瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
楊朱の弟の楊布(ようふ)が、あるとき楊朱(ようしゅ)に向って訊ねた。
―― ここに人がいて、年齢は似たり寄ったり、資産もほぼ同じで、才能にもそれほどの差はなく、容貌もおっつかっつである。ところが寿命の長短は親子ほども開き、地位の高低は大きく隔たり、名声にもひどい差があり、他人に愛されるか憎まれるかと言う点でも親子ほどの違いがある。これは一体どうしたことであろうか。
すると楊朱先生が答えた。
―― 昔の人がこんなことを言っているよ。私が何時も念頭においている言葉だが、それをひとつそなたに教えてあげよう。「なぜそうなるのかの理由が分からずにそうなるのが運命というものである。」と言う言葉だ。いま、われわれの現実の生活においては、ぼんやりとして捉えどころがなく、ごてごてと入り乱れて、さまざまな事象が、行為を為せば為すにつれて、為さねば為さぬにつれて日毎に消え去ってゆき、日毎にたち現れてくるが、どうしてそうなるかという真相は誰にも分からず、それらはみな「命」―― 運命の巡り会わせなのだ。いったいすべてを運命に任せる者は、寿命の長短など問題にせず、すべてを自然の理法に任せる者は、事の順逆など問題にせず、すべてを生命の本質に任せる者は、一身の安危など忘れてしまう。かくてこのような境地を“何ものにもすべてまかせることがなく、しかもあらゆるものにすべてを任せてゆく境地”―― 任せるとか任せないとか言うことさえ超えた至人の捉われない境地 ―― と呼ぶのである。そこでは真実であり誠実であることが問題なので在り、何を否定し、何を肯定し、何を哀しみ何を楽しみ、何を行い何を行わないかと言ったような価値の判断、思慮分別などは無用なのである。
『黄帝の書』に、「道の体得者である至人は、じっとしているときは死人のようであり、行動しているときはからくり人形のようだ」とあるが、このような至人は、己が何故じっとしているかの理由も分からず、また何故じっとしていないかの理由も分からず、何故行動するかの理由を意識することもなく、何故行動しないかの理由を意識することもない。人々が観ているからと言って己の気持ち・態度を変えることもなく、人々が観ていないからといって己の気持ち・態度を変えないと言うこともない。なにものにも捉われずにただ独り天地を往来し、ただ独り宇宙に出入し、何ものも彼の捉われない自由を妨げることは出来ないのである。
今日は日曜日、朝から報道番組に見とれていた。
総務副大臣が首相批判=天皇特例会見「やめた方がいい」 ―― 鳩山由紀夫首相が中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を特例的に実現するよう指示した問題について、13日のテレビ朝日の番組で、与野党から批判の声が相次いだ。/渡辺周総務副大臣(民主)は「天皇陛下の政治利用と思われるようなことを要請したのは誠に遺憾だ」と指摘。「やめていいなら、今からでもやめた方がいい」と、会見中止も検討すべきだとの考えを示した。副大臣が首相を批判するのは異例。/社民党の阿部知子政審会長は「(会見は)特例でも認めてはいけない」と強調。国民新党の亀井亜紀子幹事長代理も「象徴天皇制は国の基本で、きちんと(しなければならない)」と語った。/一方、自民党の町村信孝元官房長官は、首相の指示の背景に小沢一郎幹事長の働き掛けがあったとの見方に触れて「これでは小沢内閣だ」と指摘。公明党の高木陽介幹事長代理は首相の偽装献金問題と絡めて、「首相には『ちょっとぐらいルールを破ってもいいじゃないか』という発想がある」と皮肉った。/共産党の小池晃政策委員長は「乱暴なやり方だ」と指摘し、みんなの党の浅尾慶一郎政調会長は国民への説明と謝罪を求めた。(2009/12/13-14:04)
―― ここに人がいて、年齢は似たり寄ったり、資産もほぼ同じで、才能にもそれほどの差はなく、容貌もおっつかっつである。ところが寿命の長短は親子ほども開き、地位の高低は大きく隔たり、名声にもひどい差があり、他人に愛されるか憎まれるかと言う点でも親子ほどの違いがある。これは一体どうしたことであろうか。
すると楊朱先生が答えた。
―― 昔の人がこんなことを言っているよ。私が何時も念頭においている言葉だが、それをひとつそなたに教えてあげよう。「なぜそうなるのかの理由が分からずにそうなるのが運命というものである。」と言う言葉だ。いま、われわれの現実の生活においては、ぼんやりとして捉えどころがなく、ごてごてと入り乱れて、さまざまな事象が、行為を為せば為すにつれて、為さねば為さぬにつれて日毎に消え去ってゆき、日毎にたち現れてくるが、どうしてそうなるかという真相は誰にも分からず、それらはみな「命」―― 運命の巡り会わせなのだ。いったいすべてを運命に任せる者は、寿命の長短など問題にせず、すべてを自然の理法に任せる者は、事の順逆など問題にせず、すべてを生命の本質に任せる者は、一身の安危など忘れてしまう。かくてこのような境地を“何ものにもすべてまかせることがなく、しかもあらゆるものにすべてを任せてゆく境地”―― 任せるとか任せないとか言うことさえ超えた至人の捉われない境地 ―― と呼ぶのである。そこでは真実であり誠実であることが問題なので在り、何を否定し、何を肯定し、何を哀しみ何を楽しみ、何を行い何を行わないかと言ったような価値の判断、思慮分別などは無用なのである。
『黄帝の書』に、「道の体得者である至人は、じっとしているときは死人のようであり、行動しているときはからくり人形のようだ」とあるが、このような至人は、己が何故じっとしているかの理由も分からず、また何故じっとしていないかの理由も分からず、何故行動するかの理由を意識することもなく、何故行動しないかの理由を意識することもない。人々が観ているからと言って己の気持ち・態度を変えることもなく、人々が観ていないからといって己の気持ち・態度を変えないと言うこともない。なにものにも捉われずにただ独り天地を往来し、ただ独り宇宙に出入し、何ものも彼の捉われない自由を妨げることは出来ないのである。
今日は日曜日、朝から報道番組に見とれていた。
総務副大臣が首相批判=天皇特例会見「やめた方がいい」 ―― 鳩山由紀夫首相が中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を特例的に実現するよう指示した問題について、13日のテレビ朝日の番組で、与野党から批判の声が相次いだ。/渡辺周総務副大臣(民主)は「天皇陛下の政治利用と思われるようなことを要請したのは誠に遺憾だ」と指摘。「やめていいなら、今からでもやめた方がいい」と、会見中止も検討すべきだとの考えを示した。副大臣が首相を批判するのは異例。/社民党の阿部知子政審会長は「(会見は)特例でも認めてはいけない」と強調。国民新党の亀井亜紀子幹事長代理も「象徴天皇制は国の基本で、きちんと(しなければならない)」と語った。/一方、自民党の町村信孝元官房長官は、首相の指示の背景に小沢一郎幹事長の働き掛けがあったとの見方に触れて「これでは小沢内閣だ」と指摘。公明党の高木陽介幹事長代理は首相の偽装献金問題と絡めて、「首相には『ちょっとぐらいルールを破ってもいいじゃないか』という発想がある」と皮肉った。/共産党の小池晃政策委員長は「乱暴なやり方だ」と指摘し、みんなの党の浅尾慶一郎政調会長は国民への説明と謝罪を求めた。(2009/12/13-14:04)
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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sechin@nethome.ne.jp です。
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