瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 涅槃経の中に、『ある家に、とても美しい女の人が訪ねて来た。豪華な服を着て、見るからに気品のある女性であった。その美女は、「私は吉祥天です。福徳を授けに来ました。」と言う。幸福の女神の到来なので、家の主人は大変に喜んで、家の中に招き入れた。ところが、これを追うように、もう一人の女性が入って来ようとしている。見るからにみすぼらしい、醜い女性だったので、「おまえは誰だ。」と主人が問うと、「私は黒闇天(こくあんてん)。私の行くところ、必ず災厄がおきる貧乏神です。」とこたえる。主人は、貧乏神に家の中に入ってこられてはたまらないので、ませんから、「おまえなんか、とっとと消え失せろ。)と怒鳴りつけた。すると、その黒闇天は大声をあげて笑っていうには、「あなたはお馬鹿さんね。さっき入って行った吉祥天は、わたしの姉です。わたしたち姉妹はいつも一緒に行動しています。わたしを追い出せば、姉の吉祥天だってこの家から出て行きますよ。」そして、そのとおり、吉祥天と黒闇天は肩を並べて、その家を去って行った』という話がある。
 「禍(わざわい)に因(よ)りて福(ふく)と為(な)す。成敗(せいはい)の転(てん)ずること、譬(たと)えば糾(あざな)える墨(ぼく)の若(ごと)し。」(史記 南越列伝)というではないか。
193352f4.JPG 井原西鶴『日本永代蔵』巻4「祈る印の神の折敷」に出てくる話に、嫌われ者の貧乏神を祭った男が、七草の夜に亭主の枕元にゆるぎ出た貧乏神から「お膳の前に座って食べたのは初めてだ」と大感激されて、そのお礼に金持ちにしてもらったというのがある。また、かつて江戸の小石川で、年中貧乏暮しをしていた旗本が年越しの日、これまでずっと貧乏だったが特に悪いことも無かったのは貧乏神の加護によるものだとし、酒や米などを供えて貧乏神を祀り、多少は貧窮を免れて福を分けてもらうよう言ったところ、そのご利益があったという。
 津村 淙庵(つむら そうあん、1736~1806年、江戸時代中期の江戸の町人で、歌人、国学者)の随筆『譚海』には、『昔ある者が家で昼寝していると、ぼろぼろの服の老人が座敷に入って来る夢を見て、それ以来何をやってもうまくいかなくなった。4年後、夢の中にあの老人が現れ、家を去ることを告げ、貧乏神を送る儀式として「少しの焼き飯と焼き味噌を作り、おしき(薄い板の四方を折り曲げて縁にした角盆)に乗せ、裏口から持ち出し川へ流す」、今後貧乏神を招かないための手段として「貧乏神は味噌が好きなので、決して焼き味噌を作らない。また生味噌を食べるのはさらに良くないことで、食べると味噌を焼くための火すら燃やせなくなる」と教えた。その通りにして以来、家は窮迫することがなくなったという。』という話が出ている。
 日本の貧乏神は味噌が好物で、団扇を手にしているのはこの味噌の芳香を扇いで楽しむためとされている。薄汚れた老人の姿で、痩せこけた体で顔色は青ざめ、手に渋団扇を持って悲しそうな表情で現れるが、どんな姿でも怠け者が好きなことには変わりないとされる。家に憑く際には、押入れに好んで住み着くという。
 中国の伝説によれば、古代の帝高辛(上古中国神話上の帝王 嚳)のとき、宮中に生まれた子がいつもぼろぼろの着物を着たがったので、「窮子」(貧乏人の子)という渾名がついた。これが貧乏が身になったのだという。窮子の命日は正月の晦日といわれたので、この日になると何処の家でも窮神をお送り出すための大掃除わし、不用の物を棄てたという。唐代ではこの行事が特に盛んで遇ったらしい。
7b8fd850.JPG 毎年この日が来ると、酒を注ぎ外に向かって礼拝する。/どの家、どの門口みても、みな貧乏神を追い出している。
 貧乏神をおくりだすのだが、一向に出て行かぬが、そんなにまとわりついてどうするつもりだ。/ここは今お役人様のお屋敷なんだぞ、一体何時までこしをおちつけるつもりなんだ。
 昔の人はみな別れを惜しんだものだが、この別れだけはがっかりするのが恨めしい。/こちらがただみおくるばかりで、何年経っても先方はでてゆかぬ。

7cef229a.JPG 姚合(775~855?年)は河南省陝県の人で玄宗朝の宰相姚崇(ようすう)の曾孫。当時の詩壇の中心人物であったという。





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 なかなか面白い話の種ですね。「人間万事が塞翁が馬」(『淮南子(えなんじ)』)のことを想起されます。悪いものと良いものがよくくっついているものですから、いくら逆境にあっても希望を捨ててはいけないという戒めです。
 おっしゃられたことに関連があるかもしれませんが、昔の中国の農村では、貧しいから赤ちゃんが生まれた時、よく「狗剰児」(ゴーシング)というあだ名をつけられます。意味は犬(狗)の食べ残した物を食べます。ご存じのように、犬はわりと強靭な生命力をもっていますね。よってこのあだ名には、貧乏な家庭でも赤ちゃんがすくすく育てるように、という願いが込められているわけです。
漢学 2011/01/10(Mon) 編集
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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