瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は買い物の前に隅田公園を歩いてみました。築山には枝垂桜が見事に花をつけていました。「三春滝桜」というのだそうです。


無名抄 道因歌に志深事
 この道に心ざし深かりしことは、道因入道並びなき者なり。七、八十になるまで、「秀歌よませ給へ」と祈らんために、かちより住吉へ月詣でしたる、いとありがたき事なり。
 ある歌合に、清輔判者にて、道因が歌を負かしたりければ、わざと判者のもとへ向ひて、まめやかに涙を流しつつ泣き恨みければ、亭主もいはん方なく、「かばかりの大事にこそ逢はざりつれ」とぞ語られける。
 九十ばかりになりては、耳などもおぼろなりけるにや、会の時には、ことさらに講師の座に分け寄りて、脇もとにつぶとそひゐて、みづはさせる姿に耳を傾けつつ、他事なく聞ける気色など、なほざりの事と見えざりけり。
 千載集撰ばれし事は、かの入道失せてのちの事なり。亡き跡にも、さしも道に心ざし深かりし者なればとて、優(いう)して十八首を入れられたりければ、夢の中に来て涙を落としつつ、よろこびを云ふと見給ひたりければ、ことにあはれがりて、今二首を加へて二十首になされにけるとぞ。しかるべかりける事にこそ。

現代語訳 [道因が、歌に思い入れが深かった話]
 歌道に思い入れが深かったということでは、道因入道が比類ない人である。七、八十歳になるまで、「すぐれた歌を読ませて下さい」と祈らんがために、(和歌の神)住吉神社に月参していたのは、本当に殊勝なことである。
 ある歌合で、清輔が判者として、道因の歌を負けにしたという話だが、わざわざ判者である清輔の方へ向けて、本気で涙を流しては泣いて恨み言を言ったそうで、主催者もなんともいいようもなく、「これほどの大事件に出くわしたことはなかったのに」とおっしゃったそうだ。
 九十歳ぐらいになっては、耳なども遠かったのだろうか、歌会の時には、わざわざ講師(歌を詠み上げる係)の座に、人を掻き分けて寄っていって、講師のすぐ脇にぴたりと寄り添って坐って、年老いた姿で耳を傾けては、一心に聞いている様子など、(歌に対する思い入れが)なみなみではないことだと思われたという。
 (俊成卿が)『千載集』をお撰びになったのは、その道因入道が亡くなってからのことである。(俊成卿が)「没後でも、あんなにも歌道に思い入れが深かった人だから」といって、優遇して十八首をお入れになったそうだが、(俊成卿の)夢の中に(道因が)現れて涙を落としては、感謝を繰り返している、という夢を(俊成卿が)御覧になったので、(俊成卿は)格別に感心して、もう二首を加えて都合二十首になさったという話である。(俊成卿がそうなさったのも)当然のことだろう。)


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