瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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古事談 二-五四
 待賢門院(大納言公実女、母左中弁隆方女)は、白河院御猶子の儀にて入内せしめ給ふ。其の間、法皇密通せしめ給ふ。人皆な之れを知るか。崇徳院は白河院の御胤子、と云々。鳥羽院も其の由を知ろし食して、「叔父子」とぞ申さしめ給ひける。之れに依りて、大略不快にて止ましめ給ひ畢(をは)んぬ、と云々。鳥羽院最後にも、惟方(時に延尉佐)を召して、「汝許(ばかり)ぞと思ひて仰せらるるなり。閉眼の後、あな賢(かし)こ、新院にみすな」と仰せ事ありけり。案の如く新院は、「見奉らむ」と仰せられけれど、「御遺言の旨候ふ」とて、懸け廻らして入れ奉らず、と云々。

現代語訳
 鳥羽院の中宮であった待賢門院璋子〔(閑院流藤原氏)大納言公実の娘、母は左中弁隆方の娘〕は、白河法皇の名目上の養女の資格で、法皇の孫の鳥羽天皇に入内なさった。彼女が中宮でいるあいだ、白河法皇は、彼女と密通していらした。誰もがその事実を知っていたのだろうなあ、崇徳院は白河法皇の実子である、ということだと。鳥羽院もその事実をご存知でいらして、息子であるはずの崇徳を、「叔父さま」とお呼び申し上げなさった。そういうわだかまりのせいで、鳥羽院は、だいたいいつも不愉快なままでいらしたという。鳥羽院がご臨終の時にも、惟方(当時、右衛門権佐で検非違使尉であった)をお呼びになり、「おまえだけは、と思って私はいうのだ。私が死んでから後は、絶対に崇徳院に私の死顔を見せるな」とおっしゃった。案の定、崇徳院は、「亡父にお会いしたい」とおっしゃったけれど、「御遺言がございますゆえ」といって、市街の周りに帳を掛けまわしてお入れ申し上げなかった、ということだ。
※要するに、おじいちゃんが孫の嫁さんに手を出して子を産ませたのだから、孫にとっては生まれた子は子でありながら叔父さんになる、という話。生まれた子にとっては、お父さんは甥で、ひいおじいちゃんがお父さん、ということになります。

雨月物語 白峰より
 猶((なほ))、心怠(おこた)らず供養(きようやう)す。露いかばかり快(そで)にふかかりけん。日は没(い)りしほどに、山深き夜のさま常(ただ)ならね、石(いし)の床(ゆか)木(この)葉(は)の衾(ふすま)いと寒く、神(しん)清(すみ)骨(ほね)冷(ひえ)て、物とはなしに凄(すさま)まじきここちせらる。月は出(い)でしかど、茂(しげ)きが林(もと)は影をもらさねば、あやなき闇(やみ)にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく「円(ゑん)位(ゐ)、円(ゑん)位(ゐ)」と呼ぶ声す。
 眼(め)をひらきてすかし見れば、其の形(さま)異(こと)なる人の、背(せ)高く痩(やせ)おとろへたるが、顔のかたち、着たる衣の色(いろ)紋(あや)も見えで、こなたにむかひて立(た)てるを、西行もとより道心(だうしん)の法師(ほふし)なれば、恐(おそ)ろしともなくて、「ここに来(き)たるは誰(た)ぞ」と答ふ。
 かの人いふ。「前(まえ)によみつること葉(のは)のかへりこと聞えんとて見えつるなり」とて、
     松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな
 「喜(うれ)しくもまうでつるよ」と聞(きこ)こゆるに、新院の霊(れい)なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。
 「さりとていかに迷(まよ)はせ給ふや。濁世(ぢょくせ)を厭離(えんり)し給ひつることのうらやましく侍りこそ、今夜(こよひ)の法施(ほふせ)に随(ずい)縁(えん)したてまつるを、現形(げぎょう)し給ふはありがたくも悲(かな)しき御(み)こころにし侍り。
 ひたぶるに隔生即忘(きゃくしゃうそくまう)して、仏果(ぶつくゎ)円満(ゑんまん)の位(くらゐ)に昇(のぼ)らせ給へ」と。情(こころ)をつくして諫(いさめ)奉(たてまつ)る。
 新院呵々(からから)と笑はせ給ひ、「汝(なんぢ)しらず、近来(ちかごろ)の世(よ)の乱(みだ)れは朕(わが)なすこと事(わざ)なり。生(いき)てありし日より魔道(まだう)にこころざしをかたふけて、平治(へいぢ)の乱(みだ)れを発(おこ)さしめ、死(しし)て猶(なほ)、朝家(てうか)に祟(たたり)をなす。見よみよ、やがて天(あめ)が下(した)に大乱(たいらん)を生(しゃう)ぜしめん」といふ。

現代語訳
 なお心をゆるめずに読経を続ける。涙と夜露で、その袖はどんなに濡れていたことか。日が沈むにしたがって、深山の夜景は無気味でただならぬさまをみせてきた。石の上に座り、落ちかかる木の葉を身にかけただけではひどく寒く、そのため精神はすみ、骨の髄まで冷えて、なんとはなしに荒涼とした物凄い心地がする。月は出たが、繁茂した木立は月光(ひかり)を漏らさないので、文目(あやめ)もわからない闇の中で心わびしく思いながら、やがて眠るともなくうとうとしようとすると、たしかに、「円位、円位」と呼ぶ声がするではないか。
 (西行が)目を開いて(闇の中を)透かして見ると、背の高く、やせ衰えた異形の人が、顔形、着衣の色、柄もはっきりとは見えない姿で、こちらを向いて立っている。もちろん、西行は悟道(ごどう)の僧であったから、恐ろしいなどとは思わず、「ここに来ているのはどなたか」と応答した。
 その人が言うには、「さっき(お前が)詠んだ歌への返しをしようと姿を現したのだ」といって、
   松山の……:
   (松山に寄せては返す波、その波に漂い流された船のように、ついに都へ帰ることなく、わが身はこの地に朽ち果ててしまったことよ)
 「よくここまで参ってくれた」と言うのを聞いて、これぞ崇徳新院の霊魂であると気づき、おもわず地にぬかづき、涙を流して申しあげた。
 「畏(おそ)れ多いことでございます。しかしながら、何ゆえ成仏なされずお迷いになっておられますのか。醜悪な現世を逃(のが)れ去られたことが羨(うらや)ましく思われてこそ、こうして、仏縁にあやかるべく今夜はご回向申し上げましたのに、奇怪なご出現は愚僧にとってはありがたいよりは、悲しい御心(みこころ)であります。
 どうか一途(いちず)にひたすらに現世への妄執(もうしゅう)を断たれ、円満十分な成仏の高みへ御昇りなされませ」と、心情をこめて諫(いさ)め申し上げる。
 新院は声をあげてからからと笑われ、「汝(なんじ)は何も知らぬ。近頃の世の乱れは自分のしわざなのである。朕(われ)こそは生きていた日から魔道に深く心を傾けて平治(へいじ)の乱を起さしめ、死後もなお、国家・朝廷に祟(たた)ろうとするものである。見ているがいい。もうすぐに、天下に大乱を起してやるぞ」と言った。


 


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1932/02/04
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