瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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a4d14350.JPG 此処の所、眠られぬ夜のために寝床に劉義慶(403~444年)著の世説新語(平凡社刊、中国古典文学体系)を持ち込んで拾い読みしている。
 中国史上、有名な家族がある。父の曹操は、軍事戦略家で詩人でもあり、二人の息子曹丕と曹植は文学的にも非常に造詣があることから、この親子三人は“三曹”と呼ばれ、中でも曹植の文学的成果が最高とされた。曹操は文学評論家でもあり、その「典論・論文」は中国の文学評論史上、画期的傑作とされている。そして曹植は曹操の五男として生まれる。生母の卞氏(べん し、160~230年)は倡家(歌姫)の出身だが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねる賢婦であった。同母兄に魏の文帝曹丕(そうひ、187~226年)、任城威王曹彰(そう しょう、? ~223年)、同母弟に蕭懐王曹熊(そう ゆう、生没年不詳)、子は曹苗(そうびょう、早世)、曹志(そう し、?~288年)、他に2人の娘がいた。異母兄の曹昂(そうこう、? ~197年)と曹鑠(そうしゃく、生没年不詳)が早世すると、197年頃に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となる。幼い頃より詩など数十万言を諳(そらん)じ、自身も詩人であった曹操の溺愛を受ける。211年、平原侯(食邑5000戸)に封ぜられ、214年、臨葘(りんし)侯(同)に転封される。三男ではあるが、抜群の才能をもち、特に文学では当時最も優れた人物といえる。兄の曹丕は即位した後、弟の曹植の才能を妬んだ。ある日、小さなことで曹は「七歩のうちに詩を作れ」との難題を吹っかけ、曹植を処罰しようとしたが、皇帝となった兄の企みを悟った曹植は逆らえないと知って、仕方なく、「豆を煮て豆がらは燃え、豆は釜の中で泣く。もとはといえば同じ根から生まれたのに、どうしてそんなに激しくいりつけるのか」との詩を瞬く間に作った。これを聞いた曹丕は後悔し、その後は弟に害を加えなくなったという。
6d3ce5b7.JPG 世説新語・文学篇第四に曰く《魏の文帝(曹丕)は、あるとき東阿王(曹植)に七歩あるく間に詩を作れと命じ、もし出来なければ死刑にしようと言った。東阿王はその言葉を聞くと同時に詩を作った。「豆を煮て以って羹を作り、豉(し、豆に塩を加えて発酵させたもの)を漉(こ)して以って汁となす。萁(まめがら)は釜の下にあって燃え、豆は釜の中にあって泣く。本(も)と自ずから同根にして、生ずるに、相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なる」帝は深く恥じ入る色が合った。》
 さらに、賢媛篇第十九に曰く《魏の武帝(曹操、帝位に就かなかったが死後に武帝の諡を贈られた)が崩じたとき、その子の文帝はすっかり武帝の宮女を自分のものにして侍らせた。文帝の病気が重くなったとき、卞后(べんこう、?~204年、文帝の生母、もと倡家の身であるが曹操の皇后となり、没後は太后となった)は病気の見舞いに出掛けた。太后(卞后)が戸の内に入ると、とのいをしている宮女は、すべてむかしの武帝が寵愛していた者ばかりである。太后は訊ねた。「いつごろ、ここへきのか」宮女たちは答えた。「ちょうど、お亡くなりになりましたすぐあとです」そこで太后は前に進もうとせず、嘆息していった。「狗や鼠も、お前の食べ残しを食おうとはすまい。死んでも当たり前じゃ」
山稜の墓所へ行っても、とうとう哭泣の礼をしようともしなかった。》(いずれも平凡社刊、中国古典文学大系、世説新語)
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 今朝は起き抜け、腰が痛くて朝食後も出掛けるのを躊躇った。昼食後、外を見ると小春日和で、余りにも好い天気なので出かけて見ることにした。午後2時過ぎ、桜橋を渡り、隅田川沿いに北上、冷たい風がやや強かったが、明治通りを東進、曳舟川通りを南下、飛木稲荷神社の前を通り、桜橋通りを西進、さらに水戸街道を南下、言問橋を渡って帰宅した。9531歩、6.1kmの記録であった。

c3d902b2.JPG 今夕のウェブニュース、産経ニュースに曰く、「オバマ大統領の支持率50%割れ ギャラップ調査 ――  米世論調査機関ギャラプが20日発表した最新の世論調査で、オバマ米大統領の支持率が49%となり、同調査で初めて50%を下回った。不支持率は44%。ほかの世論調査では既に50%を割り込んだものもある。失業率が10%を超えるなど、なかなか好転しない経済に対する米国民のいら立ちを反映したものとみられる。ギャラップによると、第2次世界大戦後の米大統領のうち、オバマ氏が支持率50%を下回った時期は、フォード、クリントン、レーガン各大統領に次ぐ早さという。」

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