瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨夜来から、久し振りの雨。徘徊にも出かけられず、オランダ語からの外来語について調べてみた。
オランダ人が日本に初めてやった来たのは、1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後(大分県)に漂着した時である。この船にはイギリス人の航海士William Adams(ウィリアム・アダムス、1564~1620年、イギリス人航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針《みうら あんじん》としても知られる)とオランダ人の船員Jan Joosten(ヤン・ヨーステン、1556?~1623年、日本名は耶楊子《やようす》、Jan Joostenは名で、姓はvan Loodensteijn《ファン・ローデンスタイン》である)が乗っており、彼ら2人はポルトガル人の妨害があったにもかかわらず、家康から厚遇され、江戸に屋敷も与えられた。東京の表玄関八重洲通りのヤエスは、このJan Joostenの「ヤヨス」をなまったものだといわれる。
リーフデ号の漂着がきっかけとなって、1609(慶長14)年には、平戸に商館を開いて、日本との貿易を開始した。そして、1639年幕府が完全な鎖国体制をしくとともに、日本との貿易はオランダ人の独占する所となったのである。2年後の1641(寛永18)年には、オランダ商館は長崎の出島に移され、長崎こそ長い鎖国の間、日本人にとっては世界の情勢を垣間見、西欧の文化、学術の息吹をわずかながら吸い込むことのできる、唯一の小さな窓となった。
1720(享保5)年、将軍吉宗は禁書の令をゆるめた。いわゆる実学奨励のひとつとしてすぐれた西欧科学に着目し、キリスト教に関係のない洋書の輸入を許すことにしたのである。儒者の青木昆陽(1698~1769年)や医師の野呂元丈(のろげんじょう、1693~1761年)に命じてオランダ語を学ばせた。この昆陽についてオランダ語を学んだのが豊前中津藩藩医の前野良沢(まえのりょうたく、1723~1803年)であり、若狭藩潘医の杉田玄白(1733~1817年)とともに西欧医学の知識をはじめて体系的に把握し実証的科学研究の先鞭をつけたのである。
蘭学といえばすぐに医学を思い浮かべるほど医学が中心であったことは否定できない。しかし、医学だけでなく、科学知識の幼稚であった当時の日本人が、オランダ語を通して学び取った近代科学のほとんど全分野が含まれる。医学・薬学・天文暦学・地理学・本草学・物理化学・数学等から、のちには哲学、経済学、法律学にいたる広い分野が含まれて板のである。お上(かみ)から生産を増やし、産業を興し、実生活に役立つ学問が奨励されたため、おのずとそれに連なる自然科学の研究が盛んになって、蘭学といえばいかにも実用主義的な響きを伴っていた。
こうした蘭学の展開は、外来語面にも大きく反映している。ポルトガル語からの外来語の勢力がなかなか衰えなかったとはいえ、オランダ語からの外来語は専門語も加えると、二・三千語にも達するという。蘭学といえばただちに連想されるのは医学であるのに、この面でのオランダ語からの外来語は想像するほど多くない。特に病名などに就いては、伝染病を除くとオランダからの外来語はあまり見かけない。これは漢方医学がかなり進んでいて、従来からの名称をそのまま用いたためといわれる。現代の我々にも比較的なじみの多い言葉を、医療器具・薬品・薬草名などもあわせて挙げてみよう。
アキリス(Achilles):かの「解体新書」にも見える。ふくらはぎにある腓腹(ひふく)筋・平目(ひらめ)筋を、踵(かかと)の骨に付着させる、人体中最大の腱のこと。踵骨腱(しょうこつけん)。ギリシャ神話アキレウスの故事から人にとっての一番の弱点をいうようになった。
アポテキ(apotheek):薬剤師が販売又は授与の目的で調剤の業務を行う場所のことであり、医薬品の販売も行うことができる薬局のこと。
エキス(extract):エキストラクトの下半分を略したもの。動物や植物などの成分を水、エタノールあるいは水とエタノールの混合液に浸出させた液体を濃縮したもの
チンキ( tinctuur):チンクチュールの下半分を略したもの。生薬やハーブの成分をエタノール、またはエタノールと精製水の混合液に浸すことで作られる液状の製剤である。ヨードチンキ(Joodtinctuur、通称「ヨーチン」)やマーキュロクロム液(Mercurochrome、通称「赤チン」)は生薬から抽出されたものではないのでチンキではないが、慣例的にチンキと呼ばれている。
オブラート(oblaat):デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のことを指す。薬品や菓子などを包み、そのまま体内に摂取することができる。名称の由来はラテン語のオブラトゥス(oblatus、楕円形)からきている。
カテーテル(katheter):医療用に用いられる中空の柔らかい管のことである。
カンフル、カンポラ(kamfer,kampher):樟脳(樟脳)。血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用などがあるために主に外用医薬品の成分として使用されている。かつては強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的に“カンフル剤”と例えて呼ぶことがある。
キナ(kina):アカネ科キナ属の常緑高木の総称。葉は卵形・長楕円形や披針形で、対生。花は淡紅紫色や淡黄色。樹皮からキニーネが得られる。南米コロンビアからボリビアにかけてのアンデス山地原産。
キニーネ(kinine):キナの樹皮に含まれる主要なアルカロイド。マラリア治療の特効薬として知られ、塩酸塩・硫酸塩が用いられる。白色の結晶で、味はきわめて苦い。キニン。漢字で「規尼涅」と表記。
ケレオソート(creosoot):止瀉薬(ししゃやく、下痢止め)、殺菌薬。ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。
コレラ(cholera):日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822 〔文政5〕 年のことである。感染ルートは朝鮮半島あるいは琉球からと考えられているが、その経路は明らかでない。九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかった。2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858 〔安政5〕 年から3年にわたり大流行となった。日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であった。しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、「虎列刺」などと字を当てたが、それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コレラ」などとも呼ばれた。また「コロリと死んでしまう」の連想から「虎狼痢」「虎狼狸」などの呼び名も広く用いられたが、これはコレラからの純粋な転訛ではない。
サフラン(saffran):地中海沿岸を原産とするアヤメ科の多年草。およびそのめしべを乾燥させた香辛料。鎮静、鎮痛、通経作用がある。中国では西紅花、藏紅花の名で生薬として流通している。江戸時代末期にオランダ船によりもたらされた。赤い花柱(めしべ)を集めて乾燥させたものを、古代ローマやギリシャでは高価な薬として利用した。日本ではお湯で煎じたものをせき止めや強壮作用などの薬とするほか、食品などの着色料や 香辛料としても使用されている。そのいろんな価値ゆえ、「薬用(やくよう)サフラン」とも呼ばれる。サフランの名前は、”黄色”を意味する、アラビア語の「zafran」からの変化だという。
スポイト(spuit):オランダ語で針を意味する単語を誤って転用したという。ガラス管の一端にゴム袋がついているもの。インク・薬液などを吸い上げて他のものに移し入れたり、点滴したりするのに用いる。「スポイド」という表記を見かけるが、語源に見る限り最後の「ト」は濁らない。
ヂキタリス(digitalis):ギリシャ語で「ゆび」を表すdigitalに由来する。これは花の形が指サックに似ているためである。コンピューター用語のデジタル(ディジタル、digital)と起源は全く同じである。
ドクトル(doctor):日本では幕末の開国まで、唯一西洋と取引していた国がオランダ(蘭)ということでドクトルは西洋語=蘭語であった。長崎出島の当時の日本側資料を紐解くと「ドクトル・○○」とカタカナ表記されているものもある。開国(19世紀末)時ドイツ(独)から最新科学の知識を得た影響で、蘭語に近い音の独語「ドクトル」が使われ続けたが、政治的にはイギリス(英)優位であったので英語も普及し、英語音の「ドクター」が使われ始めた。
ペスト(pest):かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。抗生物質の発見により、死亡率が極端にさがった。
ヘンルーダー(wijnruit):江戸時代に渡来し、葉に含まれるシネオールという精油成分が通経剤・鎮痙剤・駆虫剤などに利用され、料理の香りづけにも使われていたが、毒性があるとされ、今はほとんどその目的には使われていない。オランダ語が訛ったもので、言語の発音wijnruit(ウェインライト)からはすっかり遠ざかってしまった。
メス(mes):メスは、外科手術や解剖に用いられる極めて鋭利な刃物である。オランダ語の mes(ナイフの意)が語源である。メスという名称は日本独自の物であり外国ではスカルペル(scalpel)またはランセット(lancet)と呼ばれる。古代エジプト人はembalming〔エンバーミング、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法〕の際、ガラス状の火成岩である黒曜石を鋭利に加工してメスとして用いた。アーユルヴェーダ《サンスクリット語で、インド大陸の伝統的医学で、その名はサンスクリット語の「アーユス(生気、生命)」と「ヴェーダ(知識、学)」の複合語である)には竹を鋭く裂いて用いたことが書いてある。
ヨヂウム(jodium):原子番号53の元素「沃素(元素記号I)」である。1811年、Bernard Courtois〔ベルナール・クールトア、1777~1828年、フランスの化学者〕によって発見された。ヨウ素は消毒薬としてもよく用いられる。ヨウ素のアルコール溶液がヨードチンキである。ヨウ素とヨウ化カリウムのグリセリン溶液がルゴール液である。また、ヨウ素デンプン反応はよく知られている。
オランダ人が日本に初めてやった来たのは、1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後(大分県)に漂着した時である。この船にはイギリス人の航海士William Adams(ウィリアム・アダムス、1564~1620年、イギリス人航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針《みうら あんじん》としても知られる)とオランダ人の船員Jan Joosten(ヤン・ヨーステン、1556?~1623年、日本名は耶楊子《やようす》、Jan Joostenは名で、姓はvan Loodensteijn《ファン・ローデンスタイン》である)が乗っており、彼ら2人はポルトガル人の妨害があったにもかかわらず、家康から厚遇され、江戸に屋敷も与えられた。東京の表玄関八重洲通りのヤエスは、このJan Joostenの「ヤヨス」をなまったものだといわれる。
リーフデ号の漂着がきっかけとなって、1609(慶長14)年には、平戸に商館を開いて、日本との貿易を開始した。そして、1639年幕府が完全な鎖国体制をしくとともに、日本との貿易はオランダ人の独占する所となったのである。2年後の1641(寛永18)年には、オランダ商館は長崎の出島に移され、長崎こそ長い鎖国の間、日本人にとっては世界の情勢を垣間見、西欧の文化、学術の息吹をわずかながら吸い込むことのできる、唯一の小さな窓となった。
1720(享保5)年、将軍吉宗は禁書の令をゆるめた。いわゆる実学奨励のひとつとしてすぐれた西欧科学に着目し、キリスト教に関係のない洋書の輸入を許すことにしたのである。儒者の青木昆陽(1698~1769年)や医師の野呂元丈(のろげんじょう、1693~1761年)に命じてオランダ語を学ばせた。この昆陽についてオランダ語を学んだのが豊前中津藩藩医の前野良沢(まえのりょうたく、1723~1803年)であり、若狭藩潘医の杉田玄白(1733~1817年)とともに西欧医学の知識をはじめて体系的に把握し実証的科学研究の先鞭をつけたのである。
蘭学といえばすぐに医学を思い浮かべるほど医学が中心であったことは否定できない。しかし、医学だけでなく、科学知識の幼稚であった当時の日本人が、オランダ語を通して学び取った近代科学のほとんど全分野が含まれる。医学・薬学・天文暦学・地理学・本草学・物理化学・数学等から、のちには哲学、経済学、法律学にいたる広い分野が含まれて板のである。お上(かみ)から生産を増やし、産業を興し、実生活に役立つ学問が奨励されたため、おのずとそれに連なる自然科学の研究が盛んになって、蘭学といえばいかにも実用主義的な響きを伴っていた。
こうした蘭学の展開は、外来語面にも大きく反映している。ポルトガル語からの外来語の勢力がなかなか衰えなかったとはいえ、オランダ語からの外来語は専門語も加えると、二・三千語にも達するという。蘭学といえばただちに連想されるのは医学であるのに、この面でのオランダ語からの外来語は想像するほど多くない。特に病名などに就いては、伝染病を除くとオランダからの外来語はあまり見かけない。これは漢方医学がかなり進んでいて、従来からの名称をそのまま用いたためといわれる。現代の我々にも比較的なじみの多い言葉を、医療器具・薬品・薬草名などもあわせて挙げてみよう。
アキリス(Achilles):かの「解体新書」にも見える。ふくらはぎにある腓腹(ひふく)筋・平目(ひらめ)筋を、踵(かかと)の骨に付着させる、人体中最大の腱のこと。踵骨腱(しょうこつけん)。ギリシャ神話アキレウスの故事から人にとっての一番の弱点をいうようになった。
アポテキ(apotheek):薬剤師が販売又は授与の目的で調剤の業務を行う場所のことであり、医薬品の販売も行うことができる薬局のこと。
エキス(extract):エキストラクトの下半分を略したもの。動物や植物などの成分を水、エタノールあるいは水とエタノールの混合液に浸出させた液体を濃縮したもの
チンキ( tinctuur):チンクチュールの下半分を略したもの。生薬やハーブの成分をエタノール、またはエタノールと精製水の混合液に浸すことで作られる液状の製剤である。ヨードチンキ(Joodtinctuur、通称「ヨーチン」)やマーキュロクロム液(Mercurochrome、通称「赤チン」)は生薬から抽出されたものではないのでチンキではないが、慣例的にチンキと呼ばれている。
オブラート(oblaat):デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のことを指す。薬品や菓子などを包み、そのまま体内に摂取することができる。名称の由来はラテン語のオブラトゥス(oblatus、楕円形)からきている。
カテーテル(katheter):医療用に用いられる中空の柔らかい管のことである。
カンフル、カンポラ(kamfer,kampher):樟脳(樟脳)。血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用などがあるために主に外用医薬品の成分として使用されている。かつては強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的に“カンフル剤”と例えて呼ぶことがある。
キナ(kina):アカネ科キナ属の常緑高木の総称。葉は卵形・長楕円形や披針形で、対生。花は淡紅紫色や淡黄色。樹皮からキニーネが得られる。南米コロンビアからボリビアにかけてのアンデス山地原産。
キニーネ(kinine):キナの樹皮に含まれる主要なアルカロイド。マラリア治療の特効薬として知られ、塩酸塩・硫酸塩が用いられる。白色の結晶で、味はきわめて苦い。キニン。漢字で「規尼涅」と表記。
ケレオソート(creosoot):止瀉薬(ししゃやく、下痢止め)、殺菌薬。ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。
コレラ(cholera):日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822 〔文政5〕 年のことである。感染ルートは朝鮮半島あるいは琉球からと考えられているが、その経路は明らかでない。九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかった。2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858 〔安政5〕 年から3年にわたり大流行となった。日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であった。しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、「虎列刺」などと字を当てたが、それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コレラ」などとも呼ばれた。また「コロリと死んでしまう」の連想から「虎狼痢」「虎狼狸」などの呼び名も広く用いられたが、これはコレラからの純粋な転訛ではない。
サフラン(saffran):地中海沿岸を原産とするアヤメ科の多年草。およびそのめしべを乾燥させた香辛料。鎮静、鎮痛、通経作用がある。中国では西紅花、藏紅花の名で生薬として流通している。江戸時代末期にオランダ船によりもたらされた。赤い花柱(めしべ)を集めて乾燥させたものを、古代ローマやギリシャでは高価な薬として利用した。日本ではお湯で煎じたものをせき止めや強壮作用などの薬とするほか、食品などの着色料や 香辛料としても使用されている。そのいろんな価値ゆえ、「薬用(やくよう)サフラン」とも呼ばれる。サフランの名前は、”黄色”を意味する、アラビア語の「zafran」からの変化だという。
スポイト(spuit):オランダ語で針を意味する単語を誤って転用したという。ガラス管の一端にゴム袋がついているもの。インク・薬液などを吸い上げて他のものに移し入れたり、点滴したりするのに用いる。「スポイド」という表記を見かけるが、語源に見る限り最後の「ト」は濁らない。
ヂキタリス(digitalis):ギリシャ語で「ゆび」を表すdigitalに由来する。これは花の形が指サックに似ているためである。コンピューター用語のデジタル(ディジタル、digital)と起源は全く同じである。
ドクトル(doctor):日本では幕末の開国まで、唯一西洋と取引していた国がオランダ(蘭)ということでドクトルは西洋語=蘭語であった。長崎出島の当時の日本側資料を紐解くと「ドクトル・○○」とカタカナ表記されているものもある。開国(19世紀末)時ドイツ(独)から最新科学の知識を得た影響で、蘭語に近い音の独語「ドクトル」が使われ続けたが、政治的にはイギリス(英)優位であったので英語も普及し、英語音の「ドクター」が使われ始めた。
ペスト(pest):かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。抗生物質の発見により、死亡率が極端にさがった。
ヘンルーダー(wijnruit):江戸時代に渡来し、葉に含まれるシネオールという精油成分が通経剤・鎮痙剤・駆虫剤などに利用され、料理の香りづけにも使われていたが、毒性があるとされ、今はほとんどその目的には使われていない。オランダ語が訛ったもので、言語の発音wijnruit(ウェインライト)からはすっかり遠ざかってしまった。
メス(mes):メスは、外科手術や解剖に用いられる極めて鋭利な刃物である。オランダ語の mes(ナイフの意)が語源である。メスという名称は日本独自の物であり外国ではスカルペル(scalpel)またはランセット(lancet)と呼ばれる。古代エジプト人はembalming〔エンバーミング、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法〕の際、ガラス状の火成岩である黒曜石を鋭利に加工してメスとして用いた。アーユルヴェーダ《サンスクリット語で、インド大陸の伝統的医学で、その名はサンスクリット語の「アーユス(生気、生命)」と「ヴェーダ(知識、学)」の複合語である)には竹を鋭く裂いて用いたことが書いてある。
ヨヂウム(jodium):原子番号53の元素「沃素(元素記号I)」である。1811年、Bernard Courtois〔ベルナール・クールトア、1777~1828年、フランスの化学者〕によって発見された。ヨウ素は消毒薬としてもよく用いられる。ヨウ素のアルコール溶液がヨードチンキである。ヨウ素とヨウ化カリウムのグリセリン溶液がルゴール液である。また、ヨウ素デンプン反応はよく知られている。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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