西行物語 巻一(あらすじ)
鳥羽院の御時、左兵衛尉藤原憲清という者がおりました。後に出家して西行と呼ばれたのがこの人です。憲清は、武士の家の生まれですから、武芸はもちろんですが、詩歌管絃の道にも優れた才能を示しました。また、和歌の道にかけては、業平や貫之などの古の歌仙にひけをとりません。帝も憲清をたいそう寵愛し、宮中での遊びのおりには、まず憲清を召し、側をはなしませんでした。
① 【憲清と妻子】ところが、憲清は、表面上は真面目に朝廷にお仕えしていましたが、心の底では、この世の無常を観じ、出家を望んでいました。(この世の栄耀栄華など、はかないもの。それに縛られて、死んでから地獄で苦を受けるとはあわれなこと。早く出家してしまいたいものだ。とはいえ帝の御恩や妻子のことを考えると……。)
② 【帝から剣を賜る憲清】大治二年十月、帝は鳥羽院に行幸し、御所の障子絵を御覧になりました。当時歌詠みと名高い人々を召し、障子絵を歌に詠ませました。中でも憲清の和歌はすばらしかったので、帝はその和歌を優れた手跡の者たちに書かせました。憲清は朝日丸という剣を賜りました。
③ 【憲清の果報を喜ぶ一族】女院からも十五の衣をいただいたので、驚き、うらやまない者はおりませんでした。夜になって憲清が宿所に帰ると、一族集って大喜びです。
けれども憲清は、この様子を見ても、(やはり名聞利養や妻子・眷属は、この世への執着を起させるものであることよ。これもまた、わたしを仏道へ入らせようという仏のお導きかもしれない。)と、ますます出家に心を寄せるのでした。
夜も更けたので、憲清は親しい佐藤憲康という者と二人、退出しました。道すがら、憲康は、「最近なにやらすべてが夢のような気がするのです。出家してどこかの山里に籠りたいものです。」と語ります。これを聞いた憲清は、何だか胸騒ぎがします。二人ともに涙で袂を濡らしました。憲康は、「明日は鳥羽殿へ参上する日ですね。ご一緒に参りましょう。誘ってください。」と言うと、七条大宮に帰って行きました。
④ 【憲康の死を知る憲清】さて次の朝、憲清は約束通り、憲康を誘いにやってきました。ところが門のあたりでは人が大勢騒いでいます。家の中からも悲しむ声が聞こえます。不思議に思って中に入り、たずねてみると、「主は亡くなりました。」と言うではありませんか。(昨夜あんな話をしたのも、こうなることを分かっていたからなのか……。)と思うものの、目の前が真っ暗になったように感じます。
すぐにでも出家しようと思うのですが、やはりもう一度帝に最後の挨拶をしてからと思い返し、御所に向かいました。
鳥羽殿ではちょうど管絃の宴の最中でした。すぐに憲清が呼ばれます。ひとしきり盛り上がり、宴が終わると、憲清は出家の許しを乞いました。帝は大変驚き、もってのほかと聞き入れてくれません。しかし、ここで思いとどまってはいつ出家できるかわからないと、心を強く持ち、御所を退出しました。
⑤ 【最愛の娘を蹴落とす憲清】家に帰ると、幼い愛娘が喜んで走り出てきます。「わあい、お父様のお帰りだわ。どうしてこんなに遅くなったの。きっと帝がお放しくださらなかったのね。」かわいらしい姿で憲清の袂にまとわりついて離れません。憲清は限りなく愛しく思いますが、この愛着を断ち切らねば出家できないと思い返し、娘を縁側から蹴落としました。娘はびっくりして泣き出しました。
憲清はそれを聞かないふりで部屋の中へ入っていきます。女房や家来たちは、いつもと違う憲清の様子に驚き、騒いでいます。憲清の妻だけは、かねてから憲清の出家の志を知っていたので、驚く様子もありません。
⑥ 【妻子を振り捨てて家を出る憲清】夜が更けると、憲清は妻にさまざま語り聞かせます。「夫婦は五百生の縁という。生まれ変わっても極楽の同じ蓮の上に生まれようではないか。」
けれども妻は全く返事をしません。それでも憲清は、固く決心しているので、思い切って自分でもとどりを切ってしまいました。髪を持仏堂へ投げ入れると、門の外へ走り出ます。二十五年の間住み慣れた宿です。もうこれきりだと思うと胸がしめつけられるようです。妻子のことなどを思うと、いよいよ心乱れて、涙がとめどなくあふれてきます。
⑦ 【庵室で極楽往生を祈る西行】憲清はそのまま西山のふもとの聖のもとに走っていき、そこでついに出家を遂げました。法名を西行と名付けられました。長年召し使ってきた家来もまた出家して、こちらは西住と名付けられました。西行は恩愛の絆を断ち切り、俗塵を離れて仏道に入ることが出来たことを喜び、西山のあたりに庵を結んで修行をはじめました。
『撰集抄』 巻五 第一五 「西行於高野奥造人事」(西行高野の奥に於いて人を造る事)
「おなじき比(ころ)、高野の奥に住みて、月の夜ごろには、ある友達の聖ともろともに、橋の上に行あひ侍りてながめながめし侍りしに、此聖、「京になすべきわざの侍る」とて、情なくふり捨て登りしかば、何となう、おなじ憂き世を厭ひし花月の情をもわきまへらん友こひしく侍りしかば、思はざるほかに、鬼の、人の骨を取集めて人に作りなす例、信ずべき人のおろおろ語り侍りしかば、そのまゝにして、ひろき野に出て、骨をあみ連らねてつくりて侍りしは、人の姿には似侍れども、色も悪く、すへて心も侍らざりき。声はあれども、絃管の声の如し。げにも、人は心がありてこそは、声はとにもかくにも使はるれ。ただ声の出べきはかり事ばかりをしたれば、吹き損じたる笛のごとくに侍り。
おほかたは、是程に侍るも不思議也。さて、是をばいかがせん、破らんとすれば、殺業(せつごう)にやな侍らん。心のなければ、ただ草木と同じかるべし思へば、人の姿也。しかじ敗らざらんにはと思ひて、高野の奥に人も通はぬ所に置きぬ。もし、おのづからも人の見るよし侍らば、化物なりとやおぢ恐れん。
さても、此事不審に覚て花洛にい出侍りし時、教へさせおはしし徳大寺へまいり侍りしかば、御参内の折節にて侍りしかば、空く帰りて、伏見の前の中納言師仲の卿のみもとに参りて、此事を問ひ奉りしかば、「なにとしけるぞ」と仰せられし時、「その事に侍り。広野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨をとり集めて、頭より手足の骨をたがへでつづけ置きて、砒霜(ひさう)と云ふ薬を骨に塗り、いちごとはこべとの葉を揉みあわせて後、藤もしは絲なんどにて骨をかかげて、水にてたびたび洗ひ侍りて、頭とて髪の生ゆべき所にはさいかいの葉とむくげの葉とを灰に焼きてつけ侍り。土の上に、畳をしきて、かの骨を伏せて、おもく風もすかぬようにしたためて、二七日置いて後、その所に行きて、沈と香とを焚きて、反魂(はんごん)の秘術を行ひ侍りき」と申侍りしかば、「おおかたはしかなん。反魂の術猶日あさく侍るにこそ。我は、思はざるに四条の大納言の流を受けて、人をつくり侍りき。いま卿相にて侍れど、それとあかしぬれば、つくりたる人もつくられたる物も失せぬれば、口より外には出ださぬ也。それ程まて知られたらんには教へ申さむ。香をばたかぬなり。その故は、香は魔縁をさけて聖衆をあつむる徳侍り。しかるに、聖衆生死を深くいみ給ふほどに、心の出くる事難き也。沈と乳とを焚くべきにや侍らん。又、反魂の秘術をおこなふ人も、七日物をば食ふまじき也。しかうしてつくり給へ。すこしもあひたがはじ」とぞ仰せられ侍り。しかれども、よしなしと思ひかえして、其後はつくらずなりぬ。・・・」
要約
高野山の奥に住んでいたころ、月の夜には友人の西住上人と奥の院の橋の上へ行き、ともに月をながめたりしていたが、彼は『京に用事があるから』と、情けなくも私を捨てて都へ上ってしまった。憂き世を厭いながら花や月の情趣をともにすることができる友が恋しくなり、思いがけず、鬼が人骨を取り集めて人を作るように、人間を造ってみようとおもいたった。信頼できる人から作り方のあらましを聞いていたので、そのとおりに、野原に出て拾った骨を並べ連ねて造ったが、人の姿に似てはいても、色も悪く、なによりも心がなかった。声は出るものの絃管を鳴らすかのようだった。まこと、人はその心があればこそ、とにもかくにも声を使うことができる。声を出すだけだから吹き損じた笛のようだった。
おおかたこんなふうだったが、さて、どう始末しようか。破壊するのは人殺しになるのだろうか。心がないから草木と同じとも思えるが、姿は人間である。
破壊しないわけにはいかないだろうと、高野の奥の人も通わないところに捨てた。もし偶然に人が見かけたら、化け物と思って恐れるだろう。
どうして失敗したのか不審でならなかったので、あるとき都に出向いたおり、作り方を教わった徳大寺を訪ねた。参内なさって留守のため空しく退出したが、次に伏見の前の中納言師仲の卿のところへ行き、こちらは面会して質問することができた。 「どのように造ったのかね」とおっしゃるので 「そのことですよ。広野に出て、人の見ないところで死人の骨を取り集めて、頭から手足まで間違えずに並べておいて、砒霜(ひそう)という薬を骨に塗り、いちごとはこべの葉を揉み合わせた後、藤の若芽などで骨を括って、水でたびたび洗いしました。頭の髪の生えるべきところには、さいかいの葉とむくげの葉を灰に焼いて付けました。土の上に畳を敷いて骨を伏せ、風の通らないようにしつらえて27日置いてから、その場所に行って沈(じん)と香(こう)を焚いて反魂(はんごん)の秘術を行いました」。 「おおかたはそんなものでしょう。反魂の術を行うにはまだ日が浅いな。私は四条の大納言の流儀を伝授されて、人を作ってきた。大臣に出世している者もあるが誰とは明かせない。明かすと、作った者も作られたれた者も消滅してしまうから、口に出せない。あなたも人作りのことを知っているようだから、教えてあげよう。香は焚かないこと。なぜなら、香には魔縁を遠ざけて聖衆(しょうじゅ)を集める徳があるから。ところが聖衆は生死を深く忌むので、心が生じさせるのは難しい。沈(ぢん)と乳(ち)を焚くとよいだろう。また、反魂の秘術を行う人は、7日間ものを食ってはならない。そのようにして造れば、たがわずうまく作れるだろう」という。ではあるが、いろいろと思い返してみるとつまらない気がしてきて、その後は人を作ることはなかった。
sechin@nethome.ne.jp です。
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