨今に決まったことではない。58年前に当時の卞栄泰(ビョン・ヨンテ)外務部長官(1951-55年在任)が韓国側の立場を断固かつ論理的に叙述した外交文書に明示されている。3枚分量のこの口上書(note verbale)は、独島に対する韓国政府の立場を初めて公式的に整理した文書だ。金星煥(キム・ソンファン)外交通商部長官が22日、野田佳彦日本首相の書簡を返送することにした決定にも、重要な準拠になったという。/卞元長官はこの文書で、「韓国は独島に対する領有権を持っており、韓国が国際司法裁判所《ICJ》で権利を証明しなければならない理由は何もない」と強調した。日本は52年1月の李承晩(イ・スンマン)大統領の平和ライン宣言に異議を提起して以来、独島領有権の主張を続けてきた。韓国政府は独島に警備部隊を常駐させ、韓国領という表示を設置して対応した。/日本は54年9月25日、独島問題をICJに行って最終決定をしようと提案した。韓国政府は1カ月後の10月28日、独島が韓国の領土という事実には論争の余地がないとして、これを拒否した。卞元長官の口上書はこの時に作成された。/(ICJに紛争を提出しようという提案は、誤った主張を法律的に偽装しようという試みにすぎない。領土紛争が存在しないのに‘類似領土紛争’を作り出しているのが日本だ。妥協の余地なく完全で、紛争の余地がない韓国の独島領有権に対し、日本は‘類似請求権’を設定しようとしているのだ」。/独島を過去の問題に連携させたのも卞元長官だ。卞元長官は「独島は日本の韓国侵略に対する最初の犠牲領土だ。独島に対する日本政府の不合理ながらも始終一貫した主張に対し、韓国国民は日本が同じ方法の侵略を繰り返しているのではと疑問を抱く」と書いた。これを根拠で卞元長官は「韓国国民にとって独島は日本に対する韓国の主権の象徴であり、また韓国の主権の保全を試験する実例だ。韓国国民は独島を守護し、韓国の主権を保全する決意を持っている」と宣布した。/文書とともに発表された声明も目を引く。「独島は単なる岩の塊ではなく、私たちの民族の栄誉の錨だ。これを失ってどうやって独立を守れるだろうか。日本が独島奪取を図るのは韓国再侵略を意味するものだ」。/ その後、韓国政府は65年に韓日会談を終える時もこの内容を基本方針とした。シン・ヨンハ蔚山大学大学院教授((独島学会会長)は卞栄泰元外相について「韓国政府の立場を確立した責任者」とし「政府は今後もこの立場をずっと堅持するべき」と述べた。金星煥長官も「(独島をめぐる)領土紛争は存在せず、植民地後の領土守護を歴史的脈絡で接近しなければならないということを当時、しっかりと整理していなかったとすれば、今ごろ大きな問題が発生していたかもしれない」と述べた。 [中央日報日本語版 2012年08月25日13時30分]
野田首相、竹島問題で韓国を批判―異例のテレビ記者会見―― 【東京】野田佳彦首相は24日夕、首相官邸で臨時に記者会見し、竹島をめぐる問題については韓国が領有権を裏付ける証拠のないまま「不法」占拠しているとして、同国政府を批判、日韓関係の緊張緩和は当分望み薄な状況となった。/野田首相は主要テレビ局全てで放映された会見で「韓国側は我が国よりも前に竹島を実効支配していたと主張しているが、根拠とされる文献の記述はあいまいで、裏づけとなる明確な証拠はない。韓国は力をもって不法占拠を開始した」と明言した。/首相が領土問題について記者会見を行うのは異例のこと。またこの日は、首相会見に先立ち、衆院が本会議で韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸に抗議する決議を採択した。/一方、韓国政府は野田首相の領有権主張にすぐさま抗議し、主張の撤回を要求した。さらに衆院決議の撤回も求めた。/韓国外交通商省の趙泰永報道官は「歴史的、地理的、国際法的に我が国領土に属する独島(竹島の韓国名)に対して、野田首相が不当な領有権を繰り返し主張したことに強く抗議するとともに、主張を即時撤回するよう促す」との短い声明を発表した。/日本の衆院はこの日、香港の活動家による尖閣諸島上陸を非難する決議も採択した。/日本の管理下にある一方で中国と台湾も領有権を主張している尖閣諸島に香港の活動家が上陸した問題については、日本当局が逮捕した活動家を刑事処分ではなく、強制送還という処置を選択したことから、野田政権の対応に対して厳しい批判が生じている。/野田首相は尖閣諸島と竹島の問題を念頭に「我が国の周辺海域において、我が国の主権に関する事案が相次いて起こっており、誠に遺憾の極みだ。我が国として、このような行為を看過することはできない」と述べた。/さらに、「我が国固有の領土である離島の主権を確保するということは、海洋国家日本の壮大なフロンティアを守るということにほかならない」とし、離島の警備を強化するための海上保安庁法改正案の早期成立を呼び掛けた。/今後数カ月中に総選挙が実施される可能性が高いことから、首相と与党民主党は領土問題で弱腰姿勢を見せるわけにはいかないというのがアナリストらの見方だ。/早稲田大学で政治学を教える山本武彦教授は、(民主党政権は)選挙が近づいているために強硬路線を取らざるを得ないのが実情、と述べ、「これは民主党の本来の外交姿勢ではない」と指摘する。/民主党は2009年に政権を獲得した際、アジア諸国との関係強化を外交政策の柱とした。そのため、閣僚は、韓国が竹島を実効支配していることについて、「不法占拠」という表現をすることを控えてきた。/日本政府は今週初め、竹島をめぐる韓国との領有権問題を国際司法裁判所(ICJ)に提訴する方針を決めた。また、野田内閣の閣僚らは予定されていた韓国政府閣僚との会合を延期した。野田首相は23日、首相が親書の形式をとり李大統領宛てに送った抗議書簡を韓国政府が返送しようとしたことについて、「冷静さを欠いた」行動と批判した。/さらに日韓の対立は両国の経済的な関係にも影響を及ぼす恐れが出てきた。日本の安住淳財務相は24日、日韓通貨スワップ協定の縮小を検討することに加え、準備を進めてきた韓国国債の購入を当面見送る考えを示した。/韓国政府は竹島には領有権問題が存在しないとして、日本によるICJ共同提訴の提案を拒否した。ICJへの提訴は当事国双方の同意が義務付けられており、日本が単独提訴しても裁判は始まらない。/両国とも公選された政府関係者が融和的な行動にでるようなリスクを冒すことはないだろう。そのため、両国間の緊張を緩める動きは非公式の「バックチャンネル」外交に頼らざるを得ないというのが早稲田大学の山本氏の見方だ。/ただ野田首相は韓国を「大切なパートナー」と表現した上で、「いたずらに国内の強硬な世論を煽って、事態が無用にエスカレートすることはいずれの国の利益にもならない」として、両国がお互いに冷静に対応していくよう呼び掛けた。 〔ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2012年 8月 25日 10:50 JST 〕
クダらない野田緊急会見 李明博をマネて支持率アップ狙ってアホ丸出し―― 「ばかやろー」とテレビに叫んだ人も多かったはずだ。24日夕方の野田首相の臨時会見。「領土問題について」という予告はあったものの、何か特別なことを言うのかと思っていたら、従来の政府の主張を繰り返しただけのクダらない内容だった。テレビ東京以外の全テレビ局が会見を中継していたが、とんだ電波ジャックだった。/会見をテレビで見ていた元外交官の天木直人氏がこう言った。「ひどい内容でしたね。民放テレビも、会見の途中で次々と映像を切り替えてしまった。中継するに値しない内容と判断したのです。テレビにもバカにされる意味のない会見でした」/しかも、透けて見えるのが野田の薄汚い打算だ。/「竹島に上陸した韓国の李明博大統領は、日本へ対決姿勢を見せることで、支持率が急上昇している。中央日報の世論調査で、25%だった支持率が竹島上陸で35%にハネ上がった。野田首相も総選挙が近いだけに、同じパフォーマンスで、支持率アップを狙ったんですよ」(永田町関係者)
〈そもそも2人のケンカはレームダック同士のデキレースの声〉
2人はレームダック状態で似た環境。もしかしたら、ウラで手を組み、相談しながら、子どもじみた田舎芝居をやっているのかもしれない。不人気行き詰まり政権は、批判を外に向けるのが常套手段だが、ある政治学者は「デキレース」と指摘している。/それだけに、こんな会見で支持率が上昇すると思ったら、大間違いだ。/「野田首相が、人気取りを考えて会見をするなら、李明博大統領の竹島上陸直後ですよ。今ごろやっても、遅きに失している。そこが野田首相の外交センスのなさです。事なかれ主義の外務官僚に丸投げしているから、後手後手の対応になり、注目もされないのです。竹島問題は、今の日韓政府がやり合っていても解決策も進展もない。どうしても野田首相が支持率を上げたいのなら、“私は退陣する、その代わり李大統領も退陣しろ、領土問題は新しいリーダーに託そう”と大胆なことを言うしかなかった。しかし、“遺憾の極みだ”“看過できない”などと当たり前のことしかしゃべれないから、野田首相は無能なのです」(天木直人氏)/アホ丸出しの野田に残された道は、竹島上陸しかなくなってきた。 〔日刊ゲンダイ 2012年8月25日 掲載〕
クダらない野田緊急会見 李明博をマネて支持率アップ狙ってアホ丸出し―― 「ばかやろー」とテレビに叫んだ人も多かったはずだ。24日夕方の野田首相の臨時会見。「領土問題について」という予告はあったものの、何か特別なことを言うのかと思っていたら、従来の政府の主張を繰り返しただけのクダらない内容だった。テレビ東京以外の全テレビ局が会見を中継していたが、とんだ電波ジャックだった。/会見をテレビで見ていた元外交官の天木直人氏がこう言った。「ひどい内容でしたね。民放テレビも、会見の途中で次々と映像を切り替えてしまった。中継するに値しない内容と判断したのです。テレビにもバカにされる意味のない会見でした」/しかも、透けて見えるのが野田の薄汚い打算だ。/「竹島に上陸した韓国の李明博大統領は、日本へ対決姿勢を見せることで、支持率が急上昇している。中央日報の世論調査で、25%だった支持率が竹島上陸で35%にハネ上がった。野田首相も総選挙が近いだけに、同じパフォーマンスで、支持率アップを狙ったんですよ」(永田町関係者)
〈そもそも2人のケンカはレームダック同士のデキレースの声〉
2人はレームダック状態で似た環境。もしかしたら、ウラで手を組み、相談しながら、子どもじみた田舎芝居をやっているのかもしれない。不人気行き詰まり政権は、批判を外に向けるのが常套手段だが、ある政治学者は「デキレース」と指摘している。/それだけに、こんな会見で支持率が上昇すると思ったら、大間違いだ。/「野田首相が、人気取りを考えて会見をするなら、李明博大統領の竹島上陸直後ですよ。今ごろやっても、遅きに失している。そこが野田首相の外交センスのなさです。事なかれ主義の外務官僚に丸投げしているから、後手後手の対応になり、注目もされないのです。竹島問題は、今の日韓政府がやり合っていても解決策も進展もない。どうしても野田首相が支持率を上げたいのなら、“私は退陣する、その代わり李大統領も退陣しろ、領土問題は新しいリーダーに託そう”と大胆なことを言うしかなかった。しかし、“遺憾の極みだ”“看過できない”などと当たり前のことしかしゃべれないから、野田首相は無能なのです」(天木直人氏)/アホ丸出しの野田に残された道は、竹島上陸しかなくなってきた。 〔日刊ゲンダイ 2012年8月25日 掲載〕
秀吉は全国を平定し終わると、ポルトガルの手に独占されていた貿易の実権を取り戻そうとして、1692(文禄2)年フィリピンのスペイン長官に使節を送って貿易を求めたので、日本とスペインとの正式交渉が始った。スペイン人が日本に来たという記録はすでに1580(天正8)年にもあり、1584(天正12)年にはスペイン船が来航している。とはいえ、日本とスペインとの交渉は、ポルトガルと日本との交渉のあった96年間に比べ、1/3の32年間に過ぎない。こういう短い期間であったため、スペイン語から日本に取り入れられた単語は極く僅かであった。それにポルトガル語とスペイン語は血のつながった言葉同士で両者には形も意味もそっくりな単語が沢山あり、スペイン語からの外来語とはっきり決めうるものは数語しかない。
メリヤス(medias):日本のメリヤスは江戸時代の延宝 - 天和 - 貞享 - 元禄(1673年 - 1704年)のいずれかの時期に輸入・伝来したとされ、ポルトガル語のメイアシュ(meias)・スペイン語のメジアス(medias)の転訛とされる。日本語のメリヤスを指す言葉としては「莫大小」を当てるが、その理由の一つとして日本国内の旧来の布地に比べて伸縮性があることとする説がある。主に武士が殿中に出仕する際の足袋を作る技法として一部武士から庶民にも広まった。/スペイン語では靴下のことであり、はじめポルトガル語のmeias から「メイヤス」として取り入れられたらしいが、スペイン系の medias が「メリヤス」として取り入れられたほうが勝って、ぐんぐん使われてゆき、「唐人の古里寒しメリヤス足袋 - 眠松」と詠われている。井原西鶴の句にも西鶴の句に「メリヤスをはいて蛤蜊踏まれたり」というのがある。
プラザ(plaza):英語のplace に相当するスペイン語。「広場」
カルデラ(caldera):スペイン語で「釜(かま)」を意味する。火山の中心にできたほぼ円形の大きな凹地。噴火後に火口部が陥没したものが多い。カナリア諸島の噴火口の名で、スペイン人によってつけられたらしい。
カスタネット(castanet): カスタネットは、「栗の実」を意味するスペイン語「castana(カスターニャ)」に由来する。カスタネットが「栗の実」に由来するのは、形が栗の実に似ているからとする説と、古くは、南欧の大きな栗の木で作られていたことからとする説がある。スペイン語で「カスタネット」を表す「castaneta」の「eta(ita)」は縮小辞なので、「小さな栗の実」の意味になるため、大きな栗の木で作られていたことから、「小さな栗の実」の名が付いたとする説がよいと思われる。
ポンチョ( poncho):中央アメリカ、南アメリカのメキシコ、ペルーやボリビアの原住民の民族衣装で、四角形の布の中央に穴を開けて首を通して着る、outerwear〔アウターウェア、衣服の分類のうち下着や装身具を除いたものの総称〕のこと。防寒・防風のために通常の衣服の上から着用する。/ケープ(cape)と混同されることがあるが、ケープは肩や背中を覆う、袖のないouterwearで、マントの短いものをさす。ポルトガル語のカパ(capa)も語源は同じだが、こちらは日本に入って、合羽(かっぱ)となった。
メリヤス(medias):日本のメリヤスは江戸時代の延宝 - 天和 - 貞享 - 元禄(1673年 - 1704年)のいずれかの時期に輸入・伝来したとされ、ポルトガル語のメイアシュ(meias)・スペイン語のメジアス(medias)の転訛とされる。日本語のメリヤスを指す言葉としては「莫大小」を当てるが、その理由の一つとして日本国内の旧来の布地に比べて伸縮性があることとする説がある。主に武士が殿中に出仕する際の足袋を作る技法として一部武士から庶民にも広まった。/スペイン語では靴下のことであり、はじめポルトガル語のmeias から「メイヤス」として取り入れられたらしいが、スペイン系の medias が「メリヤス」として取り入れられたほうが勝って、ぐんぐん使われてゆき、「唐人の古里寒しメリヤス足袋 - 眠松」と詠われている。井原西鶴の句にも西鶴の句に「メリヤスをはいて蛤蜊踏まれたり」というのがある。
プラザ(plaza):英語のplace に相当するスペイン語。「広場」
カルデラ(caldera):スペイン語で「釜(かま)」を意味する。火山の中心にできたほぼ円形の大きな凹地。噴火後に火口部が陥没したものが多い。カナリア諸島の噴火口の名で、スペイン人によってつけられたらしい。
カスタネット(castanet): カスタネットは、「栗の実」を意味するスペイン語「castana(カスターニャ)」に由来する。カスタネットが「栗の実」に由来するのは、形が栗の実に似ているからとする説と、古くは、南欧の大きな栗の木で作られていたことからとする説がある。スペイン語で「カスタネット」を表す「castaneta」の「eta(ita)」は縮小辞なので、「小さな栗の実」の意味になるため、大きな栗の木で作られていたことから、「小さな栗の実」の名が付いたとする説がよいと思われる。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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