瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
爺の父様(ととさま)の日高政次は明治26(1893)年生まれの指物師であった。一時は十数人の弟子を持つまで事業を広げ、当時では珍しくオートバイを乗り回し、ヴァイオリンを弾き、御袋の琴と合奏までしていたというが、爺が物心付くころは、家業は傾きかけ、廣島市内を転々とする有様だった。
それでも、親父の自己吹聴もあるかもしれないが、腕のいい職人で鳴らしていたという。親父が姉(爺からみると伯母)を頼って廣島から、門司市の大里に移ったころ、旅館業を営んでいた家の仏間に、当時としてはちょっと洒落た洋服ダンスが置かれていた。親父が伯母のために製作して、贈った洋服ダンスだということだった。
本日、昨年の暮れ亡くなった実姉の新盆供養で丹波篠山から太宰府に出かけていた娘(爺の姪)のchiko
ちゃんから、携帯メールが入った。曰く、
「前から伺おうと思っていたのですが、写真のライオンがついた洋服タンスは、おじいさんが作ったものですか? ライオンもおじいさんが彫ったと、以前聞いたような気がするのですが。」とあり、2枚の写真が貼付されていた。
早速返信しておいた。
「これは驚き、門司の明兄のいえにあった政次親父作製の洋服ダンスが太宰府におくられていたとは!/僕の聞いた所では、あの扉のライオンの彫刻も含めて全て政次親父の手になるものだということです。/それにしても、僕にとって、とても懐かしい写真をありがとう。感激です。/感激です。 瘋癲爺」
福岡の甥と、太宰府に出向中の姪にブログに取り上げたことをメールすることにしよう。
それでも、親父の自己吹聴もあるかもしれないが、腕のいい職人で鳴らしていたという。親父が姉(爺からみると伯母)を頼って廣島から、門司市の大里に移ったころ、旅館業を営んでいた家の仏間に、当時としてはちょっと洒落た洋服ダンスが置かれていた。親父が伯母のために製作して、贈った洋服ダンスだということだった。
本日、昨年の暮れ亡くなった実姉の新盆供養で丹波篠山から太宰府に出かけていた娘(爺の姪)のchiko
ちゃんから、携帯メールが入った。曰く、
「前から伺おうと思っていたのですが、写真のライオンがついた洋服タンスは、おじいさんが作ったものですか? ライオンもおじいさんが彫ったと、以前聞いたような気がするのですが。」とあり、2枚の写真が貼付されていた。
早速返信しておいた。
「これは驚き、門司の明兄のいえにあった政次親父作製の洋服ダンスが太宰府におくられていたとは!/僕の聞いた所では、あの扉のライオンの彫刻も含めて全て政次親父の手になるものだということです。/それにしても、僕にとって、とても懐かしい写真をありがとう。感激です。/感激です。 瘋癲爺」
福岡の甥と、太宰府に出向中の姪にブログに取り上げたことをメールすることにしよう。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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