瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
檜扇を詠める歌20
巻15-3712:ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ
巻15-3721:ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ
巻15-3732:あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ
◎738年前後、朝廷の官人である作者は新婚早々勅勘の身となり越前に配流されます。罪の理由は女官との禁断の恋、重婚、政治的策略説などあり、はっきりしません。恋の相手は狭野芽上娘子(さの ちがみのおとめ)。
二人がやり取りした恋歌は宅守40首、娘子は23首という膨大なものです。
約1年8か月ばかりを経て赦され、昇進して都に栄転したところを見ると、
はやり政治的事件に巻き込まれた失脚かと思われます。
※中臣宅守(なかとみ の やかもり、生没年不明)
奈良時代の貴族・歌人。刑部卿・中臣東人の子。官位は従五位下・神祇大副。
天平12年(740年)頃に蔵部の女孺であった狭野弟上娘子を娶ったときに越前国に流罪となります。罪に問われた事情は明らかでなく、政変がらみとするものと禁を犯して娘子と結ばれたものとの両説があります。同年6月に大赦が行われますが、罪は赦されませんでした。天平13年(741年)9月に再度行われた大赦により帰京したものでしょうか。
天平宝字7年(763年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵するも、天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱に連座して除名されました。
越前国配流時に狭野茅上娘子と交わした和歌を中心に40首が『万葉集』に採録されています。
巻15-3738:思ひつつ寝ればかもとなぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
巻15-3769:ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき
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