瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 浅草サンバカーニバルの第1回の開催は昭和56(1981)年というから、今年は第28回目ということになる。浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたのであるが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山栄一と浅草喜劇出身俳優の伴順三郎の発案により初めて実施されたといわれる。当時神戸市が神戸まつりでサンバパレードを行っていたことから、浅草の商店街や観光連盟などが読売新聞社を通じて、神戸まつり関係者にコンタクトを取ってそのアイディアを浅草サンバカーニバルに流用したというのが真相であり、伴淳三郎の話は後づけであるという指摘がある。
 まあ、爺にとってはそんなことはどうでもいいことで、ここ浅草にサンバカーニバルが定着し、町が潤ってくれることは爺が大変うれしいことなのである。
開催マップ
8137bd9a.JPG家族で出演
6f73bbcf.jpg化粧は入念に
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準備完了
b6c36e4d.jpgさあ出発だ
f4449588.jpg外人観光客も見物
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雷門通は交通規制
04b6e17b.jpg東武浅草駅構内
3b4c2360.jpg 今日は早朝から土砂降りで、朝の徘徊にも出掛けられなかったが、昼飯を食うころになって薄日が射してきた。台東ケーブルテレビを観ていた婆様がサンバカーニバルをやっているというので、テレビを観るよりも実際に現場に行って見ようという気になった。
 江戸通りから路地越しに見る馬道は大変混んでいるようである。産業会館はカーニバルの楽屋になっているらしく、サンバにそなえて、盛装している人々が大勢見られた。馬道通りに出ると歩道は人でごつたがえし、よく歩けない。それに陽射しも強くなり、暑くてやりきれない。馬道通りを雷門通りまで抜けるのがやっとであった。雷門通りに入ると出られそうにもないので、ここからは江戸通りを北上して帰宅した。
 来週は東武線隅田川橋梁を撮影するつもりなので、江戸通りのガード手前で東武浅草駅の構内を撮影してみた。帰宅して、3時半。今までの強い陽射しが一転,俄かに掻き曇り、大粒の雨が降り出した。サンバ出場の皆さんずぶ濡れだろうなぁ。ご苦労さん。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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