瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[2092] [2091] [2090] [2089] [2088] [2087] [2086] [2085] [2084] [2083] [2082]

紫式部日記『和泉式部と清少納言』
 和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。
  うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見え侍るめり。歌は、いとをかしきこと。
 ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみ添へ侍り。
 それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌も詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢには侍るかし。
 恥づかしげの歌詠みやとはおぼえ侍らず。
 清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人。
 さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
 かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行く末うたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにも侍るべし。
 そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

現代語訳
 和泉式部という人は、趣深く手紙をやり取りした(人です)。しかし、和泉式部には感心しない面がある。
 気軽に手紙を走り書きした時に、その方面の才能のある人で、ちょっとした言葉の、つやのある美しさも見えるようです。歌は、たいそう興味深いものですよ。
 古歌についての知識や、歌の理論、本物の歌人というふうではないようですが、口にまかせて詠んだ歌などに、必ず趣深い一点で、目にとまるものが詠み添えてあります。
 それほど(の歌人)であるのに、他の人が詠んだ歌を非難したり批評したりしているようなのは、いやもうそれほどまで(和歌を)心得てはおらず、口をついて実に自然と歌が詠まれるようだと、思われる(和歌の)作風でございますよ。
 (こちらが)恥ずかしくなるほどのすばらしい歌人だなとは思われません。
 清少納言は、得意顔でとても偉そうにしておりました人(です)。
 あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしております(その)程度も、よく見ると、まだたいそう足りないことが多い。
 このように、人より特別優れていようと思いたがる人は、必ず見劣りし、将来は悪くなるだけでございますので、風流ぶるようになってしまった人は、ひどくもの寂しくてつまらない時も、しみじみと感動しているようにふるまい、趣のあることも見過ごさないうちに、自然とそうあってはならない誠実でない態度にもなるのでしょう。
  その誠実でなくなってしまった人の最期は、どうしてよいことでありましょうか。(いや、よくないでしょう。)


 


この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/