甥のHaruki君からメールが入りました。曰く、
2016年10月10日18時23分着信 題:子規庵
昨日は久しぶりにお会いすることができまして本当によかったです。お二人ともだいぶお元気になられたようで、安心しました。これからも大変と思いますが、ご本復を祈っております。
博多に帰る前に、根岸の子規庵に行き、俳句のお勉強をしてきました。上野、浅草にとても近い所にあり、俳句にもこれらの地名がよく出てくるのを納得です。書斎から彼が見たとおりに、糸瓜が棚からぶらさがり、鶏頭が咲いていました。俳句にでてくる景色をみて嬉しくなりました。
棚の糸瓜思う所へぶら下がり
鶏頭の十四五本もありぬべし (子規)
ここから子規が、近代日本に俳句文化を発信し続けたと思うと、感慨深いものがあります。俳句の聖地をよく保存してくれたと思いました。 HN
日曜日(10月9日)にHaruki君が来訪した際に四国に行った時の土産柚餅子(ゆべし)と福岡の銘菓柿大福を持参してくれたのを思い出し、柚餅子と大福の語源や由来について調べてみました。
柚餅子(ゆべし)は柚干(ゆびし)、柚圧(ゆべし)とも書きます。丸柚餅子が本来で、蒸し菓子の一種です。室町時代には柚醤(ゆびしお)、柚味噌(ゆみそ)などとともに酒席の佳肴(かこう)とされ、柚味噌釜(がま)とも称したそうです。1643年(寛永20)刊の『料理物語』によると、「柚味噌のごとく口をきり実をすて、味噌、生姜(しょうが)、胡椒(こしょう)などよくすりて、かや、ごま、あんにん、そのまま入まぜて、ふたを合わせからげ、よくむしてほし、あまにつり候てよし」とあります。この仕法が菓子に移行してからは、みそ、糯(もち)米粉、砂糖をこねたものを柚釜に詰め、蒸して乾燥させる製法にかわったといいます。保存のきく珍菓です。岡山県高梁(たかはし)市、石川県輪島市、長野県飯田(いいだ)市、奈良県吉野地方、和歌山県龍神温泉などに、ユズを原形のまま蒸して乾燥させる丸柚餅子が伝えられています。和菓子のなかではもっとも高価な菓子です。このほか柚餅子の名品には新潟市西蒲(にしかん)区福井に棹物(さおもの)柚餅子があります。糯米粉に柚汁(ゆじる)、砂糖、みそをあわせて蒸し上げた棹物で、1829年(文政12)に本間楢右衛門(ほんまならえもん)により完成したそうです。また東北地方には「くるみゆべし」などの平柚餅子が多いといいます。
江戸時代初期に生まれた鶉餅(うずらもち)が1771年(明和8年)に江戸・小石川の未亡人により小形化され、餡に砂糖を加えられたものが始まりとされるそうです。腹持ちがよいことから腹太餅(はらぶともち)、大腹餅(だいふくもち)と呼ばれていたものが、吉字を使った大福餅に変化したのだといいます。寛政の改革時には、行商が焼きながら売り歩く熱い大福が流行したそうです。
餅に豆やヨモギを加えたものや、餡の代わりにイチゴやカスタードクリームを入れたものなどさまざまなバリエーションが存在します。そのまま食べることが多いのですが、好みによって焼いたり、汁粉に入れたりすることもあります。大福を自宅で作る際は、餅に砂糖を混ぜておくと硬くなりにくいといいます。工場で生産され、流通経路を介して販売される製品も同様の傾向があります。
sechin@nethome.ne.jp です。
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