横浜のIN氏からメールが入りました。曰く、
2016年9月25日15時52分着信 題:家内の咳は治まった
日高節夫様
雨がよく降ったね、そちらは異常ありませんか。
当方は、家内の風邪、咳がようやく治まって、というより、寝ている方がよほど腰が痛くて耐えられないということで、内科より、整形外科になったものですから、私の炊事当番は外れました。
でも、左の膝の皿と右の足首が痛む症状には変わりがないので、 今になって考えると、去年だったか、センター北駅〈最寄りの地下鉄駅)でバス停まで、全力疾走させた無謀を悔いています。タクシーに乗せて帰ればよかった…とね。
インド洋の小島、ディエゴ・ガルシア島の話を書こうと思っていたのですが、それよりも政府専用機のことを書きます。
いつも読売新聞の朝刊を読むときに、最初にページを開くのは2面の「安倍首相の一日」という首相の消息欄。
昨日(23日、24日)は、キューバから帰国するので、また羽田に到着後は夜間の皇居で帰国記帳という文字があるだろうと見当をつけていたら、羽田から直接、自邸に帰宅…となっている。
常々、いちいち帰国の記帳など、やめればいいのにと思っていたが、どうやら別の理由があった様子。
国内政治面に「キューバから給油地のサンフランシスコに向かう途中、鳥が政府専用機に衝突して機材にトラブルが発生したため同空港で予備機に乗り換えた。政府専用機は不測の事態に備え、首相の外遊時は原則2機で運用している」という記事があって、羽田空港に着く時刻が夜遅くなりすぎるので、宮内庁への帰国記帳を止めたらしい。
政府専用機は、通常、30分間隔を置いて、2機で運用しているようで、いわばアメリカ大統領のエアーフォース・ワン〈米空軍1号機というコールサイン)を使う例に倣って天皇や、首相の外遊の時には2機で飛ばしているらしい。
いわば別のジャンボ機が首相夫妻を乗せて30分前後の間隔で飛行しているという。
無論、表面的には機体、機材の故障も想定してのことであろうが、主目的は対空攻撃を防ぐ意味合いが多いだろうということはどんな素人でも見当がつく。
政府専用機を飛ばすには、訪問国で駐機する駐機料も含めて2機分の運用管理費が必要になってくる。日本のような貧乏国が、エアーフォースワンを2機持つ必要があるのだろうかね。2機持つのなら、500人乗り(実態は140人乗りに改造してあるらしいが)でなくて、200人程度の客を乗せれば十分ではないのだろうか。
とにかく、日本国のエアーフォースワンは2019年、26年間のお役目を終えて、退役。東京オリンピックの前年には、新しい機体に取り換えなければならないのだがね…。
とりあえず、先日、予告した、家内の体調が戻ったら書くと予告した、ディエゴ・ガルシア島の話は後日に回します。
どうぞお元気で…。奥さまによろしく。 IN
取り敢えず、ディエゴ・ガルシア島の位置だけ確認しておきました。
ウェブニュースより
政府専用機に鳥が衝突 安倍首相、予備機で帰国 ―― 安倍晋三首相は24日夜、米ニューヨークでの国連総会出席やキューバ訪問を終え、政府専用機で羽田空港に到着した。キューバを23日午前(日本時間24日未明)に出発したが、鳥の衝突による機体トラブルのため、途中の給油地の米サンフランシスコで予備機に乗り換えた。
首相が外国訪問で利用する政府専用機は、トラブル発生時に備え、2機で運航している。首相のほか、同行職員らも予備機に乗り換えたが、旅程に大きな乱れはなかった。 (朝日新聞 2016年9月24日22時02分)
さらに、IN氏からのメールが入りました。曰く、
2016年9月26日9時47分 題:チャンドら。ボースの秘宝
日高節夫様
昨日は、君宛のメールが、なかなか発信できなくて、イッツコムと電話機を握って小一時間悪戦苦闘をしたが、モデムの接続を直しただけで回復した。
君のパソコンに迷惑をかけてはいなかったでしょうか、お伺いして、もしトラブルを波及させていたのでしたらお詫びを申しあげます。
今日は読売の朝刊で、「チャンドラ・ボースの台北空港での航空事故遭難」に関する資料が、公開される日が来た…というニュースが大きく出ている。
戦後の中学生にとっては、このニュースはスペースは大きくなかったが、衝撃的なニュースでしたね。
その後、怪しげな政治資金の流れがあると「ボースの宝石」が原資だとイエローペーパーを中心に騒がれた。「ボースの宝石」という言葉は、我々世代には耳なじみのある言葉だね。さて真実はどうなのか? IN
ウェブニュースより
インド独立闘争のボース「墜落死」文書公開へ ―― 【ロンドン=角谷志保美】インド独立闘争の英雄スバス・チャンドラ・ボースが太平洋戦争の終結直後に台湾で事故死したことを示す日本政府の機密扱いだった文書が、30日にも外務省の外交史料館(東京都港区)で閲覧可能になる。/インドではボースの生存説が根強く、日本で保管されている遺骨の返還の妨げともなってきた。ボースの遺族は文書公開が、遺骨がインドに戻るきっかけになればと期待を寄せている。/ボースは1945年8月、飛行機の墜落事故で死亡したというのが定説だ。しかし、故郷のインド東部コルカタを中心に「事故死は偽装で本当はソ連に渡った」と主張する勢力があり、遺骨も「本物かどうか分からない」としてインドに戻すことに反対してきた。 (YOMIURI ONLINE 2016年09月26日 14時46分)
sechin@nethome.ne.jp です。
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