2日続きの雨でウサギ小屋に閉じ込められてしまった。今朝も雨、朝食を終えて空が少し明るくなった頃を見計らって、9時過ぎに小雨の中を折りたたみ傘持参で徘徊に出掛けた。お目当ては蔵前橋の1つ上流の厩橋。
春日通が蔵前と駒形を分かつ
御厩の渡し(葛飾北斎 富嶽36景より)
厩橋は、春日通りが隅田川を渡る橋である。西岸は台東区蔵前2丁目と駒形2丁目を分かち、東岸は墨田区本所1丁目で、橋名は西岸にあった「御厩河岸(おんまいがし、蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」にちなみ、架設当初は「おんまい(や)橋」と俗称されたという。
もともと元禄年間頃から続いていた「御厩の渡し」のあった場所で、以前から転覆事故が多かったので「三途の渡し」と揶揄されていたが、明治5(1872)年に花見客の人出でこの渡し舟が転覆するという事故があったため、この渡しを利用すものがほとんといなくなったということじゃ。それでも上流の 『吾妻橋』、下流の 『両国橋』 まではかなりの距離があることから、不便を感じた地元住民がその費用を出し合って有料の 木橋 を架設したのが『厩橋』の始まりじゃそうじゃ。明治7(1874)年10月に完成、長さ511尺(約150m)、幅20尺(約6m)の木橋であったと伝えられ、現在の位置より100mほど下流であったそうじゃ。隅田川5橋(千住大橋・両国・新大橋・永代・吾妻)に続いて6番目の橋ということになる。民間による橋の架設は出来ても、維持管理までは手が回らなかったようで、明治20(1887)年には東京府の管理になっている。
明治26年完成の旧厩橋
西詰、上流側渡し口
ステンドグラス風ガラス細工
橋柱の下のレリーフ
東詰、下流渡し口
墨田区側テラス上流より
橋のましたより橋客と橋桁
この橋は老朽化のために東京府によってトラス鉄橋(てつばし)に架け替えられることになる。ブラットトラス形式で長さ86間(約154m)の橋が明治26(1893)年5月に完成したという。当時この近辺は湿地帯で沼地が多く広い道がなかったので、この厩橋鉄橋の建設に伴い、本所方面から上野広小路を直接接続できるべく、明治23(1890)年には現在の春日通り建設計画が持ち上がっていた。しかしながら、土地買収や立ち退き交渉などでなんこうし、開通は明治28年になってからということじゃ。後関東大震災により被災、橋の崩落こそ免れたものの、火災によって木製の床は焼失し、鉄製の構造部材も熱によって変形してしまったそうじゃから、凄まじい火炎であったのじゃろうなぁ。復興計画によって現在の橋が架橋されたということじゃ。
震災3年後の大正15(1927)年9月に着工、昭和 4(1929)年9月に震災復興橋梁として架設されたものである。3径間の鋼製アーチ橋で、下流の 『蔵前橋』 が上路式アーチ橋なのに対して、この 『厩橋』 は下路式アーチ橋となっている。3連のアーチ構造と緑の塗装、アーチの下に橋桁が一直線に延びている。親柱には馬をデザインしたステンドグラス風のガラス細工が組み込まれているほか、橋の各所の橋灯の下に 「厩」 にまつわるオブジェが配されている。橋長151.4m、幅員22.5mという。
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