瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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a7500d5e.jpg 桜橋を渡り、墨堤通りを北上。白鬚神社に立ち寄り、境内を一巡。白鬚橋を渡って何時もの遊歩道を南下して、帰宅した。本日の記録は7568歩、4.9㎞。
 白髭神社(墨田区東向島3―5―2)の祭神は猿田彦大神。他に天照大神、高皇産霊神、神皇産霊神、大宮能売神、豊由気大神、建御名方神とある。境内内に三峯社、水神社、諏訪社などがある。
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4f4a6d26.JPG 由緒書きによれば天暦5年に慈恵大師(912~985年、良源)が近江国比良山麓に鎮座する白髭大明神の御分霊をここに祀ったとある。新編武蔵風土記稿によれば、「天暦5(951)年に元三大師(慈恵大師)が江州志賀郡打颪(うちおろし)より勧請し、天正19(1592)年社領2石。左右に諏訪と稲荷を安ず」とある。
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320a6958.JPG 名所図会では天暦5年に慈恵大師が関東下向のおりに近江国志郡打下より勧請とあり、近江国志賀郡打下とは現在の滋賀県高島郡高島町鵜川の白髭神社と思われる。近隣の蓮華寺は弘安3(1280)年に北条経時の菩提寺として所領の当地に創始され、周囲の寺島村の地名はこれに始まるとされる。これよりはるか以前に祀られていたことになるが、続日本紀(797)に書かれる奥州道がここを通っていたのあろう。社前の狛犬は浅草山谷の八百屋善四郎と吉原の松葉屋半左衛門が文化12(1815)年に奉納したものという。元禄の頃ではこの一帯は水田地域だったようだが、寺島は隅田川の運んだ土砂がよい畑となって寺島茄子でも有名だった。狛犬奉納は料理の食材への感謝だったのかもしれない。
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