瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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古今著聞集 政道忠臣部 大江匡房非道二船事


 匡房中納言は大宰権帥になりて任に赴かれたりけるに、道理にてとりたる物をばふね一艘につみ、非道にてとりたる物をば又一艘につみてのぼられけるに、道理のふねは入海してけり。非道の船は平らかにつきてければ、江帥いはれけるは、世ははやはや末になりにけり。人いたく正直なるまじき也とぞ侍りける。それを語らんが為にかくつみてのぼせられけるにや。むかし中ごろだにかやうに侍りけり。末代よくよく用心あるべきこと也。



※太宰府からの帰路の旅で、在任中、道理で取った財物を船一艘に積み、非道で取った財物を別の一艘に積んで上ったが、嵐にあって道理の船は沈没し、非道の船が淀の津に着岸。そこで匡房一言。「世ははやはや末になりはてたことだ。人はことさら正直であってもしょうがないわい。」



徒然草 百七十九段


 入宋(にっそう)の沙門(しゃもん)、道眼上人(どうげんしょうにん)、一切経を持来(じらい)して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置(あんぢ)して、ことに首楞厳経(しゅりょうごんきょう)を講じて、那蘭陀寺(ならんだじ)と号(こう)す。その聖(ひじり)申されしは、「那蘭陀寺は大門北向きなりと、江師(ごうそつ)の説とて言ひ伝へたれど、西域伝(さいいきでん)・法顕伝(ほっけんでん)などにも見えず、更に所見なし。江師は如何(いか)なる才学(さいかく)にてか申されけん、覚束(おぼつか)なし。唐土(とうど)の西明寺(さいみょうじ)は北向き勿論なり」と申しき。


現代語訳

 宋(実は元)へ渡航した道眼上人が一切経を持ち帰って、六波羅のあたり、やけ野という所に安置して、ことに首楞厳経(しゅりょうごんきょう)の講義を行って、那蘭陀寺(ならんだじ)と号した。その聖(道眼上人)が申されたことに「インドの那蘭陀寺は大門が北向きであると江師(大江匡房)の説といって言い伝えられているが、『大唐西域伝』『法顕伝』などにも見えず、どの文献にもまったく記載が無い。江師はどんな学識によってこのように申されたのか。はっきりしない。中国の西明寺は大門が北向きであることはもちろんだ。」と申された。


※道眼上人:生没年は勿論、宗派や嗣承も一切不明。わざわざ中国まで行って、しかも日本に帰ってきただけでも凄く、更に上記の記録を見ると、かなりの学僧であったことも伺わせますけど、誰なのかよく分かりません。


 

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