後鳥羽院御口伝 8
又、寂蓮・定家・家隆・雅經・秀能等なり。寂蓮はなほざりならず歌よみしものなり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞかへりていたくたかくはなかりしかども、いざたけ有歌よまむとて、たつたのおくにかゝる白雲、と三體の歌によみたりし、おそろしかりき。おりにつけて、きと歌よみ、連歌しの至狂歌までも、にはかの事も、ゆへ有樣にありしかたは眞實堪能とみえき。家隆は、若かりしおりはいときこえざりしかど、建久のころほひよりことに名譽も出きたりき。歌になりかへりたるさまかひがひしく、秀歌どもよみあつめたるおほき、誰にもまさりたり。たけもあり心もめずらしく見ゆ。雅經はことに案じ、かへりて歌よみしものなり。いたくたけ有歌などは、むねとおほくはみえざりしかども、てだりとみえき。秀能は身の程よりもたけありて、さまでなき歌も殊外にいでばヘするやうにありき。まことによみもちたる歌どもの中には、さしのびたる物どもありき。しか有を、近年定家無下の歌のよしと申ときこゆ。女房歌よみには、丹波やさしき歌あまたよめり。
苔のたもとにかよふ松風 木葉くもりて
浦こぐ船はあともなし わすれじのことの葉
ことのほかなる峯のあらしに
この外も、おほくやさしき歌どもありき。人の存知よりも、愚意にことによくおぼえき。故攝政はかくよろしきよし仰くださるゝゆへに、老の後かさあがりたるよし、たびたび申されき。
現代語訳
また寂蓮、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、藤原秀能などがすぐれた歌人である。寂蓮は歌を詠むことを決しておろそかにしなかった。あまりに歌を案じて心をくだいたために、かえって気宇の大きさなどについては極めて大きいというふうにはならなかったけれども、「それならば気宇の大きい、格調の高い歌を詠んでみよう」と思いたって、
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかる白雲
(葛城の高間山の桜が咲いたのだった。竜田山の奧の方に、白雲がかかっているのが見える。)
と、三体の歌という課題に詠んだのである。おそろしいことだ。折にふれて即座に歌を詠み、あるいは連歌の遊びのすえにふざけて狂歌を詠むような(準備のできない)急場のことであっても、賞翫にたえる歌を詠んだのであるから、まことにこの道に優れていたのだと思われる。家隆は若いころは歌人としての名声はほとんど聞こえなかったけれど、建久年間ごろから特に賞翫されるような秀歌を詠みはじめた。歌の世界にその身を徹しする様子がいかにも徹底していて、秀歌をたくさん詠んだことなどは、ほかのどの歌人よりも優れていた。格調も高く、歌の内容も新味がある。雅経はたいへんよく歌を案じ、考えなおしなおしして詠んだ。主として、特に格調の高い歌などはあまり多くは見えないが、なかなかの上手であったようである。秀能はその卑賤の身分にもかかわらず歌に格調があって、それほどではない出来の歌も、読んでみると読みばえのするような感じであった。ただし実際には、詠みためておいた歌のなかにはやりすぎと思われるようなものもあった。しかしながら秀能の作については、近ごろ定家が無上の歌といったと聞く。女房の歌人のなかには丹後が優艶な歌をたくさん詠んだ。
なにとなく聞けば涙ぞこぼれぬる苔のたもとにかよふ松風
(聞けばわけもなく涙がこぼれてならない。この墨染の袖に吹き通う松風よ。)
吹きはらふ嵐ののちの高嶺より木の葉くもらで月や出づらむ
(激しい風が吹き、木々を揺すって葉を残らず散らした。この嵐の後にあって、あの高嶺から木の葉に遮られることなく月が昇ることだろうか。)
夜もすがら浦こぐ舟は跡もなし月ぞ残れる志賀の唐崎
(夜通し浦を漕いできた船は、もはや航跡も留めない。湖水のおもてには、ただ有明の月だけが残っている、志賀の辛崎のあけぼの。)
忘れじのことのはいかになりにけむたのめし暮れは秋風ぞ吹く
(「忘れない」との言葉は、どうなってしまったのだろう。期待していた今日の夕暮は、秋風が吹いているばかり。あの人の心にも「飽き風」が吹いて、約束の言葉を散らしてしまったのか。)
山里は世の憂きよりも住みわびぬことのほかなる峰の嵐に
(山里は、現世が辛いのに比べれば住みよいと聞くけれど、実際住んでみると、もっと住みづらく思える。峰を吹き渡る嵐は、思いもしなかったほど侘びしくて。)
これらのほかにも優艶な歌が多くあった。世人の思う以上に、私には特にそのように(優艶な歌が多いように)思われた。主人であった良経は「このように、歌がよいということをおっしゃってくださいましたおかげで、丹後は(感激して)老年にいたって技量がさらにあがりました」とたびたび言われた。
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