無名抄 第49話 代々恋中の秀歌
俊恵語りていはく、「故左京大夫顕輔語りていはく、『後拾遺の恋の歌の中には、
夕暮は待たれしものを今はただ行くらむ方を思ひこそやれ
これを面歌(おもてうた)と思へり。金葉集には、
待ちし夜の更けしを何に歎きけん思ひ絶えても過ぐしける身を
これを優れたる恋とせり。わが撰べる詞花集には、
忘らるる人目ばかりを歎きにて恋ひしきことのなからましかば
この歌をかの類(たぐひ)にせんとなん思ひ給ふる。いとかれらにも劣らず、けしうはあらずこそ侍れ』と言はれけり。しかあるを、俊恵が歌苑抄の中には、
ひと夜とて夜離(よが)れし床の小筵(さむしろ)にやがても塵の積りぬるかな
これをなむ面歌と思ひ給ふる。いかが侍らん」とぞ。
今、これらに心付きて、新古今を見れば、わが心に優れたる歌、三首見ゆ。いづれとも分きがたし。後の人定むべし。
かくてさは命や限りいたづらに寝ぬ夜の月の影をのみ見て
野辺の露色もなくてやこぼれつる袖より過ぐる荻(おぎ)の上風(うはかぜ)
帰るさのものとや人の眺むらむ待つ夜ながらの有明の月
俊恵いはく、「顕輔卿の歌に
逢ふと見てうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ命なりける
この歌を、俊頼朝臣、感じていはく、『これは椋(むく)の葉磨きして、鼻脂(はなあぶら)ひける御歌なり。世の人ならば、『うつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ嬉しかりける』とぞ詠ままし。誰(た)がかくは詠まん』とぞ、讃められける」。
現代語訳
俊恵が、「六条藤家・顕輔殿が、『「後拾遺集」の恋歌の中で、
夕暮れは、(以前にはあなたのおいでを)期待せずにはいられなかったのに、(あなたがおいでにならなくなった)今は、ひたすら現在(あなたが)足を運んでいる(女性の)邸宅(はどこかと)想像しています・・・・。
これを、(「後拾遺集」の恋歌の中の)代表歌だと(私は)思っています。「金葉集」では、
(あなたのおいでを)待っていた夜が、(あなたのおいでを見ないまま)更けてしまったのを(昔は)どうして嘆いていたのだろうか、(だって、あの頃は、あなたに捨てられたら死んでしまうと思っていたのに、現在、あなたに)捨てられても生きていられる我が身なのになあ。
これを優れた恋歌だと思っている。私、顕輔が撰進した「詞花集」では、
(あなたに)見捨てられた体面の悪さだけを嘆くだけで、(あなたに対する)恋しさがなかったら(問題なかったのに、でも実際は、あなたのことを忘れることができなくてつらくてしようがない)。
この歌を、これまでの歌のように(私の撰んだ「詞花集」における恋部の代表歌と)しようと(私は)思います。(「詞花集」の恋歌の代表歌たるこの歌も)、そんなにそれら(上述の、「後拾遺集」「金葉集」の恋の部の代表歌)に劣ることなく、悪くはございません』と、(顕輔殿は)おっしゃったそうだよ。ところで、私・俊恵の作った私撰集・『歌苑抄』の中では、
一晩だけだ(来られない)といって(そのまま二度と)夜、(あなたが)通って来ることがなくなった寝床の小筵に、(いらっしゃらない日数を反映して)そのまんま塵が積もってしまっているなあ。
この歌を、(私の『歌苑抄』の恋部の中での)代表歌だと思っていますが、どうでしょうか」と(師・俊恵が)語った。)
(今、(私が)これらの例を見てその気になって『新古今集』(の恋の部)を見ると、私の感性から優れている(とみなせる)歌が三首見えます。(この三首のうち)どれが一番かだと判定もしがたい。後の時代による評価に任せるしかない。
こんなふうにして(=いたづらに寝ぬ夜の月の影をのみ見ているばかりで)、それじゃあ、私の寿命は終るのか、(あなたのおいでを)むなしく待って寝ずに過ごす夜の、月の光だけを見ながら。
野辺の(荻(オギ)に降りた)露は、色もなしに(透明のまま私の袖に)こぼれたのか(いや、そんなことはない。私の袖を濡らすのは、露ではなくて私の血の涙であるから赤く染まり、その)袖を通って、荻(をぎ)の上を(「招(を)ぎ」てもむなしく)吹いて過ぎる(「飽き」ならぬ)秋風だよ。
(他の女の許に通っての)帰りの途中の景物としてあなたは今ごろ(この有明の月を)眺めているでしょう、(しかし私にとっては一晩中あなたのおいでを)待ちつづけて(むなしく)見ることになった有明の月ですよ。)
俊恵が(私に)、「顕輔卿の歌に、
(夢の中で愛しいあなたに)逢った、と見ても、現実には意味はないけれども、こんなはかない夢が、私の命(の綱)なのだなあ(あなたが足を運んでくれない限り、それしかあなたとのきずなはないのですから)。
この歌を、父・俊頼が賞讃して、『この歌は、(完成した歌を、ちょうど掃除した廊下を、さらに乾燥した)椋の葉で磨いた上に、脂(ワックス)を引いた(ような、完璧の上にも完璧を目指した)歌である。ふつうの人なら、「現の甲斐はなけれどもはかなき夢ぞ嬉しかりける」と詠んだだろうに。他の誰がこんなふうに詠むだろうか』と、賞讃なさった。)
sechin@nethome.ne.jp です。
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