瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 秦の国の人で逢(ほう)という姓の男に一人の息子がいた。幼少の頃には賢かったが、壮年になると惑乱の病に罹り、歌声を聴くと哭き声といい、白を見ると黒、香しい臭いを嗅ぐと腐った臭い、甘いものを常(な、嘗)めると苦いといい、間違った事を行いながら正しいと考えるようになった。彼の考えの及ぶところ、天地の上下、東西南北の方位から水と火の性質、季節の寒さ暑さに至るまで、すべて錯倒してしまう。
 ある日楊という姓の男が、その父親に告げた。―― 魯の国の有徳者には一芸一能に秀でたものが多い。もしかするとこの病気を癒せるのではなかろうか。君、一度訪ねていってみたらどうだ。
e5562f6d.JPG かくてその父親は魯の国に赴こうとして陳の国を通りかかり、その地で道家の哲人老耼先生にばったり出会った。そこで彼は息子の症状を老耼(ろうたん)先生に話した。すると老耼先生は言った。―― そなたは、どうしてそなたの息子が惑乱していると分かるのか。一体現代では世界中の人間すべてが惑乱しており、何が是であり何が非であるかの判断もつかず、何が利であり何が害であるかも分かっていない。同じ惑乱の病に罹(かか)っている者は多く、根源の真理に目覚めている者は全くいないのだ。
 それに一人の人間が惑乱しても家中を狂わせることは出来ず、家中が惑乱しても村中を狂わせることは出来ず、村中が惑乱しても国中を狂わせることは出来ず、国中を惑乱させても世界中を狂わせることは出来ないが、世界中の人間がすべて惑乱してしまえば、これを正気に返す必要はないのだ。そしてもし世界中の人間がそなたの息子のように心を惑乱させれば、正気であるそなたの方がかえって惑乱しているということになる。哀楽の感情、声や色(すがた)や臭いや味、是非善悪の問題など、何が正しいといったい誰にきめられようか。
 それにまた、かく言うわたくしの主張にしたところで、惑乱していないという保障はないのだ。まして魯の国の有識者など、惑乱した人間の最たるものではないのか。その彼らに他人の惑乱を解くことなど出来っこないのだ。食糧など担いで魯の国に出かけてゆくよりも、とっとと家に帰った方がましだよ。(列子・周穆王篇第三より)

 「天皇は政治に利用すべきでない」と主張しながら、天皇を政治的に利用していることに気付いていない倒錯者の集団を見ているようだ。今朝のウュブニュースのJ-CASTニュースからの記事。
 宮内庁長官過去も次々苦言 正論なのか「はみ出し」なのか ―― 宮内庁の羽毛田信吾長官が、天皇の特例会見についてまた苦言、反論を展開して波紋を呼んでいる。政治家ではなく役人だが、過去にも皇室問題で発言を繰り返している。皇室を代弁しているのか、単にでしゃばりなだけなのか。/「自分は官房長官の指揮命令に従うと同時に、陛下のお務めのあり方を守る立場にある。辞めるつもりはありません」/羽毛田信吾長官は、民主党の小沢一郎幹事長が「辞表を出して言うべきだ」と述べたのに対し、こう公然と反論した。2009年12月14日に記者団の取材に応じたときのことだ。
27883114.JPG 役人ながら、新聞や週刊誌を度々にぎわせた ―― 閣僚ならともかく、役人としては異例の発言だ。天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が特例扱いで決まったときに、「二度とあってほしくない」と苦言を呈してから、発言を控えるそぶりさえ見せない。頑として、皇室の政治的中立や陛下の健康への配慮などを理由に、「1か月前ルール」を守る考えを改めない構えなのだ。/羽毛田長官は、生え抜きではなく厚労省出身で、2001年4月になって宮内庁の次長に転じた。小泉純一郎政権時代の05年4月から、同庁長官を務めている。/役人ながら、その発言は、新聞や週刊誌を度々にぎわせてきた。/三笠宮寛仁さまが月刊誌対談で女性天皇容認を批判した06年1月、羽毛田長官は、定例会見で「正直『困ったな』という気持ちが強い」と述べた。このときは、「内閣や国会が対応すべき政治的な事柄」とその理由を挙げている。/また、08年2月には、皇太子ご夫妻が愛子さまとともに天皇・皇后両陛下を訪問なさる回数が少ないことを、定例会見で批判。皇太子さまが両陛下とお会いする機会を作りたいと述べられたことを受けて、「ご自身が会見で発言なされたことなので、大切になさっていただきたい」と注文まで付けた。/いずれの発言も、「役人が会見で言うべきことなのか」と、テレビのワイドショーなどでも、繰り返し取り上げられている。
 擁護、批判と意見は真っ二つに ―― 事態は、役人が政治家に反乱したような構図になっているが、羽毛田信吾長官を擁護する声はかなり多いようだ。/宮内庁には、2009年12月14日までに1000件を超える意見が寄せられ、その多くが羽毛田長官に賛成する意見だという。ライブドアのネットリサーチでも、長官支持が7割強も占め、小沢一郎幹事長支持は2割強に留まっている。/皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんも、羽毛田長官支持の立場だ。/「民主党政府がゴリ押しをした方が問題であり、長官が抵抗するのは当たり前です。どこの国とも平等にスケジュールを作っており、陛下のご体調を考えながら忙しい公務も割かないといけません。陛下も話が来れば、断れないでしょう。いきなり会ってくれというのは、陛下に対して失礼なことです。ルールは守ってほしいですね」/一方、識者を中心に、羽毛田長官の対応ぶりを批判する声も次々に上がっている。新党大地の鈴木宗男代表は、日本BS放送の番組内や自らのブログで、「尊皇精神に欠けている。陛下は会見を受けられたのだから、決まった後に言うのは陛下にとんでもなく失礼だ」などと批判した。/また、元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんは、ライブドアのコラム「眼光紙背」で、「職業的良心に基づいて考えるならば、『私はそのようなお願いをすることはできません。どうしてもというならば、私を解任してください』と言って頑張るべきだ」と指摘。「経緯説明という名目で記者会見を行ったことによって、天皇陛下が政治問題に巻き込まれてしまった」と主張している。/この問題、まだまだ論争は続きそうだ。(J-CASTニュース、2009/12/15 20:58)

「特例会見」仕掛けたのは中曽根氏? 前原発言で「ドロドロ」戦争 ―― 天皇陛下と中国の習近平国家副主席の「特例会見」問題が思わぬところに飛び火した。民主党政権による「天皇の政治利用」として自民党は激しく批判してきたが、自民党側からも会見実現に向けた働きかけがあったというのだ。泥試合の様相も呈しつつあるが、自民党は特命委員会を設けて徹底抗戦する構えだ。/いわゆる「1か月ルール」を曲げて設定された「特例会見」は2009年12月15日、予定どおり皇居で実施された。しかし鳩山政権が天皇陛下を政治利用したという批判はおさまっていない。
元首相の要請は「1か月ルール」によって断られた ―― そんななか飛び出したのが、前原誠司国交相の「要請したのは元首相」発言だ。前原国交相は15日の記者会見で「元内閣総理大臣の方から話があったと私は聞いている」と述べ、自民党の元首相から首相官邸に要請があったという認識を示した。元首相とはだれなのか。永田町界隈では複数の名前があがったが、中曽根康弘元首相だといわれている。/中曽根元首相は中国とパイプが太く、07年6月にも日中青年世代友好代表団の最高顧問として上海を訪問し、中国要人と交流を深めている。また特例会見の1週前の09年12月7日に首相官邸を訪れていることから、そのときに要請したのではないかと噂された。永田町事情に詳しい政治ジャーナリストは「自民党は今回の問題を検証する会合を16日に開いたが、そこに呼ばれた政府職員の口からも中曽根さんの名前が出た。まず間違いない」と話している。もし中曽根元首相が働きかけていたとしたら、自民党の批判はトーンダウンせざるをえない。だが、前出の政治ジャーナリストによれば、中曽根元首相の要請は「1か月ルール」によって断られたという。つまりルールを曲げて、強引に周近平副主席との会見を設定したのは、やはり民主党政権だというわけだ。
自民党は「政治利用」検証の特命委員会を設置 ―― そのような事情もあって、自民党は攻撃の手をゆるめない。「前原発言」を知った谷垣禎一総裁は12月15日、「まさに『顧みて他を言う』ということ。責任の転嫁というのが正しいのではないか」と批判。石破茂政調会長も翌16日の会見で「国土交通大臣の発言は真意がよく分からないが、いかなる確証をもってそういう発言をしているのかということがなければ、国務大臣の発言としては極めて無責任かつ不適当だ」と前原国交相を非難した。/自民党は16日、天皇陛下の政治利用について検証する特命委員会を設置。今回の経緯を調査するとともに関係者や有識者から意見を聞いて、党としての見解をまとめるとしている。/批判しているのは自民党だけでない。メディアからも異論が噴出、特に厳しいのが産経新聞だ。15日付け紙面で外務省関係者の「中国の走狗」「亡国政権」という言葉を紹介しながら、中国に配慮して特例を認めさせた鳩山内閣やその背後にいる小沢一郎幹事長を強く非難している。/ただ、なかには「自民政権も天皇陛下の政治利用をしてきた」という意見もないわけではない。ある元全国紙記者は「園遊会だって政治利用だ。だれを天皇陛下の園遊会に招待するのかというときにも必ず政治的な判断がある」と指摘する。宮内庁長官が投げかけた波紋はまだ静まりそうにない。 (J-CASTニュース、2009/12/16 20:02)

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f7c32d45.jpg 午前中は曇り空で、外はかなり寒そうだった。昼飯を食べ終わった頃、陽が射してきたので、気温は11℃と低かったが、隅田公園を抜け吾妻橋から淺草通りに出て、東武橋。北十間川の南岸に沿って京成橋から東武押上→東武曳舟→東武東向島と東武線伝いに明治通りに出ると、白鬚橋をわたり、隅田川沿いに帰宅した。11647歩、7.5㎞が本日の記録。
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