瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝は風が強かった。歩道の隅に積み上げられたゴミ袋が強風に煽られて、あちこちに散乱している。いつも通り、墨堤通りから、東白鬚公園わ抜けて水神大橋へ。水神大橋を渡ると、川沿いの遊歩道を北に向かって進む。旧綾瀬川・鐘ヶ淵の付近で川は大きく曲がるので、いつの間にか西にむかっていることになる。胡録神社に立ちより、汐入公園の西側の街の中の路地をあちこちと当てずっぽうに歩き、何とか石濱神社の脇に辿り着いた。明治通りを横切って、橋場・今戸の街中を通って帰宅した。本日の記録は12008歩、7.8㎞。
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4fe2f545.JPG 胡録神社は、永禄4年8月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門(たかだかさえもん)なる者が戦(いくさ)に敗れ、図(はか)らずも集いし12名と共に、厄(えき)を逃(のが)れ落ちのびて、高田・杉本・竹内の参名当地に至り永住し、この地汐入を開拓し、その守護神(しゅごしん)として面足尊(おねだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)の両神を一祠(ほこら)に奉齋(ほうさい)崇敬(すうけい)したという。この後、嘉永(かえい)5(1852)年神殿(しんでん)を造営した神社だという。
明治以前では密教と習合して第六天と呼ばれており、明治2年に神仏分離によって胡禄神社と改称された。
現社殿は嘉永5年(1852)造営の様式で昭和2年に改築されたという。
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 汐入は胡粉(貝殻を粉にした顔料)の産地であり社内にその石臼が残っている。胡禄の呼称は胡粉と第六天からという説と弓の武具の呼称からという説があるが、類名社は千葉、埼玉、東京に分布しているのでなんらかの氏族が関与しているのかもしれない。胡粉の材料には縄文貝塚のカキ殻を用いていたらしい。「江戸紀聞」によれは道灌山(現:文京区千駄木3付近)は雪の降ったような小山で享保(1716~1735年)の頃までは馬で浅草の胡粉製造場所へ毎日運んでいたという。汐入も昔は海が入っていたところの地名であるから、貝塚があったのかもしれない。摂社に道祖神があり猿田彦を祀っている。足の病気治癒に草履、耳の病気治癒に2個のお椀に穴をあけて奉納して祈願していたという。周囲はマンション群の造成に囲まれてはいるが、社地にはいくらかの木立が残っているようである。
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