瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  天正12(1543)年、種子島に漂着し、鉄砲を伝えてから、寛永16(1639)年、来航禁止の最後通牒を突き付けられるまでの96年という長い年月の間ポルトガル人は日本に来航した初めての西洋人として日本人と交渉を持っていた。日本人の精神生活に及ぼした彼らの影響には計り知れないものがある。キリシタンが禁じられたため、今日まで生き残っているポルトガル語からの外来語は極めて少ないが、当時のキリシタン関係用語は、若干のラテン語・スペイン語を含めると500語を算するという。/いっぽうポルトガルとの貿易は、近況後も盛んに行われ、今まで日本人の知らなかったもの珍しい品々も引き続き沢山入ってきた。それにともなって、その名称も原語をそっくりそのまま借りる場合も多かった。そういう言葉が事物とともにいったん日本人の生活のなかに根ざしてしまうと、後からやって来たスペイン語・オランダ語などが、それに取って代わることは容易なことではなかった。このため、オランダとの貿易がさかんとなった江戸時代でも、なおかつポルトガル語からの外来語が相当使われていたらしい。今われわれが使っているものは通商関係用語がほとんどであって、キリシタン関係用語は数えるほどしかない。思いつくままにポルトガル語からの外来語を少々調べてみた。
 
e8bf8440.jpeg モール(mogol):原義はインドのムガル帝国に由来するという。「莫臥児」とも書く。/緞子(どんす)に似た浮き織りの織物。たて糸に絹糸を、よこ糸に金糸・銀糸・色糸を用いて花紋などを織りだしたもの。金糸を用いたものを金モール、銀糸を用いたものを銀モールという。名物裂(ぎれ)として茶人に愛好された。モール織り。/金・銀あるいは色糸をからませた飾り撚(よ)りの糸。モール糸。/針金に色糸・ビニールなどを撚りつけたもの。クリスマスの飾りや手芸などに用いる。
 ボーロ(bolo):焼菓子の一つであり、南蛮菓子の一つである。/ポルトガル語で「ケーキ」を意味し、小麦粉(そば粉や片栗粉も使ったものもある)に卵、砂糖などを加えてこね、成型してから焼き上げたもの。一般的にはカリッとした軽い歯ざわりと口中でさらりと溶ける食感が特徴であるが、中にはカステラのようにしっとり焼き上げたものもある。日本には16世紀にポルトガルから伝えられた。
 ピン・キリ(pinta・cuuz」:「ピン」は「点」を意味するポルトガル語「pinta(ピンタ)」に由来し、カルタやサイコロの目の「一」を意味するようになり、転じて「初め」「最上」の意味となった。「キリ」は「十字架」を意味するポルトガル語「cruz(クルス)」が転じた語で、「十」を意味するようになり、「終わり」「最低」の意味になったとする説と、「限り」を意味する「切り」を語源とする説がある。天正年間に流行した天正カルタでは、各グループの終わりの12枚目を「キリ」と称していることから、「十字架(クルス)」の「十」が語源とは考え難いため、「限り」を意味する「切り」が有力とされている。
 パン(pão):西 pan、仏 pain、伊: paneといい、日本へはポルトガル人が伝えた。小麦粉やライ麦粉などに水、酵母、塩などを加えて作った生地を発酵させた後に焼いた食品(発酵パン)。変種として、蒸したり、揚げたりするものもある。また、レーズン、ナッツなどを生地に練り込んだり、別の食材を生地で包んだり、生地に乗せて焼くものもある。生地を薄くのばして焼くパンや、ベーキングパウダーや重曹を添加して焼くパンの中には、酵母を添加せずに作られるもの(無発酵パン)も多い。これらは、多くの国で主食となっている。/日本語および朝鮮語・中国語での漢字表記は麺麭と表すが、現在ではほとんど用いられていない。
 トタン(Tutanaga):波板のトタンを切断する際には波板が変形してしまうことを防ぐために専用のはさみが用いられることが多い。簡易な建造物の屋根や外壁、塀に用いられたり雨どいなどに使われる。またバケツ、じょうろ、ちりとり等の日用品の材料にも用いられる。
f21510d3.jpeg チャルメラ「charamela」:イタリア語では「チャラメッラ(ciaramella)」、フランス語では「シャリュモー(chalumeau)」と称する。英語では「ショーム(shawm)」といい、これはフランス語由来。/漢字表記は「嗩吶(スオナー)」。中国の楽器「嗩吶」(スオナー:簡体字表記「唢呐」)に由来し、「唐人笛」と呼ばれていたこともある。嗩吶は京劇などで用いられた楽器であり、日本には安土桃山時代に伝わったとみられる。江戸時代初期に長崎を訪れたポルトガル人が、この楽器を「チャラメラ」と呼んだことから、嗩吶のことを「チャルメラ」と呼ぶようになった。/屋台のラーメン屋の客寄せによく使われるチャルメラのメロディーを鳴らす自動車用警笛『チャルメラホーン』を指してチャルメラと呼ぶ。多くの人に知られており、そのメロディーはソラシーラソーソラシラソラーというものである。/歌舞伎の下座で使用されることもあり、ラーメン・豆腐・納豆などの流しの屋台や物売りで客寄せにチャルメラを使用しているケースがある。
※サーサーン朝期のペルシアにて軍楽隊が使用した楽器が起源とされる。のちにスペイン、ポルトガルに伝えられ、ヨーロッパに普及した。その構造は、フランスのJean Hotteterre〔ジャン・オトテール、1648?~1732年)〕らによって室内用楽器として改良が加えられ、オーボエの誕生に繋がったという。/トルコの伝統楽器『zurna(ズルナ)』もこの系統であり、形もチャルメラに似ている。
 タバコ(tabaco):タバコの語源は、スペイン語やポルトガル語の "tabaco"である。/タバコ自体は15世紀にアメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものであるが、それ以前からスペインでは薬草類を "tabaco"と呼んでいた。しばしばアメリカ・インディアンの言葉が語源であると言われるが、それは誤りである。/スペイン語の "tabaco" は、古いアラビア語で薬草の一種を示す "tabaq" という言葉が語源であるとみられている。/この単語が、フランス語では "tabac"、ドイツ語では "Tabak"、英語では "tobacco" となった。日本ではポルトガル語の音に近い「タバコ」として広まった。/漢字の当て字としては「多巴古」、「佗波古」、「多葉粉」、「莨」、「淡婆姑」などが用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が最も多い。中国語では「香烟」と呼ぶ(「烟」は煙の意)
 シャボン(sabao):石鹸の「石」は固い物の意味。「鹸」は塩水が固まったアルカリの結晶、また灰をこした水のことで、アルカリ性で洗濯にも使えることから、本来は「鹸」の一字で「石鹸」も意味する。つまり、「固い鹸」の意味として日本人が考えた造語である。/南蛮貿易により渡来したが、当初は灰汁を麦粉で固めたものを言い、「鹸」の意味のまま用いられていた。/最古の確かな文献は、1596年(慶長元年8月)、石田三成が博多の豪商神屋宗湛に送ったシャボンの礼状で、ここには「志也保牟(シャボン)」と記されているという。/江戸時代には「シャボン」が常用語として使われていたため「石鹸」の語はあまり見られないが、明治に入ると漢語重視の風潮になり、多く用いられるようになった。ただし、この当時の振り仮名は「シャボン」とされるのが普通で、「せっけん」と読まれるのは明治後半からである。/「シャボン」という言葉はポルトガル語の(sabao)が語源だといい、石鹸の産地、イタリアの石鹸製造都市サボナに由来すると言われている。
 ザボン(zamboa):標準和名はザボン(朱欒、香欒)。ボンタンとも呼ばれる。一般に文旦(ブンタン)と呼ばれ、柑橘類の一種である。/原生地は東南アジア・中国南部・台湾などであり、日本には江戸時代初期に渡来した。/ブンタンの名前については、清国広東省の通商船船長「謝文旦」(しゃぶんたん、潮州語ジアブンタン)の名前から取ったといわれる。船が遭難して薩摩で助けられた礼として、朱欒(しゅらん)と白欒(はくらん)という珍しい柑橘類をくれたのを植えて育てたのが広まったという説、貿易船として薩摩藩にやってきていた船が地元の通訳の原田喜右衛門に対して渡したという説、など数説ある。伝来したとされるのは鹿児島県の阿久根市とされ、生産量も多いことなどから1971年(昭和46年)に市の木に制定されている。/第二次世界大戦前にはジャボンと呼ばれるのが一般的であり、これはジアブンタン(謝文旦)の略と考えられるが、ジャボンから転じたザボンの名前については、ポルトガル語のzamboa(元の意味は「サイダー」)から転じたという説もある。/ポルトガル語のzamboa を受け入れたのだから、ザンボアのはずであるが、面白いことに、ザンボアからザボン、更に転じてザボンに変わってしまった。
 コンペートー(confeito):金平糖(こんぺいとう、コンペイトー)とは、砂糖と下味のついた水分を原料に、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の日本の菓子。/金米糖、金餅糖、糖花とも表記される。語源はポルトガル語のconfeito (コンフェイト)という 。初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、1546年(天文15年)にカステラ(《pao de》Castella)・有平糖(アルヘイトウ、alfeloa)などとともに南蛮菓子としてポルトガルから伝えられたとされる。
 コップ(オランダ語: kop、ポルトガル語: copo):歴史的にコップが日本に伝わったのは、江戸時代で、ギヤマン(オランダ語:diamant/ポルトガル語:diamante)やビードロ(vidro)などのガラス製品とともに伝わったため、英語を語源とするカップではなくオランダ語やポルトガル語を語源とするコップと表現される。古くから日本に伝わっていたため、江戸時代を経て外国との交流のあった長崎などを中心に各地の工芸品に見ることができる。
 キリシタン(Cristao):日本の戦国時代から江戸時代、更には明治の初めごろまで使われていた言葉であり、もともとはポルトガル語で「キリスト教徒」という意味である。英語では「クリスチャン」(Christian)となる。元来はキリスト教徒全般を指すが、実際に使われるこの語は、戦国期以後日本に伝来したキリスト教(カトリック)の信者・伝道者またその働きについてである。たとえば、貿易に関わったオランダ人は、キリスト教徒であるが、キリシタンとは捉えられていない。/漢字では吉利支丹などと書く。江戸時代以降は禁教令等による弾圧に伴い侮蔑を込めて切死丹、鬼理死丹という当て字も使われるようになった。なお、5代将軍徳川綱吉の名に含まれる吉の字をはばかって、綱吉治世以降は吉利支丹という字は公には使われなくなり、切支丹という表記が一般となった。/現在では、「キリシタン」という言葉は「キリシタン大名」や「隠れキリシタン」などの歴史的な用語として使う場合がほとんどであり、現代のキリスト教徒のことを指す場合は英語読みの「クリスチャン」を用いることが一般的である。また、カトリック・プロテスタントを問わず日本のキリスト教徒が「キリシタン」と自称することもほとんどない。特に長崎県などでは、かつての禁教・迫害などのつらい歴史を連想させるためか、この呼称を嫌うカトリック信徒も少なくない。
 カルメラ(caramelo):語源はポルトガル語の「甘いもの」(caramelo)による。作るには砂糖を融かす熱源と砂糖を融かす型、そして攪拌するための割り箸や菜箸のような棒があればよい。材料は水・砂糖・重曹(膨らし粉)である。/作り方は単純で、ザラメまたは赤砂糖(三温糖)に少量の水を加え加熱して融かし、重曹を加えて手早くかき混ぜ、炭酸ガスで発泡したところで、冷やしながら軽石状に固めたものである。古くは重曹の代わりに卵白を用いていた。ただ、砂糖と水の分量や、火から下ろすタイミング次第では失敗することがある。冷やす際には、水に濡らしたタオルの上に形を押し当てながら、溶けた砂糖が発泡状態のまま固まるようにさせればよい。/発泡させた飴のようなモノでもあり、サクサクした歯応えと濃厚な甘さ、加えてカラメルのような砂糖の焦げた風味がある。
 カルタ(carta):語源はポルトガル語だが、同様の遊戯は日本とポルトガルとの接触前からあったものと考えられている。元々は、平安時代の二枚貝の貝殻をあわせる遊び「貝覆い(貝合せ)」である。これとヨーロッパ由来のカードゲームが融合し、元禄時代頃に今日の遊び方となったという。/その名称はポルトガル語で手紙、あるいは紙板状のもの、トランプなどを意味するcartaに由来する。/元々はトランプなどのカードゲーム一般を指した。現代日本では、花札か、読み札にあわせた絵札をとってその枚数を競う競技を意味するようになった。
fe022c48.jpeg カッパ(capa):合羽はポルトガル語の「capa」の音写語で、16世紀に来日したキリスト教の宣教師が着ていた外衣が元であり、合羽の他に勝羽とも書かれ、南蛮蓑とも呼ばれた。/合羽は当初は羅紗を材料とし、見た目が豪華なため、織田信長や豊臣秀吉などの武士階級に珍重された。江戸時代に入ると、富裕な商人や医者が贅を競ったため、幕府がこれを禁止し、桐油を塗布した和紙製の物へと替わっていった。/合羽は安価で軽量で便利なため、瞬く間に普及し、寛保年間には小さく畳んで懐に入れられる懐中合羽が発明され、旅行の際の必需品として使用された。合羽の原料となる桐油紙は、合羽だけでなく、荷物や駕籠の被いや出産の際の敷物(お産合羽)としても使用された。
 カステラ(pao de Castella):鶏卵を泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いた菓子のひとつ。/名前の由来は一般的にはスペインのカスティーリャ王国(Castilla)のポルトガル語発音であるカステーラ(Castela)と言われている。また、異説として、カステラ製造過程でのメレンゲを作る際、高く高く盛り上げる時「お城(castelo)のように高くなれ!」と言ったことから、カステロ=カステラ、となったという説もある。いずれにせよ、パン・デ・カスティーリャ(pão de Castela、カスティーリャ地方のパン)や、ビスコチョ(元は乾パン状の船乗りの保存食だったが、16世紀末頃、柔らかく焼き上げるレシピが生まれている)が由来とされる。ポルトガルの焼菓子であるパン・デ・ロー(pão de ló)が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説も有力である。また、これらの原型は、中国の点心の一つであり、マレーの地名を関する「馬拉糕」や、沖縄の「鶏卵糕(ちいるんこう)」と呉方言のような読みをする蒸しカステラ類と共通する可能性も考えられる。/一般的な説では16世紀の室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって平戸や長崎に伝えられたとされる。当初のカステラは鶏卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いないことから、乳製品を生産、常用しない当時の日本にも残ることができた。カステラの製造に重要なオーブンは当時の日本には存在せず、オーブンに代替する天火として、引き釜という炭火を用いる日本独自の装置が考案された。
 ミイラ(mirra ):木乃伊(ミイラ)とは、人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、長期間原型を留めている死体のことである。/日本語の「ミイラ」は16~17世紀にポルトガル人から採り入れた言葉のひとつで、ポルトガル語の mirra は元来「没薬」を意味するものであった。 「ミイラ」への転義の詳しい経緯はつまびらかでないが、没薬がミイラの防腐剤として用いられた事実、また洋の東西を問わず“ミイラ薬”(ミイラの粉末)が不老長寿の薬として珍重された事実があることから、一説に、“ミイラ薬”(の薬効)と没薬(の薬効)との混同があったという。
 
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