瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は、出掛ける段になって、雨が降り出し、それに検診日でもあったので、徘徊そびれた。
 永井荷風の濹東綺譚「寺しまの記」に曰く
《……車はオーライスとよぶ女車掌の声と共に、……法華堂の方からカチカチカチと木魚を叩く音が聞こえる。……これと向かいになった車庫を見ると、さして広くもない構内のはずれに、燈影の見えない二階家が立ちつづいて、その下六尺ばかり、通路になった処に、「ぬけられます。」と横に書いた灯りが出してある。……辻の向側には曹洞宗東清寺と刻した石碑と、玉の井稲荷の鳥居と公衆電話とが立っている。わたくしはお雪の話からこの稲荷の縁日は月の二日と二十日の両日である事や、縁日の晩は外ばかり賑やかで、路地の中はかえって客足が少ないことから、窓の女達は貧乏稲荷と呼んでいる事などを思い出し、……》
 
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b55071d0.jpg 一昨日の日曜日には、建て変わって様相を一変させた東清寺(玉の井稲荷)を徘徊したので、今日は一昨日の逆コースを取って、水戸街道を東向島6丁目のバス停まで北上、そこから50mばかり先の路地へ左折する。この辺の道は建て込んでいて何処をどう歩いたかわからない。気が付いたら、いろは通りの入口に当たる東武線のガードの近くまで来ていた。ここから、いろは通りを東に進むとGourmet Cityというスーパーがあり、その建物の陰にお寺の屋根らしきものが見える。スーパーの横道からその裏に進むと願満稲荷社と記した朱色の鳥居があり、この鳥居の奥に「日蓮宗・啓雲閣教会」というお寺があり、階段を昇った上に本堂があった。どうやらこのスーパーは「玉の井館」を改築したものであるらしい。
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c4e44183.jpg 啓雲閣教会の建物の壁に「濹東綺譚《寺しまの記》」の一節と「濹東綺譚」の中で永井荷風の描いたという旧玉の井の地図が貼り付けてあった。啓雲閣教会は日蓮宗の布教場で、関東大震災での死者をいち早くとむらったという縁でここに開創したという。身延山久遠寺には4月22日に「願満稲荷大明神祭り」というのがあるそうで、日蓮上人在住の折に衣食住の世話をした稲荷様と伝えられているから、願満稲荷社はおそらく身延山から勧請されたものであろう。
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b0aaa217.jpg いろは通りをさらに東に進んで、東清寺(玉の井稲荷)に立ち寄ってみたが、早朝のこととて門が閉まっていて、境内には入れなかった。東清寺からいろは通りと並行する路地を東武線の高架まで西進した。この路地は戦後、昭和34年売春禁止法が出来るまでは赤線地帯であり、売春カフェーが立ち並んでいた所である。もうすっかり古びてしまって店構えを変えてはいるが、昔のままの面影を残した建物が立ち並んでいる場所もある。
 東武線のガードに沿って南下し、いろは通りの入口から右折して大正通りを西進し、墨堤通りに出た。明治通りをさらに西進し、白鬚橋を渡り、件の川沿いの遊歩道を通って帰宅した。本日の記録は10465歩、6.8㎞。 
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