瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 暑さ寒さも彼岸までと言いますが、ここ二三日ずい分涼しくなりました。このまま涼しい日が続くと良いのですがね。
 今日は彼岸の中日です。
 彼岸という言葉は仏教用語からできたもので、梵語〔ぼんご〕「波羅密多〔はらみた〕」の訳だと言われています。正しくは到彼岸〔とうひがん〕、つまり生死を繰り返す迷いの世界(生死輪廻〔しょうじりんね〕)である此岸(この世)を離れて苦しみの無い安楽(涅槃常楽〔ねはんじょうらく〕)な彼岸に至るという意味です。その内容にも仏教の影響が多く見られますが、他の仏教国には無い日本固有の信仰のようです。

 延暦二十五年(806年)の2月の記録に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間『金剛般若波羅蜜多経』を崇道(すどう)天皇のために転読させた(日本後紀)」とあり、これが日本の歴史上最初の彼岸法要の記録だそうです。崇道天皇とは、桓武天皇が弟の早良親王に贈った諡号です。
 


 その後政権を争う戦いが長く続き、その不安から人々の間で“1052年に仏の教えが消滅してしまう”という「末法思想」が広まり、社会現象になり始めました。信者達は、現世で報われないのなら、せめて死んでから極楽浄土へいけるようにとすがるようになりました。初めは浄土宗の人たちだけの信仰だったようですが、あまりにも戦乱が長く続いたため一般の人にまで広がりました。


  
 仏教の教えには、何でもほどほどが良いという「中道」という考え方があるようで、その考えと合致して出来たのが「彼岸」だといわれています。春分と秋分の日は昼夜の長さが同じになります。また、暑くも寒くもないほどほどの季節であり、 太陽が真西に沈む時期なので西方極楽浄土におられる阿弥陀仏を礼拝するのにふさわしいという考えから、次第に人々の生活に浄土をしのぶ日、またあの世にいる祖先をしのぶ日として定着していったようです。

 ところで、お彼岸に良く見られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、餅米とアンコで作られた同じ食べ物ですが、食べる時期が異なる為、それぞれの季節の花を意識して名前が変えられているのです。

 春の彼岸にお供えする場合は「牡丹餅」と書き、一般的には漉し餡を使用します。一方、秋にお供えする場合は萩〔はぎ〕の花を意識して「お萩」と呼ばれ、餡は粒餡を使用します。あずきは赤い色をしていて古くから邪気を払う効果がある食べ物として食べられており、それが先祖の供養と結びついたのでしょうね。


 


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