瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 百人一首51~60についても同じように調べてみます。

51.藤原実方朝臣 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを(後拾遺集)
 藤原実方(?~998 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。左近中将となったが、宮中で不祥事を起こして陸奥守に左遷され、任地で没しました。多数の女性と交遊関係を持ち、清少納言も愛人の一人であったといいます。
現代語訳 「こんなに愛している」とさえ言えないのですから、伊吹山のさしも草(もぐさ)ではありませんが、それほどとはご存じないでしょう。あなたへの燃える思いを。
※後世、実方と行成(ゆきなり)が口論した際、主上が実方の粗暴なふるまいをとがめて「歌枕(うたまくら)見てまいれ」と断じて下命した(『古事談』『十訓抄』ほか)という伝説も派生しました。
52.藤原道信朝臣 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな(後拾遺集)
  藤原道信朝臣 藤原道信(972~994年)は平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。23歳で早世。
現代語訳 夜が明けてしまうと、必ず暮れて、あなたに逢えるとは知ってはいるものの、それでも恨めしい夜明けだなあ。
※非常に和歌に秀で、奥ゆかしい性格と評されたといます。懸想し恋文を贈った婉子女王(えんしじょおう、為平親王の娘)が藤原実資に嫁してしまったのちに詠んだ和歌が『大鏡』に伝わります。また、藤原公任・実方・信方などと親しかったいいのす。
53.右大将道綱母 歎きつつひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る(拾遺集)
 右大将道綱母 藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは、?~995年)は実名不明。平安中期の歌人。藤原倫寧(ともやす)の娘。藤原兼家の妻で道綱の母。『蜻蛉日記』の作者。
現代語訳 あなたが来てくださらないことを嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの間は、どれほど長いものかご存知でしょうか。ご存知ないでしょう。
※『拾遺集』の詞書には、「入道摂政(兼家)まかりたりけるに、門を遅く開けければ、『立ちわづらひぬ』と言ひ入れて侍りければ」とあり、『蜻蛉日記』には、夫に他の妻ができたことを知った作者が、その来訪を知りながら決して門を開けようとせず、新しい妻の家へ立ち去ってから、しおれかけの菊とともに贈った歌とあります。いずれにせよ、この歌の背景には、夫に別の妻ができたことに対する嫉妬が存在するようです。また、それが道綱を出産して間もない時期であったため、一層、精神的な負担を増大させていたことがうかがえます。もっとも、藤原道綱母自身が兼家の妻とはいえ、実質的には第二夫人であり、藤原中正(なかまさ)の女が産んだ道隆、道長が兼家の後を継ぐこととなりました。
54.儀同三司母 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな(新古今集)
 儀同三司母(ぎどうさんしのはは、?~996年)は高階成忠(たかしなりなりただ)の娘、貴子。藤原道隆の妻で伊周(これちか、儀同三司)、隆家、定子の母。平安中期の歌人。
現代語訳 忘れはしまいとおっしゃるお言葉は、遠い未来まではあてにしがたいので、今日を限りの命であってほしいものです。
※藤原道隆は、この歌が詠まれた当時、10代後半であって官位は低く、父の兼家が、伯父の関白兼通から疎まれていたため、必ずしも順風満帆という状況ではありませんでした。その後、兼通の死去により兼家が政界の中枢に復帰すると、道隆もまた急激に官位を進めました。道隆が関白になると、定子は一条天皇の中宮に、嫡男伊周(儀同三司)は10代でありながら公卿に列するなど、貴子の産んだ子供たちは、朝廷内で重要な役割をはたすこととなります。しかし、道隆が43歳の若さで亡くなり、伊周が叔父道長との政争に敗れ、隆家が花山法皇を襲撃するという暴挙に及んだことにより、兄弟そろって地方に左遷されました。こうした混乱の最中、貴子は伊周に同行することを求めますが許されず、失意のうちに病を得て亡くなります。
55.大納言公任 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ(拾遺集)
 大納言公任(きんとう) 藤原公任(ふじわらのきんとう、966~1041年)は平安中期の歌人。藤原定頼の父。諸芸に優れ、『和漢朗詠集』、『拾遺抄』、『三十六人撰』を撰し、歌論書『新撰髄脳』、『和歌九品』、有職故実書『北山抄』、家集『公任集』などを著す。
現代語訳 滝の音は聞こえなくなってから長い年月がたったが、音の評判だけは世間に流れて、今もなお聞こえているなあ。
※「滝」は、『拾遺集』の詞書から、大覚寺にあった人工の滝。大覚寺は、もともと嵯峨天皇(796~842年)の離宮として造営され、後に真言宗の寺院となりました。

56.和泉式部 あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな(後拾遺集)
 和泉式部(いずみしきぶ、生没年不詳)は平安中期の歌人。大江雅致(まさむね)の娘。和泉守橘道貞の妻。小式部内侍の母。『和泉式部日記』の作者。不貞により離縁され、父からも勘当された後、藤原保昌と再婚したが、不遇のうちに生涯を終えたとされる。
現代語訳 私は、そう長くは生きていないでしょう。あの世へ行ったときの思い出のために、もう一度あなたに抱かれたいものです。
※同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評されています(『紫式部日記』)。
57.紫式部 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな(新古今集)
 紫式部(むらさきしきぶ、970年代~1010年代)は平安中期の作家、歌人。藤原為時の娘。藤原宣孝の妻。大弐三位の母。『源氏物語』、『紫式部日記』の作者。幼少期から文学的才覚を現し、一条天皇の中宮彰子に仕えたころから『源氏物語』の執筆をはじめたとされます。
現代語訳 めぐりあって見たのがそれだったのか、それでなかったのかも判らない間に雲隠れしてしまった夜中の月のように、(幼なじみの)あなたはあっという間にいなくなってしまいましたね。
※歌を見る限り、“月”が主題であるように思えますが、新古今集の詞書には<はやくより童友だちに侍りける人の 年ごろ経て行きあひたる ほのかにて七月十日ごろ月にきほいてかへり侍りければ 新古今集・雑上>とあり、幼馴染とのつかの間の再会を詠っている。当時、紫式部と同程度の中流貴族階級の女性は、受領として赴任する父や夫とともに地方に下ることが多く、この歌は、そうした状況に伴う再会の喜びと別れの寂寥感を詠み込んでいます。
58.大弐三位 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする(後拾遺集)
 大弐三位(だいにのさんみ) 藤原賢子(ふじわらのかたこ、999~?年)は平安中期の歌人。藤原宣孝と紫式部の娘。大宰大弐高階成章の妻。後冷泉天皇の乳母。
現代語訳 有馬山、猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音を立てる。さあ、そのことですよ。(あなたは、私が心変わりしたのではないかと気がかりだなどとおっしゃいますが、)私がどうしてあなたのことを忘れたりするものですか。
※後朱雀天皇の第一皇子・親仁親王(ちかひとしんのう=のちの後冷泉天皇)の乳母(めのと)の一人となり、親仁親王が即位するにあたって、典侍(ないしのすけ)に任ぜられ従三位に昇進。「大弐三位」という女房名は、夫の成章の官名・大宰大弐と賢子自身が三位であることにちなむ。
59.赤染衛門 やすらはで寝なましものを小夜更けて 傾くまでの月を見しかな(後拾遺集)
 赤染衛門 (あかぞめえもん、生没年不詳)は平安中期の歌人。赤染時用(ときもち)の娘。実父は、母の前夫平兼盛か? 大江匡衡(まさひら)の妻。匡房の曾祖母。中宮彰子に仕えました。『栄花物語』の作者という説もあります。
現代語訳 いらっしゃらないことがはじめからわかっていたなら、ためらわずに寝てしまったでしょうに。今か今かとお待ちするうちに夜も更けてしまい、西に傾くまでの月を見たことですよ。※息子の大江挙周が重病を患っていた際、「大江挙周の重病の原因は住吉神社による祟りではないか」との話を見聞したことから、赤染衛門は挙周の快方を祈願して、「代わらむと 祈る命は をしからで さてもわかれんことぞ悲しき」との和歌を住吉神社の祭殿に奉納しました。赤染衛門の挙周への祈念が、住吉神社の祭神に聞き入れられ、挙周の重病は根治したといいます。
60.小式部内侍 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立(金葉集)
 小式部内侍 (こしきぶのないし、?~1025年)は平安中期の歌人。橘道貞と和泉式部の娘。年少の頃から歌の才能を現しましたが、20代で早世。
現代語訳 大江山を越えて生野を通って行く道は遠いので、まだ天の橋立に行ったこともなければ、母からの手紙も見ていません。
※当時、10代半であった小式部内侍の歌が優れていたため、それらの作品は丹後に赴いていた母の和泉式部による代作ではないかとの噂がありました。『金葉集』の詞書に、この歌は、歌合の前に藤原定頼が、「代作を頼むために丹後へ人を遣わされましたか」と小式部内侍をからかったことに対する返答として即興で詠まれたものであると記されています。


 


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