瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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大鏡 第三巻20段 伊尹伝より
 男君たちは、代明の親王の御女の腹に、 前少将挙賢・後少将義孝とて、 花を折り給ひし君たちの、殿失せ給ひて、 三年ばかりありて、天延二年甲戌の年、皰瘡おこりたるに、 煩ひ給ひて、前少将は、朝に失せ、後少将は、 夕にかくれ給ひにしぞかし。 一日がうちに、二人の子をうしなひ給へりし、母北の方の御心地いかなりけむ、 いとこそ悲しく承りしか。
 かの後少将は義孝とぞ聞えし。御かたちいとめでたく御座し、 年頃きはめたる道心者にぞ御座しける。 病重くなるままに、生くべくもおぼえ給はざりければ、母上に申し給ひけるやう、
「おのれ死に侍りぬとも、とかく例のやうにせさせ給ふな。 しばし法華経誦じ奉らむの本意侍れば、 かならず帰りまうで来べし」
と宣ひて、方便品を読み奉り給ひてぞ、 失せ給ひける。その遺言を、母北の方忘れ給ふべきにはあらねども、 物も覚えで御座しければ、思ふに人のし奉りてけるにや、 枕がへしなにやと、例の様なる有様どもにしてければ、え帰り給はずなりにけり。 後に、母北の方の御夢に見え給へる。
   しかばかり契りし物を渡り川かへるほどには忘るべしやは
とぞよみ給ひける。いかにくやしく思しけむな。
 さて後、ほど経て、賀縁阿闍梨と申す僧の夢に、この君たち二人御座しけるが、 兄、前少将いたう物思へるさまにて、 この後少将は、いと心地よげなるさまにて御座しければ、阿闍梨、
「君はなど心地よげにて御座する。母上は、君をこそ、兄君よりはいみじう恋ひきこえ給ふめれ」と 聞えければ、いとあたはぬさまのけしきにて
    しぐれとは蓮の花ぞ散りまがふなにふるさとに袖濡らすらむ
など、うちよみ給ひける。
 さて後に、小野宮の実資の大臣の御夢に、おもしろき花のかげに御座しけるを、うつつにも語らひ給ひし御中にて、 「いかでかくは。いづくにか」とめづらしがり申し給ひければ、その御いらへに、
 昔ハ契リキ、蓬莱宮ノ裏ノ月ニ   今ハ遊ブ、極楽界ノ中ノ風ニ (昔契蓬莱宮裏月 今遊極楽界中風 )
とぞ宣ひける。極楽に生れ給へるにぞあなる。斯様にも夢など示い給はずとも、 この人の御往生疑ひまうすべきならず。

現代語訳
 伊尹公の男の御子様方には,代明親王の姫君が御産みになられた前少将挙賢と後少将義孝という 大層華やかな見目麗しい姿の御子息がありました。 父伊尹が御亡くなりになってから三年程経た天延二年甲戌の年(西暦974年)、 流行り病の天然痘を患い、まず前少将が朝に御亡くなりになって、後少将は夕方に御亡くなりになりました。 一日に二人の御子様を亡くしてしまった母君の北の方の御心持ちは、いかばかりだったことでしょう。 実に悲しみ深い事です。
 その義孝という後少将は御容姿がとても美しく、ずっと熱心な仏教信者でした。 自分の病気が重くなり、助かりそうに無いと自分でも悟って、 母上の代明親王の姫君にお話になりました。「私が死んでも、あれこれと普通に死者を扱う様にしないでください。 もうすこし法華経を読経したいと思っていますので、必ずやこの世に戻ってきます。」
と言い、 法華経の中でも臨終で念じるものでは無いお経の方便品を詠んで亡くなりました。 その遺言ともいう臨終の言葉を母上が忘れるはずもないのですが、 御嘆きのあまりに混乱し、周囲の人々がなすがままに枕を北向きに直し、 何やかやと普通の作法で後少将を送ってしまいました。 ゆえに、後少将はこの世に戻ってくることができなくなってしまったのです。 後で母上の御夢に立った後少将は
 <しかばかり契りし物を渡り川かへるほどには忘るべしやは>
 (あれほど約束したのに、私が三途の川から戻ってくる束の間にすでに約束を忘れてしまうとは)
と詠みました。
 それを聞いた母君はどんなにか後悔したことでしょう。
 賀縁阿闍梨という僧の夢に、この兄弟が出てきました。 沈んでいる兄に対して義孝は実に心楽しげです。 阿闍梨はその様子を不思議に思い、
「なぜそのように楽しげなのでしょう。お母上は兄上様よりもあなたを深く愛し、恋しくも思っておいでであるのに」 とたずねました。
 すると義孝は納得できないような顔をして答えました。
   <時雨とははちすの花そちりまよふなにふるさとに袖ぬらすらむ>
   (そちらの世界では時雨のころなのでしょうか。私がいるこちらの世界では蓮の花がとても美しいのです。 母上はなにを嘆き悲しみになってお泣きなのでしょうか。)
 生前親しくしていた小野宮流藤原実資もまた、義孝を夢に見たとのことです。 美しく咲いた花の陰に座っていたので「なぜこんなところにいらっしゃるのですか? ここはどこなのでしょう?」  と声をかけました。すると「私は生きていた時に、蓬莱宮のような宮中で、あなたと月を眺めては楽しみましたよね。 今は極楽浄土の風に吹かれて、楽しく暮らしているのですよ。」とお話になったとのことでした。
 わざわざ夢に出て来て教えてくれなくとも、義孝が極楽に行かれたことは疑いの余地がありません。


 


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