瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
境稲荷神社の創建年代は不明だが、文明年間(1469~87年)に室町幕府の9代将軍足利義尚が再建したと伝えられている。社名は、この辺りが忍ヶ岡(上野台地)と向ヶ岡(本郷台地)の境であったことに由来するという。かつての茅野(現池之端一、二丁目の一部)の鎮守として、今も崇敬されている。
境内の北側の一画、東大付属病院北門のすぐ近くに「弁慶鏡ヶ井戸」という井戸がある。源義経主従が奥州平泉へ落ちて行く途中、弁慶が見つけて一行が渇きをうるおしたと伝えられている井戸である。伝説はともかく、昔は名水として評判だったようである。かつての神社の別当三光寺の山号を「原泉山」といったのも、この井戸に由来したものと推定されている。一時、埋め立てられたが、昭和15(1940)年、再び掘り返された。それで東京大空襲のときに、火に追われた被災者のために大いに役立ったという。そばの石碑は、再掘削の記念碑である。表には「此の井水は往昔より清冽明澄なる事鏡の如く里人呼んで辨慶鏡ケ井と称へたる名水な里・・・・・・」と刻まれている。裏面にある建碑者の連名の中に近隣に住んでいた日本画壇の重鎮横山大観(1868~1958年)の名も見える。現在、井戸はコンクリートの蓋がしてあるが、今では懐かしい手動のポンプがあって、それをこげば冷たい水が出てくるが、そばの立て札には「この水は飲めません」とある。
お狐さんが溢れるかえる江戸のお稲荷さんのなかで、あえて狛犬を奉献している稲荷社には、比較的古社(江戸前期以前)が目立つように思える。先代が狛犬ならば、新しく奉献するときには、また狛犬を奉納するのだろう。ここ七倉(しちくら)稲荷神社は、元々蔵前にあった、7つの蔵の守護神だったという。この辺りはその昔、七軒町といったらしいが、これとは全く関係ないらしい。3代将軍徳川家光(1623~51年)の頃、この辺りは武家屋敷であったらしい。本町の起立年代ははっきりしないが、武家方と寺方そして町人7人がこの土地を買い求めて7軒の家が建ったので、七軒町の名がついたということである。
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目高 拙痴无
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