瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 大したことはないのだけれど、どうも風邪が治まらない。明日は忘年会だという。あれやこれやと思案しているうちに徘徊は取り止めとしてしまった。
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04300a44.JPG どうやら普天間移設の決着は越年に持ち越されるようだ。本日のウェブニュースに曰く、「普天間移設「新候補地を」、首相が防衛相に指示 ―― 沖縄の米軍普天間飛行場移設問題で、鳩山首相が北沢防衛相に対し「新しい場所を探してほしい」と述べ、日米合意に基づく米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(沖縄県名護市辺野古)以外の移設先を探すよう指示していたことが3日、明らかになった。/首相の指示は、移設先の検討を事実上仕切り直すよう求めたものと受け止められている。新たな移設先を見つけるには時間がかかることから、首相は年内の決着を先送りすることにしたとみられる。/首相は3日夜、「年内に決めなきゃいけない、という議論をしているわけではない」と記者団に述べ、年内決着を見送る考えを公の場で表明した。/これに先立ち、首相は3日夕、首相官邸で平野官房長官、岡田外相、北沢防衛相と会談し、4日に都内で開く日米外務・防衛当局の閣僚級作業部会に向けた協議を行った。首相は「連立は大事だ。米国とは誠実に協議してほしい」と述べ、移設問題の決着が遅れても米側の理解を得られるよう指示した。首相はここ数日、平野氏らと連日協議を重ねており、新たな移設先の検討指示もこの中で出た。/複数の関係者によると、首相の念頭にあるのは米領グアムだという。首相は3日、普天間移設を2014年までに完了すると日米が06年に合意した米軍再編のロードマップ(行程表)について「柔軟性を持って臨むことは可能だ」と記者団に語り、移設の時期や場所などを軌道修正する可能性を示唆した。(2009年12月4日 読売新聞)」

 王戎はやがて司馬昭に仕え相国掾となり、建威将軍、安豊県侯と次々に出世し、64歳で、三公の一つ、司徒にまで登り詰める。山濤の最終位も司徒であったが、山濤が司徒になったのは78歳の時であった。仕官した年はあまり変わらないが、山濤は幼い頃の逸話などは何も残していない。この二人を比べると、山濤は大器晩成型、王戎は早熟型といえよう。
3b75a1ab.JPG 世説新語・賞譽篇第八に曰く、《鍾士季(しょうしき、鍾会、?~263年)は王安豊(王戎)を批評していった。「阿戎(王戎)は人の気持ちをすっかり理解できる人間だ」また、こういった。「裴公(裴楷、237~291年)の話は尽きるところがない。」/史部郎に欠員が出来たとき、文帝(司馬昭)が適当な人物を鍾会にたずねたところ、かれは答えた。「裴楷は万事に明快であり、王戎は簡にして要を得ております。どちらも適任です」そこで裴楷を起用することになった。5》《王濬沖(おうしゅんちゅう、王戎)と裴叔則(はいしゅくそく、裴楷)の二人は、童髪の頃鍾士季を訪れ、しばらくして帰っていった。あとで客が鍾士季にたずねた。「さきほどの二人の子供をどうおもわれるか」鍾士季は答えた。「裴楷は万事に明快であり、王戎は簡にして要を得ている。いまからのち二十年もすれば、この二人はきっと吏部尚書になるであろうが、そのときは天下に埋もれた人材がなくなるという希望が叶えられるであろう」6》《王戎は山巨源(山濤)を批評していった。「山から切り出したばかりのあら玉、手を加えぬ金の塊のようだ。たれもがこれを寶として賞(ほ)めるが、なんの器と呼んでよいかわからない」10》また、容止篇第十四に曰く、《裴令(裴楷)は王安豊(王戎)を批評していった。「目は爛爛と輝き、巌の下に閃く稲妻のようだ」6》《ある人が王戎に告げた。「嵆延祖(けいえんそ、嵆紹、嵆康の子)は高くずば抜けていて、野の鶴が鶏の群れに降り立ったようだ。」王戎は答えた。「君はまだかれの父を見ていないから、そういうのだよ」11》さらに、傷逝篇第十七に曰く、《王濬沖が尚書令であったころ、出仕の礼服を着て軺車(1頭だての小さな遊覧車)に乗り、黄公酒壚(こうこうしゅろ、黄公の酒場)の辺りを過ぎたとき、後続の車に乗っていた客を振り返っていった。「わしは昔、嵆叔屋(嵆康)や阮嗣宗(阮籍)といっしょに子の酒場で飲み明かしたことがある。竹林の遊びにも、その末席につらなっていた。嵆康が早死にし、阮公がなくなってからは、すぐ世間の俗事に縛られる身になり、今これを見ると、近くにありながら、まるで山河を望むように遥かな思いがするよ」2》《王戎は子の万子(19歳で没した)をなくした。山簡(253~312年、山濤の子)が見舞いに行くと、王戎は悲しみに耐えられない様子である。山簡はいった。「まだ乳離れもしない赤ん坊に、それほどまでにする必要はあるまい。」王戎はいった。「聖人は感情を忘れるが、最下等の人間も感情を持つだけの能力がない。感情が集まってくるのは、まさにわれわれのような人間にだよ」山簡はその言葉に感服し、あらためてかれのために慟哭した。

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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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