瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日に続いて、今朝も早朝から雨模様です。
 昨日の爺のブログを見て思いついたのでしょうか。篠山の姪から、メールが入りました。曰く、


2016年9月22日17時14分着信  題:彼岸について
 今日は朝から雨で、家にじっとしております。
 おはぎも食べず、今日も暮れゆく…。
 さて、お彼岸がなぜ日本だけの風習かを考えると、やはり「太陽の道」を尊ぶ古代の風習があったせいかと思われます。
 それと
【日想観】〘仏〙 西に沈む太陽を見て,その丸い形を心に留める修行法。極楽浄土を見る修行の一部で,観無量寿経に記される。

 日想観修行の最古の例は延暦6年(787年)に行った真言宗の祖・空海とされる
などが、結び付いたかと。
 以前、そんなNHKの番組を見て気になっていたので、調べた結果、折口信夫の文章に行き当たりました。
 ご存知かもしれませんんが、コピペしておきます。
 篠山には、日置という地名があり、日置さんという名字もあります。「日高」という名字も、古代信仰に由来するかもしれませんね。
 ではまた。 Chisato

参考資料  青空文庫よりコピペ
 「山越しの阿弥陀像の画因」折口信夫 
   http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/45498_26150.html


(前略)
 昔と言うばかりで、何時と時をさすことは出来ぬが、何か、春と秋との真中頃に、日祀(ひまつり)をする風習が行われていて、日の出から日の入りまで、日を迎え、日を送り、又日かげと共に歩み、日かげと共に憩う信仰があったことだけは、確かでもあり又事実でもあった。
 そうして其なごりが、今も消えきらずにいる。日迎え日送りと言うのは、多く彼岸の中日、朝は東へ、夕方は西へ向いて行く。今も播州に行われている風が、その一つである。而も其間に朝昼夕と三度まで、米を供えて日を拝むとある。(柳田先生、歳時習俗語彙)
 又おなじ語彙に、丹波中郡で社日参りというのは、此日早天に東方に当る宮や、寺又は、地蔵尊などに参って、日の出を迎え、其から順に南を廻って西の方へ行き、日の入りを送って後、還って来る。
 これを日の伴(ひのとも)と謂っている。
 宮津辺では、日天様(にってんさま)の御伴と称して、以前は同様の行事があったが、其は、彼岸の中日にすることになっていた。紀伊の那智郡では唯おともと謂う。
こうある。
 何の訣(わけ)とも知らず、社日や、彼岸には、女がこう言う行の様なことをした。又現に、してもいるのである。
(中略)
 さて、此日東の大きなる古国には、日を拝む信仰が、深く行われていた。今は日輪を拝する人々も、皆ある種の概念化した日を考えているようだが、昔の人は、もっと切実な心から、日の神を拝んで居た。
 宮廷におかせられては、御代御代の尊い御方に、近侍した舎人たちが、その御宇御宇の聖蹟を伝え、その御代御代の御威力を現実に示す信仰を、諸方に伝播した。
 此が、日奉部(ひまつりべ又、日祀部)なる聖職の団体で、その舎人出身なるが故に、詳しくは日奉大舎人部とも言うた様である。
 この事については、既に前年、柳田先生が注意していられる。之と日置部・置部など書いたひおきべ(又、ひき・へき)と同じか、違う所があるか、明らかでないが、名称近くて違うから見れば、全く同じものとも言われぬ。日置は、日祀よりは、原義幾分か明らかである。後代算盤の上で、ある数にあたる珠を定置することになっているが、大体同じ様な意義に、古くから用いている。
 源為憲の「口遊(くゆう)」に、「術に曰はく、婦人の年数を置き、十二神を加へて実と為し…」だの、「九々八十一を置き、十二神を加へて九十三を得……」などとある。此は算盤を以てする卜法である。
 置くが日を計ることに関聯していることは、略、疑いはないようである。ただ「おく」なる算法が、日置の場合、如何なる方法を以てするか、一切明らかでないが、其は唯実際方法の問題で、語原においては、太陽並びに、天体の運行によって、歳時・風雨・豊凶を卜知することを示しているのは明らかである。
 此様に、日を計ってする卜法が、信仰から遊離するまでには、長い過程を経て来ているだろうが、日神に対する特殊な信仰の表現のあったのは疑われぬ。其が、今日の我々にとって、不思議なものであっても、其を否む訣には行かぬ。
 既に述べた「日の伴」のなつかしい女風俗なども、日置法と関聯する所はないだろうが、日祀りの信仰と離れては説かれぬものだということは、凡考えていてよかう。
 其に今一つ、既に述べた女の野遊び・山籠りの風である。此は専ら、五月の早処女となる者たちの予めする物忌みと、われ人ともに考えて来たものである。
 だが、初めにも述べた様に、一処に留らず遊歴するような形をとることすらあるのを見ると、物忌みだけにするものではなかったのであろう。
 一方にこうした日かげを追う風の、早く埋没した俤を、ほのか乍らわせているというものである。


 


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