瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日は、少々ルートを変えて北コースで上野公園迄行き辺りを徘徊してみることにした。
本日の徘徊ルート 言問通り→ 昭和通→ 両大師橋→ 公園大噴水→ 上野公園8丁目(上野東照宮)→ 動物園通り→ 上野中央通(上野公園正面出入口)→ 東京メトロ上野駅→ 《地下鉄にて》浅草駅→ 江戸通り→ 自宅 以上 本日の記録は8530歩、5.5㎞。
1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎(とうどうたかとら、1556~1630年)と天海僧正(1536~1643年)は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作って欲しいという遺言を受けた。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営した。1646年には正式に東照宮の宮号を授けられた。1651年に三代将軍・(1536年~1643年)徳川家光公(1604〜1651年)が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿である。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれている。当時は東叡山寛永寺の一部であったが、戦後神仏分離令により寛永寺から独立した。その後、戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在に残す、貴重な文化財建造物である。




東照宮とは、徳川家康公(東照大権現、1542〜1616年)を神様として祀る神社である。日光東照宮、久能山東照宮が有名ですが、全国各地に数多くある。そのため、他の東照宮と区別するため上野東照宮と呼ばれているが、正式名称は東照宮であるという。春はぼたん・桜の名所として、秋は紅葉狩り、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の人々で大変賑わい、開運・学業などの祈願成就を願う人が後を絶たないという。また、本格的な江戸建築を間近で見られる神社として、この頃は外国人観光客も多く見かけられるという。
1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎(とうどうたかとら、1556~1630年)と天海僧正(1536~1643年)は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作って欲しいという遺言を受けた。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営した。1646年には正式に東照宮の宮号を授けられた。1651年に三代将軍・(1536年~1643年)徳川家光公(1604〜1651年)が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿である。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれている。当時は東叡山寛永寺の一部であったが、戦後神仏分離令により寛永寺から独立した。その後、戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在に残す、貴重な文化財建造物である。
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目高 拙痴无
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誕生日:
1932/02/04
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sechin@nethome.ne.jp です。
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