英人Basil Hall Chamberlain(バジル・ホール・チェンバレン)は明治16年に英訳『古事記』を発表し、その総論の部で「古事記の世界には黄色が欠落している」という事実を指摘しています。
「色の名の古事記に見えたるは、黒・青(緑も含めり)・赤・斑・白など也。黄色のことは記載せしことなし」(飯田永夫訳「日本上古史ひょうろん」)と明言しています。このうち「斑」は「天斑馬(あめのふちこま)」の「ふち」で「まだら」を意味する「ふち」を色彩に数えたことは過ちでしょう。
約20年後の明治37年に新村出(しんむらいずる)の小編「色彩空談」での見解もチュンバレンにほぽ同じです。「『古事記』などには、色の名と言えば、青・赤・白・黒の四色ぐらいのもので、黄の如きものは殆ど無いというてもよく、云々」とあります。
「黄」が存在せず、僅か四色しか認められない『古事記』の色彩語(青)「赤「白」「黒」は、正確には「青し」「赤し」「黒し」「白し」という形容詞なのです。『万葉集』も色彩に関する形容詞としては同じく四語しか持っていません。
『万葉集』には「みどり」「くれなゐ」「むらさき」といった数々の色彩語が多用されていますが、これらの色名は、「むらさき」が紫草、「くれなゐ」が紅花、「みどり」が草木の新芽を意味する語だったというように、元を正せば具体的なものの名を色彩名に転用した比喩的な用法に由来するもので、生粋の色名とは言えず、こういう意味において、抽象化された色の概念を表す四つの形容詞とは性格を異にしているのです。
『古事記』『万葉集』を通じて純粋に色彩語として認め得る日本語は、結局「青し」「赤し」「白し」「黒し」という四つの形容詞に限定されるのであります。この四つの形容詞の指示する四つの色彩は、今日まで一貫して日本人の色彩感覚の根幹をなしています。
どのような色であれ、日本人は究極的には「青し」「赤し」「白し」「黒し」という四つの範疇によってその色を分類します。日本人は七色の虹を最終的には「赤」と「青」に二分してしまう民族なのです。
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色のうち、「黄」を「青」に含めて把握する習慣が方言に残留しています。「あお」という語を黄色に対しても使う方言は、沖縄・秋田をはじめ越後・飛騨・八丈島など各所にあることが判明しているそうです。別に我々は「赤い」という形容詞を「赤いリンゴ」などに対してばかりでなく、「毬と殿様」の童謡にあるように「赤いミカン」などと使用しても抵抗感なく受け入れる素地を持っているのです。
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古代の日本には独立した黄色の概念はなく、黄色は概ね「赤」の範疇に含まれていたものと推測されます。黄色を「赤」もしくは「青」に分類していた時代に、黄色を支持する独自の色名は本来不必要でしょう。さればこそ、『古事記』や『万葉集』では「黄」という色名が使用されていないのです。
「黄」という漢字が使われてないというのではありません。中国から学び覚えた漢字を自在縦横に駆使してひゅう記されている『万葉集』に、「黄」の文字が使用されているのはむしろ当然なことです。死後の国ヨミを「黄泉」と書き、アメツチ(天地)を「玄黄」と書いたほどの万葉知識人たちが、「黄」の文字と意味に精通していなかったはずはありません。ただし、この文字を知り、意味に通じていたということは、必ずしも色彩語「黄」の積極的使用を証明するものではありません。
従来『万葉集』における色名「黄」は、次の「黄」の字をキと読むことによって存在が認められていました。
沖つ国 うしはく君の 塗り屋形 黄塗りの屋形 神の門渡り 巻16 3888
『万葉集』には、船体を赤く塗った船が「朱けのそば舟」「赤ら小舟」「さ丹塗りの小舟」などと呼ばれて洋上を通行していますが、黄色に塗った船などは他に例を見ません。「黄塗りの舟」が果たして黄(き)に塗った舟であったかどうかは、甚だ疑問なのであります。
すべての色を「青し」「赤し」「白し」「黒し」の四つに分類する日本人の基本的色彩感覚から見ると、七色の虹は結局「青し」と「赤し」の2色にすぎないことになります。この場合、古代では、赤・橙そして黄が「赤し」に属し、緑・青・藍が「青し」に属したと思われます。では、紫はどうだったのでしょうか。
茜(あかね)さす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る 万葉集巻1 20
天智天皇の七年五月五日、蒲生野(かまうの)で催された薬狩りの遊び場で、人目もはばからず自分に手を振って見せる大海人皇子(おおあまのみこ)を詠んだ額田王(ぬかたのおおきみ)の歌としてよく知られた歌です。
第一句の「あかねさす」は第二句の「紫」を導き出す枕詞です。アカネは草の名で、その名の通り根が赤いのです。「あかねさす」とは、アカネで染めた赤色が美しく映える様子を言います。この句を「紫」の枕詞に選んだということは、作者が紫野の紫草から染め上げられる紫色を赤いアカネ色に擬したということです。紫という色が「赤し」の範疇に属していたことを裏書きする枕詞の使用法てあったのです。
sechin@nethome.ne.jp です。
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