瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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無名抄 第14話 千鳥鶴の毛衣を着る事
 俊恵法師が家をば歌林苑と名付けて、月ごとに会し侍りしに、祐盛法師、その会衆にて、「寒夜千鳥」といふ題に、「千鳥も着けり鶴の毛衣」といふ歌を詠みたりければ、人々、「めづらし」など言ふほどに、素覚といひし人、度々(たびたび)これを詠じて、「面白く侍り。ただし、寸法や合はず侍らん」と言ひ出でたりけるに、とよみになりて、笑ひののしりければ、ことさめて、やみにけり。「いみじき秀句なれど、かやうになりぬれば、かひなき物なり」となん、祐盛語り侍りし。
 すべては、この歌の心得ず侍るなり。鳥はみな毛衣を衣とする物なれば、ほどにつけて、千鳥もみづから毛衣着ずやはあるべき。必ずしも、寸法、ことのほかなる借り物すべきにあらず。かの「白妙の鶴の毛衣年経(ふ)とも」といふ古歌(ふるうた)あるにこそあれ。いづれの鳥にも詠まんに憚(はばか)りあるべからず。先にや申し侍りつる、建春門院の殿上の歌合にも、「鴛鴦(をし)の毛衣」と詠める歌侍り。いささか疑ふ人ありけれど、判者、咎(とが)あるまじきやうになだめられたり。ただし、「鶴の毛衣は毛の心にはあらず。別の事なり。鶴ばかり持たるなり」と申す人侍れど、いまだその証をえ見及び侍らず。弘才の人に尋ぬべし。

現代語訳
 [千鳥が鶴の毛衣(けごろも)を着る話]
 俊恵法師の家を「歌林苑」と命名し、毎月歌会を催していましたが、祐盛法師が、その会の参加者であって、「寒い夜の千鳥」という題で、「千鳥も着ているなあ、鶴の羽の衣を」という歌を読んだそうですが、みんな、「新鮮だ」といったが、素覚(俗名:藤原家基)法師といった人が、何度もこの歌を口ずさんで、「おもしろうございます。ただし、(小さな千鳥が大きな鶴の毛衣を借りるのは)寸法が合っていないのではないでしょうか」と口に出したそうですが、(それでみんな)どっと笑ってしまったそうで、しらけて終りになったそうです。「たいそう優れた言い回しであるが、こんな(ふうに揚げ足をとられて笑いの対象)になってしまったら、(せっかく優れた歌を詠んだ)価値がないものである」と、祐盛法師が(私に)話しました。)
 (まったくもって(素覚の)いちゃもんには納得いきません。鳥(というもの)はすべて、毛を身にまとっているので、(大小問わず)身柄に応じて、千鳥(でさえ)も(毛衣を)身に着けないことはありえない。(だから)必ずしも寸法が段違いの借り物をする(などという設定で歌を受け取る)必要もない(自前の毛衣をそう見立てればいいのだから)。有名な(不詳)「真っ白な、鶴の毛衣が長年経っても」という古歌があるのではあるが、(これを証歌として「毛衣」を鶴の専売特許とする必要もなく)、どんな鳥を呼んだとしても、(「毛衣」と詠んで)遠慮する必要はない。(現に)前に申し上げました、「建春門院の殿上の歌合」でも、「オシドリの毛衣」と詠んだ歌がございました。(その言い回しを)ちょっと疑問視する人はいましたが、判者(俊成)が、問題はなさそうだと説得なさっていました。「ただし、『鶴の毛衣』(というもの)は、(他のどんな鳥も持っている)毛(すなわち「羽根」)のことではなく、特別なもの(を指すの)である」と申す人もおりますが、(私は)今に至るまで、(『鶴の毛衣』が、『鶴の羽根』以外の何かを指し示すという)例証を発見できないでおります。(誰か)博識な人に尋ねてください(私的には、『鶴の毛衣』が特別だとはどうしても思えません。)

無名抄 第8話 頼政歌俊恵撰事
 建春門女院の、殿上の歌合に、「関路落葉」といふ題に、頼政卿歌に
  都にはまた青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関
と詠まれて侍りしを、その度(たび)この題の歌をあまた詠みて、当日まで思ひ煩(わづら)ひて、俊恵を呼びて見せられければ、「この歌はかの能因が『秋風ぞ吹く白河の関』といふ歌に似て侍り。されど、これは出栄(いでば)えすべき歌なり。かの歌ならねど、かくもとりなしてんと、べしげに詠めるとこそ見えたれ。似たりとて、難とすべきさまにはあらず」と計らひければ、今、車さし寄せて乗られけるとき、「貴房の計らひを信じて、さらばこれを出だすべきにこそ。後の咎(とが)はかけ申すべし」と言ひかけて出でられにけり。
 その度、この歌、思ひのごとく出栄えして、勝ちにければ、帰りてすなはち、喜び言ひ遣はしたりけるとぞ。
 「見る所ありて、しか申たりしかど、勝負聞かざりしほどは、あひなくよそにて胸つぶれ侍りしに、いみじき高名したり」となん、心ばかりは思え侍りし」とぞ、俊恵語り侍し。

現代語訳
 建春門女院(※1)の殿上歌合(※2)で前もって「関路落葉」という歌の題が出された時に、頼政卿(※3)は、
    都には まだ青葉にて見しかども、紅葉散り敷く白河の関
   (旅立った時の都ではまだ青葉の状態で見たが、紅葉が散っているよ、ここ白河の関では)
の歌の他に同じ歌題で幾つか作り、どれを歌合で発表するかで当日まで悩んだ末に俊恵を呼んで、歌を見せて彼の意見を聞いたところ
「この『紅葉散り敷く白河の関』の歌は、かの能因(※4)の『秋風ぞ吹く白河の関』の歌に似ています。しかし、『紅葉散り敷く白河の関』は歌合の場で詠み上げれば、集まった人たちに色鮮やかな場面を思い起こさせる事が出来るという意味ではか、とても「出(い)で栄え」のする歌です。例え歌合いに集まった人たちが『紅葉散り敷く白河の関』をかの能因の歌に似ていると知っていたとしても、このように鮮烈な場面展開を詠んでいますから能因の本歌をはるかに圧倒しており、能因の歌に似ているからと誰も批判する事はないと思います」
と、俊恵が強く『紅葉散り敷く白河の関』の披露を推奨したので、差し寄せた車に乗った頼政は、「貴房のご判断を信じてこの歌を歌合にだすことにしましよう。結果に対する責任は取ってもらいますよ」と、声をかけて出かけて行った。
 さて、当の歌合で頼政の『紅葉散り敷く白河の関』は俊恵の予想通り歌合で鮮烈な印象を与えて判者の藤原俊成と参加者の評価を得て勝ちとなり、頼政は帰宅後ただちに俊恵のもとに使いを走らせ喜びの気持ちを伝えた。
「私としても頼政卿の『紅葉散り敷く白河の関』の歌は見所があったので、あのように申し上げたものの、本来自分とは直接関係のない部外者でありながら、結果を待つまで胸がつぶれるような思いであった。この事は私にとってもたいそうな手柄になったと、心中で思ったものだ」と、後に俊恵は長明に語った。
(※1)建春門女院:平滋子。康治元(1142)年~安元2(1176)年、享年35歳。平時信の娘、平清盛の妻平時子の妹。後白河院の女御、高倉天皇の母となり皇太后となって建春門院の院号を蒙る。
(※2)建春門女院の殿上歌合:建春門院北面歌合。嘉応2(1170)年10月19日(歌合本文は10月16日)に催された。題は「関路落葉」「水鳥近馴」など3題。作者は藤原実定・同隆季・同俊成・同重家・同清輔・同隆信・源頼政・同仲綱等20名。判者は藤原俊成。
(※3)頼政卿:源頼政。長治元(1104)年~治承4(1180)年。享年77歳。清和源氏、仲正の息子。仲綱・二条院讃岐の父。蔵人・兵庫頭を経て右京権太夫従三位に至る。治承4年5月後白河院皇子以仁王を戴き平家追討の兵を挙げたが宇治川の合戦で敗れ、平等院で自害した。家集『源三位頼政集』
(※4)能因(のういん):永延2年(988)生まれ、没年未詳。平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。俗名は橘永緂(ながやす)。出家前から藤原長能に和歌を学び、摂津に住み、陸奥・美濃・伊予・美作など各地に旅をした。家集『能因集』、歌学書『能因歌枕』。

無名抄 [頼政歌数寄事]
 俊恵いはく、「頼政卿はいみじかりし歌仙なり。心の底歌になりかへりて、常にこれを忘れず、心にかけつつ、鳥の一声鳴き、風のそそと吹くにも、まして、花の散り、葉の落ち、つきの出で入り、雨・雪などの降るにつけても、立ち居起き伏しに、風情をめぐらさずといふことなし。真に秀歌の出で来る、理(ことわり)とぞおぼえ侍りし。かかれば、しかるべき時、名を上げたる歌は、多くは擬作にてありけるとかや。大方、会の座に連なりて、歌うち詠じ、よしあしき理などせられたる気色も、深く心に入りたることと見えていまじかりし。かの人のある座には、何事も映(は)えあるやうに侍りしなり」。

現代語訳
[頼政が、歌に没頭していた話]
 俊恵が、「頼政卿は、たいへんな歌の名手である。心の底まで歌になりきって、平生、歌のことを忘れず、気にかけながら、鳥がひと声鳴いたり、風がそよそよと吹くにつけても、いうまでもなく、桜が散ったり、葉が落ちたり、月が出入りしたり、雨や行くが降ったりするにつけても、居ても立っても起きても寝ても、風情に配慮しないというときはない。(それなら)優れた歌ができるのが当然だと思われました。こういうわけで、相当な歌会で、(頼政卿が)名声を上げた歌は、多くは、あらかじめ用意した歌であったとかいうことだ。総じて、歌会の場に(頼政卿が)列席して、歌を詠んだり、(歌の)良し悪しを表したりなさっている様子も、深く心に染み入っていること(を口にしているのだ)と思われてすばらしかった。かの頼政卿がいる場では、すべてに花があるようでございましたのです」といった。)


 


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