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 長久山妙泉寺は、千葉の細草檀林、京都の大亀谷檀林を創立した智泉院日達上人が、慶安4(1651)年に創立した寺院だという。宗派は法華宗(本門流)、本山は 大本山本能寺ということ。昭和22年から37年まで法華宗宗務院がここに移され、宗門の事務を行っていた。平成15年11月には本堂が新しくされ、その際に行われた落慶法要には、100名以上の参拝の方が訪れたという。
 この妙泉寺に貧乏神の像があるというので訪ねてみた。昼飯後に松屋前から東西めぐりんで谷中清水町公園まで行く。ここから訊ね歩いて妙泉寺へ。
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4bf1e675.JPG 門を入ってのすぐの本堂のまえに、貧乏神の石像(モチーフは桃太郎伝説・電鉄シリーズの貧乏神)が祀られている。この石像は景気回復の願いから貧乏神の頭の上に猿が乗る「貧乏が去る(猿)像」と名づけられている。この像は香川県高松市の鬼無駅と長崎県佐世保市の佐世保駅、銚子電気鉄道の仲ノ町駅にも設置されているということである。また銚子電気鉄道には、笠上黒生駅に「貧乏を取り(鳥)」として頭にキジが乗った像が、犬吠駅に「貧乏が居ぬ(犬)」として頭に犬が乗った像が、猿と時を同じくして設置されたという。

 妙泉寺から5・600mほど浅草よりに淨名院という寺を訪ねてみた。寛文6(1666)年に建立されたというこの寺院には石の地蔵が境内いっぱいに並んでいる。嘉永年間、第36代妙運和尚がインドの阿育(アショカ)王八万四千法塔の故事にならって地蔵尊建立を発願したのが始まりという。現在は約20000体を数えるという。
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fbb9ee92.jpg 帰りは言問通りを東進して帰宅した。

cf37a126.JPG アショーカ王の故事:治世10年頃から釈迦縁の地を回り、また自らの命じた「法の政治」を宣伝し、またそれが実行されているのかどうかを確認してまわる「法の巡幸」を開始した。治世11年にはブッダガヤの菩提樹を詣でている。そして釈迦の入滅後立てられた8本の塔のうち7本から仏舎利を取り出して新たに建てた8万4千の塔に分納したと伝えられる。この数字自体は誇張であるが、インドの仏塔の中にアショーカ時代に起源を持つものが数多く存在するのは事実である。
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