瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  昨日のブログを打ちながら、随分前学生時代に、読んだ寺田寅彦の『金平糖』という随筆を思い出した。手元にその随筆集がないので、きっと金に困って何処かの古本屋に売ったに違いない。ネットで探してやっと見つけ出したので、ここに転写しておく。
69c64df4.jpeg※物理学者でありすぐれた随筆家でもあった寺田寅彦(筆名・吉村冬彦1889~1935)は、平河町三丁目の生まれと自述年譜に記している。8歳の時には中六番町52(四番町8・マインハイム四番町辺り)に住み、ここから番町小学校に通っている。高校の時、夏目漱石から英語を学び、それ以後師と仰ぐ。『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルともいわれているが、このことは漱石が寒月の扱いについて伺いをたてる手紙を書いていることや、帝大理学部の描写やそこで行われている実験が寅彦の案内で見学した体験に基づいていることからも裏付けられるという。自然科学者でありながら文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。その中には大陸移動説を先取りするような作品もある。「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉といわれるが、著書中にその文言はないという。

備忘録  寺田寅彦  『金米糖』
 金米糖(こんぺいとう)という菓子は今日ではちょっと普通の菓子屋駄菓子屋(だがしや)には見当たらない。聞いてみるとキャラメルやチョコレートにだんだん圧迫されて、今ではこれを製造するものがきわめてまれになったそうである。もっとも小粒で青黄赤などに着色して小さなガラスびんに入れて売っているのがあるが、あれは少し製法がちがうそうである。
 この金米糖のできあがる過程が実に不思議なものである。私の聞いたところでは、純良な砂糖に少量の水を加えて鍋(なべ)の中で溶かしてどろどろした液体とする。それに金米糖の心核となるべき芥子粒(けしつぶ)を入れて杓子(しゃくし)で攪拌(かくはん)し、しゃくい上げしゃくい上げしていると自然にああいう形にできあがるのだそうである。
 中に心核があってその周囲に砂糖が凝固してだんだんに生長する事にはたいした不思議はない。しかしなぜあのように角(つの)を出して生長するかが問題である。
 物理学では、すべての方向が均等な可能性をもっていると考えられる場合には、対称(シンメトリー)の考えからすべての方面に同一の数量を付与するを常とする。現在の場合に金米糖が生長する際、特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が考えられない、それゆえに金米糖は完全な球状に生長すべきであると結論したとする。しかるに金米糖のほうでは、そういう論理などには頓着(とんちゃく)なく、にょきにょきと角を出して生長するのである。
 これはもちろん論理の誤謬(ごびゅう)ではない。誤った仮定から出発したために当然に生まれた誤った結論である。このパラドックスを解く鍵(かぎ)はどこにあるかというと、これは畢竟(ひっきょう)、統計的平均についてはじめて言われうるすべての方向の均等性という事を、具体的に個体にそのまま適用した事が第一の誤りであり、次には平均からの離背が一度でき始めるとそれがますます助長されるいわゆる不安定の場合のある事を忘れたのが第二の誤りである。
 平均の球形からの偶然な統計的異同 fluctuation(フラクチュエーション) が、一度少しでもできて、そうしてそのためにできた高い所が低い所よりも生長する割合が大きくなるという物理的条件さえあればよい。現在の場合にこの条件が何であるかはまだよくわからないが、そのような可能性はいくらも考え得られる。
 おもしろい事には金米糖の角の数がほぼ一定している、その数を決定する因子が何であるか、これは一つのきわめて興味ある問題である。
 従来の物理学ではこの金米糖の場合に問題となって来るような個体のfluctuation(フラクチュエーション)の問題が多くは閑却されて来た。その異同がいつも自働的に打ち消されるような条件の備わった場合だけが主として取り扱われて来た。そうでない不安定の場合は、言わば見ても見ぬふりをして過ぎて来た。畢竟(ひっきょう)はそういうものをいかにして取り扱ってよいかという見当がつかなかったせいもあろうが、一つにはまた物理学がその「伝統の岩窟(がんくつ)」にはまり込んで安きを偸(ぬす)んでいたためとも言われうる。
 物理学上における偶然異同の現象の研究は近年になっていくらか新しい進展の曙光(しょこう)を漏らし始めたように見えるが、今のところまだまだその研究の方法も幼稚で範囲もはなはだ狭い。
 そういう意味から、金米糖の生成に関する物理学的研究は、その根本において、将来物理学全般にわたっての基礎問題として重要なるべきあるものに必然に本質的に連関して来るものと言ってもよい。
a85d45dd.jpeg 同じ意味で将来の研究問題と考えられる数々の現象の一つは、Lichtenberg〔リヒテンベルク、1742~1799年〕の放電図形である。これも従来はほとんど骨董的(こっとうてき)題目(だいもく)として閑却され、たまたまこれを研究する好事家(こうずか)は多くの学者の嘲笑(ちょうしょう)を買ったくらいである。ところが皮肉な事には最近に至ってこの現象が電気工学で高圧の測定に応用される可能性が認められるようになって、だんだんこの研究に従事する人の数を増すように見える。しかし今までのところまだだれもこの現象の成因について説明を試みた人はない。しかるにこの現象はその根本の性質上おのずから金米糖の生成とある点まで共通な因子をもっている。そしておそらく将来ある「一つの石によって落とさるべき二つの鳥」である。
 生物学上の「生命」の問題に対しては、今のところ物理学はなんら容喙(ようかい)の権利をもたない。Lord Kelvin(ロード・ケルヴィン、1824~1907年、イギリスの物理学者William Thomsonのこと)は地球上の生命の種子が光圧によって星の世界から運ばれたという想像を述べた。しかしそれは生命そのものの起原に対しては枝葉の問題である。今のままの物理学ではおそらく永久に無力であろうが、もし物理学上の統計的異同の研究が今後次第に進歩して行けばこの方面から意外の鍵(かぎ)が授けられて物質と生命との間に橋を架ける日が到着するかもしれないという空想が起こる。
 街上を往来している人間の数についてある統計を取ってみると、その結果は、個々の人間もあたかも無生のガス分子ででもあると同様な統計的分布を示す事が証明される。もし人間以外のあるものが他の世界からこれら街上の人間についてただこのような統計的分布に関係した事がらのみを観察していたならば、そのものの目には、人間は無生の微分子としか見えないであろう。そうして、その同じ微分子が、一方で有機的な国家社会的の機関を構成しているのを見てその有機体の生命の起原を疑い怪しむに相違ない。
 このアナロジーから喚起される一つの空想は、もしや生命の究極の種が一つ一つの物質分子の中にすでに備わっているのではないかという事である。物理学者はおそらくただその統計的の現われのみを観察しているのではないだろうか、そうして無生の微粒と思っているものが生物という国家を作り社会を組織しているのに会って驚き怪しんでいるのではないだろうか。
 同一元素の分子の個々のものに個性の可能性を認めようとした人は前にもあった。ついでに原子個々にそれぞれ生命を付与する事によって科学の根本に横たわる生命と物質の二元をひとまとめにする事はできないものだろうか。
 金米糖の物理から出発したのが、だんだんに空想の梯子(はしご)をよじ登って、とうとう千古の秘密のなぞである生命の起原にまでも立ち入る事になったのはわれながら少しく脱線であると思う。近年の記録を破ったことしの夏の暑さに酔わされた痴人の酔中語のようなものであると見てもらうほうが適当かもしれない。
 それにしてもこのおもしろい金米糖が千島(ちしま)アイヌかなんぞのように滅びて行くのは惜しい。天然物保存に骨を折る人たちは、ついでにこういうものの保存も考えてもらいたいものである。
 
 日本物理学会誌 Vol.64, No.10, 2009より
 金平糖は、砂糖水で作る、表面に凹凸の角があるお菓子です。日本へはポルトガル人が1550年にカステラと共に南蛮菓子として伝えました。
 金平糖の作り方
・大きな中華鍋を加熱する(中華鍋は必須ではなく、ロータリーエバポーレーターでも可)
・ザラメの粒を1000個以上鍋の中に入れる
・鍋の過熱を続けながら、回転によって攪拌する
・攪拌しながら飽和濃度に近く粘度の高いショ糖溶液を上から加る
・ザラメを核に金平糖が成長を始める
・ショ糖液は金平糖の表面が乾く頃合いを見計らいながら育成の間継続的に補給する
・やがて表面におなじみの角が生え始める
・数十時間後に立派な角が生えた金平糖ができあがり
 金平糖の形について科学的な研究が行われ始めたのは1980年代に入ってからで、この頃流行したフラクタルやカオスに関する研究と関係があり、角成長を数式で解析したり、コンピューター上で再現するシミュレーションモデルなどにかんする研究が盛んに行われました。
※fractale(フラクタル)は、フランスの数学者Benoît Mandelbrot〔ブノワ・マンデルブロ、1924~2010年〕 が導入した幾何学の概念。図形の部分と全体が自己相似になっているものなどをいう。
※chaos theory(カオスセオリー、カオス理論)は、力学系の一部に見られる、予測できない複雑な様子を示す現象を扱う理論である。カオス力学ともいう。
fe8c70d9.jpeg 金平糖に角が生える現象は、雪のような結晶の成長で見られる凸凹と基本的に同じもので、金平糖や雪が成長する過程でノイズによって生じた小さな形状のムラがさらに増幅されるメカニズムによって説明されます。外側にとがった場所にはより多くのショ糖が集まるのが化学的な決まりがあり、その逆にへこんだ部分にはショ糖はあまり流れ込まない化学的な決まりもありますので、いったん角になった部分はますます成長することになります。
 金平糖を実験室で成長させる実験結果によると、ザラメを構成する蔗糖の結晶は単斜晶系と呼ばれるマッチ箱のような形をしており、ザラメから金平糖を成長させると最初はマッチ箱の両端から角を出すようないびつな形で成長を開始し、成長しながら球に近づいていく様子が観察されました。最初に生える角の本数は粒の大きさに関係なく90本くらいからスタートし、成長に伴って角の数は減少し、最終的には20~24本の角を持つ金平糖が最も多くなります。また、成長の各段階で金平糖を計測したところ、粒子の大きさと角の間隔には比例関係があり、粒径が4mmの時には角の間隔は1mm、粒径が7mmに成長すると角の間隔は3mmとなっていました。一方で、どのような因子が角の長さを決定するのかについてはいまだによくわかっていません。
 
  天正12(1543)年、種子島に漂着し、鉄砲を伝えてから、寛永16(1639)年、来航禁止の最後通牒を突き付けられるまでの96年という長い年月の間ポルトガル人は日本に来航した初めての西洋人として日本人と交渉を持っていた。日本人の精神生活に及ぼした彼らの影響には計り知れないものがある。キリシタンが禁じられたため、今日まで生き残っているポルトガル語からの外来語は極めて少ないが、当時のキリシタン関係用語は、若干のラテン語・スペイン語を含めると500語を算するという。/いっぽうポルトガルとの貿易は、近況後も盛んに行われ、今まで日本人の知らなかったもの珍しい品々も引き続き沢山入ってきた。それにともなって、その名称も原語をそっくりそのまま借りる場合も多かった。そういう言葉が事物とともにいったん日本人の生活のなかに根ざしてしまうと、後からやって来たスペイン語・オランダ語などが、それに取って代わることは容易なことではなかった。このため、オランダとの貿易がさかんとなった江戸時代でも、なおかつポルトガル語からの外来語が相当使われていたらしい。今われわれが使っているものは通商関係用語がほとんどであって、キリシタン関係用語は数えるほどしかない。思いつくままにポルトガル語からの外来語を少々調べてみた。
 
e8bf8440.jpeg モール(mogol):原義はインドのムガル帝国に由来するという。「莫臥児」とも書く。/緞子(どんす)に似た浮き織りの織物。たて糸に絹糸を、よこ糸に金糸・銀糸・色糸を用いて花紋などを織りだしたもの。金糸を用いたものを金モール、銀糸を用いたものを銀モールという。名物裂(ぎれ)として茶人に愛好された。モール織り。/金・銀あるいは色糸をからませた飾り撚(よ)りの糸。モール糸。/針金に色糸・ビニールなどを撚りつけたもの。クリスマスの飾りや手芸などに用いる。
 ボーロ(bolo):焼菓子の一つであり、南蛮菓子の一つである。/ポルトガル語で「ケーキ」を意味し、小麦粉(そば粉や片栗粉も使ったものもある)に卵、砂糖などを加えてこね、成型してから焼き上げたもの。一般的にはカリッとした軽い歯ざわりと口中でさらりと溶ける食感が特徴であるが、中にはカステラのようにしっとり焼き上げたものもある。日本には16世紀にポルトガルから伝えられた。
 ピン・キリ(pinta・cuuz」:「ピン」は「点」を意味するポルトガル語「pinta(ピンタ)」に由来し、カルタやサイコロの目の「一」を意味するようになり、転じて「初め」「最上」の意味となった。「キリ」は「十字架」を意味するポルトガル語「cruz(クルス)」が転じた語で、「十」を意味するようになり、「終わり」「最低」の意味になったとする説と、「限り」を意味する「切り」を語源とする説がある。天正年間に流行した天正カルタでは、各グループの終わりの12枚目を「キリ」と称していることから、「十字架(クルス)」の「十」が語源とは考え難いため、「限り」を意味する「切り」が有力とされている。
 パン(pão):西 pan、仏 pain、伊: paneといい、日本へはポルトガル人が伝えた。小麦粉やライ麦粉などに水、酵母、塩などを加えて作った生地を発酵させた後に焼いた食品(発酵パン)。変種として、蒸したり、揚げたりするものもある。また、レーズン、ナッツなどを生地に練り込んだり、別の食材を生地で包んだり、生地に乗せて焼くものもある。生地を薄くのばして焼くパンや、ベーキングパウダーや重曹を添加して焼くパンの中には、酵母を添加せずに作られるもの(無発酵パン)も多い。これらは、多くの国で主食となっている。/日本語および朝鮮語・中国語での漢字表記は麺麭と表すが、現在ではほとんど用いられていない。
 トタン(Tutanaga):波板のトタンを切断する際には波板が変形してしまうことを防ぐために専用のはさみが用いられることが多い。簡易な建造物の屋根や外壁、塀に用いられたり雨どいなどに使われる。またバケツ、じょうろ、ちりとり等の日用品の材料にも用いられる。
f21510d3.jpeg チャルメラ「charamela」:イタリア語では「チャラメッラ(ciaramella)」、フランス語では「シャリュモー(chalumeau)」と称する。英語では「ショーム(shawm)」といい、これはフランス語由来。/漢字表記は「嗩吶(スオナー)」。中国の楽器「嗩吶」(スオナー:簡体字表記「唢呐」)に由来し、「唐人笛」と呼ばれていたこともある。嗩吶は京劇などで用いられた楽器であり、日本には安土桃山時代に伝わったとみられる。江戸時代初期に長崎を訪れたポルトガル人が、この楽器を「チャラメラ」と呼んだことから、嗩吶のことを「チャルメラ」と呼ぶようになった。/屋台のラーメン屋の客寄せによく使われるチャルメラのメロディーを鳴らす自動車用警笛『チャルメラホーン』を指してチャルメラと呼ぶ。多くの人に知られており、そのメロディーはソラシーラソーソラシラソラーというものである。/歌舞伎の下座で使用されることもあり、ラーメン・豆腐・納豆などの流しの屋台や物売りで客寄せにチャルメラを使用しているケースがある。
※サーサーン朝期のペルシアにて軍楽隊が使用した楽器が起源とされる。のちにスペイン、ポルトガルに伝えられ、ヨーロッパに普及した。その構造は、フランスのJean Hotteterre〔ジャン・オトテール、1648?~1732年)〕らによって室内用楽器として改良が加えられ、オーボエの誕生に繋がったという。/トルコの伝統楽器『zurna(ズルナ)』もこの系統であり、形もチャルメラに似ている。
 タバコ(tabaco):タバコの語源は、スペイン語やポルトガル語の "tabaco"である。/タバコ自体は15世紀にアメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものであるが、それ以前からスペインでは薬草類を "tabaco"と呼んでいた。しばしばアメリカ・インディアンの言葉が語源であると言われるが、それは誤りである。/スペイン語の "tabaco" は、古いアラビア語で薬草の一種を示す "tabaq" という言葉が語源であるとみられている。/この単語が、フランス語では "tabac"、ドイツ語では "Tabak"、英語では "tobacco" となった。日本ではポルトガル語の音に近い「タバコ」として広まった。/漢字の当て字としては「多巴古」、「佗波古」、「多葉粉」、「莨」、「淡婆姑」などが用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が最も多い。中国語では「香烟」と呼ぶ(「烟」は煙の意)
 シャボン(sabao):石鹸の「石」は固い物の意味。「鹸」は塩水が固まったアルカリの結晶、また灰をこした水のことで、アルカリ性で洗濯にも使えることから、本来は「鹸」の一字で「石鹸」も意味する。つまり、「固い鹸」の意味として日本人が考えた造語である。/南蛮貿易により渡来したが、当初は灰汁を麦粉で固めたものを言い、「鹸」の意味のまま用いられていた。/最古の確かな文献は、1596年(慶長元年8月)、石田三成が博多の豪商神屋宗湛に送ったシャボンの礼状で、ここには「志也保牟(シャボン)」と記されているという。/江戸時代には「シャボン」が常用語として使われていたため「石鹸」の語はあまり見られないが、明治に入ると漢語重視の風潮になり、多く用いられるようになった。ただし、この当時の振り仮名は「シャボン」とされるのが普通で、「せっけん」と読まれるのは明治後半からである。/「シャボン」という言葉はポルトガル語の(sabao)が語源だといい、石鹸の産地、イタリアの石鹸製造都市サボナに由来すると言われている。
 ザボン(zamboa):標準和名はザボン(朱欒、香欒)。ボンタンとも呼ばれる。一般に文旦(ブンタン)と呼ばれ、柑橘類の一種である。/原生地は東南アジア・中国南部・台湾などであり、日本には江戸時代初期に渡来した。/ブンタンの名前については、清国広東省の通商船船長「謝文旦」(しゃぶんたん、潮州語ジアブンタン)の名前から取ったといわれる。船が遭難して薩摩で助けられた礼として、朱欒(しゅらん)と白欒(はくらん)という珍しい柑橘類をくれたのを植えて育てたのが広まったという説、貿易船として薩摩藩にやってきていた船が地元の通訳の原田喜右衛門に対して渡したという説、など数説ある。伝来したとされるのは鹿児島県の阿久根市とされ、生産量も多いことなどから1971年(昭和46年)に市の木に制定されている。/第二次世界大戦前にはジャボンと呼ばれるのが一般的であり、これはジアブンタン(謝文旦)の略と考えられるが、ジャボンから転じたザボンの名前については、ポルトガル語のzamboa(元の意味は「サイダー」)から転じたという説もある。/ポルトガル語のzamboa を受け入れたのだから、ザンボアのはずであるが、面白いことに、ザンボアからザボン、更に転じてザボンに変わってしまった。
 コンペートー(confeito):金平糖(こんぺいとう、コンペイトー)とは、砂糖と下味のついた水分を原料に、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の日本の菓子。/金米糖、金餅糖、糖花とも表記される。語源はポルトガル語のconfeito (コンフェイト)という 。初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、1546年(天文15年)にカステラ(《pao de》Castella)・有平糖(アルヘイトウ、alfeloa)などとともに南蛮菓子としてポルトガルから伝えられたとされる。
 コップ(オランダ語: kop、ポルトガル語: copo):歴史的にコップが日本に伝わったのは、江戸時代で、ギヤマン(オランダ語:diamant/ポルトガル語:diamante)やビードロ(vidro)などのガラス製品とともに伝わったため、英語を語源とするカップではなくオランダ語やポルトガル語を語源とするコップと表現される。古くから日本に伝わっていたため、江戸時代を経て外国との交流のあった長崎などを中心に各地の工芸品に見ることができる。
 キリシタン(Cristao):日本の戦国時代から江戸時代、更には明治の初めごろまで使われていた言葉であり、もともとはポルトガル語で「キリスト教徒」という意味である。英語では「クリスチャン」(Christian)となる。元来はキリスト教徒全般を指すが、実際に使われるこの語は、戦国期以後日本に伝来したキリスト教(カトリック)の信者・伝道者またその働きについてである。たとえば、貿易に関わったオランダ人は、キリスト教徒であるが、キリシタンとは捉えられていない。/漢字では吉利支丹などと書く。江戸時代以降は禁教令等による弾圧に伴い侮蔑を込めて切死丹、鬼理死丹という当て字も使われるようになった。なお、5代将軍徳川綱吉の名に含まれる吉の字をはばかって、綱吉治世以降は吉利支丹という字は公には使われなくなり、切支丹という表記が一般となった。/現在では、「キリシタン」という言葉は「キリシタン大名」や「隠れキリシタン」などの歴史的な用語として使う場合がほとんどであり、現代のキリスト教徒のことを指す場合は英語読みの「クリスチャン」を用いることが一般的である。また、カトリック・プロテスタントを問わず日本のキリスト教徒が「キリシタン」と自称することもほとんどない。特に長崎県などでは、かつての禁教・迫害などのつらい歴史を連想させるためか、この呼称を嫌うカトリック信徒も少なくない。
 カルメラ(caramelo):語源はポルトガル語の「甘いもの」(caramelo)による。作るには砂糖を融かす熱源と砂糖を融かす型、そして攪拌するための割り箸や菜箸のような棒があればよい。材料は水・砂糖・重曹(膨らし粉)である。/作り方は単純で、ザラメまたは赤砂糖(三温糖)に少量の水を加え加熱して融かし、重曹を加えて手早くかき混ぜ、炭酸ガスで発泡したところで、冷やしながら軽石状に固めたものである。古くは重曹の代わりに卵白を用いていた。ただ、砂糖と水の分量や、火から下ろすタイミング次第では失敗することがある。冷やす際には、水に濡らしたタオルの上に形を押し当てながら、溶けた砂糖が発泡状態のまま固まるようにさせればよい。/発泡させた飴のようなモノでもあり、サクサクした歯応えと濃厚な甘さ、加えてカラメルのような砂糖の焦げた風味がある。
 カルタ(carta):語源はポルトガル語だが、同様の遊戯は日本とポルトガルとの接触前からあったものと考えられている。元々は、平安時代の二枚貝の貝殻をあわせる遊び「貝覆い(貝合せ)」である。これとヨーロッパ由来のカードゲームが融合し、元禄時代頃に今日の遊び方となったという。/その名称はポルトガル語で手紙、あるいは紙板状のもの、トランプなどを意味するcartaに由来する。/元々はトランプなどのカードゲーム一般を指した。現代日本では、花札か、読み札にあわせた絵札をとってその枚数を競う競技を意味するようになった。
fe022c48.jpeg カッパ(capa):合羽はポルトガル語の「capa」の音写語で、16世紀に来日したキリスト教の宣教師が着ていた外衣が元であり、合羽の他に勝羽とも書かれ、南蛮蓑とも呼ばれた。/合羽は当初は羅紗を材料とし、見た目が豪華なため、織田信長や豊臣秀吉などの武士階級に珍重された。江戸時代に入ると、富裕な商人や医者が贅を競ったため、幕府がこれを禁止し、桐油を塗布した和紙製の物へと替わっていった。/合羽は安価で軽量で便利なため、瞬く間に普及し、寛保年間には小さく畳んで懐に入れられる懐中合羽が発明され、旅行の際の必需品として使用された。合羽の原料となる桐油紙は、合羽だけでなく、荷物や駕籠の被いや出産の際の敷物(お産合羽)としても使用された。
 カステラ(pao de Castella):鶏卵を泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いた菓子のひとつ。/名前の由来は一般的にはスペインのカスティーリャ王国(Castilla)のポルトガル語発音であるカステーラ(Castela)と言われている。また、異説として、カステラ製造過程でのメレンゲを作る際、高く高く盛り上げる時「お城(castelo)のように高くなれ!」と言ったことから、カステロ=カステラ、となったという説もある。いずれにせよ、パン・デ・カスティーリャ(pão de Castela、カスティーリャ地方のパン)や、ビスコチョ(元は乾パン状の船乗りの保存食だったが、16世紀末頃、柔らかく焼き上げるレシピが生まれている)が由来とされる。ポルトガルの焼菓子であるパン・デ・ロー(pão de ló)が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説も有力である。また、これらの原型は、中国の点心の一つであり、マレーの地名を関する「馬拉糕」や、沖縄の「鶏卵糕(ちいるんこう)」と呉方言のような読みをする蒸しカステラ類と共通する可能性も考えられる。/一般的な説では16世紀の室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって平戸や長崎に伝えられたとされる。当初のカステラは鶏卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いないことから、乳製品を生産、常用しない当時の日本にも残ることができた。カステラの製造に重要なオーブンは当時の日本には存在せず、オーブンに代替する天火として、引き釜という炭火を用いる日本独自の装置が考案された。
 ミイラ(mirra ):木乃伊(ミイラ)とは、人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、長期間原型を留めている死体のことである。/日本語の「ミイラ」は16~17世紀にポルトガル人から採り入れた言葉のひとつで、ポルトガル語の mirra は元来「没薬」を意味するものであった。 「ミイラ」への転義の詳しい経緯はつまびらかでないが、没薬がミイラの防腐剤として用いられた事実、また洋の東西を問わず“ミイラ薬”(ミイラの粉末)が不老長寿の薬として珍重された事実があることから、一説に、“ミイラ薬”(の薬効)と没薬(の薬効)との混同があったという。
 
 中東シリアの内戦が泥沼の状態に陥っているらしい。今朝のウェブニュースより
 【内戦続くシリア】大国の利害絡む中東の国 国連監視団は解散 ―― アサド政権と反体制派との内戦が続くシリアで、日本人女性ジャーナリストが銃撃戦に巻き込まれ死亡した。大国の利害が複雑に絡み合い、内線終結の糸口すら見えないシリア情勢。彼女が伝えようとした中東の国の状況とは…。
85d37245.jpeg 【山陽新聞】<社説>
 [社説]シリア監視団解散 停戦へ粘り強く糸口探れ ―― シリアの和平実現に大きな痛手である。国連シリア監視団(UNSMIS)の派遣期限が切れ、解散した。アサド政権と反体制派間の停戦発効を受けて派遣されたものの、武力衝突の激化で停戦監視活動は中止を余儀なくされ、役割を果たせぬまま4カ月で撤退に追い込まれた。/4月に派遣された監視団は、シリア問題で国連とアラブ連盟の合同特使を務めるアナン前国連事務総長が提案した停戦の履行を監視するのが目的だった。当初は効果が見られたが、戦闘の激化で監視団の車両が銃撃を受けるといった事態まで起きていた。/こうした中で6月に本格的な活動を停止した。任期切れとなった7月20日に期限の30日間延長を決め、事態を見守ってきたが状況は好転しなかった。監視団から犠牲者が出かねない状況のため撤退はやむを得ないが、そもそも非武装の要員約300人と言う態勢に限界があったことは否めない。国連平和維持活動〔PKO〕の歴史に残る失敗と言わざるを得ない。/シリアの混迷を深めた一因には国際社会の結束の乱れがある。国連安全保障理事会は弾圧を続けるアサド大統領の退陣を求める対シリア決議などを3度にわたって否決した。シリアと友好関係にあるロシアと中国が拒否権を行使したためだ。両国には重い責任がある。安保理が機能不全を克服しなくては今後も事態の打開は見通せまい。/イスラム教の宗派対立に根差す周辺国の対応も状況を複雑にしている。シーア派国家のイランがアサド政権を、スンニ派のサウジアラビアなどが反体制派を援助し、武器の調達などを支えているからだ。また、反体制派も一枚岩ではなく、各グループに特定の支援国がついている。一致結束して政権との交渉に向き合える状況にないこともマイナスに働いている。/監視団の解散を受け、国連は文民中心の連絡事務所を設置し、辞任するアナン氏の後任にブラヒミ元国連アフガニスタン特別代表が就く。新体制を国際社会が結束して支えていかねばならない。犠牲者をこれ以上増やさぬために、欧米諸国はアサド政権とより柔軟に向き合うことも状況に応じて必要となろう。/日本や欧米、アラブ諸国など有志国は「シリアの友人」会合を開き、手詰まり状況の打破を目指している。欧米と対立するロシアは、安保理の5常任理事国とシリア周辺国で構成する「連絡調整グループ」の大使級会合を呼び掛けた。さまざまなチャンネルを通して各国が解決の糸口を粘り強く探っていくほかない。/ 昨年3月に反政府デモが本格化して以来、シリア国内の死者は2万人に達するともいわれ、約25万人の難民が発生した。泥沼化する内戦状態を放置しておくわけにはいかない。監視団の失敗を踏まえ、国際社会の協調と責任ある行動があらためて求められる。  (山陽新聞 2012年8月21日)
3250e628.jpeg ■シリアで邦人女性記者死亡 山本美香さんと確認■
 【カイロ共同】内戦状態のシリア北部アレッポで20日、反体制武装組織「自由シリア軍」に同行して現地を取材していた日本人女性ジャーナリスト、 山本美香さん(45)が銃撃戦に巻き込まれ、死亡した。藤村修官房長官が21日の記者会見で発表した。/昨年3月にシリアで反政府デモが本格化して以降、日本人が戦闘の犠牲になったのは初めて。藤村氏は「極めて遺憾だ。このような行為を強く非難する」と述べた。山本さんはアサド政権側の部隊に銃撃された可能性がある。/日本の外務省や在トルコ日本大使館の当局者によると、山本さんの遺体は20日夜、トルコ南部キリスの病院に搬送された。山本さんと行動を共にし、遺体を見た 佐藤和孝さんが同大使館関係者に対し、本人に間違いないと説明したという。/山本さんと佐藤さんは独立系メディア、ジャパンプレスに所属し、紛争地取材で知られるジャーナリスト。ジャパンプレスのホームページによると、2人はシリアでの取材結果を日本テレビの番組で報告していた。/英国に拠点を置くシリア人権監視団によると、山本さんが亡くなったのはアレッポのスレイマン・ハラビ地区。佐藤さんが山本さんの家族らに伝えたところでは、前方からやって来た迷彩服の一団が20~30メートルの距離から銃を乱射。首への銃撃が致命傷になったという。/監視団によると、一緒に行動していたレバノン人やトルコ人ジャーナリストら3人も行方不明になった。迷彩服の一団は政権側部隊の可能性があり、この3人も同部隊に拘束されたとの情報がある。/家族によると、山本さんは1967年、山梨県都留市生まれ。都留文科大卒。アフガニスタンやイラクなど世界の紛争地を取材、2003年度のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞した。
06f3990e.jpeg ■アレッポ■ 首都ダマスカスに次ぐシリアの代表的都市。人口約550万人。同国北部のトルコとの国境に近く、古くから交易の拠点として栄えた。アサド政権の北部の牙城。7月に政権側の軍部隊と反体制武装組織「自由シリア軍」の戦闘が本格化。反体制派は同月下旬から本格攻勢をかけ、市内の一部を掌握。政府軍は連日、反体制派拠点に砲撃や空爆で反撃している。 (2012年8月21日、共同通信)  47NEWS 2012 
 近いうちというだけで、解散も決まっていないというのに今から、選挙予測とは気が早い。今朝のウェブニュースより、
64412c36.jpeg 衆院選“注目の25選挙区”最新情勢!“絶縁状”小沢は当確も… ―― 「社会保障と税の一体改革」関連法が成立したことで、永田町の関心は、衆院解散・総選挙に集約されてきた。香港の民間団体活動家による沖縄・尖閣諸島上陸など、日本の主権を侵害する事件が続発するなか、野田佳彦首相が「近いうちに」と約束した解散に追い込まれれば、どうなるのか。政治評論家の小林吉弥氏による政党別獲得議席予測では、大阪市の橋下徹市長率いる「大阪維新の会「維新」」が110議席で大躍進し、自民党も192議席で第1党になるが、民主党は99議席まで落ち込む大惨敗となった。注目の25選挙区の最新情勢に迫った。/「都市部を中心に、維新の勢いがすさまじい。候補者すら決まっていないのに、世論調査や選挙区情報を分析すると、現職閣僚や閣僚経験者、民主党幹部らをリードしたり、肉薄している」
 小林氏はこう語る。今回取り上げたのは25選挙区。やはり、注目は維新旋風だ。/以前から、民主党の藤村修官房長官(大阪7区)や、辻元清美元国交副大臣「同10区」、樽床伸二幹事長代行(同12区)らの苦戦は伝えられてきた。今回、自民党の野田聖子元郵政相(岐阜1区)と、小池百合子元防衛相(東京10区)も之に加わった。/小林氏は「近畿での維新の勢いは言うまでもないが、関東や中部地方にも確実に浸透している。野田氏も小池氏も『日本初の女性宰相』という期待はしぼんできている。民主、自民両党など既成政党への不満や不信が高まるなか、維新が気の利いた候補を擁立すれば『現職閣僚』や『閣僚経験者』『党幹部』といった肩書は無意味だ」という。/小沢一郎代表率いる新党「国民の生活が第一」は、国民的人気の高い維新との連携を熱望しているが、党内で明暗がはっきりしている。/陸山会裁判や和子夫人の離縁状問題が直撃して、選挙地盤の危機もささやかれた小沢氏(岩手4区)は「当確」となったが、側近の東祥三幹事長(東京15区)や、山岡賢次前国家公安委員長(栃木4区)、小沢ガールズの太田和美(福島2区)、青木愛(東京12区)両衆院議員らは、厳しい選挙戦を強いられそうだ。/「小沢氏は逆風で組織が固まった。父親の代から築き上げた選挙地盤は強く、ダブルスコア勝利もあり得る。一方、東、山岡両氏はもともと選挙が弱いうえ、対立候補が激しく巻き返している。太田、青木両氏も風頼りでは厳しい。特に、スキャンダルを引きずる青木氏は勝負になりそうもない」(小林氏)/政党別獲得議席予測で、民主党は2ケタまで落ち込んだ。野田首相にも問題はあるが、ここまで党を凋落させた“A級戦犯”といえば、鳩山由紀夫元首相(北海道9区)と、菅直人前首相(東京18区)だろう。/鳩山氏は政権交代こそ成し遂げたが、愚挙妄言を繰り返し、日米関係を揺るがせた。菅氏は、尖閣沖中国漁船衝突事件で弱腰外交を見せつけ、東日本大震災や福島原発事故の対応では後手後手に回った。/「鳩山氏の選挙区には、スピードスケート五輪銅メダリストの堀井学氏が出馬表明した。苦戦情報もあるが、基礎票で差がある。民主党にとどまる限り優勢だろう。ただ、歌手の松山千春が出馬すればアウトだ」/「菅氏の震災対応に対する失望感は強いが、自民党の土屋氏にも勢いがない。無党派層が多い選挙区だけに、高齢「70歳」の土屋氏に期待感が高まっていない。やはり『前首相』という肩書には重みがある」
3a44dbe2.jpeg 民主党の現職閣僚や閣僚経験者、著名議員が危ない。
 鹿野道彦前農水相(山形1区)や、海江田万里元経産相(東京1区)、中井洽元国家公安委員長(三重1区)、山田正彦元農水相(長崎3区)、福田衣里子衆院議員(同2区)、田名部匡代衆院議員(青森3区)らは「▲=苦戦も逆転の余地あり」だ。/小林氏は「民主党の基礎体力が相当弱っている。鹿野、海江田、中井、山田各氏はいずれも厳しい。海江田氏の東京1区に、宮崎県の東国原英夫前知事が出馬すれば、絶望的だ。福田、田名部両氏にも追い風はない。九州は『保守回帰』の傾向が出ている。『△=優勢』とした安住淳財務相(宮城5区)や、田中真紀子元外相(新潟5区)、民主党出身の横路孝弘衆院議長(北海道1区)も地盤が崩れてきており、決して安泰ではない」という。/このほか、与野党関係なく、注目選挙区となりそうなのが、「石川2区」と「兵庫8区」「徳島3区」「高知1区」だ。/「森喜朗元首相が引退表明した石川2区は、後継候補による初陣で強い。スキャンダルを抱える民主党の田中美絵子衆院議員では歯が立たない。新党日本の田中康夫代表の兵庫8区は、維新と公明党の選挙協力でほぼ決まった。写真週刊誌に激写された自民党の後藤田正純衆院議員の徳島3区は、後藤田氏が危機感を持って組織固めをした効果が出ている。高知1区では、元県知事の橋本大二郎氏が雪辱を晴らすムードだ」(小林氏)/あくまで、こうした情勢は現時点でのもの。今後の永田町情勢次第では、結果は大きく変わる余地を残している。   〔zakzak 2012.08.20〕
  漢字の中でも読みにくいものが当て字である。これは音にも訓にもない読みを当てているのだから、まともに考えているとなかなか思いつかない。しかし、当て字にもそれなりの法則のようなものがあって、漢語に同じ意味のやまとことばを読みとして当てたもの等がある。
 七夕(たなばた)・老舗(しにせ)・火傷(やけど)・紅葉(もみじ)・一昨日(おととい)・丈夫(ますらお)・生業(なりわい)・黒子(ほくろ)・梅雨(つゆ)・黄昏(たそがれ)・黄泉(よみ)・陽炎(かげろう)・曾孫(ひまご)・狼煙(のろし)などは、シチセキ・ロウホ・カショウ・コウヨウ・イッサクジツ・ジョウブ・セイギョウ・コクシ・バイウ・コウコン・コウセン・ヨウエン・ソウソン・ロウエンのように音読みもできる。生活に密着した気象を表す漢語には、やまとことばを当てたものが多い。東風(こち)・南風(はえ)・時雨(しぐれ)・東雲(しののめ)・疾風(はやて)などがある。
 名詞以外の副詞や形容動詞にも昔の文人はぴたりと合ったやまとことばを当てて読んでいた。例えば只管は「シカン」と読み、ただそのことだけに心を用いる意で、禅宗ではただ只管(ひたすら)に座禅をすることを『只管打坐』というが、やまとことばではこの只管を「ひたすら」と読むことにしたのである。
 物事をいい加減にするという意味のことばに「等閑(等間)」がある。これは「トウカン」と読み、「等閑視する」「等閑に付す」のように使われるが、やまとことばではこの等閑に「なおざり」という読みをあたえている。 
 「閑話休題」を「ここからは余談ですが」「ところで」「話は変わって」という意味で使用する人が多くみられる。実際の使い方は、本筋から脇道に入る為に使用する言葉ではなく、脇道から本筋に話題を戻す為に用いる接続詞的な言葉である。「閑話」は「無駄な話」、「休題」とは「それまでの話題を中止すること」である。だから、この閑話休題には「それはさておき」という読みあたえるのである。なお、閑話、または休題をどちらも「さて」と読ませる場合もある。
 「加之」は漢文調で読むと返り点を考えて「之(これ)に加(くわ)うるに」で、そればかりでなくの意であるが、「しかのみならず」の読みを与えているのである。また、遮莫は「遮(さえぎ)るもの莫(な)し」で、どうであろうとままよという意であるが、これも「さもあらばあれ」と読む。
 当て字の熟語と同じ字を書く漢語があるが、指しているものが全然違う場合もある。「東雲」は漢語では文字通り「東の雲」の音であるが、これに「しののめ」というやまとことばの読みを当てると「明け方」の意味になる。また、「時鳥」をジチョウと読み、時節に応じてなく鳥をさすが、我が国ではこれに「ほととぎす」の読みを与える。「ほととぎす」は他に、杜鵑、霍公雀、子規、杜宇、不如帰、沓手鳥、蜀魂とも書く。時の付く熟語に「時雨」というのがある。「しぐれ」と読めば、晩秋から初冬にかけて降るとおり雨のことになるが、漢語ではこれを「ジウ」と読んで、ちょうどよいときに降る雨の意に使う。
 中国から伝わった漢語ではなく、やまとことばにそれらしい漢字を当てて造った熟語もある。例えば「徒花(あだばな)」は、咲いても実を結ばない花のことで、「あだ」というやまとことばに、「いたずらに」「むだに」といういみのある「徒」を当てたものである。「徒」を「アダ」と読むものには他に、「徒事」、「徒桜」、「徒名」、「徒情け」、「徒波」がある。音読みにも訓読みにもそんな読み方はないが、ながめているとそれらしい漢字がしてくるものである。皆さんはいくつよめるかな? 飛白、煙管、白湯、白粉、山葵、土筆、秋刀魚、祝詞 等など。
 そのものの持っている性質等から字の当てられたものもある。たとえば、無花果(いちじく)は勿論花は咲くのだが、外から見ると花が見当たらないまま果実ができることから、この字が当てられたもの。ユリ科の多年生植物で、いつも青々としていることから付けられた万年青(おもと)、紅い花が長く咲き続けることから名前の付いた百日紅(サルスベリ)。これは「ヒャクジツコウ」とも読むが、幹の皮が滑らかなので猿でさえも滑るとついたが、「さるなめり」ともいう。馬酔木(あしび)は花は可愛らしいが茎や葉には毒があり、牛や馬が食べると体が麻痺することから、馬が酔う木と書いて「馬酔木(あしび)」と読む。「あせび」ともいう。向日葵(ひまわり)は太陽を追って花が廻ると考えられいたことから付けられたが、実際にはほとんど動かないと言う。しかも、アオイ科ではなくキク科の植物で、いわば誤った情報から当てられた字である。
 最近はカタカナで表すことが多いが、アヒルは「家鴨」と書く。アヒルというのはマガモを飼いならしたもので、要するに「家畜化した鴨」なのである。
 人間に関する言葉にも面白い由来をもつものがある。「だて」というのは「立て」で、人目に立つようにする、といううのが元の意味であるが、それに「伊達」の字を当てるようになったのは、伊達家の家臣が華美だったからだと言う。「伊達男」は洒落者、侠客の代名詞となるものだから、まっこと男冥利にというべきか。もっとも、「伊達の薄者」というように単に見栄っ張りの意に用いられることもある。
 当て字の代表格とも言われるものに、「流石(さすが)」がある。「さすが」は今では「やはり」「いかにも」の意に使われることが多いが、もとは「そうはいうものの」「それでもやはり」という意味を持っていた。そのためらう気持ちを、小石が淀みながら急流を流れる様子にたとえたというのが一つの説である。
 中国晋の孫楚〔そんそ、生年不詳 - 293年〕が、本来なら「石に枕し流れに漱ぐ(俗世間を離れ、人里離れたところで自由に暮らす)」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤ってしまったとき、友人の王済にからかわれた。すると負けん気の強い孫楚は、「流れに枕するのは俗事を聞いて汚れた耳をすすぐためであり、石に漱ぐのは歯を磨くためだ」とこじつけたという故事に基づく。この孫楚の言い逃れが余りにうまかったので、人々が「さすが!」感心したことから、流石を「さすが」と読むようになったというのである。又このことから、負け惜しみの強いこと、ひどいこじ付けを「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」というようになったという。ちなみに、「夏目漱石」という雅号は、この故事に由来する。
 
孫子荊年少時欲隱、語王武子「當枕石漱流」、誤曰「漱石枕流」。王曰:「流可枕、石可漱乎?」孫曰:「所以枕流、欲洗其耳;所以漱石、欲礪其齒。」 世説新語 排調篇より
〔訳〕孫子荊は若い頃、隠遁の志があった。王武子に「石に枕し、流れに漱ぐ」といおうと思いながら、誤って「石に漱ぎ、流れに枕す」といってしまった。/王武子は言った。「流れを枕にしたり、石に漱いだりできるだろうか」/「流れを枕するのは、耳を洗うためだ。石に漱ぐのははをみがくためだ」
 
 「三和土」は字面かせもても音を考えても、なぜこれが「たたき」と読むのか判らない。これは実は土間に塗るつちの作り方を表したもので、石灰・赤土・砂利の三つを和(あ)えた土に苦汁(にがり)を混ぜたものだから「三和土」と書く。それを「タタキ」というのは、水で練って土間に塗り、たたき固めるからである。
18206c80.jpeg 標縄、注連縄、七五三縄は3つとも「シメナワ」と読む。「標」は土地を占有するという印のことで、大和言葉を当ててシメとよむ。シメナワは神前、または神事を行なう場に不浄なものが出入りするのを禁ずるための印であり、これはことばの意味をあらわした字が用いられている。又、シメナワは水を注いで清め、つらねてはるもの。「注連縄」はそこから来た書き方。七五三縄は縄に垂らす藁の茎が七筋、五筋、三筋になっていることから来ている。
 海という字は音読みで「カイ」、訓読みで「うみ」と読むが、それ以外にア、イ、ウ、エ、オすべての読みができるという珍しい漢字である。海女(アマ)、海豚(イルカ)、海胆(ウニ)、海老(エビ)、海髪(オゴノリ)という具合であるが、すべて当て字であるから海1字をアイウエオと詠むわけではない。つまり、海に関係あるものの名を書くとき、その音をもつ漢字を当てるのではなくて「海の○○」という書き方をしているのである。だから、海の豚=イルカと成るわけである。海の字を使った当て字は多く、海馬(とど)、海嘯(つなみ)、海鼠(なまこ)、海苔(のり)、海松(みる)などいろいろある。海の馬がトドなら河の馬は?之はイメージも音も合っていてカバ。フグは海の魚であるはあるが、なぜか河豚と書く。海と河が出た所で、山はどうだろうか? こちらは、山葵(わさび)、山羊(やぎ)、案山子(かかし)くらいであまり当て字には使われていない。
d6c09d35.jpeg 数字の付いた熟語にも本来の音からはとても想像のつかない読みをするものもある。四阿は「あずまや」と読む。日本庭園の小さな丘の上や池のほとりなどに設けられる休憩用の壁のない小屋のこと。「阿」には庇(ひさし)という意味があって四方に屋根を葺き下ろした建物であることからこう書くが、東屋、阿舎と書くこともある。網戸や殺虫剤のなかった頃は、夏が近くなるとどこからともなく現れて、家の中を我が物顔で飛び回る蝿はさぞ「五月蝿(うるさ)く」感ぜられたことだろう。「うるさい」といっても蝿の飛ぶ音が騒がしいということではなく、目の前をちらちらと通り過ぎるうっとおしさの方が不愉快だったのに違いない。「九十九折り」は「つづらおり」と読む。これは葛の蔓のように幾重にも折れ曲がった坂道のことで「葛折」とも書く。だからといって九十九髪は「つづらがみ」とは読まない。老女の白髪のことで九十九は百に一足りないことから、次百(つくもも)といい、それがつづまって「つぐも」となり、清音化して「つくもがみ」となった。百から一をを引いた白を意味することになり、イメージとして白髪を現すようになった。
 
※ 百年(ももとせ)に 一年(ひととせ)足らぬ 九十九髪
           我を恋ふらし おもかげにおもかげに見ゆ  〔伊勢物語〕
 
 胡座(あぐら)、胡桃(くるみ)、胡瓜(きゅうり)は、みんな胡の字がついているが読み方はみんな違う。この「胡」という字は外国の物を表す字なのである。中国とりわけ漢民族から見て外国、瑋民族という意味である。胡は秦や漢の時代には匈奴を、唐の時代には西域の異民族を指したが、やがて一般的に異民族をさすようになった。当時の中国というのは、自分の国は世界の中央に位置する文化国家で、周囲の国は文化の遅れた野蛮な国だとする中華思想で凝り固まっていたから、胡はいい意味ではなく、「野蛮な国」と言う意味である。そして、周囲の国から伝わったものや風俗にやたらと胡の字をつけた。つまり胡瓜は野蛮な国からきた瓜、胡座は足を組んで座る野蛮な外国風の座り方ということになる。これらの漢語に日本風の読み方をつけたので、ひどく読みにくい当て字になってしまったということである。外国産のものはどうも信用できないということなのか「胡散(うさん)臭い)「胡乱(うろん)な」というときもこの字を当てる。但し、これは当て字ではなく、胡の唐音読み「ウ」を当てたものである。
 漢語ではないが、漢文の決まった言い回しに、やまとことばの読みを当てたものもある。「所謂」は返り点を打って読めば「いうところの」であり、「ゆわゆる」と読む。「所以」は ~をもって―する所 という意味で、理由、根拠、手段、目的等を表す。「故になり」の音便形「ゆえんなり」から、「ゆえん」と読む。「就中(なかんずく)」も、返り点を打って中に就くと読んだものが訛ったものだという。可愛いは返り点を打つと「愛す可し」で「かわいい」、可笑しいは「笑う可し」で「おかしい」と読む。ただし、古くは「かわいい」はかわいそうだ、ふびんだ、「おかしい」は趣がある、心引かれるの意味だったので、この書き方は言葉の意味が現代語に近くなって生まれたものかもしれない。
 「似非・似而非」は「似て非なり」にやまとことばのエセを当てた。にせもの、つまらないもののこと。このようにちょっと判りにくいが、漢文の訓読調で読んでみるとわかるものも結構ある。「勿」は、~するなかれ、という意味だが、この字のついた熟語は多い。「勿論(もちろん)」は、「論ずる勿れ」で、「いうまでもなく」の意。「勿忘草」は「忘れる勿れ」で「わすれなぐさ」と読む。「勿来関」は、「来る勿れ」。だが、これは古語の「なプラスそ」の形。「春を忘るな」を「春な忘れそ」ということもあるが、それと同じで「な来そ」という形なのである。
 
 今朝のウェブニュースより
d3ff191a.jpeg 香港活動家 尖閣上陸で分かった 米軍は日本を守らない! ―― 沖縄・尖閣諸島の魚釣島に上陸し、沖縄県警や海上保安庁が入管難民法違反容疑で逮捕した香港の活動家ら14人飲み柄が17日、入管当局に引き渡された。“既定路線”で、全員が午後、強制送還されるが、この事件であらためてハッキリしたのは、我が物顔で駐留している在日米軍が何の役にも立たないことである。
 象徴的だったのは15日の米国務省のヌーランド報道官の会見だ。尖閣問題でゴタつく日中関係について質問されると、表情ひとつ変えず、「日中で解決してほしい。米国は、どちらの味方もしない」と突き放したのだ。/恐らく日本のメディアは、報道官から最低でも「懸念を持っている」との言質を引き出したかったのだろうが、到底、ムリな話である。/「尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件が起きた10年9月、ヒラリー国務長官と会談した前原外相は、『(ヒラリーが)尖閣は日米安保の対象と明言した』と明かしたが、米国務省のスポークスマンは、すぐにヒラリー発言を修正。『尖閣の領有問題については立場を明らかにしない』とクギを刺し、米国は尖閣防衛の意思ナシ――という姿勢を鮮明にしています。そもそも尖閣や竹島、北方領土で領有権をめぐる争いが起きているのは、米国が占領を解く際に“火ダネ”として意図的に曖昧にしたのが原因。日韓中ロが親密になれば、米国にとって脅威になりますからね。米国がわざわざ尖閣問題の解決に乗り出すはずがありません」(外交ジャーナリスト)
<緊張高まるほど「オスプレイが必要」皮算用>
 尖閣は72年、米国から沖縄と一緒に返還されたが、米国は当時から「行政権」の返還であり、「領有権」は日中間で解決して欲しい――というスタンス。今もそれは変わっていない。元外務省国際情報局長で作家の孫崎享氏はこう言う。/「米国は日本国内で尖閣問題の緊張感が高まることを期待しているのでしょう。高まるほど在日米軍が必要――とされるからです。しかし、米軍は日本のために中国と戦争する気は全くありません。日米安保条約では、島しょ部の防衛は日本の自衛隊が担うとされている上、条約上の義務が発生するのは管轄下(領有権)に限られているからです」/米国は、尖閣が日本のものでも中国のものでもどっちでもいい。望んでいるのは一連の騒動によって、日本国内で「日米同盟は大事」の大合唱が起き、欠陥ヘリ「オスプレイ」の配備がスンナリいくことだ。日本の土地を、占領下のように自由に使えればいいと考えているのだ。   〔日刊ゲンダイ2012年8月17日 掲載〕
 
 K女史から昨夜メールが入ったようだ、曰く、
 「日高先生へ/こんばんは。Kのつぶやき「その5」です。
 ・形あるものはいつか壊れる:電力会社の今昔のトップ達がすっかり忘れてしまっている(忘れてしまっていた)概念の事。(まぁ原発推進は国の方針でもあったのでしょうが。。。)しかしながら、現場で身を粉にして働いておられる方々には心から感謝しています。
 ・メタンハイドレードについて:日本近海に眠るとされる、この膨大なエネルギー資源が国家という「強大な権力」によって近い将来、有効利用されることを切に願います。/勇気を持って提言して下さった方々のご苦労が必ず報われるはず! と私は信じています。
・生活習慣病について:本当に私の勝手な意見(戯れごと)ですが、、、 極論から言えば「早寝早起き腹八分目」と「適度な運動」が健康を維持するために必要だと思います。/なぜならば、神様が「人は比較的、飢餓には強く、欲張って食べると病気になる」ように作ったからです。/せっかく健康な体をさずかったのに、地球上の命(動植物)を必要以上にむさぼり食うから病気になるのです。/食物を大切に頂きながら、無理のない程度に運動する事を心がけたいものです。
 毎回最後まで読んで下さりありがとうございます(*^_^*)  Kより 」
 
※ methane hydrate (メタン ハイドレート)とは?:理論化学式(CH4・5。75H2O) 水分子が作る格子の空隙にメタン分子が入っている氷状の固体結晶。火を近づけるとメタンが燃えるため「燃える氷」と呼ばれることがある。/メタンハイドレートは低温・高圧で安定で、十分なメタンと水が存在している場所では、温度・圧力条件がそろえば生成する。シベリアなどの永久凍土層の下の地層や、海底面・海底面下の地層中に存在することが知られている。日本の領海内にも大量の分布が見込まれ、天然ガス資源として採掘する技術が確立すれば、エネルギー資源環境を一変させるものであるという。
  徘徊の準備をして玄関に出ると、今朝は雨。小雨程度の降りだが、外の様子を気にしながら、パソコンに向かう。昨日、携帯にメールが入った。曰く、
「万灯会のお誘いありがとうございました。マイチの供養ができて嬉しかったです。追悼文集の計画がございましたらご一報下さい。駄文をお送りさせていただきます。 I 」
夕刻になって、返事を携帯メールしておいた。曰く、「供養会へのご足労ありがとうございました。ご承知の通り追悼文集に就いては皆さん方にはあまり関心仮名彝ようですね。でも、マイチの思い出など、パソコンに送って下されば、僕のブログに搭載してもかまいません。そこのところをご配慮の上、よしなにお取り計らい下さい。 瘋癲親父より」
 
 今朝のウェブニュースより
ced20d57.jpeg 橋下氏は誰と組む?これが“愛憎相関図”だ ―― 大阪市の橋下徹市長率いる「大阪維新の会(維新)」との合流を視野に入れた、超党派の中堅議員約10人に拠る新党結成の動きが明らかになった。次期衆院選では、民主、自民、公明3党に対抗する「第3極」の躍進が確実視されており、維新はその大本命だ。それだけに、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表、みんなの党の渡辺喜美代表、新党構想が取り沙汰される東京都の石原慎太郎知事らが、連携の機会をうかがっている。橋下氏は彼らをどう分別するのか。人間関係の相関図をもとに、探った。/「(政界再編では)第3極が、どれだけ躍進をするのかというのと同時に、有権者の皆さんの、きちっとした受け皿をつくらなければいけない」/民主党の松野頼久元官房副長官は14日、フジテレビの取材にこう語った。松野氏は「鳩山由紀夫元首相の最側近」として知られるが、周囲には「もういいだろう」と話しているといい、民主党や鳩山氏と決別したうえでの新党構想とみられる。/松野氏は今年3月、自民党の松浪健太衆院議員らと「道州制型統治機構研究会」を立ち上げた。与野党の現職議員約10人が参加し、維新が次期衆院選の政権公約と位置づける「維新八策」と親和性の高いテーマの勉強をしてきた。これまで水面下で20回以上会合を重ね、20日に初めて、公式な会を予定している。/参加者の1人は「民主、自民の離党予備軍を巻き込んで、新党結成の準備を加速させる。維新との合流もあり得る」と明言した。現状では「政治団体」にすぎない維新が「現職議員5人」を加えて政党要件を満たせば、衆院選で小選挙区と比例代表の重複立候補や政見放送ができ、政党交付金や企業・団体献金も受け取れるようになる。利害は一致するのだ。/研究会の中核は、松野、松浪両氏に、民主党の石関貴史衆院議員と、みんなの党の小熊慎司、上野宏史両参院議員を加えた5人だ。5人は11日、大阪市内で橋下氏や、維新幹事長である大阪府の松井一郎知事と会談している。/在阪ジャーナリストは「維新と合流するなら松野氏ら5人が中心で、選挙に強い現職議員が数人加わるくらいだろう。松井氏と自民党青年局で接点があった保守政治家らで、長く会合を続けてきた。青年局人脈を使うのは松井氏の常套手段だ。維新幹部も自民党大阪府連青年局が中心になっている。維新幹部は『選挙が弱くて右往左往するような議員は裏切りかねないし、国民に見透かされるからいらない。(ベテラン議員より)新人の方が可能性があるうえ、言うことをきく』と話している」といい、続けた。/「新党結成と維新合流の時期は、衆院選の時期とリンクする。年内選挙ならその直前、来年になるなら政党交付金をもらうために今年末になるだろう。したたかな橋下氏はギリギリまで有利なメンバーを見定め、既成政党を揺さぶる」/一方、他の「第3極」も橋下氏に秋波を送り続けている。
 小沢氏は、1996年にイタリアで実現した中道左派連合「オリーブの木」構想を掲げている。維新がTPP「環太平洋戦略的経済連携協定」に賛成の立場なのを考慮して、小沢新党には〔TPP反対〕の議員が多いのに基本政策から外した。「脱原発」も共通している。関係者は「小沢氏に近い松野氏や石関氏が窓口になって、連携できる」と期待を込めた。/維新と政策ブレーンが共通しているみんなの党の渡辺氏は「やろうとしていることが同じ。維新と連携して第1極を目指す」と公言している。橋下氏が「御大」と呼ぶ石原氏も、維新政治塾で講師を務めるなど、関係を維持している。愛知県の大村秀章知事に至っては、地域政党「中京維新の会」を立ち上げ、露骨に抱きついている。/だが、橋下氏は特定の勢力に接近しない「等距離外交」を続けている。それどころか、次期衆院選で300小選挙区に候補者を立てるため、近く、維新政治塾の塾生や現職議員を対象に公募を始めるなど、政党化したうえで、独自に衆院選を戦う方向に傾いている。/橋下氏が「第3極」で目指すのは、緩やかな連携ではなく、冷徹な“淘汰”かもしれない。  〔zakzak 2012.08.15〕
  今日のウェブニュースより、
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3d721902.jpeg “キネマの天地”浅草から映画館消える!そのほの悲しい理由 ―― 明治時代、日本で初めて常設の映画館ができた東京・浅草から、とうとう銀幕が消えてしまう。東京スカイツリーを臨む街は活気が戻ってきたが、映画だけはカヤの外とは何とも寂しい。/浅草で映画館を展開する松竹の完全子会社、中映は5館の閉館をひっそりと発表した。成人映画の「浅草シネマ」が9月17日、「浅草世界館」は25日、邦画の「浅草名画座」「浅草新劇場」と洋画の「浅草中映劇場」は10月21日に閉館。さよなら興行などは特に予定されていない。/日本屈指の歓楽街だった浅草六区に日本初の映画専門館「電気館」が誕生したのは1903(明治36)年。浅草オペラ、喜劇、ストリップ、そして映画館がズラリと軒を連ね、歩けないほど道に人があふれた1944(昭和19)年に同館は誕生した。全盛期には30館以上の映画館があった浅草は、まさにキネマの天地だった。/幕を下ろす理由は「建物の老朽化」。取り壊した後の再開発については「計画中だが具体的な決定はない」としている。/郊外型のシネコンが主流となる中、街中の映画館は次々と無くなってゆく。/浅草のお隣、上野では今年4月、興行大手の東急レクリエーションが運営する「上野東急・上野東急2」が閉館。/45年の歴史を持つ「銀座シネパトス」の来春閉館も発表された。/大阪でもファンに親しまれてきた映画館が今年3月相次いで消えた。大阪市北区の「天六ユウラク座」「天六コクサイ劇場」「天六ユウラク地下劇場」、そして東住吉区の「タナベキネマ」「タナベ国際劇場」が閉館している。/「団塊世代にとって、映画館は、銭湯と並ぶ娯楽の場だった」と振り返るのは映画評論家の望月苑巳氏。/「東京の人形町を歩いていたら路地裏にポツンと小屋(映画館)があって、オードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーンの名作『噂の二人』をやっていて感激したことを想い出す」/しかし、ノスタルジーだけでは経営は立ちゆかない。/「街中の小さな映画館が相次ぎ討ち死にしているが、ある意味当然。特色もなく、これといった宣伝もせず、指をくわえて客がくるのを待っていたツケが回ってきただけ」と望月氏。/テレビ文化やシネコンの影響はあるにせよ、東京だと岩波ホールやユーロスペース、アップリンクなど、特色ある映画館は生き残っている。「質の高いインデペンデント作品や、年齢層を絞り込むのも手だ」と望月氏は期待をつないでいる。    〔zakzak 2012.08.16〕
 
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7844be2d.jpeg  昨晩辺りから、咽喉の様子がおかしく、どうやら夏風邪にとっつかまったらしい。今朝もいつも通り、出かけたが川風に当たると、やたら咳が出る。朝の東雲(しののめ)の中のスカイツリーが美しい。なにやら冷たいものが顔に当たるので、振り返ると、南のほう、隅田川の下流に大きく虹がかかっている。
 咳が激しいので、早めに徘徊を切り上げて、帰宅する。
 
 今朝のウェブニュースより
自民党:小泉進次郎氏ら7人を戒告処分 不信任案で造反 ―― 自民党の石原伸晃幹事長は13日、中小野党6党が提出した内閣不信任決議案の9日の採決で、「欠席」の党方針に反し賛成票を投じた中川秀直元幹事長や小泉進次郎青年局長ら7人を戒告処分とした。党規約には党紀委員会にかけた上での8段階の処分と、同委にかけず幹事長が行う4段階の処分が定められているが、今回は4段階のうち下から2番目の軽い処分となった。/処分されたのは中川、小泉両氏のほか、塩崎恭久元官房長官▽菅義偉元総務相▽柴山昌彦元外務政務官▽河井克行元副法相▽松浪健太元内閣府政務官。/石原氏は党本部に出向いた中川、小泉、塩崎、柴山の4氏に直接、処分を言い渡し、残り3氏には文書で伝えた。小泉氏は記者団に「賛成票以外は考えられなかったが処分は重く受け止める」と述べた。中川氏は「処分は組織人として受けるが、国民の大多数は野田内閣を信任していない。当然の行動を取った」と語った。谷垣禎一総裁は当初「処分しにくい」と話していたが、一定のけじめが必要と判断した。
 一方、民主党では内閣不信任決議案の採決で造反した7人中、賛成票を投じた2人は離党届を提出しており除籍(除名)処分とする方針。鳩山由紀夫元首相ら5人は「体調不良」での欠席で、処分しない方向だ。消費増税法案の10日の参院採決で反対した民主党議員6人は「党員資格停止1カ月」など軽い処分にとどめる方針だ。代表選〔9月21日投票〕野投票権を奪えば離党に傾く議員もいるため、停止期間が投票日に掛からないよう調整している。 〔毎日新聞 2012年08月13日 19時54分(最終更新 08月13日 21時03分)〕
 
4458c426.jpeg 官邸前デモだけじゃない 「野田を落とせ!」運動も急拡大 首相の地元で発足 全国に飛び火 ―― 毎週金曜日に官邸を取り囲むデモの参加者は膨れ上がるばかりだが、野田首相の地元(千葉4区)でも反野田運動がどんどん拡大している。/「大増税を推進する裏切り者 野田佳彦を落選させよう!」――。先週11日、JR津田沼駅前で、ビラが配られた。「野田佳彦を落選させる勝手連」の有志たちだ。/「野田首相の選挙区は船橋市で、津田沼駅は習志野市。選挙区ではないのですが、船橋市民もよく出かける場所です。野田首相が定期的に演説していた駅でもあり、ゲリラ的に落選運動が始まったのです。有志がビラを配っていると、突然、駆け寄ってきて手伝う人、『だまされた。許せない』と話しかけてくる人がいて、野田首相に対するすさまじい怒りを感じました」(取材したジャーナリストの田中龍作氏)/落選運動といえば韓国が盛んで、日本はそれほどでもない。現役首相のお膝元での活動は前代未聞だ。/「野田首相に対する落選運動は、関西電力大飯原発の再稼働を決めた6月ごろから始まり、2000人以上が集まったこともあります。官邸デモのように定期的に開催しているわけではないが、何ら告知をしないのに、市民が自発的に『落選運動』を行う意味は大きいと思います」とは船橋市議。しかも、この動きは全国に波及しつつある。/「首相落選を求める勝手連の運動は全国に広がっています。先週、静岡を訪れた際も、野田首相のかぶりものをした市民が『野田を落とせ』『野田を許すまじ』と叫んでデモ行進していました」(前出の田中龍作氏)/野田が解散を先延ばしするほど「落選勝手連」の勢いは増すばかりだ。 〔日刊ゲンダイ 2012年8月13日 掲載〕
 
0d85b83e.jpeg 昨日は西宮のYK氏より、ミレーの「羊飼いの少女」の絵はがきで残暑見舞いを頂く。曰く、
「残暑お見舞い申し上げます。/甲子園では連日の高校球児の熱戦が続いております。/この熱戦に肖って頂きたく甲子園カレーを辛口、甘口各1ヶお送りしますのでご笑納下さい。/私は最近調子よく昨日は尼崎の方を1時間ほど歩いてきました。/立秋を過ぎたがまだまだ暑い。どうぞご自愛ください。まずはカレーご送付まで  草々」
 
  爺の父様(ととさま)の日高政次は明治26(1893)年生まれの指物師であった。一時は十数人の弟子を持つまで事業を広げ、当時では珍しくオートバイを乗り回し、ヴァイオリンを弾き、御袋の琴と合奏までしていたというが、爺が物心付くころは、家業は傾きかけ、廣島市内を転々とする有様だった。
 それでも、親父の自己吹聴もあるかもしれないが、腕のいい職人で鳴らしていたという。親父が姉(爺からみると伯母)を頼って廣島から、門司市の大里に移ったころ、旅館業を営んでいた家の仏間に、当時としてはちょっと洒落た洋服ダンスが置かれていた。親父が伯母のために製作して、贈った洋服ダンスだということだった。
 
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a6692d8a.jpeg 本日、昨年の暮れ亡くなった実姉の新盆供養で丹波篠山から太宰府に出かけていた娘(爺の姪)のchiko
ちゃんから、携帯メールが入った。曰く、
「前から伺おうと思っていたのですが、写真のライオンがついた洋服タンスは、おじいさんが作ったものですか? ライオンもおじいさんが彫ったと、以前聞いたような気がするのですが。」とあり、2枚の写真が貼付されていた。
 早速返信しておいた。
「これは驚き、門司の明兄のいえにあった政次親父作製の洋服ダンスが太宰府におくられていたとは!/僕の聞いた所では、あの扉のライオンの彫刻も含めて全て政次親父の手になるものだということです。/それにしても、僕にとって、とても懐かしい写真をありがとう。感激です。/感激です。 瘋癲爺」
 
 福岡の甥と、太宰府に出向中の姪にブログに取り上げたことをメールすることにしよう。
 
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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