瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日は、ブログ集24を印刷したが、印刷の位置ずれ・トナートラブル(黒のトナーが印刷されなくなる)で電話で問い合わせやらで、1日中かかりっきり疲れた。まあ、現在のプリンターは2010年1月に購入したから保障期間5年の半分しか経過していないが、大分くたばってきたらしい。自分の技量は棚に上げ、プリンターの所為にしておこう。というわけで、ブログも打てない始末。今日は製本・裁断の予定。予定はあくまでも予定で、完成はいつになる皮からない。
今日は、オランダ語から外来語となった器具や日用品の名前に目を向けてみよう。
インキ(ト)(inkt)、ペン(pen)、ゴム(gom)、ギャマン(diamant)、ガラス(glas)、レッテル(letter)、オルゴ(ー)ル(orgel)、カラン(kraan)、キルク(kurk)、コップ(kop)、ブリキ(blik)、ペンキ(pek)、ポンプ(pomp)、ランプ(lamp) などがある。
インキはおよそ5000年前に、石の表面に絵や文字を刻むための黒色インク(墨)が中国で開発された。このインクは油煙や松煙と膠の混合物であった。他地域の初期文明においても植物の実や種、鉱物から様々な色のインクが作り出された。エジプトのカリフ、ムイッズは手や衣服を汚すことのないペンを要求した。その要求に応えて953年に万年筆の原型といえるペンが開発された。ペン(pen)とは、硬筆筆記具のうち、インクによって書くものの総称。万年筆やボールペン、サインペンなどがこれにあたる。もともとは「ペン先」と「ペン軸」によって構成されるつけペン形式で、先端にインクや墨をつけて毛管現象などで保持させつつ書くものであったが、近代以降、中にインクが入ったものが発達した。インキはインキもしくはインキトという形で、ペンとともに江戸時代の文献にかなり現れているので、オランダ語からの外来語と見做すことができる。
ゴムは、元来は植物体を傷つけるなどして得られる無定形かつ軟質の高分子物質のことである。ゴムをはじめて紹介したのはChristopher Columbus(クリストファー コロンブス、1451?~1506年)だといわれる。1493年の第二回目の航海でプエルトリコとジャマイカに上陸し、そこで原住民が大きく跳ねるボールで遊んでいるのを見てとても驚いたといわれている。その後スペインに持ち帰らたが文字消しやおもちゃ程度にしか価値はなく、この後200年あまり科学的研究はされなかった。ちなみにゴムを意味するラバー(Rubber)は英語でこすって消す(rub out)文字消しに由来している。ゴムは後に英語のgum を借り入れたガムと並んで、今も使われているが、英語のgum も本来は「樹皮から分泌する乳状液」の意味だが、もっぱら「チュウインガム」という特殊な意味に限られて使われることとなった。
ギャマンは、その原語diamant からも想像できるように、本来は「ダイヤモンド」である。日本ではガラス細工を「ギャマン細工」といっているうちに、それを略したギャマンが「ガラス」そのものをさすようになった。しかし、「ガラス」としては同じオランダ語から入ったガラス(glas)が優勢となり、ギャマンもポルトガル語からはいっていたビードロをも駆逐して、今日では王座を確保している。後に英語のglass を借り入れたグラスも使われるようになったが、こちらはもっぱら「洋酒のカップ」の意味に限られた。
レッテルとは、元はオランダ語で商品などに貼り付ける札(ふだ)のことである。ラベルまたはレーベルが転じて、人や物事に対する類型化された評価のこと。英語と綴りも全く同じletter(文字)を借り入れたものかもしれない。
オルゴールは、ゼンマイ仕掛けで、蓋を開けることで(あるいは手回しのハンドルを回すことで)音楽が流れる機械。語源はオランダ語の「orgel(オルゲル)、オルガン」で、それが訛って今の「オルゴール」になったという。ちなみに英語では「music box」。
カランは、オランダ語で「鶴」を意味する「kraan」から。カランが「鶴」の意味からきているのは、蛇口の長い管が鶴の首から頭にかけての形に似ているためである。
コルクは、コルクガシの樹皮のコルク組織を剥離、加工した弾力性に富む素材。空気をよく含み、軟らかいため、中国語では「軟木」(ruǎnmù)と呼んでいる。コルクの需要は、16世紀のガラス瓶(びん)の出現により、17世紀に入って急激に増加した。そして1760年のスペインでは、コルク量産化のためにコルク樹の育成栽培が始めらた。日本では、江戸時代末期、諸外国から持ち込まれた洋酒類に使われていたコルク栓を再製し、目薬瓶の栓として利用したのがコルク加工のはじまりといわれている。その後、明治時代に入りビール王冠用コルク使用や、ガラス容器の発達に伴いコルク栓の需要は拡大したという。
歴史的にコップが日本に伝わったのは、江戸時代で、ギヤマンやビードロなどのガラス製品とともに伝わったため、英語を語源とするカップではなくオランダ語を語源とするコップと表現される。古くから日本に伝わっていたため、江戸時代を経て外国との交流のあった長崎などを中心に各地の工芸品に見ることができる。
ブリキは、スズを鍍金した鋼板のことである。缶詰など、常に水分と接触する部材に用いられるほか、かつては玩具の主要な材料でもあった。オランダ語のBlikから来たという説が有力。明治時代、レンガを鋼板で保護しているものを見た日本人が、鋼板のことを尋ねるつもりでそれは何かと質問したところ、"brick"(レンガを意味する英語)という答えが返ってきたことから誤って付いた名である、とする説がある。しかしブリキについては江戸時代より知られており、この説は疑わしい。
ペンキは大航海時代に、主に帆船の木材保護や水密性の維持のために使用されたオランダ語(pek)を語源としたものを指す。現在でも商品として売られているスパーワニス(Spar vanish)はSpar=”マスト周りの艤装品”に塗る天然樹液を原料としたワニスのことである。また、帆船の開口部を荒天時に塞ぐキャンバスは布に塗料を塗りこんだ物である。帆にペンキを塗る歴史はノルウェーのバイキングの時代にはすで行われていたのは確かなようである。いずれにせよ、現在使われている塗料の誕生はノアの箱舟にそれらしきものを塗ったという記述からしても船とは切っても切れない関係にありそうである。
ポンプは、機械的なエネルギーを液体・気体の圧力・運動エネルギーに変換させる流体機械をいう。圧力を高めたり減圧したり、または移動させるのに用いられる。大正時代から、昇進ポンプと呼ばれる手押しポンプが広島で作られ、また名古屋地区にてガチャポンと呼ばれる手押しポンプが鋳造量産され始めた。
ランプは燃料を燃やす照明器具。石油ランブは石油を金属製またはガラス製の油壺に入れ、口には口金(くちがね)をつけ、灯芯を差し込み点火し、「ほや」(ガラス製の筒)をきせて燃えをよくし、かつ風で吹き消されるのを防ぐ。灯芯はねじで上下した。すすで汚れたほやの清掃は手の小さな子供の仕事であった。種類としては吊り下げるものと、据え置くものとがあった。日本に渡来したのは万延元年(1860年)、林洞海(はやし どうかい、1813~1895年、日本の蘭方医。幕府奥医師)が渡米した友人からもらい、臭水(原油の越後地方での古称)で点火したのが最初であるという。慶応頃からしだいに普及し、その明るさを賞賛され、明治5年には家々で点火され、明治15(1882)年ごろにはランプ亡国論なるものさえもちあがった。平芯から円芯、両芯がおこり、空気ランプから白熱マントルランプが現われ、その一方では携帯用のカンテラも派生し、電灯が普及するまでは王者の位にあった。現在でも電気が利用できない奥地の山小屋などでは現役で用いられているという。
今日は、オランダ語から外来語となった器具や日用品の名前に目を向けてみよう。
インキ(ト)(inkt)、ペン(pen)、ゴム(gom)、ギャマン(diamant)、ガラス(glas)、レッテル(letter)、オルゴ(ー)ル(orgel)、カラン(kraan)、キルク(kurk)、コップ(kop)、ブリキ(blik)、ペンキ(pek)、ポンプ(pomp)、ランプ(lamp) などがある。
インキはおよそ5000年前に、石の表面に絵や文字を刻むための黒色インク(墨)が中国で開発された。このインクは油煙や松煙と膠の混合物であった。他地域の初期文明においても植物の実や種、鉱物から様々な色のインクが作り出された。エジプトのカリフ、ムイッズは手や衣服を汚すことのないペンを要求した。その要求に応えて953年に万年筆の原型といえるペンが開発された。ペン(pen)とは、硬筆筆記具のうち、インクによって書くものの総称。万年筆やボールペン、サインペンなどがこれにあたる。もともとは「ペン先」と「ペン軸」によって構成されるつけペン形式で、先端にインクや墨をつけて毛管現象などで保持させつつ書くものであったが、近代以降、中にインクが入ったものが発達した。インキはインキもしくはインキトという形で、ペンとともに江戸時代の文献にかなり現れているので、オランダ語からの外来語と見做すことができる。
ゴムは、元来は植物体を傷つけるなどして得られる無定形かつ軟質の高分子物質のことである。ゴムをはじめて紹介したのはChristopher Columbus(クリストファー コロンブス、1451?~1506年)だといわれる。1493年の第二回目の航海でプエルトリコとジャマイカに上陸し、そこで原住民が大きく跳ねるボールで遊んでいるのを見てとても驚いたといわれている。その後スペインに持ち帰らたが文字消しやおもちゃ程度にしか価値はなく、この後200年あまり科学的研究はされなかった。ちなみにゴムを意味するラバー(Rubber)は英語でこすって消す(rub out)文字消しに由来している。ゴムは後に英語のgum を借り入れたガムと並んで、今も使われているが、英語のgum も本来は「樹皮から分泌する乳状液」の意味だが、もっぱら「チュウインガム」という特殊な意味に限られて使われることとなった。
ギャマンは、その原語diamant からも想像できるように、本来は「ダイヤモンド」である。日本ではガラス細工を「ギャマン細工」といっているうちに、それを略したギャマンが「ガラス」そのものをさすようになった。しかし、「ガラス」としては同じオランダ語から入ったガラス(glas)が優勢となり、ギャマンもポルトガル語からはいっていたビードロをも駆逐して、今日では王座を確保している。後に英語のglass を借り入れたグラスも使われるようになったが、こちらはもっぱら「洋酒のカップ」の意味に限られた。
レッテルとは、元はオランダ語で商品などに貼り付ける札(ふだ)のことである。ラベルまたはレーベルが転じて、人や物事に対する類型化された評価のこと。英語と綴りも全く同じletter(文字)を借り入れたものかもしれない。
オルゴールは、ゼンマイ仕掛けで、蓋を開けることで(あるいは手回しのハンドルを回すことで)音楽が流れる機械。語源はオランダ語の「orgel(オルゲル)、オルガン」で、それが訛って今の「オルゴール」になったという。ちなみに英語では「music box」。
カランは、オランダ語で「鶴」を意味する「kraan」から。カランが「鶴」の意味からきているのは、蛇口の長い管が鶴の首から頭にかけての形に似ているためである。
コルクは、コルクガシの樹皮のコルク組織を剥離、加工した弾力性に富む素材。空気をよく含み、軟らかいため、中国語では「軟木」(ruǎnmù)と呼んでいる。コルクの需要は、16世紀のガラス瓶(びん)の出現により、17世紀に入って急激に増加した。そして1760年のスペインでは、コルク量産化のためにコルク樹の育成栽培が始めらた。日本では、江戸時代末期、諸外国から持ち込まれた洋酒類に使われていたコルク栓を再製し、目薬瓶の栓として利用したのがコルク加工のはじまりといわれている。その後、明治時代に入りビール王冠用コルク使用や、ガラス容器の発達に伴いコルク栓の需要は拡大したという。
歴史的にコップが日本に伝わったのは、江戸時代で、ギヤマンやビードロなどのガラス製品とともに伝わったため、英語を語源とするカップではなくオランダ語を語源とするコップと表現される。古くから日本に伝わっていたため、江戸時代を経て外国との交流のあった長崎などを中心に各地の工芸品に見ることができる。
ブリキは、スズを鍍金した鋼板のことである。缶詰など、常に水分と接触する部材に用いられるほか、かつては玩具の主要な材料でもあった。オランダ語のBlikから来たという説が有力。明治時代、レンガを鋼板で保護しているものを見た日本人が、鋼板のことを尋ねるつもりでそれは何かと質問したところ、"brick"(レンガを意味する英語)という答えが返ってきたことから誤って付いた名である、とする説がある。しかしブリキについては江戸時代より知られており、この説は疑わしい。
ペンキは大航海時代に、主に帆船の木材保護や水密性の維持のために使用されたオランダ語(pek)を語源としたものを指す。現在でも商品として売られているスパーワニス(Spar vanish)はSpar=”マスト周りの艤装品”に塗る天然樹液を原料としたワニスのことである。また、帆船の開口部を荒天時に塞ぐキャンバスは布に塗料を塗りこんだ物である。帆にペンキを塗る歴史はノルウェーのバイキングの時代にはすで行われていたのは確かなようである。いずれにせよ、現在使われている塗料の誕生はノアの箱舟にそれらしきものを塗ったという記述からしても船とは切っても切れない関係にありそうである。
ポンプは、機械的なエネルギーを液体・気体の圧力・運動エネルギーに変換させる流体機械をいう。圧力を高めたり減圧したり、または移動させるのに用いられる。大正時代から、昇進ポンプと呼ばれる手押しポンプが広島で作られ、また名古屋地区にてガチャポンと呼ばれる手押しポンプが鋳造量産され始めた。
ランプは燃料を燃やす照明器具。石油ランブは石油を金属製またはガラス製の油壺に入れ、口には口金(くちがね)をつけ、灯芯を差し込み点火し、「ほや」(ガラス製の筒)をきせて燃えをよくし、かつ風で吹き消されるのを防ぐ。灯芯はねじで上下した。すすで汚れたほやの清掃は手の小さな子供の仕事であった。種類としては吊り下げるものと、据え置くものとがあった。日本に渡来したのは万延元年(1860年)、林洞海(はやし どうかい、1813~1895年、日本の蘭方医。幕府奥医師)が渡米した友人からもらい、臭水(原油の越後地方での古称)で点火したのが最初であるという。慶応頃からしだいに普及し、その明るさを賞賛され、明治5年には家々で点火され、明治15(1882)年ごろにはランプ亡国論なるものさえもちあがった。平芯から円芯、両芯がおこり、空気ランプから白熱マントルランプが現われ、その一方では携帯用のカンテラも派生し、電灯が普及するまでは王者の位にあった。現在でも電気が利用できない奥地の山小屋などでは現役で用いられているという。
※ランプ亡国論とは、明治初期の僧侶、佐田介石〔さた かいせき、1818~1882年、肥後国出身、幕末から明治初頭にかけての浄土真宗本願寺派(晩年は天台宗)の僧侶〕が外国製品排斥の立場から提唱した説で、灯油を用いるランプを使っていると、菜種油生産農家が困窮し国が滅びると主張した。
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