瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 朝食後、隅田川沿いに北上、汐入公園内のさくら橋を渡り、水神大橋にでる。東白鬚公園を貫けて、墨堤通りと並行する東側の道を南下、じまん草餅の仮店舗(墨堤通りの本店は現在建替え中)で、草餅を買い、桜橋を渡って帰宅した。本日の記録、10416歩、6.7kmであった。
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 本日は小春日和、気持ちよい陽気で、その上土曜日ということもあって、遊歩道は人出が多く、方々で今流行のウォーキングの集まりがあちこちに見られた。

 劉伶(りゅうれい、221? ~ 300?年)は、竹林の七賢の一人。字は伯倫。三国時代の魏および西晋の文人。沛國(江蘇省銅山県の西北)の人。反礼教的で自由奔放な思想を持ち、建威将軍の参軍をつとめたこともあるが、無作為の教化を説いて辞職し、酒びたりの気ままな一生を送った。いつも酒徳利をぶら下げ、鋤を肩にした従僕を従え、「死ねばその場で埋めよ」と言っていたという。著書に『酒徳頌』がある。
世説新語・容止篇に曰く、《劉伶は身長が六尺(140cm)どまりで、容貌はひどく醜くやつれていたが、ゆうゆうとして一切に無頓着であり、肉体を土木のようにみなしていた》また、任誕篇に曰く、《劉伶は二日酔いで咽喉がひどく渇いたので、妻に酒を求めた。妻は酒をすて、酒器を壊し、泣きながらいった。「貴方は余りにも飲みすぎです。養生の道から外れています。どうぞきっぱり酒を断ってください」劉怜は言った。「たいへん結構だ。だが、わしは自分の力では禁酒できないから、ひたすら神に祈り、誓いを立てて断つより他はない。すぐ酒と肉とを調えてくれ」妻はこたえた。「かしこまりました」神前に酒肉を供え、劉伶に願をかけるように促した。劉怜は跪いて祝詞をあげた。「天は劉伶を生みたまい、酒を以って名をなさしむ。一度飲めば一斛、五斗ならば悪酔いざまし。婦人の言は、心してきくべからず」その後すぐ酒を引き寄せ肉を食い、陶然としてすっかり酔っ払ってしまった。》さらに、《劉怜はいつも酒に酔っ払って奔放な振舞いをした。時には衣服を脱ぎ裸になって家の中にいた。ある人がこれを見て誹ると、劉怜は言った。「わしは天地をば家とし、家屋をばわが衣、わが褌と心得ている。諸君はなぜわしの褌の中にはいりこんでくるのだ」》
 『酒徳頌』: 酒徳は酒の功徳、頌は韻文の一種で褒め称える言葉すなわち賛歌である。大人先生という架空の人物に託した作者劉伶の自画像であり、老荘哲学の表白でもある。わが国の大伴旅人の「讃酒歌」などは、この作品の影響を受けたものといわれる。
1d175b86.JPG 「訳: 酒の功徳をたたえる 劉伶/大人先生という人物がいた。天地の生成をも一日のごとくみなし、一万年も瞬時、日と月とは戸口と窓、世界の果ても我が庭か往来のごとく見做していた。何処へ行くにも決まった道を通らず、何処にも決まった住まいを持たず、大空を屋根とし、大地を敷き莚(むしろ)として行きたい所へ出掛けていった。坐っていれば大盃やぐい呑みを手にし、出掛けるとき酒樽や徳利をぶら下げ、酒だけがつとめと心得、他のことは気にも掛けなかった。ある貴公子と大物の浪士が、先生の評判を聞き、そのわけを論じ合った。そこで大いに奮い立ち、勇んで出掛け、目を怒らせ歯がみして、礼法について述べ立て、鋭く論難した。先生はそのとき、酒がめをかかえますにうけ、杯をふくんで濁酒(どぶろく)を口に流し込み、ひげを捻って両足を投げ出し、こうじを枕に酒樽を敷布団にして横たわり、何の頓着もなく、陶然と楽しげであった。傲然と酔うているかと思うと、突然はっと醒めるが、*1 耳をすましているようでも、雷の音さえ耳に入らず、目を凝らしているようでも、泰山の姿さえ目に入らぬ様子、寒暑が肌を刺し、利欲が心を動かすのも気付かぬげである。万物が乱れ騒ぐのを見下ろして、まるで大河が浮き草を浮かべたほどにも気に掛けぬ。二人のおえらがたは傍に侍り、*2 ミイラ取りがミイラになった」
註 *1 雷は音の大きなものの代表、泰山は中国一の名山のひとつで形の大きなものの代表としていう。それらさえ耳に入らず、目にはいらぬ。 *2 原文は「蜾臝(から、じが蜂)の螟蛉(めいれい、桑虫)に与(お)けるが如し」とある。じが蜂は桑虫の子を育てて自分の子と化す、という言い伝えから、影響を受けて速やかに変化してしまうことをいう。
 ◎ 大宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首――万葉集より
e79d88ac.JPG 験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし(3-338)/【通釈】くよくよと甲斐のない物思いに耽るよりは、一杯の濁り酒を飲む方がよいらしい。/【補記】十三首の連作。おそらく天平二年(730)頃の作と思われる。
 酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古(いにしへ)の大き聖の言(こと)の宣(よろ)しさ(3-339)/【通釈】酒の名を聖人と名付けた昔の大聖人の言葉のなんと結構なことよ。/【補記】『魏史』巻二十七、清酒を聖人、濁酒を賢人に譬えた故事に由る。
 古(いにしへ)の七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせし物は酒にしあるらし(3-340)/【通釈】昔の竹林の七賢も、欲しがったものは酒であったそうな。/【補記】『世説新語』任誕篇の竹林の七賢が酒を飲み清談に耽ったとの故事に由る。
 賢(さか)しみと物言ふよりは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするしまさりたるらし(3-341)/【通釈】かしこぶって物を言うよりは、酒を飲んで酔い泣きするようがましのようであるよ。
 言はむすべ為むすべ知らず極りて貴(たふと)き物は酒にしあるらし(3-342)/【通釈】言いようもなく、どうしようもない程に、この上もなく貴い物は酒であるらしい。
 中々に人とあらずは酒壺(さかつほ)になりてしかも酒に染(し)みなむ(3-343)/【通釈】なまじ人であるよりは、いっそ酒壺になってしまいたい。いつも酒浸りでいられようから。
 あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む(3-344)/【通釈】ああみっともない。かしこぶって、酒を飲まない人をよく見れば、猿にそっくりではないか。
 価(あたひ)なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒に豈(あに)まさめやも(3-345)/【通釈】値のつけようもない宝であっても、一杯の濁酒にどうしてまさろうか。
 夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣(や)るに豈(あに)しかめやも(3-346)/【通釈】暗い夜にも輝く宝玉であっても、酒を飲んで憂さ晴らしするのにどうして及ぼうか。
 世間(よのなか)の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべかるらし(3-347)/【通釈】世の中の遊びで一番楽しいことと言ったら、酒に酔って泣くことに決まっているようだ。
 この世にし楽しくあらば来(こ)む世には虫に鳥にも我はなりなむ(3-348)/【通釈】現世が楽しければ、来世には虫だろうと鳥だろうと、俺はなってしまおうよ。
 生まるれば遂にも死ぬるものにあればこの世なる間(ま)は楽しくをあらな(3-349)/【通釈】この世に生れれば、結局は死んでしまうのだから、この世に生きている間は楽しくこそ過ごしたいものよ。
 黙然(もだ)居りて賢(さか)しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほ及(し)かずけり(3-350)/【通釈】黙りこくってかしこぶっているなんてのは、酒を飲んで酔い泣きするのに、何といっても及ばないなあ。
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