瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日に続いて、阮籍の「詠懐」を2首。その1つは精神の遍歴を語る1首である。
7ff30b5a.JPG 「訳:かつて 十四五歳の頃には/志操高く『書経』『詩経』を愛読し/粗衣をまとうも 珠玉の心をいだき/やがては顔淵(がんえん)か閔子騫(びんしけん)にもと思い/窓を開け放って 四方の曠野を眺め/髙処(たかみ)に登って 賢人たちを思いえがいたが/山や岡をおおいつくす 数知れぬ墳墓/万代の生き死にも 塚のうちに埋もれ/千秋万歳の 後にあっては/在りし日の栄誉も まこと夢か幻か/かくて悟ったは 羨門子(古の仙人)の道/からからと わが愚かしさを笑うのみである(平凡社刊、中国古典文学大系に拠る)」
 もう1つは生き難い世を生き抜いた1知識人の告白の1首である。「竹林の七賢」の代表的な1人として、自由奔放に生きたように思われる阮籍の一面が描き出されている。
93d61302.JPG 「訳:今日モマタ、夜ガ来タ/夜ガ明ケルト マタ朝ガ来ル/顔ツキモ 少シズツ変ワリ/心ノハリモ ダンダンニ衰エル/胸ノ中ハ 煮エタギリ/ヤツレル度アイモ 激シクナル/世ノ中ハ 千変万化/智慧ヲ働カシテ 何ニナル/ダガ ウカウカシテイルト/風二生命ガ 吹キ飛バサレル/薄イ氷ヲ踏ンダ一生ダッタトハ/誰モ知ラナイ コトダロウ(平凡社、中国古典文学大系に拠る)
 世説新語・徳行篇に「晋の文王(司馬昭)、阮嗣宗(げんしそう)の至慎を称(たた)えて、毎(つね)に之と言(かた)るに、言(ことば)は皆玄遠にして、未だ嘗(かつ)て人物を臧否(あげつら)わずという《訳:晋の文王は、阮嗣宗の慎重さを誉めて言った。「あの男と話していると、深遠な道理を話すばかりで、人物の善し悪しの批評をしたことは一度もない」――平凡社刊、中国古典文学大系に拠る》」とみえる。
 本日A医院で定期健診。今日も洟水たらたら、咽喉はいがいが。徘徊は見合す。

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