瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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「長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」の原典と言われている「白氏文集(はくしもんじゅう)」の詩

詩意
 日増し容色が老けて 愉快といふものは 殆んど無い 今でさい若い時の様ではないのだから、この上年を取ったら 今ほどにも往かないであろう せめて今の中に楽しんで置くがよい 今は未だ左程の衰へたといふでもない 何事でも大抵はやつてのけられる。
 花が咲けば観に出掛けたくもあり 酒を飲めば  詩を吟じる事もできる この興味もやがて消滅するであろうと思うと実に心細い、東城の春も 老いるであろうと思って 勉強して観に来たわけだ。

奥の細道 (白川の関 元禄2年4月21日)
 心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風騒の人*心をとヾむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に*、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとヾめ置れしとぞ 。
   卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良

現代語訳
 ここまでは、なんとなく不安な気分が続いていたのだが、白河の関にかかった頃からようやく旅の心も定まってきた。「便あらばいかで都へ告やらんけふ白川のせきはこゆると」の平兼盛の歌(『類字名所和歌集』)のように、親しい人に伝えたくなる気持ちがよく分かる。
 この関所は、勿来・鼠の関と共に三関の一つで、古来、多くの歌人の心を魅了してきた。能因法師の歌「都をば霞とゝもに出しかど秋風ぞふくしら河のせき」からは秋風が聞こえるようだ。左大弁親宗の「もみぢ葉の皆くれなゐに散しけば名のみ成けり白川の関」からは秋の紅葉を連想し、源三位頼政は「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉ちりしくしらかはのせき」と詠んだが、眼前の青葉の梢もまたすばらしい。藤原季通朝臣の歌「見て過る人しなければうの花の咲る垣根やしら河の関」に出てくる卯の花だけでなく、茨の花も咲き加わって、久我通光の歌「しらかはのせきの秋とはきゝしかどはつ雪わくる山のべの道」に出てくる雪よりも白く見える。竹田大夫国行は能因法師の歌に敬意を表し、この関を越えるにあたって衣服を改めたと、藤原清輔の『袋草紙』に書いてあるという。
   卯の花をかざしに関の晴着かな  曾良
  (この関を通るとき、古人は冠を正し、衣装を改めたというが、私にはこのような用意もないので、せめて卯の花を髪にかざして関を通ることにしよう。)
※     藤原清輔著の歌学書「袋草紙」の一節
 竹田大夫国行トイウ者、陸奥に下向ノ時「白河関過グル日ハ殊ニ装束ヒキツクロイ(体裁を整えて)ムカウ」ト云ウ。人問ウ「ナンラノ故カ」答ヘテ曰ク「古ヘ曽部入道(能因法師)ノ『秋風ゾ吹ク白河ノ関』ト詠マレタル所ヲバ、イカデカ褻()ナリ(普段着)ニテハ過ギン」ト。殊勝ナルコトカナ。

 


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