宛字の代表格のように言われているのが、「流石(さすが)」で、この字にはいろいろないわれがあります。
「さすが」とは、「さも有りなむ」などと使う指示副詞「然(さ)」に、サ変動詞「為(す)」、接続助詞「がに」が熟合した「さすがに」から「に」が脱落したものといいます。「さすが」はいまでは やはり・いかにも の意に使われることが多いようですが、元々は そうはいうものの・それでもやはり という意に使われていました。そのためらう気持ちを小石が淀みながら急流を流れてゆく様子にたとえて「流石」の字を当てたといいます。
また、他の説に中国の故事によるものだというのがあります。
世説新語の誹調篇に孫楚という人についての次のような記載があります。
孫子荊、年少時、欲隠。語王武子、当枕石漱流、誤曰、「漱石枕流。」
王曰、「流可枕、石可漱乎。」
孫曰、「所以枕流、欲洗其耳。所以漱石、欲礪其歯。」
孫子荊、年少(わか)き時、隠れんと欲す。王武子に語るに、当(まさ)に石に枕し流れに漱(くちすす)がんとすとすべきに、誤りて曰はく、「石に漱ぎ流れに枕す。」と。
王曰はく、「流れは枕すべく、石は漱ぐべきか。」と。
孫曰はく、「流れに枕する所以(ゆえん)は、其の耳を洗はんと欲すればなり。石に漱ぐ所以は、其の歯を礪(みが)かんと欲すればなり。」と。
訳)孫子荊(そんしけい、孫楚のこと子荊は字〈あざな〉)は若い頃隠遁の志があった。王武子(おうぶし、王済のこと武子は字)に「石に枕し、流れに漱ぐ」と言おうと思いながら、誤って「石に漱ぎ、流れに枕す」と言ってしまった。
王武子は言った。「流れを枕にしたり、石に漱いだりすることができるのだろうか」
孫子荊は言った。「流れを枕にするのは、耳を洗うためだ。石に漱ぐのは歯を磨くためだ」
*「耳を洗う」は、昔の賢人許由(きょゆう)が堯帝(ぎょうてい)から帝位を譲ろうと言われた時、その耳の穢れを清流で洗ったという故事によるもの
孫楚の言い逃れがあまりにもうまかったので人々は「さすが!」と言って感心したので、「流石」を さすが に当てたというのです。余談ですが、このことから負け惜しみの強いこと、ひどいこじつけを「漱石枕流(ソウセキチンリュウ)」というようになったのです。夏目漱石というペンネームもここからとったということです。この夏目漱石は宛字作成の天才だったようです。
横浜のIN氏からメールが入りました。曰く、
2016年10月6日13時45分着信 題:君宛の書きかけメールが行方不明
日高節夫様
「ディエゴ・ガルシア島」と題した、君宛のメール原稿が、保存したままどこかへ行っちゃった。メール原稿を打ち込み中、家内からの電話で、近くの地下鉄駅まで迎えに行くときに、一時保留にしたはずだけど、帰宅後、保存状態から開けなくなりました。
この書きかけメールは、キャンセルにします。気分を取り直して、後日、書き直します。もし偶然に、君のパソコンに入ったら消去してください。 IN
sechin@nethome.ne.jp です。
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