瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[366] [365] [364] [363] [362] [361] [360] [359] [358] [357] [356]
e70317ea.jpg
e988865e.jpg 江戸通り→ 雷門通り(久保田万太郎生誕の地碑)→ 淺草通り→ 東上野3丁目信号→ 西町公園(旧町名由来板・西町)→ 東上野1丁目(西町太郎稲荷神社)→ 淺草通り→ かっぱ橋道具街→ 言問通り→ 千束通り→ 淺草3丁目→ 淺草6丁目→ 自宅  以上、9945歩、6.4km。
5db038e6.jpg
a7aa8b68.jpg 西町太郎稲荷神社境内に立つ案内板に曰く「当町は万治年間(1658~61)、九州筑後柳川藩十一万九千六百石の太守立花左近将監が江戸中屋敷として設けた跡地です。当太郎稲荷は立花左近将監の母堂みほ姫の守り本尊として、同邸内の現在地に建立されたものです。/諸々の祈願事を叶え給い、特に商売繁盛に御利益あらたかなところから江戸・明治・大正時代を通じて広くその名が知られ、多くの善男善女に厚く信仰されております。現在も町内有志集まって由緒ある当祠の維持運営に務め、初午祭等を盛大に行っております。」
 江戸時代のお稲荷さんの流行を語るのに欠かせないのがこの「太郎稲荷」である。江戸時代に爆発的な流行が起こった。流行の端緒は一説によると、立花家の嫡子の麻疹が太郎稲荷の霊験により平癒したという噂が流れたからだといわれているが、真偽の程は判らない。現在、太郎稲荷は二社あり(→その1つは昨日訪ねた入谷・太郎稲荷神社)、おそらく社が移転する際に二社に分かれたものであろうと思われるが、これも詳しいことは判らない。お稲荷さんに限らず、信仰を集めている社が移動しようとすると、大抵新旧二社ができるものらしい。江戸切絵図文久2(1862)年版と照らし合わせてみると、当地は立花飛騨守屋敷内北側よりの位置にあたる。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/