瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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袋草紙 巻三 馬から下りて
 人々大原なる所に遊行するにおのおの馬に騎る。而して俊頼朝臣が俄に下馬す。 人々驚きてこれを問ふ。 答へて云はく。
「此所は良暹が旧房なり。いかでか下馬せざらんや」と。人々感嘆して皆もって下馬すと云々。
 これ能因の先蹤か。能因、兼房の車の後に乗りて行くの間、二条東洞院にて俄かに下りて数町歩行す。 兼房驚きてこれを問ふ。答へて云はく、
「伊勢の御の家の跡なり。かの御の前栽の植松、今に侍り。いかでか乗り乍ら過ぐべけんや」と云々。
 松の木の末の見ゆるまで車に乗らずと云々。件の良暹が房、いまだ消えず。

現代語訳
 源俊頼が人々と馬に乗って、遊びに出ました。 大原というところに行くと、急に俊頼は馬を下りました。 人々が驚いて問うと、
「ここは良暹法師が昔住んでいたところだ。どうして馬から下りずにおられようか。失礼だろう」と言いました。それを聞いて皆、感嘆して、馬を下りました。
 これは能因法師の話で、先例があります。能因が藤原兼房の車の後ろに乗っていると、二条東洞院で能因が急に車を降りて、数町歩きました。 兼房は驚いてこれを問いました。 能因が答えて言うには
「伊勢の御のお屋敷の跡でした。あの伊勢の御が詠われた庭先の結び松が、今もありました。どうして車に乗ったまま通り過ぎることができましょうか」 と言いました。
 松の木の梢の先が見えなくなるまで、車に乗らなかったといいます。例の良暹の棲んでいた旧房はそのまま消えずに在ります。
※良暹法師や伊勢が歌人として、後の時代の歌人たちから尊敬されていたことをあらわす逸話です。 ちなみに、伊勢の“結び松”の歌は不詳です。


 


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