葦を詠める歌3
巻6-0961:湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
◎大伴旅人は神亀5年(728)から天平2年(730)の大宰府の長官としての在任中に妻大伴郎女を亡くしますが、その悲しみを次田の湯の原に鳴く鶴の姿に重ねて詠んだものです。
次田は現在の二日市温泉で、柳並木の温泉街の真ん中あたりに歌碑があります。
巻6-1062:やすみしし我が大君のあり通ふ難波の宮は.......(長歌)
標題:難波宮作謌一首并短謌
標訓:難波宮にして作れる謌一首并せて短謌
原文:安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲参 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 納渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞 (参は足+参の当字)
万葉集 巻6-1062
作者:田辺福麻呂
よみ:やすみしし 我が大君(おほきみ)の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚(いさな)取り 海(うみ)片付きて 玉(たま)拾(ひり)ふ 浜辺を近み 朝羽(あさは)振る 波の音(おと)騒ぎ 夕なぎに 楫の音(おん)聞こゆ 暁(あかとき)の 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)の 潮干(しほひ)の共(むた) 浦洲(うらす)には 千鳥妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)が音(ね)響(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲(ほ)りする 御食(みけ)向(むか)ふ 味原(あぢふ)の宮は 見れど飽かぬかも
意訳:安らかに天下を支配されるわれらの大君の、いつもお通いになる難波の宮は、海に接していて玉を拾う浜辺が近いので、朝に揺れ立つ波がざわめき、夕なぎに舟を漕ぐ櫓の音が聞こえる。明け方の寝覚めに耳を澄ませると、暗礁のあたりまで引き潮になるにつれて、浜の洲では千鳥が妻を呼び求めて鳴き、葦辺には鶴が鳴き立てている。見る人が語りぐさにすると、聞く人もぜひ見たいと思うこの味経の宮は、見ても見ても見飽きることがない。
左注:右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也
注訓:右の二十一首は、田邊福麻呂の歌集の中に出でたり
※田邊福麻呂(たなべ/たのべ の さきまろ、生没年不詳)
奈良時代の下級官人です。万葉歌人。姓は史(ふひと)です。
田辺氏(田辺史)は百済系渡来氏族で、西文氏のもとで文筆・記録の職掌についた史部の一族と想定されます。
天平20年(748年)、造酒司の令史のとき、橘諸兄の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れ、ここに新しき歌を作り、幷せて便ち古詠を誦(よ)み、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を延ぶ」とあります。また、越中掾の久米広縄の館でも饗宴を受け、歌を詠んだともあります。福麻呂の和歌作品は『万葉集』に44首が収められています。巻18に短歌13首があり、巻6・巻9にある長歌10首とその反歌21首は「田辺福麻呂の歌集に出づ」とあります。それらの歌は用字・作風などから福麻呂の作と見られています。
巻6-1064:潮干れば葦辺に騒く白鶴の妻呼ぶ声は宮もとどろに
巻7-1288:港の葦の末葉を誰れか手折りし我が背子が振る手を見むと我れぞ手折りし
巻7-1324:葦の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒といはば人解かめやも
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