瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 鱗(うろこ)とは魚類や爬虫類など動物の身体を保護するため体表を覆う堅い小薄片のことです。パソコンの語源由来辞典によれば、
【平安時代には「いろこ」と言い、「いろくず(いろくづ)」と併用されていた。/「いろくず」は、魚や竜など鱗のあるの動物を指すようになったが、元は「うろこ」の正式な表現として用いられ、「いろこ」は俗的な表現であった。/普通、俗な表現は新しい言葉で、使用例も「いろくず」が古い時期に多く、「いろこ」が新しい時期に多く見られるため、「いろくづ」から「いろこ」、そして「うろこ」に変化したと思われる。/この音変化は、「いを(魚)」から「うを」、「いごく(動く)」から「うごく」と変化したのと同じである。/「いろくず」や「いろこ」の「いろ」は、ざらざらした細かいものの意味で、「くず」は「屑(くず)」、「こ」は「小」の意味と考えられる。/「いろ」には、「い」が「魚」の意味で、「ろ」を接辞とする説もある。/しかし、草木のトゲを意味する「イラ」は魚の背びれにあるトゲも意味し、うろこと形状の似た「いらか(甍)」も、この「イラ」に由来するとも考えられている。/このことから、「イロ」や「イラ」が平らなところから少し飛び出ていたり、ざらざらしたものを表現したと考えられるので、「いろ」を「魚」の意味に限定せず、形状や感触と考える方が良いであろう。/また、頭皮の「フケ」を「うろこ」や「いろこ」と言ったり、皮膚病の時に掻くと出る粉も「いろこ」と言った。/うろこ状であるところから「フケ」など指すようになったとも考えられるため、これをもって魚の説を否定することは出来ないが、かなり古い時期から例が見られるため、関係ないとも言い切れない。】とあります。

 急に目の前が開けたようにはっきりわかるようになることを「目から鱗がおちる」といい、その快感を表すのによく用いられます。「鱗」という魚に関連した慣用句なので日本や中国の故事かと思われそうですが、由来は新約聖書の使徒行伝からです。
 新約聖書の「使徒行伝9章」には、パウロの回心に関連して、次のような内容のことが書かれています。頭脳明晰で有能な学徒であり、当時のユダヤ人社会から将来を嘱望されていた青年サウロ(後の使徒パウロ)は、当時、十字架に架けられて死んだイエスをキリスト(救い主)と信じるクリスチャンたちに憎悪の念を抱き、キリスト迫害に加担していたわけですが、非常な怒りと殺害の意に燃えてエルサレムからダマスコという町に向かって旅をしていたのです。青年サウロは、イエスを信じるというクリスチャンがユダヤ教のしきたりを破ったりすることを教えていると言うことを聞き、我慢が出来ず、クリスチャンであれば、男でも女でも見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためにダマスコの町に向かって旅をしていたのです。
 サウロの行動は、自分は神の前に正しいことをしているという確信と正義感に満ちたものであったのですが、彼が道を進んで行って、ダマスコの町の近くまで来たとき、突然、天からの光(復活されたキリストの栄光)が彼を巡り照らしたのです。 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞きました。 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」 との答えがありました。そして、サウロは地面から立ち上がりましたが、目は開いていても何も見えなくなっていました。そこで同行していた人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行ったのです。
 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしませんでした。さて、ダマスコの町にはアナニヤという弟子がいたのですが、神はアナニヤに、幻の中で、「サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。」と命じました。しかし、アナニヤは神に対して、サウロがエルサレムで、クリスチャンたちにどんなにひどいことをしたかを訴えました。 しかし、神は彼に次のように言われました。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」と答えられたのです。それ以後のことは聖書に次のように記されています。

※「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう祈った。『兄弟サウロ。あなたが来る途中でお表われになった主イエスが、わたしを遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。』するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がってバプテスマを受け、食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」(使徒行伝 第9章 17~20 の訳)。
 英訳では鱗は「fish scales(フィシュ スケイルズ)」と書かれ、キリストの本当の姿を見抜けない象徴的なものとして表されているように思われますが、この後、迫害者サウロが回心し、使徒パウロとしてキリストの福音を宣べ伝える伝道者となったことからも、人生の覚醒と転換を表現した言葉として、今日に伝わったのではないでしょうか。最近では、もっと身近に、何か新しい事実に気づいた時などに、「なるほど、そういうことだったのですか。”目からうろこが落ちた”ような心境ですね!」などと使われることもあります。


 


 うろこには違いありませんが、「逆鱗」は並のうろこでありません。龍の顎の下にさかさまに生えたもので、中国の古典『韓非子』に見え、これに触れると龍は怒ってその人を殺すと言われています。天子を龍にたとえ、その激しい怒りをかうことを「逆鱗に触れる」というのです。

『韓非子』説難(ぜいなん)より
 昔者(むかし)、弥子瑕(びしか)衛君に寵(ちょう)あり。衛国の法、ひそかに君の車に駕(が)するは罪は刖(げつ)。弥子瑕の母、病む。人ひそかに往き、夜、弥子に告ぐ。弥子矯(いつわ)りて君の車を駕してもって出(い)ず。君、聞きて、これを賢として曰く、
「孝なるかな。母のための故に、その刖罪を忘る」。
 異日、君と果園に遊ぶ。桃を食(くら)うに甘し、尽くさずして、その半(なかば)をもって君に啗(くら)わす。君曰く、
「われを愛するかな。その口味を忘れ、もって寡人に啗わす」。
 弥子、色衰え愛弛(ゆる)むに及び、罪を君に得(う)。君曰く、
「これ、もとかって矯(いつわ)りてわが車に駕し、またかってわれに啗(くら)わすに余桃をもってす」。
 故に弥子の行いはいまだ初めに変わらずして、而(しか)も前の賢とせられる所以(ゆえん)をもってして、後に罪を獲(え)しは、愛憎の変なり。
 故に主に愛せらるるあらば、すなわち智当たりて親しみを加え、主に憎まるるあらば、すなわち智当たらず、罪せられて疏(そ)を加う。
 故に諫説談論(かんせつだんろん)の士は、愛憎の主を察し、しかる後に説かざるべからず。
 かの龍の虫たるや、柔、狎(な)れて騎(の)るべきなり。然れどもその喉下に逆鱗(げきりん)径尺(けいしゃく)なるあり。若(も)し人これに嬰(ふ)るる者あらば、すなわち必ず人を殺す。
 人主もまた逆鱗あり。説く者、よく人主の逆鱗に嬰るることなければ、すなわち幾(ちか)し。

現代語訳
 昔、弥子瑕(びしか)という美少年が、衛(えい)の霊(れい)公の寵愛を受けていた。衛の法律では、許しなく君主の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって君主の車を使った。それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。
「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。
 また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行った時、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公にすすめた。霊公は言う、
「君主思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。
 だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、霊公は言う、
「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。
 弥子瑕の行為は、初めから変わらずひとつである。それが、前にはほめられ、後になって罪に>問われたのは、霊公の愛情が憎悪に変わったからだ。
 つまり、相手が愛情を持っている場合は、いいことを言えばすぐに気に入られ、ますます近づけられる。ところが憎まれた場合は、いいことを言っても受け付けられず、いよいよ遠ざけられるだけである。
 意見を述べたり、諫めたりするには、相手に自分がどう思われているかを知ったうえで、それを行うべきである。
 龍という動物は、馴らせば人が乗れるほどおとなしい。だが、喉(のど)の下に直径一尺ほどの鱗(うろこ)が逆にはえていて、これにさわろうものなら、たちまちかみ殺される。
 君主にもこの逆鱗(げきりん)がある。それにさわらぬよう進言ができれば、まず及第というところである。


 


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