竹馬の友とは「幼年時代からの(親しい)友人〔多く男性についていう〕――三星堂、新明解国語辞典」を言うようです。
小さい頃に、「たけうま」に乗り、いっしょに仲良く遊んでいた当時からの、 古い友達の意味があるようです。この句の生まれた理由は、昔、本当にあった 出来事がもとになっていて、中国の古い本、「世説新語(せせつしんご)」という 中に、その出来事が書かれているようです。
今は親しい幼友達のことをいうようですが、出典をみると、無邪気な話ではなさそうです。不仲の殷浩と並び称せられるのを不満とした桓温が、彼は幼い頃に俺の捨てた竹馬で遊んだものだと自分の優位を吹聴した故事が転じたもののようです。仲よく遊んだともと思いきや、何とも疎ましい限りです。
「たけうま」に関して付け加えておくと、 昔のたけうまは、今のものとは、少し違っていたようです。竹を馬のようにして、遊んだのが始まりのようです。
(出典) 【世説新語・品藻】より
殷侯既廃。桓公語諸人曰、少時與淵源共騎竹馬、我棄去、已輒取之。故當出我下。
(書き下し)
殷侯既に廃せらる。桓公諸人に語りて曰く、少(わか)き時、淵源と與(とも)に竹馬に騎(の)るに、我棄て去れば、已(すで)に輒(すなは)ち之(これ)を取る。故(もと)より當(まさ)に我が下に出(い)づべし、と。
※殷侯:殷浩。
※桓公:桓温。
※淵源:殷浩の字(あざな)。
(現代語訳)
殷浩が位を平民に落とされてから、桓温が人々に言った。「幼いとき、殷浩と竹馬に乗ったものだが、私が竹馬を棄てると、殷浩がそれを拾って乗ったものだ。もとから彼は、私の下風に立つべき人物なのだよ
中国語では「竹馬」(竹马)を「ツウマー」と読みますが、日本のタケウマとは全く異なる遊びを指します。切り落とした1本の竹を掴み、それを馬に乗る様に跨いで引き摺り回すだけのものですが、日本でも当初はこれが「タケウマ」と呼ばれていました。
日本で少年時代を意味する「チクバ」は、タケウマではなく、ツウマーにまつわる桓温の故事が語源とされていますが、原典は「彼は子供の頃から私より格下だった」という内容。実際の中華圏ではこれに代わり、李白の『長干行』を原典とする「青梅竹馬」(チンメイツウマー)という語が異性の幼馴染という意味で使われています。
長干行 李白
妾髮初覆額 妾(しょう)が髮 初めて額(ひたい)を覆う
折花門前劇 花を折って門前に劇(たわむ)る
郎騎竹馬來 郎(ろう)は竹馬(ちくば)に騎(の)って来(きた)り
遶牀弄青梅 牀(しょう)を遶(めぐ)りて青梅(せいばい)を弄(ろう)す
同居長干里 同じく長干(ちょうかん)の里に居(お)り
兩小無嫌猜 両小(りょうしょう)嫌猜(けんさい)無し
十四為君婦 十四(じゅうし) 君が婦(つま)と為(な)り
羞顏未嘗開 羞顏(しゅうがん) 未だ嘗(か)つて開かず
低頭向暗壁 頭(こうべ)を低(た)れて暗壁(あんぺき)に向(むか)い
千喚不一回 千喚(せんかん)に一(いつ)も回(めぐ)らさず
十五始展眉 十五 始めて眉を展(の)べ
願同塵與灰 願はくは 塵と灰とを同(とも)にせん
常存抱柱信 常に抱柱(ほうちゅう)の信(しん)を存(そん)す
豈上望夫臺 豈(あ)に望夫台(ぼうふだい)に上(のぼ)らんや
現代語訳
私の髪がはじめて額を覆った時、花を折って門前で遊んでいました。
あなたは竹馬(ちくば)に乗って来て、井戸の井桁をめぐって青い梅で私と遊んでくれました。
私とあなたは同じく長干の里にあって、お互いに幼く、嫌い疑う心はありませんでした。
十四歳。あなたの妻となり、恥じらう顔はいまだ開きませんでした。
首をうなだれて暗い壁に向かい、千回呼ばれても一回も振り返ることは、ありません。
十五歳。心に余裕ができてようやく眉を開き微笑むことができました。
願はくはあなたと共に塵と灰になるまで一緒にいたい。
あの、橋の下で約束をした女との約束を違えないように雨が降っても待ち続け、ついに溺れ死んだ尾生という男のように、いつもあなたを信じていました。
望夫台…夫を待つ妻が登るという台に私がまさか上ってあなたの帰りを待つことになるなんて、あの頃は思いもしませんでした。
sechin@nethome.ne.jp です。
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