檜扇を詠める歌25
巻20-4331:大君の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国は.......(長歌)
標題:追痛防人悲別之心作謌一首并短謌
標訓:追ひて防人の別れを悲しぶる心を痛みて作れる謌一首并せて短謌
原文:天皇乃 等保能朝庭等 之良奴日 筑紫國波 安多麻毛流 於佐倍乃城曽等 聞食 四方國尓波 比等佐波尓 美知弖波安礼杼 登利我奈久 安豆麻乎能故波 伊田牟可比 加敝里見世受弖 伊佐美多流 多家吉軍卒等 祢疑多麻比 麻氣乃麻尓々々 多良知祢乃 波々我目可礼弖 若草能 都麻乎母麻可受 安良多麻能 月日餘美都々 安之我知流 難波能美津尓 大船尓 末加伊之自奴伎 安佐奈藝尓 可故等登能倍 由布思保尓 可知比伎乎里 安騰母比弖 許藝由久伎美波 奈美乃間乎 伊由伎佐具久美 麻佐吉久母 波夜久伊多里弖 大王乃 美許等能麻尓末 麻須良男乃 許己呂乎母知弖 安里米具里 事之乎波良波 都々麻波受 可敝理伎麻勢登 伊波比倍乎 等許敝尓須恵弖 之路多倍能 蘇田遠利加敝之 奴婆多麻乃 久路加美之伎弖 奈我伎氣遠 麻知可母戀牟 波之伎都麻良波
万葉集 巻20-4331
作者:大伴家持
よみ:大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 敵守る おさへの城ぞと 聞こし食す 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をも巻かず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて 大君の 命のまにま 大夫の 心を持ちて あり廻り 事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは
意訳:大君の、遠く離れた朝廷(みかど)たる筑紫の国(北九州)は外敵から身を守る抑えの砦。大君のお治めになっている四方の国々には人は多く満ちているけれども、とりわけ東男(あづまおとこ)は敵に向かって命をもかえりみない勇敢な兵士だと労をねぎらいなさる。任命されるままに母もとから離れ、あるいはなよやかな妻から離れ、任務につく。その日までの月日を数えながら難波の港に集結し、大船の梶を左右そろえて貫き並べる。朝なぎを見計らって、漕ぎ手を集め、夕潮に乗って、梶をたおし、軍団を率いていく貴君。波の間を押し分け、早く無事に筑紫にたどりついて、大君の任命のままに任務を果たそうとばかり。男子たる心を持って防備の任につく。任務が終わったらつつがなく(難波に)帰ってきなされと祈っています。神聖な酒かめを床の辺に据え、純白の着物の袖を折り返し、黒髪を敷いて長い日々を待っていることだろう、彼らの愛しい妻たちは。
左注:右二月八日兵部少輔大伴宿祢家持
注訓:右、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。
◎防人
古代,九州の辺要の地の守備にあてられた兵士です。防人の初見は大化2 (646) 年です。令制では防人司に属しました。防人は諸国から徴発され、3年交代で九州の防備にあてられました。手続は、国司が名簿を作成し、兵士を都へ送ると、都で兵部省の役人が検閲したのち、九州へ下し、防人司の役人が壱岐、対馬などに配置しました。史料によると天平2(730) 年諸国から徴集した防人を廃止、重ねて同9年諸国からの防人を本国に帰還させ、九州の兵士に守らせることにしたとあります。さらに天平宝字1(757) 年、東国の防人を徴することをやめ、九州の兵士をあてましたが、天平神護2(766)年大宰府は東国の兵士を防人にあてることを申請しています。以後、改訂を繰返したが、寛平6(894) 年対馬の防人の記事が最後の所見です。『万葉集』中の防人歌は、真情あふれているので有名です。
巻20-4455:あかねさす昼は田賜びてぬばたまの夜のいとまに摘める芹これ
※橘諸兄(たちばなもろえ、684~757年)
奈良時代の政治家です。皇族の出身で敏達天皇5世の子孫になります。父は従四位下美努 (みぬ) 王。母は県犬養橘三千代 (あがたのいぬかいのたちばなのみちよ) 、室は藤原不比等の娘多比能で、本名は葛城王です。和銅3(710)年従五位下、以後累進して、天平3(731)年参議、同8年弟の作為王とともに、朝廷に請うて、母の氏姓橘宿禰姓を賜わり、名を諸兄と改めました。同9年大悪疫のため、藤原4卿(武智麻呂、房前、宇合、麻呂) の死没後,大納言、右大臣と躍進し、唐から帰国した玄昉、吉備真備らと結んで政界の新興勢力を形成、全盛期を迎えます。しかし、天平末年以降藤原広嗣の乱、恭仁京経営の失敗、権臣藤原仲麻呂の台頭によって、権勢は影をひそめていきました。玄昉、真備らも左遷され、天平勝宝8(756) 年官を辞し、失意のうちに没しました。
巻20-4489:うち靡く春を近みかぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ
※甘南備伊香真人(かむなびいかごのまひと、生没年不明)
746(天平18)年4月、無位より従五位下に叙せられます。同年8月、雅楽頭。749(天平勝宝1)年7月、従五位上に昇叙します。751(天平勝宝3)年10月、高城王・池辺王と共に甘南備真人を賜姓されます。757(天平宝字1)年12.8、大監物三形王宅の宴に臨席、歌を詠んですます(巻20-4489)。この時大蔵大輔(おおくらたいふ)でした。翌年2月、式部大輔中臣清麻呂宅の宴に臨席、3首を残しています(巻20-4502・4510・4513)。この時も大蔵大輔でした。いずれの宴も大伴家持が同席しています。761(天平宝字5)年10月、美作守(みまさかのかみ)になります。宝字7年1月には、備前守となります。翌年1月には、主税頭(ちからのかみ)、768(神護景雲2)年閏6月、越中守。772(宝亀3)年1月、正五位下。777(宝亀8)年1月、正五位上。以後の消息は不明です。重職を歴任しましたが、孝謙・淳仁・称徳朝を通じて昇叙に恵まれず、光仁朝に至って復権された観があります。万葉には上記4首のみがのおさめられています。
ウェブニュースより
大谷翔平「大惨事から極上へ」3年ぶり白星を米メディア報じる ―― <レンジャーズ4-9エンゼルス>◇26日(日本時間27日)◇グローブライフフィールド
エンゼルス大谷翔平投手(26)が18年5月20日のレイズ戦以来、1072日ぶりの白星を手にした。レンジャーズ戦で5回3安打4失点、9奪三振。DH解除のリアル二刀流として「2番投手」を担い、打っては2安打2打点3得点。6回の第4打席では日米で初のバント安打もマークした。
◇ ◇ ◇
大谷の3年ぶりの白星を米メディアも次々と報じた。MLB公式サイトと米CBSスポーツは、ベーブ・ルース以来となった本塁打数リーグトップでの先発登板に「歴史をつくった」と速報。地元紙ロサンゼルス・タイムズ電子版は、初回の乱調からの見事な立ち直りに「大惨事から極上へ」との見出しを付け、地元紙OCレジスター電子版は「投手大谷は完璧ではなかったが、打者大谷がそれでも十分だと示してくれた」と、二刀流ならではの活躍ぶりを伝えた。 [日刊スポーツ 2021年4月27日18時10分]
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